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2004年ぐらいから使っているブログサイト、特に2006年から2010年のプロジェクトについてはかなりまめに記述していました。それはプロジェクトごとにページ下のカテゴリーごとに収められています。
2004年 04月 27日 昼間は屋内で催しが開催されました。 最初はここで日本舞踊などいいのかなと思っていましたが、演出家の方が屋外に舞台を作ろうと発案し、今回制作する流れに。 屋内の和室は、もともと住宅の和室で、それを切り取った形で舞台として利用されています。これもなかなか面白い状況だと思うのですが。 演奏しているのはお箏の演奏。 演奏者は久徳千代子さんと中村后岐さん 夜の部の舞台の始まり...
○イイスペイス@イイテラス
2004年 04月 27日 日本基地学会のオガタタカヒロ君と彼と誕生日が一回り違いで同じという松尾くんと3人で茶室の格子になる部材を車に積んで鹿児島へ。 同じ材料を鹿児島のナフコで購入し、e-space gardenでのステージづくりがはじまりました。 日本基地学会がひいてくれた図面はもっと立派な丈夫な舞台でしたが、ホームセンターで部材を購入しようとしたら曲がっていたりねじれていたり。ほとんど使えそうな材料を買...
2004年 04月 22日 今から鹿児島に入ります ステージ(S)⇔トイレ(WC) 日本基地学会がデザインしたWCの模型
2004年 04月 21日 しかし、会場にゆけませんが、HANAREというところなかなか渋いところですね。 虫が寄って来そうで、ゲコにとっては最高の居場所ですね。 素晴らしい展示をありがとうございます。 しかし、この展示考えたのだれですか? かなりのプロだろうね。
○動物彫刻家・クスタケシ
2004年 04月 21日 さじよじの面倒を見ている林さんから会場での展示風景をおくっていただきました。 なかなか渋い展示でいいですね。
2004年 04月 21日 ようこさんがかえっこのがらくたの中からがさがさと使えないおもちゃの破片をあつめてつくったさじです。この手法のアクセサリーをつくる作品が今後タイでの展覧会などにつかわれるかも。
○デコポリ・ビニプラ系活動
2004年 04月 21日 鹿児島のe-space garden での舞台づくりがはじまりました。 日本基地学会とのコラボレーションでつくられる屋外舞台で、その舞台を解体するとそのまま屋外トイレの壁として収納されるというもの。 適正技術を用い、すべて誰もがつくることができるように、資材はすべてホームセンターからのもの。サイズもなるべく市販のサイズをユニットの基本として制作しようとしています。 明日から鹿児...
2004年 04月 17日 匙楊枝合体型家守像完E saji & yojiのに先ほど発送しました。 展覧会場に行けませんがどうぞよろしくお願いいたします。 HANAREの方よろしくお願いいたします。
2004年 04月 14日 どうにかgecoの匙が完成しました。 しっぽは楊枝になっています。 ちなみにこれは、1997年に制作した東京湾横断道路の休憩施設、海ほたるのデッキ材の廃材で制作した犬のさらに廃材で制作してみました。 裏庭に捨てられていた材料ですが、磨けば光るものですね。
2004年 04月 14日 ちなみにこれが裏面。 ちゃんとさじになっているでしょ。 明日発送します。 リエさん設営よろしくお願いいたします。 会場のどこかに置いてもらえばそれでいいのですが。 もちろん隅っこがいいですね。
2004年 04月 13日 もうすぐ、さじとようじの展覧会「サージ&ヨージ」が始まります。なかなか面白い企画で、今回の立ち上げ以降、いろいろと全国を巡回しそうな勢いです。藤浩志企画制作室からは楠丈さんとふじようこさんが出品することになっていて、搬入が迫った昨日から、あわてて楠さんがゲコのさじとようじを作り始めました。ゲコの頭の裏側がさじ、しっぽがようじになっています。展覧会については下記のサイトを参考にしてください。な...
2004年 04月 12日 高松市美術館での「つながりカエル」の参加者の皆様、お疲れ様でした。最終日の「かえっこフェスティバル」来場者数約1000人とてもすごいことになりましたね。時間がなくて写真撮影もできませんでした。どなたかもう少しましな写真持っていませんか?この写真では単なるバーゲン会場。確かにそんな感じでしたが。まいった。
2004年 04月 09日 前原で作業 MCPの皆さんが今日、うちのスタジオにお越しくださいました。 ちょうど、桜が散りかけで、なかなか気分のいい天気でしたね。 高速道路ができて呉服町から25分で到着できたはず。 MCPもかれこれ4年ほどここの倉庫を借りているのかな? 結構作品には過酷な環境ですよね。 自然の動物達には快適な環境でしょうが。 4月に入り、出張の嵐がおさまり、最近ここでごたご...
・スタジオ作業日誌
2004年 04月 06日 去年の末にばたばたと立ち上げたcom+のメンバーの池本聡子さんより以下の質問がきました。RSPSを立ち上げるきっかけとなった徳永くんもそれに答えてくれています。興味ある方もいるかもしれないので、この場でお答えしようかと思います。1、RSPS結成の理由。時期。2、RSPSとしてのこれまでの活動について。 具体的にどんなことをし、どんな作品を作ってきたのか。3、RSPSで使われている廃材は、実...
2004年 03月 23日 鹿児島で3月13日に開通した九州新幹線の犬の散歩をアップしてみます。歩きながら適当に撮影したものしかありません。もし、いい写真を撮った方がいれば、是非写真の提供をお願いします。4月4日までの展覧会です。もう搬出ですね。鹿児島での散歩様子はこちらにアップしています。http://www.geco.jp/top.page/DogsWalk/SaigoDog.htmっということで、最近気になりつつ...
動物彫刻家・クスタケシ
2004年 01月 01日 ご意見やご挨拶など、なるべく、関連記事のところに書き込んでもらえばありがたいのですが、関連する記事がない場合とか一般的な質問とかコンタクトとりたい場合とか、足跡的なものを書き込むところとして、一応こちらに入り口を用意させていただきました。comments(コメント)のところをクリックしてご自由に書き込みください。パスワードを入力しないと書き込めない場合は、勝手なパスワードを入力して送信してく...
※ご意見挨拶等はこちら
2001年 12月 31日 1992年のジャパンアートスカラシップでのグランプリの受賞は、青山スパイラルガーデンでの1000万円の予算を使ってのプランの実現と、副賞としてニューヨークへの研修旅行が付いていた。フジはその副賞でニューヨークをトランジットとしてブラジルのサントス、サンパウロ、リオデジャネイロ、ブラジリア、そしてカナダのトロントへのフィールドワークに行かせてもらっている。それ以前、1990年から92年までの間...
【チュウタの観察帖】
2001年 12月 31日 作り続けるという態度が大切だということを学んだのはここだけのことではない。完成することよりも、作ろうとする態度を見せつけること。その態度は多くの連鎖を生み出す。完成させることは結果でしかない。いつかは完成する、あるいは完成しないままに終わる。それでいいのだと思う。厳密に言えば、どの、どんな作品でも完成なんてない。妥協、あるいは限界。あるいは時間切れ。それでいいのだと思う。もっと言うと、その作...
2001年 12月 31日 フジは当時の学芸員からの声がけにより1994年に福岡市美術館で開催された第4回アジア美術展(福岡市美術館が79年の開館以来開催していた5年に一度の大規模な展覧会)に招待される。3週間程度の滞在制作が条件だったが、結局3ヶ月間滞在制作し、日本の中村政人、インドネシアのヘリ・ドノ、タイのナウィン・ラワンチャイクン、シンガポールのリー・ウェン、インドのカンチャン・チャンダー、韓国のチェ・ジョンファ...
2001年 11月 24日 旅の定義は様々だと思う。旅の意味も時代によって変化している。フジにとっての旅はなんなのか。自分は何者であるのか? 自分に何ができるか? それを探し続けること、探究し続けるために住むところを変えてみたり、立場を変えてみたり、まだ見ぬ世界に足を踏み入れたりすること。それが旅なのかなぁ。フジにとっては有り余るエネルギーをどのように消費するのかが問題だった。場所を移動することで目の前の風景が変化する...
2001年 11月 22日 記述されたものにもいろいろなタイプがある。現存している過去の多くの資料のほとんどは、物事の事実を証明する証書のようなもの、ある思いや意図、現象などを伝えようとする手紙のようなもの、博物館や資料館に保存されているものはそのようなものかな。そして、目の前にある実際の風景や物事、人物など、そして事実の描写。菅江真澄の描写もそのようなものだと思う。そこから当時の価値観や流通、生活様式、風土などが見え...
2001年 11月 22日 表現の現場はどこなのかということと、同時代性とはなにかということ。時代によって表現の手法も変わるし、表現の現場も変わる。何が描かれているか、何が表現されているかとことは時代の変化で変わるし、何に表現されるのかということも変化する。それを受け取る人の感性も変化し続けている。フジのノートの記述を見ると、1980年代は貸し画廊全盛の時代だったことがわかる。ホワイトキューブと呼ばれる白い空間で作家の...
2001年 11月 21日 千葉県の我孫子市に東京芸大の彫刻科を卒業したご夫妻が自分たちの活動の場としてスクウォッターズハウスギャラリーという場をつくり、芸大の後輩たちもその周辺の空き家などを借りて制作スタジオにしようと動き始めていた。その周年記念のグループ展にフジは招待され、京都から車ででかけ、1ヶ月以上我孫子に滞在し、なにができるか模索した。東京芸大を卒業したばかりの作家が作品化しようとしている崩れかけた廃屋の一部...
2001年 11月 20日 フジの記録には影響を受けた作家についての記述はほとんどない。しかしノートの表紙にヨゼフボイスの生サインがあった。当時パフォーマンスという表現手段を試みていた時期でもあるのでボイスの活動に注目したのかもしれない。そのノートの中にはボイスが来日して草月ホールでナムジュンパイクでパフォーマンスを行ったときの落書きやチケットが貼り付けてあるので、そのときにもらったものだと思うが、その時の感想やボイス...
2001年 11月 18日 ゴジラのスーツを作ろうと考えたのはフジがゴジラ好きだったからではない。「裸の王様」の物語をなぞって美術というゴジラスーツのようなものと、どのような関係を持つのかということを問題にしていた。仏像とか寺の天井画とか過去につくられた作品に心魅かれることはあっても、それらは過去の美術作品として評価され、保存されてきた意味あるものであって、自分がつくりだせるものではないということを感じていた。美術作家...
2001年 11月 17日 よほど暇だったのだろう。「どうせヒマだし・・」大学時代にフジが経験した表現手法の数々を思い出しながら記述している。京都時代の活動を思い出しながら、新しい表現手法を試みるためのメモのようなもの。まあ、つまらない技法がほとんどだけど、一応読みかじってみましょうか。No.1 お皿を並べて造形するNo.2 炭焼き丸太をバンセンでつなげるNo.3 芝生を敷き詰め水撒きをするNo.4 床に印刷物を敷き詰...
2001年 11月 17日 日本の美術のシステムをハニワさんに見立て、そこから逃れようとするが、逃げれば逃げるほど追いかけてくる。ハニワさんは思いの外根強くフジにのしかかってくる。フジはそのゲームを楽しんでいるようにも思う。お別れするのか、それともちゃんと付き合ってゆくのか、それを確かめるために、一度離れて遠隔地で二人の気持ちを確かめようとする。そのために選んだのが外務省の国際協力の現場、青年海外協力隊というアートと全...
2001年 11月 17日 パプアニューギニア滞在中のノートの中に、しばしば犬の絵がみられる。その後木彫でヤセ犬を101匹彫るを決めて最終的に101匹揃うのはこのドローイングが登場して9年後の1996年だが、そのイメージに至るドローイングの変遷がみられる。最初はよだれ犬となっているのが興味深い。そのうちこのヤセ犬のドローイングになるのだが、このヤセ犬の体験の記述がノートのどこを探しても見つからない。「野ブタを追うヤセ犬...
2001年 11月 17日 イメージの世界、思考の中の世界、個人の妄想。虚構の世界、あるいは夢の世界、それと現実の世界。リアルな出来事。目の前に広がる今ここにある事実。その二つをつなぐ、境界、そこを行き来する中間の世界。その中間領域の世界にフジが興味を持ち始めたのはパプアニューギニアでの体験からだと思う。フジのノートの中にその当時の夢の記述がある。とある島の海沿いの崖を登って行くとその上にある無数の動物の彫刻が祀られた...
2001年 11月 16日 フジは東京の再開発業者に勤めたあと、その会社が解散したことによって、水道橋の都市計画事務所で働きはじめる。ちょうど働き始めて一ヶ月の頃のノートの記述。実はこの以前から取り壊される前の家に暮らすようになり、そこでの暮らし方をあれこれ工夫するうちに、家の中にテントを張って暮らすようになる。そして暮らしぶりは今も続いている。その原型がここにある。廃墟に車とかテントを組み込んだ自然を取り入れた暮らし...
青森ねぶたの終わったあとの廃材を・・.. 8月はじめのほどんど一週...
「描く」の現在進行形 draw+in.. この一週間、ほとんどこ...
人見記念講堂での1300人! 昭和女子大学からレクチャ...
地域活動での土、風、光、水の性質につ.. 数年前、とある地域でのシ...
美術館をつくるという設計の課題 九州大学の建築学科での授...
いわき湯本の三函座 アリオスでのもやもや会議...
創作機械工房 Piccolo S.P.. 富山県の高岡にある創作機...
豊田文化フォーラムでのワークショップ.. 1990年に豊田で開催さ...
サハラ砂漠のSIWAオアシスチュウその2 フジが以前勤めていた開発...
ならまちワンダリングに関わり始めました