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2004年ぐらいから使っているブログサイト、特に2006年から2010年のプロジェクトについてはかなりまめに記述していました。それはプロジェクトごとにページ下のカテゴリーごとに収められています。
2012年 06月 17日 新潟の水と土の芸術祭まであと一か月をきってしまった。 今回出品する作品(?)は部室ビルダー「かえるぐみ」という部室をつくるという概念とネットワーク。 システム型の新しい展開・・・のつもり。 今回の水と土の芸術祭のメイン会場となる水産会館荷上げ場跡の一角の小さなスペースと、新潟の古町という中心市街地の商店街のど真ん中と、沼垂というお寺と市場の素敵な人の匂いのする古くからの街...
2012年 06月 07日 僕が普通に仕事にコンピューターを使い始めたのが1988年。マッキントッシュのIIFxというグラフィック系の仕事でつかえるマシンが会社に導入され…でもまだCADはコマンド入力でAutoCadを使っていたし、ワープロは専用のワープロマシンがあった時代。 おそらく、88年ぐらいから急激にデザイン事務所ではMacを導入しはじめていたが通信ネットワークはまだこれからというかんじで、当時名...
2012年 06月 06日 6月6日はかえるの日だってことを知ったのは2000年ぐらいに福岡で「福岡かえる展」というかえる好きが集まった展覧会に出品することにいなった時に教えてもらい初めて知り、偶然の一致に驚いたことがある。 6月6日というと、このブログタイトルにもなっている藤浩志企画制作室という個人事務所の設立記念日。 実は、1992年に青山スパイラルガーデンでの当時にしては大規模な個展が6月に決まり、当...
2012年 06月 06日 地域の活動を作ってゆく上で、活動を作り出すための仕組みとして、アートプロジェクトというフォーマットがとても有効に利用できるのではないかと考えている。仕組みをつくることで、地域資源としての様々な場を使い、いろいろな表現が展開することで、そこから活動の連鎖を促すことができる。 仕組みがなければただの空き地だったり空き家だったりで、そこにまさに様々なアプリケーションが起動するかのようなOS的...
2012年 06月 05日 「自分の内側からイメージが湧き出てくる…。」 美術大学で美術を勉強していた頃、イメージというのはアーティストの内側から湧き出てくるものだとばかり思っていたし、そのように教えられているような気がしていた。(誰に教えられたのかさっぱりわからないが…) 確かに周りには自分の内側からイメージが湧き出てくる人もたくさんいて羨ましかった。 しかし、僕の場合、どうも自分の内側を覗き込んで...
2012年 06月 04日 表現することって自分自身の日常の行為を超えることなんじゃないかなと考えている。 どちらかというと流されてしまっている日常の違和感をはたと立ち止まり疑問視して、客観視し、それを何らかの形として表に現す。 それはどんな手法でもいいと思うが、それぞれに得意とする、あるいはフェチとする手法があるのだと思う。言葉を使うだとか、楽器をつかうだとか、行動で現すだとか、描いてみるとか・・・、しか...
2012年 06月 03日 つくる時間を楽しむ。つくっている時間が楽しい。つくっている時、何かの作業に没頭している時間がとてもいい。当たり前の話だが、完成してしまうとその楽しい時間はその余韻を残して終わってしまう。 つくる時間は何かを期待する時間だと思う。少なくとも何かができるという希望に向かっている時間である。 希望が持てない時間にいるとすれば、とりあえず、なんでもいいから作業に没頭してみるのがいいと思う...
2012年 06月 03日 アサヒアートフェスティバルが10年経過し、その10年をまとめようということで、かれこれ1年前ぐらいからぼちぼち動き始めている。去年は10周年の本をどのようにつくるかという編集をスクール形式でおこなったが、その流れで、アーカイブはウェブ上で行ったほうがいいという話と、ちゃんとつかえるようなアーカイブや本の話を重ねてきた。 で、今年はウェブでのデジタルアーカイブについて専門家を招いて勉強会...
2012年 06月 02日 数年前、とある地域でのシンポジウム会場で「土の人」と「風の人」の話題になり、違和感を持ちながら聞いたことがある。いろいろな地域で活動を行おうとすると、外から来る人に対して「どうせすぐいなくなるのだから何も期待していない」と拒絶する態度と出会うこともある。その会場では地元の人を「土の人」と呼び、外から来たアーティストを「風の人」と呼んでいたのだけれど…。確かにそういう面もあるが、そう単純なもの...
2012年 06月 01日 イイ家族とか、イイ作品とか、いい地域というときのイイという価値について、基本的に子どもの頃から周辺とぶつかってきた。ぶつかるかゆえに考えざるを得ないことも多かった。 僕は即答できるタイプではないので、多くの場合その場では答えられずに、黙ってしまい、その分じわっと抱え込み、かなり時間がたって自分でも忘れた頃、ふと自分なりの考えを思いついてしまう。その時には周辺の話題や関心は他に移っていて...
2012年 06月 01日 アサヒアートフェスティバル(AAF)がかれこれ10年になるねと話をしはじめたのがもう2年近く前。 そこからなんだか単なる10周年の記録本とかつくっても面白くないよなぁと思い、ついついメーリングリストに投げかけた文章から10年本をつくるプロセスがAAFスクールという形になってはじまってしまった。それが去年。 いろいろ書籍とウェブの役割について日ごろから考えていることを編集者の影山君...
青森ねぶたの終わったあとの廃材を・・.. 8月はじめのほどんど一週...
土佐の高知の桂浜 土佐の高知のはりまや橋、...
いわき湯本の三函座 アリオスでのもやもや会議...
存在しないのに龍はなぜ存在してきたのか? 決して好きというわけでは...
「描く」の現在進行形 draw+in.. この一週間、ほとんどこ...
大阪の新世界から西成を歩く。 新世界、西成で何か活動を...
人見記念講堂での1300人! 昭和女子大学からレクチャ...
トイ・ザウルス(Toys Sauru.. 水都大阪2009の中之島...
本田紘輝・13年の命 本田紘輝(ほんだこうき)...
美術館をつくるという設計の課題 九州大学の建築学科での授...