カテゴリ:◎瀬戸内国際芸術祭・藤島八十郎( 47 )
豊島での瀬戸内国際芸術祭のシンポジウムで、周縁代表として・・・。
瀬戸内国際芸術祭の主催で会期中、いくつかのシンポジウムが企画されている。

その豊島バージョンがあり、ボルタンスキー浅田彰との対談のあとに僕らのトーク。

a0010575_13394743.jpgシンポジウムというより、簡単な自己紹介で、時間切れの会だったけど・・・。

出品作家も多いし、英語やフランス語とかの通訳もありで、同時通訳というわけにも行かず、時間的にも厳しいのも確か。仕方ない。

クーラーもない炎天下の小学校の体育館でカーテン締め切っての映像プレゼンテーション自体が無理のある設定。それも仕方ない。 興味深かったのは「拡大する美術と、その周縁。」というタイトル。

どうかんがえても、周縁は僕のことを意識してのタイトルだと思えてならない。(ありがとうございます)


a0010575_13403397.jpg浅田さんは周縁を終焉と読み替えて駄洒落をいったりしていたが、確かに人口1000人の島の小学校の体育館で、世界的に有名作家や批評家や彫刻家、美術作家の中に混ざって・・・周縁活動を自称する僕が平気でそこに並んで座っているのもおかしい話で、・・・いよいよ美術も終焉なのかもしれない。 

実は、今まで島の人に対して、実行委員会に対しても・・・自分自身の事やこれまで行ってきたこと、あるいは今後行おうとしていることについて話をする機会は一度もなかった。

その意味では唯一与えられた5分程度の時間だったが・・・もっといろいろな立場の人と、この地域で行うべき新しいアートシステムの実験について語り合うべきだし、そのチャンスをもっと小さくてもいいので作らなければならないな・・・と感じている。


a0010575_1341952.jpg出来事が大掛かりになれば必ず生じてくるユガミやヒズミについてちゃんと捉え、現在のシステムの不具合について時間をかけながら検討し、修正し、更新してゆく姿勢そのものが大切だと思う。

今回の瀬戸内国際芸術祭というシステムについては、地域側の立場でコーディネートする視線を持つ人の介入がもっと組み込まれてゆかなければならないと思っている。

作家のイメージありきではじまる仕組みそのものにも問題はあると思うが、予算的問題でコーディネーターが圧倒的に不足していて、オーバーワークで・・・しかもその人の立ち位置はあくまでも地域側ではなく、アーティスト側で・・・どちらかというと事務局側ですね・・・。

まあ、それも現状をみれば仕方ない。

去年の水都大阪2009の時は、事務局と作家を繋ぐ間に地域寄りとアーティスト寄りのコーディネータに介入してもらい、その掛け合いに期待したが、どうしても不協和音が生じていろいろな問題が見えてきた。


a0010575_817572.jpg地域側のコーディネータとして、都市計画やランドスケープ系のコンサルタントという立場の人たちが関わったが、そことアーティスト側のコーディネータが水と油でなかなか混ざり合わなかった。

個人の問題としてというよりは、役割の問題として、立場の問題として、あるいは興味の志向性の問題としての不協和音だったのかもしれないが、とにかく両者が「いい状態で・・・」仕事ができたとはいえない。

瀬戸内国際芸術祭というアートシステムについて内部からその全体を見ようとすると、地域側のコーディネータとしてはむしろ地域リサーチ型の社会学系の専門家との掛け合いが必要なのではないかと考えるようになった。

僕自身も含め、アーティストは危険な毒を持つナマモノだと思っているので、それを料理する専門家が必要。


a0010575_8461844.jpgその意味で、危険なナマモノの取り扱いに詳しい人も必要だし・・・

街や構造物あるいはモノゴトが作られる段取りが分かり予算を組めるコンサルタント系も必要だし・・・

そして地域の問題を読み込み、その両者を繋ぐような役割の社会学系のコーディネータも重要なのではないか・・・という視点。

少なくとも、作家の選考も含め、地域の人や地域主体で活動する人が作家の表現を作品化する上で・・・かなり突っ込んだ形で編集作業する視点が必要だと思うが・・・、現状は作家のプラン(具体的な最終形態のイメージ)を数名の力のある人がジャッジするというような仕組みになっている。

そのあたりの問題点は実行委員会の体質次第で、意外と簡単に修正できることだと思う。

ともかく、今後の可能性や不可能性についていろいろ問題が見えてくることは歓迎すべきことだし、無視され続ける地域であるよりは期待感の高まる地域であるほうがいい。

その意味でも、瀬戸内国際芸術祭という巨大な地域実験・・・もっといろいろな角度からの視線がほしい。

・・・・・・

a0010575_8474224.jpgところで、浅田さん、1983年に岡山の牛窓のオリーブ園で開催された第一回牛窓国際芸術祭のシンポジウム会場で出会って以来・・・おお!27年ぶり。

雰囲気がぜんぜん変わっていないところが凄い。昔も若かったが今もとても若い。

当時のシステムはズタズタで、シンポジウムの会場で一緒に出品していた同級生の高橋君とか杉山君とかが怒り、そのときのコーディネータの千葉(茂夫)さんに激しい抗議と行動を投げかけ、押し倒し、暴力とともにある過激な行動をとろうとしていたことを・・・(未遂で終わりましたのでご安心ください。)・・・浅田さんも覚えていてくれた。

考えてみると、国際芸術祭というスタイルはこの牛窓ぐらいからこの瀬戸内の地域では連鎖して定着してきたといえるんじゃないかな。もう30年近く・・・。

そのシステムはかなり更新されてきたとはいえ、まだまだ不全でもっとちゃんと更新してゆかなければならないんだろうな・・・。

ちなみにそのときの牛窓国際芸術祭の翌年、リセットされて、第一回牛窓国際芸術祭が開催され、僕らが参加した第一回だったはずの国際芸術祭は抹殺されたという経験を持つ。

その後10年ぐらいは続けていたので、90年代半ばぐらいまでは開催していたはず。僕らはその時から国際なんちゃらに根拠のない不信感を持つようになったのかも・・・。

それが岡山市内での自由工場へと連鎖し、当時出来立てのベネッセハウスへと感染して、直島の家プロジェクトへと繋がり・・・

というようなことにも興味深いな・・・。
by fuji-studio | 2010-07-21 22:53 | ◎瀬戸内国際芸術祭・藤島八十郎
スダジイの森を守る魔人。
藤島八十郎をつくるために暮らしている豊島の唐櫃という集落から、壇山の頂上に向かう途中にスダジイの森というところがある。

a0010575_9351623.jpg島の人に聞いても「?」というかんじだが、権現様というと「ああ!はいはいはいはい」と返ってくるほど重要な場所。

ちゃんと足を踏み入れたことがなかったので、いつも買い物をしている商店のおばちゃんに近道を訪ねてみると奥から83歳のおじちゃんが足を引きずって出てきてくれた。


a0010575_9384158.jpg数年前に亡くなった奄美大島出身の僕の父親と同世代で、生前ひざを悪くしていた父親と足の引きずり方が同じで、しゃべり方まで似ているので、いつもおじちゃんには父親の姿を重ねてしまっている。 自分の車で行こうと思っていたが、そのおじちゃんが自分の軽トラックで連れてゆくというので、あまえて乗せてもらうことにした。


a0010575_9445537.jpgいつもは一歩ずつゆっくりしか歩けないおじちゃんは軽トラックの運転をはじめたとたん、がんがんすばやく走る。

何度か通ったことのある山道を走り、風景が広がり、空気が冷たくなったと感じた瞬間、車が止まり、そこが権現様だといろいろと説明してくれた。


a0010575_9412366.jpgおじちゃんを軽トラックに残して権現様の森に足を踏み入れる。

じわーっと湿気と冷気が霊気にかわったような気がした瞬間、おもわずなんだか涙がこみあがってきた。

久々の感動。


a0010575_949745.jpgここに通わなければいけないと感じつつ祠までのぼり、神仏合体の権現様のお参りの仕方に戸惑いながらお参りをさせてもらう。

樹齢250年という木々もすごいが、巨岩もすごい。

ふと気配を感じて目をこらしてみると、すぐ横に、どこかで見たことのある巨大な魔人の顔をした岩を発見!

こいつは凄い。

以前も六甲山の自然の家の池の中から同じような巨人の顔を発見して驚いたが、ここにもいた。

戦後すぐにこのあたり一帯が山火事になったことがあったらしいが、この森の手前で火は止まったのだとか。

日本の神話とも縁の深いところなのだとか。

・・・もの凄い。
by fuji-studio | 2010-07-21 09:49 | ◎瀬戸内国際芸術祭・藤島八十郎
藤島八十郎の家の看板。
じわじわーっと、ゆっくりゆっくりと、なぜこんなに無駄な形にならないことばかりをやっているのか・・・と思えるほど、ほんの少しずつ、藤島八十郎の家の制作をすすめているうちに・・・

a0010575_21234026.jpg気づいてみると、プレス関係とか、関係者とか、知り合いとかがどどーっと家に流れ込み始め・・・

あれ? 何かがもうはじまったのかな?

・・・というかんじで、瀬戸内国際芸術祭がはじまった。

高松の方では、どうやらオープニングのセレモニーがあったり、出世組アーティスト達のツアーがあったりしているらしいが、事務局に問い合わせてみると、僕らには関係のないことなのだとか。

まあ、まだまだ当分は現場の掃除すらできそうにない状態なので、泥だらけの作業服を脱ぐのはまだまだ先のことだから仕方ない。

そうそう。藤島八十郎の家に看板を取り付ける。


a0010575_21252119.jpgどんな看板がいいか・・・悩んだ末、以前富山県の氷見でセルフのそうめん流し場を作った時につかったボールペン技術で作ってみた。

ボールペンで塗りつぶした独特の色と風味がいい味を出しているのだが、観客の多くはそんな些細な細工に気づくひまもなく、作品を探そうとする。

・・・まあ、いいっか。

ということで瀬戸内国際芸術祭、はじまったようです。

この八十郎の家はまだまだ制作が続き、ようやくこれから宇野澤君や他の参加者がじわじわーっと八十郎の活動をつくりはじめる・・・といった段階に入ります。

10月半ばぐらいにはなんとか形になればいいなぁ~。

そういえば・・・セルフのそうめん流し場。

八十郎の家にもいいかもしれないなー・・・。
by fuji-studio | 2010-07-19 21:26 | ◎瀬戸内国際芸術祭・藤島八十郎
ひたすら向かい合うと、たまに予期せぬ出会いがあり、何かが加速する。タライの場合・・・
これだけの小さな家でも、もともと放置されていたすべてのモノ達とちゃんと向かい合うことは難しい。

a0010575_6512468.jpg架空の人物、藤島八十郎の存在をつくるために、廃屋の掃除をしつつ・・・

その内装のために、新しい素材を一切購入することなく・・・その家に残されたすべてのものと向き合う日々。


a0010575_6534859.jpgこえび隊というプロジェクトサポートメンバーの力を借りて、ずべての廃材をひたすら分別し、ひたすら洗浄し、ひたすら磨き・・・、どんな些細なものでも向き合い、いじろうとしている。


a0010575_6562050.jpgそのような膨大な無駄な作業の隙間に・・・ふとした感覚の隙間に・・・ふとした行為が些細な喜びを生み出すことがある。


a0010575_7021100.jpg部屋の中にあったタライ類。

プラスチックだったりアルマイトだったり。

30年以上前の政治家が香川県全域に配布したと思われるタライだったり。


a0010575_7175488.jpgそんな色々なタライを何に使おうかという問題と・・・とりあえず必要のためにとりつけた工事現場用の照明器具がまぶしいな・・・という問題がふとしたきっかけで重なりあい、新しい状態のモノゴトが生まれる。


a0010575_7183643.jpgそんな些細な発見は小さな喜びだけれど、少しの期待感を生み出し、膨大な単純作業を持続させるに十分なモチベーションに繋がる。

とりあえず、いろいろのせてみる。


a0010575_7193430.jpg妙にマッチしたり、妙にミスマッチだったり。

微妙なズレが面白い。

30年前の洗剤が入っていたプラスチックのボトルも口を切り取りつかってみたり。

妙な行為が次の行為を連鎖させる。

八十郎は変な人だなー・・・と客観視しつつ、僕の中の妙な遊び心を再確認する。

とりあえず、積極的に現場を楽しむ強い意志を持たなければ・・・

その向こう側にしか期待感や可能性はうまれないような気もするし・・・。

そんな態度がつくれればいい。

ちなみに・・・最初の写真のタライを配った福家俊一さん。ある年齢以上の香川県民であればほとんど全員知っているぐらいの有名な人らしく、いろいろな人がいろいろな角度でこの人について語ってくれる。

さらに・・・一緒に作業をしていたサポーターが一言。

「この人私の友達のおじいちゃん!」ですって。
by fuji-studio | 2010-07-16 07:26 | ◎瀬戸内国際芸術祭・藤島八十郎
豊島は住民が立ち上がった島として有名なのだが・・・
豊島に来て活動していると、時折、いろいろな誤解された言葉で語る人に出会い、嫌悪感を感じてしまう。

豊島が大きく誤解された言葉で語られることがあるので悲しい。

a0010575_7471327.jpg豊島は行政と戦い、自然を守りきった住民の姿で有名になった島なのであって、廃棄物で有名になった島なのではない。

わずかな言葉の使い方の違いが島に対するイメージや認識を大きく誤解させ、無神経に語る人がたまにいるので心苦しい・・・ということ。

全国各地、どんな地域にも廃棄物処理場はあるし、不法投棄の産業廃棄物の現場かある。

しかし、その現場の管理体制やありかたそのものに対して、住民がしっかり問いかけ、行政に対してちゃんと問題を提示し、なおかつ解決の道を探ろうとしている地域がどれほどあるというのか。


a0010575_7481942.jpg豊島の住民は自然豊な酪農の島に廃棄物が持ちこまれようとしたときから戦い続け、行政に対しても管理責任を問い続け、・・・しかし、無視され続けられながらも・・・なおかつ戦い続け、そしてその撤廃を約束させたというすばらしい住民達の暮らす島として有名になった。

僕は1994年頃、高松市で行われてたいた中坊公平の講演会に出席したことでそのことを知り、その住民の意識の高さと活動力、行動力に感動した。

それがきっかけで豊島に興味を持ち、2004年頃に一度、環瀬戸内海環境会議のメンバーの案内で島を訪れたことがある。


a0010575_750851.jpg豊島に入り活動し、あるいは豊島で活動するいろいろな人に語るにつれ、たまに何かを誤解して「豊島は廃棄物で有名な島ですよね・・・」と語られることがあり腹が立つ。

とんでもない誤解。

廃棄物と戦った住民で有名な島なのであって、廃棄物で有名な島なのではない。

そこの言葉の省略は修正してほしい。それで困っている人も多いからです。

日本全国、世界各地、増大する廃棄物の処理で頭を痛める地域の中で、その処理の仕組みと責任についていちはやく厳しいまなざしを向けながら、ちゃんと発言し、ちゃんと会議をし続ける力のある住民で構成された地域はそう多くはない。、

豊島はやっぱり凄くいい。

出会う人々がそれぞれ凄くいいから。

とにかく・・・日々感服。

そして大量に襲い掛かる蚊の攻撃を支える自然の力にも感服。


※写真はちゃぴ@こえび隊撮影
by fuji-studio | 2010-07-15 00:59 | ◎瀬戸内国際芸術祭・藤島八十郎
豊島タワーの階段ができました。
藤島八十郎の家にある豊島タワー。

a0010575_23452354.jpg・・・タワー・・・というか、ただ、やたらと高い位置にある土蔵の納屋の煙ぬきの屋根の通気窓から眺める風景は、豊島の集落を俯瞰できていいだろうな・・・というイメージから、そこまで上るはしごをつけて、屋根の梁を利用して、展望室をつくろうか・・・というイメージに連鎖し・・・


a0010575_23464172.jpgそれがいろいろな人のイメージをかきたてるうちに・・・いろいろな人がありえない作業に没頭し、廃材をあつめ、のこぎりをひき、作業を重ねるうちに・・・


a0010575_01345.jpg本当にできてしまった。

ほとんど地元の人の・・・特にFさんの力。

豊島の人は自然にしろ、地形にしろ、農作物にしろ、家畜にしろ、建造物にしろ・・・とにかくいろいろつくる技術と道具を普通にもっているし・・ありえないぐらの作業能力でなんでもつくることができる。


a0010575_23593399.jpg本当に凄い。

ちなみに・・・僕は何も手伝えなかった・・・。

とにかく、確実に展望室になったので、記念スタンプぐらいはつくりたいなというイメージがひろがる。

豊島タワー、できつつあります。

さて、弓木君がどのような仕上げをしてくれるか・・・。
by fuji-studio | 2010-07-14 23:41 | ◎瀬戸内国際芸術祭・藤島八十郎
八島太郎と藤島八十郎
瀬戸内国際芸術祭に出品することになった藤島八十郎という名前には戦後アメリカで活動した1908年生まれの絵本作家・八島太郎の名前が組み込まれている。

実は僕にとってとても大切な八島太郎。  その名前から八・島・郎の文字を引用した。

a0010575_7545683.jpg藤が島でのプロジェクトを行うから藤島だったり、管巻三十郎(宇野澤君のペンネーム)をプロジェクトパートナーとして活動を行うので八十郎と説明したり、僕と管巻の年齢を足すと80歳代になるので八十郎だとか説明もするが・・・それはウケを狙いだったり、分かりやすさだったり・・・。

八島太郎、本名は岩松惇だが、軍国主義に反対したことがきっかけとなって離れざるをえなかった日本のことを想い自分のペンネームを八島太郎としたと聞いた記憶がある。


a0010575_7555390.jpg八島とはまさに日本のこと。

島についてなぜか魅かれるのは両親が奄美大島出身という島遺伝子だとばかり思っていたが実は日本はそもそも島国。

島のアイデンティティに魅かれ、島について理解しようとするのは日本人の性質なのかもしれない。

八島太郎はたまたま僕の高校の大先輩で、しらないうちに、じわーっと僕自身の無意識の中で醗酵して、僕自身の活動にも大きな影響を与えていることに気づくようになった。


a0010575_7571273.jpg僕自身が鹿児島を活動の場として選び暮らし始めた1993年当時、八島太郎がロサンゼルスで療養生活中だと聞き、会いに行きたいと思っていたが、次の年に亡くなって永遠に会えない存在になってしまった。

亡くなってしばらくして、鹿児島で開かれた追悼の展覧会の手伝いをしたこともあったし、彼の残した「Crow Boy」という作品とその翻訳された作品「からすたろう」を京都市内の廃校(その後まんがミュージアムとしてリノベーションされた龍池小学校跡)の講堂で毎日読み続けるデモンストレーションを行ったりしたこともある。

からすたろうはまさに自分自身に重なるし、その表現手法や立ち位置や振る舞いにやたらと共感したことがあるのだと思う。

とにかく八島太郎の名前を組み込んだからには藤島八十郎は絵本作家を目指すということになっている。

しかし、残念ながら八十郎は物語を思いつく才能もなければ絵を描く才能もない。

・・・ということで、いろいろな人の関わりの中から絵本作家として登場としている・・・

・・・ということで、藤島八十郎をよろしく。
by fuji-studio | 2010-07-14 07:57 | ◎瀬戸内国際芸術祭・藤島八十郎
豊島唐櫃の公堂の床磨きと修理をする藤島八十郎
豊島の唐櫃の公堂。もともと小学校の講堂だったところの床の色あせと汚れが気になり、藤島八十郎はその床を磨く・・・という設定で今日はこえび隊と一緒に床磨き。

着色塗装でがっと塗れば早くてきれいになるのだろうが、匂いとかいろいろ大変そうなので、カラーワックスで磨く。

a0010575_13145830.jpg磨いていると床にこびりついている塗料のしみとか、木目とかが気になり、それを小動物にたとてみたり、星にたとえてみたりとこえび隊の妄想は尽きない。

こえび隊とは瀬戸内国際芸術祭の正式サポートボランティアの名称。登録者は1500人ぐらいいるとか。

僕のところには毎日1人~3名ほどが入れ替わりでやってくる。遠いところは神奈川から、愛知から滋賀から岡山、高松から・・・いろいろな人が豊島にあつまり、いろいろな作業の時間を共有する。その時間そのものが貴重だと思う。


a0010575_9224943.jpgいろいろな人と一緒に何かをいじっていると、そこから予想していなかったイメージが湧き出てくる。それを実際に形にするのかどうかが別れ道。

実際に形にしてしまうという点のみが僕らの特性のような気もする。

床を掃除していると、床板の割れを発見。 紙ガムテープで貼っていたのがはがれている。

その割れとおなじ形に木材を削り、はめ込んで補修してみる。


a0010575_9263372.jpgこのブログやツイッターで報告しなければ、おそらく誰も気づかない作業だと思う。

そんな手わざの痕跡を豊島の各所で行ってみたい。

だれも気づかれないような仕業でも、物語をつくるというフォーマットの中では十分作品化のプロセスとして成立する行為のような気がする。

地域を圧倒するような強烈な作品をインストールすることばかりが有効な手段とは思えない。だれも気づかれないところで些細な感情に向き合いながら小さな沁みや割れに手を入れるという行為の連続や連鎖が空間の質を変えることもある。

いづれにしても辛抱強く、長い時間かかる仕事だと思う。
by fuji-studio | 2010-07-13 13:13 | ◎瀬戸内国際芸術祭・藤島八十郎
自然の家にある遊具のさびを落とし、塗装する八十郎。
瀬戸内国際芸術祭のオープンが迫ってきた。

その出品作品が「藤島八十郎をつくる。」という作品。

a0010575_7165560.jpg実際には存在しない藤島八十郎という架空の人物をつくるという新しい試み。

藤島八十郎は存在しないので、その存在をつくるために、いろいろな関係を作ってみようと考えた。

「関係をつくることが存在をつくること」という話は僕自身が最も気になるところ。

逆に存在しているようでも関係がないものは存在していない。


a0010575_7183771.jpgそこにあるためには、そこにいるためには関わりあっていることが条件となっているし、問題は「どのように関わるか」の関係のあり方の問題だということは確信している。

その関係のありようを右往左往しながら模索する・・・。

その態度をどのようにつくるのか・・・

そこが今回の藤島八十郎のポイント。

藤島八十郎はどちらかというとお間抜けキャラクター。

何をやってもどこかズレてしまう。

今回はどうしても気になってしまうさび付いて放置されていた遊具を磨き、グリーンに塗装してみた。

もちろん藤島八十郎に頼まれて・・・ということになっている。

ところが木々に埋もれてその存在感がなくなってしまった。

しかもさび付いていて、壊れているので遊具としては使えない。

・・・・

さて、どうなるか。

・・・

とりあえず、藤島八十郎の仕業の痕跡は作られつつある。
by fuji-studio | 2010-07-10 18:50 | ◎瀬戸内国際芸術祭・藤島八十郎
こどもを待ち望む唐櫃のライオン君の背中。
豊島の唐櫃の自然の家。

この閉鎖された入り口付近に色がはげて樹脂の継ぎ目が浮き出たライオンの遊具がいた。

a0010575_8395411.jpgもともとこの自然の家は唐櫃小学校だったが、昭和40年代後半に児童数の減少から小学校が統合され、廃校となり、保育施設として使われていた。

おそらくその時期のこのライオン君はやってきたのだと思う。


a0010575_8425853.jpgしかし、さらに子どもの数が減少したことによって平成元年、保育施設も閉鎖されることになり・・・ライオン君は役割を失ってしまった・・・のだろうか?

幸い、自然の家として、おそらく・・・たまには・・・子どもたちも遊びに来てくれるのだろうが、その姿が子どもを待ちわびている姿に見えて仕方ない。

こどもを待つライオンの背中・・・

藤島八十郎は絵本作家を目指しているということなので、彼にとって、このライオンは物語の登場人物・・・ということなのだろうか?


a0010575_8463479.jpgとにかく、藤島八十郎に頼まれて(?)ライオン君の塗装をすることにした。

塗装しているうちに、こどもを待ちわびている姿がより切実な表情ができてしまった。

よこで勉強し続ける二宮金次郎君との微妙な関係。

その間にはいいぐあいに唐戸小学校の沿革の記された石碑が物語を裏付ける。


a0010575_8481369.jpg作業をしている姿を写真をとっていた宇野澤君が、大きいエリになりましたね。とのコメント。

エリは自宅で飼っている僕の愛犬。

そういえば、色とか表情とか、なんとなく似ている。

・・・

さて、どのような物語が発生するのか、がんばれ藤島八十郎。

そういえば、八十郎のブログ、ぜんぜん更新していませんね。宇野澤君!

「子どもたちを待つライオンの背中」

宇野澤君が唐櫃公堂で上映会を企画している「100人の子供たちが列車を待っている」という映画のタイトルとなんとなくリンクしますね。

上映会は7月24日と9月18日と10月17日の予定

唐櫃公堂にて:時間は未定

これも藤島八十郎の企画だということ。

・・・

それにしても藤島八十郎、どうでもいいような妙な端っこをつっついてきますね。

・・・
by fuji-studio | 2010-07-10 07:35 | ◎瀬戸内国際芸術祭・藤島八十郎