藤浩志Report:青森・十和田での活動
2021-11-28T10:57:18+09:00
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2004年ぐらいから使っているブログサイト、特に2006年から2010年のプロジェクトについてはかなりまめに記述していました。それはプロジェクトごとにページ下のカテゴリーごとに収められています。
Excite Blog
十和田市現代美術館での嶋タケシ
http://geco.exblog.jp/239253579/
2019-05-07T13:31:00+09:00
2019-05-22T12:04:16+09:00
2019-05-07T13:40:11+09:00
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■青森&十和田での活動
十和田市現代美術館との縁は深い。2003年にかえっこを全国展開しようとしている時期に美術館の計画が始まる前の段階で、十和田でのアートを生かした活動についてのアンケート調査を行うために十和田市に入った。雪の多い真冬で福岡からの飛行機が半日ぐらい遅れて三沢空港に入れず、青森空港に到着し、夜中にタクシーで十和田市まで走った記憶がある。次の日、もうなくなってしまったが十和田市の中心にあった十和田中央公民館でかえっこを開催し、多くの子ども連れの家族が集まった。その時のアンケート調査からアートセンターを作る計画がはじまり、その5年後に十和田市現代美術館が開館した。開館した当初は遠く福岡からマイケルリンとかチェジョンファの十和田での活躍を風の便りに聞いていたが、まさかそこに管理者として常勤することになるとは思ってもみなかった。そして2012年の3月末に十和田に引っ越して2年間常勤の副館長として。そして2014年から2年間は非常勤の館長として十和田市現代美術館を通して青森県の十和田という地域でアートの実践を様々な形で模索させていただいた。
これは別に目指してたわけでもなく、あくまでも結果としてのことだが、実は大学時代からまちなかでの活動を模索してきた。それは僕にとっては自然の流れだったと思う。演劇から空間へのアプローチの面白さを知り、空間からまちへの関わりへと興味が広がり、そこで暮らす人との関係へ興味が連鎖した。そもそも十和田市現代美術館の活動はざっくりいうと「地域とアート」がテーマとなっている。それはその成立の仕方からそうなのだ。
美術館とかギャラリーという美術の内側に向かったシステムに片足を突っ込みつつも、多くの時間、まちなかでの活動を模索し、空間ではなく、仕組みとしての表現のプラットフォームづくりのようなものに関わることになった。「拠点をもつこと」と「仕組みをつくること」の両輪を行き来しながら、当時福岡を生活の拠点としながら、全国各地の様々な現場に活動の拠点をつくり、転々と動き続けていた。そんなとき、東日本大震災が発生し東北との関わりも深くなり、まちに広がるというコンセプトをもつ十和田市現代美術館を拠点に活動を行うことになった。
十和田市現代美術館の役割は通常の美術館とは大きく異なる。博物館を含むいわゆる美術館は過去に作られすでに価値付けられた作品を収集し、それを保存する役割を持っているが、十和田市現代美術館などの現代美術館やアートセンターは今の時代の転換点となるような新しい価値を作り出す現在の活動を紹介したり、実践したりするなかで、未来、将来において新しい知的財産となる新しい文化芸術をつくり出すところである。だから地域において、現在新しい活動を求めている人、将来活動を作り出そうとする人にとって渇望されている場であり、そのような人が集まる状況を作り出している拠点となりうる。だからこそ、全国各地から、世界各地から「まだ出会ったことがない体験」を求めて十和田にやってくるという状況が生まれている。
それにしても、地域アートのような言葉が流通し、一般的になり、大学の学生でも学ばなければならないような時代になるとは思ってもみなかった。芸術祭が世界中の様々な地域で開催され、それが新しい流通や観光産業のようなものを作り出すという状況にもなってきた。
それに対する批評や議論も行われることになって、(僕としては)資本主義経済とリンクしつつ成長してきた近代美術(産業)に対して、ようやく本来の人としての芸術表現、僕なりの言葉で言えば、芸術未満の様々な活動が生まれるフィールドについての言語化が試みられるようになってきたのかなと、もぞもぞと嬉しい。
というのも、今回小説の中で触れているが、僕自身が接してきた文化芸術、パプアニューギニアや奄美大島の儀式や儀礼、伝統工芸の大島紬や京都のお寺の仏像や天井画、襖絵、あるいはイタリアにおけるルネッサンスなども、ごく特定の小さな地域の政治や宗教、あるいは人の関係の中から作られてきたものだと学んできたからだ。大島紬、仏像、庭、演劇、工芸、国際協力、都市計画、まちづくり、地域づくりを経由してきた僕にとって、はっきり言って、美術や芸術を行いたいと思っていたわけではなかった。ただ、現在暮らしているこの場所で、その時々のその場所で、まわりの人たちとの関係の中で心揺さぶる超面白く、深く、大切な活動に関わっていたかった。その延長に美術というフィールドにありえないぐらい密接に関わり、美術館運営に関わり、今は美術大学やアートセンターの運営にも関わることになっている。その上でまだ体験したことがない状況を作りたいと試行錯誤、紆余曲折を重ねている。
どんな現場においても、常識にとらわれずに何かを作ろうとバカのように振る舞う人の態度が魅力的で、そんな人が結果としてすごい人になってゆくのをずっとみてきた。そしてその結果できてしまったもの、作られてしまったものが次のアートやデザインの流れをうみだし、流通し、日常の風景をも変えてきた。
今回の十和田市現代美術館の展示ではそのあたりのエピソードのようなものを小説にしつつ展示している。嶋タケシという架空の人をでっちあげて、倉沢サトミという嶋タケシの大学時代の同級生が小説を書いているというややこしい設定。これは今回の担当学芸員の金澤さんの発案で進められた。小説や詳しいことについては下記の十和田市現代美術館のサイトを見ていただきたい。そこに嶋タケシの小説も公開されています。
嶋タケシの活動を小説の中から抜粋して紹介しているという展示になっているのだけど、実際には僕自身が大学時代から制作し、失敗してきた多くの紆余曲折を嶋タケシの活動として、紹介している。
奇跡的に生き残っていた1983年制作の伝説の鴨川泳いだ鯉のぼりの現物や河原町商店会に並べようとして作った招き猫の看板など、ちゃんとした美術館に展示するのははじめてだと思う。当時は70匹近く制作した招き猫だけど、まともに生き残っているのはこの一点のみ。はっきり言って、下手くそな染色物で、エネルギーだけがあったころの作品だけど、今となってはそのエネルギーそのものが貴重。卒業の時に制作したゴジラの着ぐるみやハニワ、卒業後に制作した作品、カメハニワやシャチの頭、松の木のぬいぐるみやゴジラの着ぐるみ、お米の砂漠、塩の湖などはさすがに現物がないので当時作った数と同じ数のミニチュアをつくってみた。
当時、デモンストレーションという表現手法の言葉に出会う前に「プレゼンテーションパフォーマンス」や「プラントレーション」などという造語のようなものも使ってパフォーマンスを行っていたり、展示を行っていたが、それぞれの内容を展示だけで見せてゆくことは難しい。だからこそ、小説のような形も同時に必要だった。(まだまだ書いていないところがたくさんあるけど)
結果として、今から振り返ってみてわかるのだけど、僕自身が行ってきた活動は、自分の無意識の違和感のようなものに向き合いながら、それをわかりやすく形にして言語化しようとしてきた未完成で失敗の連鎖だったと思う。言語化できず、意識化できず、そのまま時間と状況に流されてしまい、でも結果として美術未満の仕事が色々な連鎖を生み出してゆく。そしてまたその過去を背負いつつ、次を展開しようとする。そんなかんじ。
だから、「ウソからでた、まこと」ってタイトルもすっきりとのみこめた。ウソをつくつもりはなかったし、本当のことを語ろうとしても、本当のことなんて見当たらないし、わからないし、言葉にもできないし、感覚的に動いてゆくしかなかった。そのうち何かのウソが発生し、それが連鎖し、ぐるっと回るうちになんらかの自分にとってのリアルだったり、自分自身がおこなってきた「まこと」になってゆく。今回、会場をつくるうえで、実は資料とか写真とか、嶋タケシのフィクションの活動記録にしようと全部手を入れてイラスト的なドローイングに落としていた。展覧会が始まる3日前まで、それらを展示するつもりで用意していた。しかし、写真とか資料とか、藤浩志の生写真を使おうということになり僕としては違和感があった。
だって嶋タケシの活動を作ろうとしているわけだし、写真が藤浩志だとおかしいと思っていた。しかし、学芸員や家族に説得されて、写真はほとんど加工せずに生のまま、資料は一度グラフィック処理してフォントサイズや色、形、バランスまで嶋タケシに加工していた過去の資料にもう一度手を入れ、あえて藤浩志というところを汚く消してシールを貼って嶋タケシに修正した風に見せるということを行った。
結果として、それはその方が展示としては面白いものになったと思っている。一部、1997年に行った「ゴミとねずみと未来予想」の様子を紹介するスライドショーだけは当時もらった写真に関係者が数多く写っていたのでイラスト風に加工させてもらい、フィクションの絵のように仕上げた。
この「ゴミとねずみと未来予想」のプロジェクトの記録も初めて公開する。福岡で当時興味を持ってくれていたほんの一部の人、わずか数人だけは体験したが、当時ブログサイトもSNSもなかったのでこのことについて知っている人はほとんどいないと思う。このプロジェクトとツアーが実はそのあと大きな意味をもつことになったなんて、だれも知らないと思うし、研究もされていないと思う。だってほとんど記録がなかったからだ。プロジェクトそのものがゴミのようになっていた。それをゴミ箱のような資料のなかから引き出せたことの意味は大きかったと思う。
この活動の延長に連鎖して発生した活動は数限りなくたくさんある。その後の地域に与える影響も、実はとても大きかったと考えている(ちゃんと検証したわけではないけど)。僕のその後の活動、ビニプラcollection、connectionやかえっこの活動もそうだし、筑前深江アーツキャンプから糸島芸農、糸島市のさまざまな活動もそうかもしれない。今住んでいる海水浴場の自宅やうみかえるスタジオ、糸島の養鶏場あとのスタジオも繋がっている。ツアーという表現手法の連鎖、個人的関わりだと取手や十和田奥入瀬でのツアーもそうだった。そんな大切なことを言いたいのだけど、まだまだ言語化できていない。もっと小説しっかり書かなければいけないかな。
ということで、十和田市でお待ちしております。そうそう。十和田に行ったら十和田市現代美術館だけではなく、松本茶舗アートセンターにもお立ち寄りください。栗林さんとのコラボ作品がちゃんと設置されています。お見逃しなく。
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奥入瀬渓流の苔テーブル
http://geco.exblog.jp/22704945/
2016-04-11T11:54:00+09:00
2016-04-12T10:43:09+09:00
2016-04-11T12:00:40+09:00
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■青森&十和田での活動
その話題の影響か、何故だかその苔テーブルが青森県によって撤去されたとか。
皆に親しまれていた極上の苔テーブルだっただけに殺されるのは忍びないと奥入瀬のネイチャーガイドたちの要望もあり、撤去された苔のテーブルがバラバラに解体されて、星野リゾート・奥入瀬渓流ホテルにやってきた。
奥入瀬自然のネイチャーガイドの河井さんに、何らかの形で残したいとの相談をうける。
もともと、苔生えたいい状態で固着できないかという話だった。しかし、それを死んだものとして固めてしまうのも心苦しい。 とはいえ、苔は環境によって変化するし、苔の生命は途切れ、死んでしまうかもしれない。
何故殺されることになったのかは・・・本当は一番突っ込みたいところだが・・・とりあえずおいといて、どうにかその生命を連鎖させることができないかと、新しい環境に移して設置してみた。
当然、そのまま生き続けることは無理だと思うが、どのように変化するのかも含めて、観察してみたらどうだろうと思った。
しかし、近年、奥入瀬自然のネイチャーガイドの方々との付き合いの中で、これまで見えていなかったものが、少しだけ見えるようになった気がする。めが開く。というか心が開く・・・というか。
もっと深く関わり、深く知りたい。そしてそれを表現する手段を持ちたい。
・・・まだまだだな。
とにかく知らないことだらけ。知りたいことだらけ。でも時間は限られていて、無駄に時間が過ぎてゆくような気もする。昔は時間は有り余っていたのになぁ。
と最近実感することが多い。やばいぞ。
で、この写真は奥入瀬のネイチャーガイドの河井大輔さんが撮った写真。 こんなに素晴らしい状態でした。 (河井さん、写真使ってよろしかったでしょうか? ダメなら削除します。) で、河井さんたち、奥入瀬自然誌博物館という書籍をつくっていて、それがまた素晴らしい。
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繋ぐ術2
http://geco.exblog.jp/20334132/
2014-10-30T08:51:00+09:00
2014-10-30T11:17:00+09:00
2014-10-30T08:51:29+09:00
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■青森&十和田での活動
それは音楽、美術、舞踊、宗教、政治など、近代社会が分けてしまったカテゴリー以前の生命と自然を繋ぐ大切な術だったのだろうと思う。
自然には多くの法則が組み込まれ、私たちの体内にもまた多くの法則のようなものが組み込まれている。そこに向き合う行為は太古の昔から人の営みの中で繰り返され、様々な行為の結晶として伝えられ、残されてきた。今回田中忠三郎コレクションの東北地域の衣装に見る図柄に出会い、それらが世界各地に伝えられるものと、あるいは現代作家が生み出すものと、本質的に繋がっている。時として人が繰り返し行う単純な行為の向こう側に自然に組み込まれたあまりにも複雑で高度な法則を垣間見る。そのような行為の結晶を確認してみたい。時代もジャンルも超えて。
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八戸の港の蔵から天羽さんのお宅へ
http://geco.exblog.jp/19880423/
2014-06-08T19:04:00+09:00
2014-06-13T00:03:40+09:00
2014-06-08T19:07:11+09:00
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■青森&十和田での活動
八戸で南部菱ざしを行っている天羽やよいさんのところを訪ねるために八戸へ。
ついでに秋の十和田奥入瀬でのパフォーマーとのコラボレーション企画のために最近フリーランスになった今川さんにお会いしようと声をかけてみる。
今川さんは最近八戸酒造のこの蔵での企画やこの蔵の周辺の町とアートな関係の仕事をしているということで、その現場を見せてもらうことに。
250年近い歴史のある酒造元だけに、建築物といい、調度品といい、なんとも素晴らしい。
八戸市には、まちづくり文化推進室があり、そこに芸術環境創造専門員という専門職の人がまちづくりに文化政策を活かしてゆこうと、そのしくみが定着しつつあるが、それ以上に、このように民間レベルでの文化事業に力を入れ、とにかく面白い質の高いまちにしようとする力強い人がいてとてもたのもしい。
八戸と十和田をしっかりつなぐことでこのエリアの魅力は数十倍に広がると感じている。
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弘前でこぎん刺しの佐藤陽子さんのところを訪ねる。
http://geco.exblog.jp/19879111/
2014-06-05T20:07:00+09:00
2014-06-08T11:32:30+09:00
2014-06-08T11:07:40+09:00
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■青森&十和田での活動
十和田に来て3年目だというのにまだまだ青森県内を巡れていない。
青森で活動するさまざまな人に出会えていない。
今年の秋に企画している田中忠三郎の展覧会のために八甲田を越えて弘前に向かう。
八甲田はまだ雪がつもったまま。空気が澄んで美しい。心が洗われる。
青森の弘前を中心にかつて女性が作っていたこぎん刺し。
その記念館を運営している佐藤陽子さんのことろを訪ねてみる。
100年以前も前につくられたこぎん刺しや現在つくられているものなども含め見せていただき溜息。
針と糸というとても単純な道具によってつくられる青森の女性の精緻な時間。
あるいはじぶんの居場所、空間。そして刺すという行為を重ねることでしか入れない異次元の世界。
現実のさまざまな厳しい状況を乗り越えるためにあみだされたある種のテクノロジーといっていいのかもしれない。
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藤森八十郎の「超訳 びじゅつの学校」
http://geco.exblog.jp/17382411/
2013-02-27T21:56:00+09:00
2013-02-27T22:09:20+09:00
2013-02-27T21:56:31+09:00
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■青森&十和田での活動
ツイッターの利用に連鎖してfacebookの利用が始まってからブログへの書き込みへの関心はなくなった。しかし、やはりまとめてちゃんと記録したいとき、このページに戻るのもいい。
今日、瀬戸内国際芸術祭のオープニングの招待状が届き、2010年の夏の瀬戸内、豊島でのプロジェクトの連鎖の結果、ここ青森にいることをつくづく不思議に思う。
そもそも豊島でのプロジェクトを志し、宇野澤君とはじめたのが藤島八十郎。
藤島八十郎のプロジェクトはかなり面白く展開しそうな予兆の真っただ中で、急遽 八十郎が旅に出ることになり、中断している。 (あくまでも中断で、まだ藤島八十郎は旅の途中で行方不明なのだとか。)
本当ならば今年の瀬戸内に帰ってくるとよかったのだと思うが、世の中そうはうまくゆかない。・・・というか、どうしてもストレートに歩くことを避けてしまう。
なぜこんなに歪まなければならないのか不思議に思うが、歪み、ズレ、ねじれる方向に進もうとする性質がある。
とにかく、藤島八十郎は今年の芸術祭には登場せずになぜだか関係あるのかないのか…青森で藤森八十郎とという架空の存在が動き始めている。
物事は思わぬところで思わぬ形に予期せぬ形に連鎖するのが興味深い。
まさか、青森の十和田で藤森八十郎が登場するとは。しかもしつこく今年の空きには瀬戸内国際芸術祭を狙い撃つ十和田奥入瀬芸術祭のようなものを起動させるのだとか。どこまで歪んでるんだろう。
とにかく、藤森八十郎…どうなることか。
藤島と藤森、ややこしくてごめんなさい。しかしおそらく彼らは他人です。
そして…びじゅつの学校のブログ、お楽しみください。
http://towadaartcenter.com/blog/choyaku/
写真と関係あるかもしれない記事 http://geco.exblog.jp/6106386
http://geco.exblog.jp/11394385/
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青い森のちいさな美術部、動き始めました。
http://geco.exblog.jp/16762972/
2012-11-08T23:21:00+09:00
2012-11-09T08:37:27+09:00
2012-11-09T08:37:27+09:00
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■青森&十和田での活動
奈良さんが部長の美術部「青い森のちいさな美術部」の部員を募集したところ、全国から140名近い応募があった。
その中からもろもろの理由で選抜された6名とマネージャー2名が全国から集まり、美術部の合宿が始まる。
僕が借りている家を合宿所として明け渡し、僕は3日前からホテル暮らし。
この部員による展覧会を十和田市内のまちなかで12月半ばから企画していて、その展覧会に出品する作品を皆それぞれがまちなかを巡りつつ考える。
奈良さんの熱意が部員をひっぱり、・・・なんともいえないテンション。何か新しい動きがここから始まっていることを確実に感じる。もちろん、今、ここも大事だが、ここから派生するいろいろな連鎖を考えると凄いことになったな思う。
とにかく、ものごとが立ち上がる瞬間に立ち会うのはとても感動的!
「負けたくねぇ!」
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十和田奥入瀬でプロジェクトはじめます。
http://geco.exblog.jp/16672985/
2012-10-26T21:09:00+09:00
2012-10-28T21:31:48+09:00
2012-10-26T21:09:27+09:00
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■青森&十和田での活動
なんとなく動きそうなかんじがしていたのですが、今日は確信に変わった記念すべき日です。
いろいろ妄想はあったのですが、昨日と今日、この二日ではじめて奥入瀬渓流の周辺の一時休業したユースホステルとかホテルとか合計5軒の内部を見学させていただきました。 ようやく・・・です。
うーん、しみじみ。 素晴らしい! やりがい大いにあります。
ひとつ確信したことは、そこにそのまま大金を投入して改装して、ホテルとして再生するのは相当難しいだろうという感覚…。
先日見学させてもらった三沢駅前の青森屋の未使用の部分も凄かったですが・・・ほんとうに素材としては文句ないかんじです。
全く違う発想で違う形で、使いたい人がいかに使い、開いてゆくか・・・。
ここでアーティストが入ることでどのように変化してゆくのか・・・。
その場所をすべて見学し、十和田奥入瀬で今後どのようなアートプロジェクトを開催するのかを考えるアーツキャンプを開催します。
是非本気でこのような場所で活動を作りたい人は、ぜひご参加ください。
アーティスト、コーディネーター、本気の活動の現場を求めている人、募集します。
詳しくは下記のサイトから。
http://towadaartcenter.com/web/oirase-camp.html
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青森県の十和田市でなぜ暮らし始めたのか。
http://geco.exblog.jp/15024888/
2012-04-11T19:42:00+09:00
2012-04-11T21:23:51+09:00
2012-04-11T21:10:27+09:00
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■青森&十和田での活動
3月末に十和田に入ってその日から新規採用の面接だとか引継ぎだとか、とにかく美術館という器の運営に立ち会って、それを平穏に動かすことを見つめながら右往左往しているうちに休みもなく10日が過ぎた。
久しぶりに休みたいと思ったが、実は家の中の荷物はそのまま、しかもいろいろな個人の仕事が山積みで自分の時間は混沌状態。
特別企画展として4月21日からはじまる栗林さんの設営を手伝いたいと思いつつも、実際はそれどころではなく、設営はその道のプロたちが集結していてとても手際よく物事が進んでいて、うらやましく横目でながめるばかり。
美術館の空間を巨大な装置と組み替えるようなアーティストの仕事を久しぶりに目の当たりにして、自分自身、忘れかけてきた「空間に向き合う感覚」が刺激される。
この10年、特にビニプラ、かえっこ以降、自分自身でがっつり作りこむことを避けて、とにかく全国各地にいろいろな種まき活動をしつつ・・・それはそれで、僕にしかできない、大切な活動もあるだろうと自分を納得させつつも、なんだか大きな方向転換をしなければならないと感じていた。
とくにこの5年ほど、急性膵炎で入院したことがきっかけとなって、仕事やりかたを転換したいと切望していた。
動き続けて、年間の半分は移動時間に費やす日々を変えるきっかけがほしかったのだと思う。
それと、これまで行ってきた地域フォーマットのアーツに類する活動も次の段階に確実に入ってきていて、特に震災以降…というか、原発の事故以降、これまでの活動を文章にまとめつつ、個人的には次の段階に動かなければと思っていた。東北を活動の拠点にしたほうがいいのではないかとの発想が頭をよぎったこともある。
…そんな時期に…というかほんの一か月ぐらい前のことだが…豊島区の雑司が谷の鬼子母神を朝お参りしているところに…ちょうど消防訓練をしているのを眺めているとき…信頼している稀なアーティストの友人からの電話。
その発想に思わず面白がってしまった。草の根的な地域活動の立ち上げを仕掛けてきたアーティストが地域のアートセンター(美術館?)の運営に関わるという発想。
地域のアートプロジェクトにおいて、しくみづくりと拠点形成は卵と鶏の関係とされ、そのあり方について深める時期にきているのも確か。
これまでの立場のように、風の立場として移動しつつあらゆる情報や種や意識を運ぶ存在も重要であるが、深く一つの地域に入り込み、しくみの内部からの視点で、地域に対して何が可能で、何が重石や束縛なのか・・・。
それを見極め、新しいあり方を模索する土や水の存在の視点を持つことにも興味はシフトしていた。
文章にしても、しゃべり方も、行動のとり方もそうだが、なんだかついつい遠回りをしてしまう癖がある。回りくどく遠い周辺から核心に迫ろうとしてしまう。スパッと直接の行動がとれない。
その結果…十和田市現代美術館と称されるアートセンターに常勤するという予想ですらできなかった展開。
しかもこの僕が「ナンジョウアンドアソシエイツ」の社員という立場。
そこが一番うける。地域系アートプロジェクトは確実に次の段階に来ているという証のようなものかな。
とにかく青森の十和田を拠点に何ができるか。東北を盛り上げるきっかけにもなればいい。
※写真前半は十和田市現代美術館からドライブしてはじめていった十和田湖の様子。まだ氷が張っていたがぼちぼち解け始めている様子。
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十和田市現代美術館を拠点として活動することになりました。
http://geco.exblog.jp/14968345/
2012-04-02T08:36:00+09:00
2012-04-03T00:16:41+09:00
2012-04-02T08:36:35+09:00
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■青森&十和田での活動
そこに4年前に開館したのが十和田市現代美術館。
創造的地域に繋がってゆくためにつくられたアートセンター。
おそらくそこに必要なOSを探ることが必要なのだと思う。
これまで鹿児島や福岡を拠点にいろいろな地域を巡りながら風の人としてふるまってきましたが、昨日の4月1日よりとりあえず1年、面白くなりそうならば3年間、十和田という地域に向かいながら土の役割と水の役割についてじっくり考え活動してゆきたいと思っています。
ということで、とりあえずのあいさつ。
今日は消防や近隣へのあいさつなどから始まり、ドイツ・ベルリン在住の坂戸館長を含めて新しい体制のスタッフとのミーティング。
じわっと動き出します。
どうなることやら。 乞うご期待!
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青森ねぶたのありえない連鎖は大阪の中之島を経由して福岡を目指す。
http://geco.exblog.jp/11263817/
2010-09-11T11:07:00+09:00
2021-11-28T10:57:18+09:00
2010-09-11T11:07:40+09:00
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青森・十和田での活動
たまたま20歳の頃に制作した八方睨みの龍モドキ作品の下で解体作業をしていた縁だろうか・・・龍のパワーか!
なんとも面白く、興味深い予期せぬ展開になってきた。
ものごとはあるがままにあり、そこに関わろうとする意志をもたなければ、何の関わりもなく、そのまま過ぎてゆく。
しかし、どこかで覚悟を決めて、引き受けてみることで、自分をとりまくいろいろな関係が変わり、自分の中での意味が変化し、あらゆる存在のあり方が変わる。
今回はどうにも無視できないねぶたの廃材を・・・どういしょうという方向性もビジョンもないままに・・・とにかく引き受けてみるという覚悟だけで関わってきた。
ぐちゃぐちゃに絡み合った木材と針金と和紙を取り外し、ねじを抜き取り、折れている木材をきれいに切りそろえるというかなり根気の必要な作業。
搬入作業からはじめた作業だが、展覧会期間中もその作業は続き・・・展覧会終了後もその作業が続いた。
作業が展示前と展示中と展示後とまったく同じ作業をしているというのはとても珍しい。
青森で作業をすすめるうちに大阪の中之島の天神橋の下に年末なんらかの作品を展示する話が湧き出てきたり・・・、
九州新幹線全線開通にともなってあたらしく出来る博多駅の吹き抜けに作品展示の話が出てきたり・・・。
で、ずっといじっているねぶたの廃材がもともとなんだったのかをそれほど重要視していなかったのだが・・
もともとこのねぶたのタイトルは「天神 菅原道真」
なんと大宰府に左遷された菅原道真の霊が雷神の怨霊となって復讐する様子をねぶたで表現したものだった。
菅原道真の霊を鎮めるために全国に広がった天神信仰・・・とにかく天神菅原道真の解体されたネブタが天神橋の下で海蛇になり復活し、さらに博多駅で龍になって天に登る・・・というストーリーが発生した。
結局、ねぶた一台分の廃材は夏休みの間、国際芸術センター展覧会場につくられた工房で自由に持ち帰ってもらっていたので、半分ほどの量に減り、それをさらに分別して・・・
1000本ほどの木材と500ピースほどの針金の塊、それ以上の和紙のピース、そして取り外された数万本のビスと切り取られた針金破片に分別され・・・
「天神 菅原道真」の魂は数万ピースの素材となって、大阪中之島の天神橋の下を経由して博多駅へと旅に出る。
ところで・・・秋田からやってきたトラックは「大翔運送」
大阪の石切の明治大理石の倉庫に旅立った。
こんな物語、作ろうとしてもなかなか作れるものではない。何かを引き受け、現実を見渡して編集することで発生する物語なのだろうな・・・と思う。
しかし、大変なものを引き受けてしまった。]]>
ねじとか針金を抜き取った木材を長い順に並べる作業
http://geco.exblog.jp/11273505/
2010-09-08T22:05:00+09:00
2010-09-13T11:22:12+09:00
2010-09-13T11:16:09+09:00
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■青森&十和田での活動
それを長い順に並べる作業を続けているが、やたらといい音がするので、思わずiphoneで動画撮影をしてみる。
ただ作業している状態を撮影しただけの無編集、無加工の記録映像です。
国際芸術センター青森のギャラリー空間がコンクリートで覆われた長細い安藤建築の空間なのでやたらと音が反響して通常は話がしにくかったり、音が聞こえにくかったり、空気がよどんでいたり、湿気が多かったりといろいろ問題があるのですが、唯一誰もいない空間でこのような作業の時だけ、楽しめます。
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青森ねぶたの廃材を細かく分類する作業は・・・結構贅沢な時間です・・・
http://geco.exblog.jp/11137608/
2010-08-14T15:19:00+09:00
2011-06-15T10:32:05+09:00
2010-08-16T16:10:46+09:00
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■青森&十和田での活動
それを中の展示室に入るサイズに細かく解体、分類するために・・・
絡まったワイヤーを大きなペンチでプツプツと切りながら、木材のねじをはずしながら・・・
ねぶたの塊を細かくしつつ運べるサイズを切り取っては運び込みつつ・・・
敗れた和紙は、はがしては広げながら・・・ちぎりながら、広げながら・・・重ねては運び込みつつ・・・
とにかく青森ねぶたの素材の塊からいろいろなパーツを発掘してゆくような作業の日々。
通常の感覚では、この作業はなんとも面倒lくさく厄介で、大変な作業なのかもしれないが・・・、僕にとってはなぜだか苦痛にならない。
苦痛にならないどころか、むしろ心地いい。とても楽しく、時間が瞬く間に過ぎてゆく。
その感覚を繰り返すうちに、これはゲームをしている時の感覚に近いのではないかと気づいた。
次から次へと敵が降りてくるのを打ち落とすシューティングゲームやテトリスやコロンの様なPCゲームのようでもあり、あるいはパズルゲームの様でもある。
そういえば、昔は知恵の輪系がとても得意だったなぁ・・・。
とにかく、絡まった素材のウィークポイントを見つけだし、プチプチ切断して行きつつ・・・大きな塊が取れて小さな喜びを感じつつ・・・また次の塊の問題が提示され・・それを解決してゆく・・・ってなかんじ。
展示室の中は極めて不快指数が高い密閉空間で温室の中のようで暑苦しくむさ苦しく駄目駄目空間だが、外での作業は蝉や鳥の鳴き声をききながら、風を感じながら自然に囲まれ、まだましで気持ちいい。
しかし、外でも、まったく効かない空調の音がやたらとうるさかったり、音が妙に響いたり、局面ガラス面の移りこみが歪んでいて吐き気を促したり、あぶやハチが襲いかかってきたりして・・・外も問題は多いが・・・
表現者である以前にある種の性質(タチ)として、このような行為が好きでなければまったく成立しない作業だろうが、幸い、山ほどの廃材を崩してゆく感覚は僕にとってはとても贅沢な時間に思えてならない。
そもそも、日常的な感覚、あるいは現在の経済状況から見た感覚から言えば、この作業は膨大な無駄なのかもしれない。、
だからこそ、贅沢な時間との感覚をもってしまうのかもしれないし、ゲームに没頭している時間に近いと感じるのかもしれない。
このような単純作業をしていると、頭の中はなぜだか急速に回転しはじめ、まったく関係ない様々なことを高速で考えてしまうことがある。
その時々でいちいち忘れてしまうことが多いが、とにかくいろいろなことを思いついては一人でその考えを繰り返し、否定したり、納得して裏付けを探してみたり・・・無意識に反芻している自分に気づく。
そんな単純作業の中でたまにとんでもないものが発掘されて、結構大きな喜びを得たりもする。
手や、顔面部分が発掘された瞬間から、作業が思わぬ方向に動き始め・・・思いもよらぬ空間が発生する。
もっともっと時間があれば、これをつかって新しい立体の作品を制作しようとするのだろうが、このままでも十分にいいような気もする。
何かをつくることも大切だが、それ以上にこの状態を見せることももっともっと大切なことなのかもしれないと思いつつ・・・。
しかし、ねぶた師の技にはとことん感服する。
解体するだけでも大変なこの手わざを多くの人の力を借りつつも、そのエネルギーと技術をコントロールし、これだけのものを数ヶ月で完成させるとは・・・。
しかもそれを毎年毎年作り続けているとは。
そのようなねぶた師を存在させ続けている青森という風土はやっぱり凄い。
この素材全体を使って龍の立体作品作りたくなってきたけど・・・
どこか展覧会やりませんか?
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青森ねぶたの終わったあとの廃材を・・・どうする?
http://geco.exblog.jp/11119495/
2010-08-10T23:24:00+09:00
2019-05-22T12:08:56+09:00
2010-08-12T16:42:14+09:00
fuji-studio
■青森&十和田での活動
以前は・・・地域ごとにねぶたをつくるねぶた小屋があり、子どもたちと大人と専門家が一緒にねぶたをつくり・・・お囃子を練習し・・・街を練り歩き・・・ 日常を忘れるかのように盛り上がり・・・
街を轢きまわった後、精霊流しのように海に流して海上で火をつけ燃やし、そのまま海底に沈めていたらしい。
その方法がCO2の排出量と環境循環のことを考えると一番妥当な処分の方法のような気がするが・・・、燃やすことを表面化することが行政的にはNGなのだろう・・・
今は青森ねぶたの場合、祭りの終了後、廃棄場にあつめ、パワーショベルとか専用の大型重機を運んできてガンガンつぶし、大型の産業廃棄物処理車に積み込んで処理場まで運び、処分している・・・とのこと。
その処理車に載せる前の状態のものを譲ってもらえないかと青森市に頼んでみたが・・・まったくとりあってもらえなかった。・・・という話
まあ、そうだろうな。
この期間、弘前ねぷたや黒石ねぶた、八戸の三社大祭、五所川原の立佞武多といろいろまわってそのやり方や雰囲気、作っている現場なども体験させてもらった。
僕が1998年に博多ではじめた博多灯明の手法や2000年からやろうとしていたVPC(Vinyl Plastics Connection)やデコポリなど、地域と住民の活動の接点を作り出すしくみとしては、青森県各地のねぶたは全国数ある祭りの中でも相当完成度の高いものであることに疑いはなく、そこに関わる市民の意識の高さも驚くほどのものがある。
ねぶたをつぶす前の手続きとして、まず、目をくりぬくのだそうだ・・・
とくに五所川原や弘前のねぷたの場合、伝統的な手法やスタイルを核としながら、その周辺で住民がいろいろな表現意欲やアイデアを盛り込めるシクミに大いに共感し、かなり期待できるものだった。
一方、青森ねぶたの場合、作品性としては圧倒的完成度ながらも・・・おそらく行政によって主導されてきたのだろう・・・観光という錘が多くの自由な表現の展開を規制しているのか、かなり管理されている空気感がにじみ出ていてもったいないと感じてしまう。
市民が相当もりあがるねぶただというのに、街の日常とのリンクのあり方がもったいない・・・そんな気がして仕方ない。
街の日常の延長に登場して発展してきたねぶたであるが、もっと街の中のいろいろな活動とリンクするシクミへと更新してゆけばいいのに・・・と余計なことを感じてしまう。
ともあれ、ねぶた祭りそのものに外部の素人が関わることはできないので、せめてその廃材を処分するところに別の迂回ルートをつくれないかと相談してみる。
青森市や実行委員会はまったく取り合ってもらえなかったという話だが、日通が制作したねぶたの一部を切り取ってホテルとか街中に展示物として再生し納品している鉄工所の人の仲介で、切り取られたねぶたのさらに最後の処理するものをもらうことになった。
しかし、それについてもかなりナイーブなことのようで、相当難しい作業だということをかなり丁寧に指導していただき、鉄工所の社長自らがクレーントラックと社員を連れてきて、その取り壊し作業に立会い、国際芸術センター青森まで運んできてもらう。
当初は廃棄物処理費用の代わりに運んでもらえないかな・・・と思っていたが、結局、仲介してくれた鉄工所が自主的に運搬すると申し出てくれて、トラック代と3名の作業員の費用を請求されることになり・・・ipadのいいやつがいろいろなアクセサリーをつけて買えるに十分な額の思わぬ出費。
解体作業を行った出品者の日本通運はもともと運ぶことのプロなので日通に運んでもらうほうが自然な流れだったかもしれない。
そのあたりのつなぎ方が実はもっと重要だったような気がする。もっとシクミを読み込んで、より意味深い手法を模索すべきだし、そこは急いではいけないことなんだろうな・・・
とにかく、青森ねぶたの場合、ブラックボックスを取り除き、もっとオープンにしてゆきながら、ねぶたそのものと市民の関わりを別の角度から編集しなおす余地があるんじゃないかな・・・。余計なことですが・・・。
もともと街にインストールされていたねぶたというプログラムが観光という大義名分で分断されているような気がするのは僕だけだろうか?
ともかく、廃棄処分する素材を芸術センター青森に運び込み、いよいよ僕自身の現場の素材がようやく整う。
当初、展示室の中にガツンとした塊を展示する予定だったが、結局展示室に入らない塊になっていたので、入り口付近にそのまま展示し、公開制作として、その廃材の塊から部分を切り取っては展示室の中に運び込み、素材ごとに分類してゆく作業を行うことに・・・。
素材は木材(角材)と針金と和紙に分類され、たまに取り外したはずの電球とか配線コードとかも分類され・・・
特にねじ(コースレッド)が曲がっていたり、折れていたりでそれをはずすのが一苦労。
ねじをはずした木材も切りそろえるとなかなか魅力的な素材になり、そこから何かが生まれる期待感。
針金もしっかっりしているので、いろいろな造形物をつくるうえでとても重要な素材になる。・・・もちろん金属回収業者に持ってゆけばいくらかで買い取っても合えるとは思うが・・・
今回こだわったのは一台分のネブタという素材とその量。
そこから何ができるか方向性だけでも示せればいいが、本当はその回収のシクミと何かに再生するしくみを街がちゃんと組み込むイメージをつくること。
ねぶたは完成されたすばらしい市民の活動のシステムだけに、そこにさらなる創造性や活動力を身につけるためのプログラムが組み込まれたシステムへと更新されなければいいいいのにな・・・と感じている。
廃材の解体を始めた瞬間、横で小山田君が子どもとその素材を利用してなにやらつくりはじめ、テーブルの上に飾っている。
材料と道具が豊富にあるスタジオが青森市内の各地区にあればいい。
そこで懸命に何かを作ろうとしている変わり者と、これから第2の人生を楽しもうと模索しているおっちゃんと、何かを学ぼうとしている若者と、とにかく遊びたくて仕方ない子ども達が一緒に素材をいじる時間をつくるイメージをつくることができればいいが・・・今回は無理でしょうね。
・・・・
それにしても、この施設、コンクリートの塊でまったく風通しが悪いので妙にむせてて暑苦しい。
外の作業ができて、結果としてよかったよかった。]]>
こもるはずだったのに・・・ねぶたのシステムが気になりすぎる。
http://geco.exblog.jp/11069236/
2010-07-31T23:24:00+09:00
2010-08-02T14:02:13+09:00
2010-08-02T10:45:57+09:00
fuji-studio
■青森&十和田での活動
森の中でじっとしていると、その自分自身の態度に違和感が生じてきて、もっと青森でできることがあるのでは・・・という疑問が膨らむ。
運命的に・・・この時期青森県の各所ではあの有名な「ねぶた」で県内全体が盛り上がっているらしい。
それを無視して、ゲイジュツに縛られ、絵本作家を演じるのはいかがなものか・・・。との自問自答。
結局、体が動いてしまう。
ねぶたのシクミを読み込もうと山をおりる。
しかし、すごいなぁ。ある意味まちかざりの完成された仕組み。
地域の企業や町内会、様々なシクミが「ねぶた」という祭りに向き合う時間を共有する場が用意されている。
青森駅のすぐ近くの海沿いに用意されたねぶたを制作するための仮設のテント。
サンタフェで美術館の裏に用意してもらったテントのような巨大なものが22張りもある。
青森のねぶたの場合、大型ねぶたは企業が協賛してつくっているとかで、ひとつ2000万円程度の予算がかかるのだとか。
それを毎年続けているシステムは凄い・・・ものの、なぜ市内を回遊させるようにこれらのテントが市内各所に点在していないのか・・・という疑問も生じたりして・・・
ねぶたのストラクチャを分解していろいろ僕なりにいじってみることはもしかすると、今後の僕の活動に必然なのではないかという妄想が湧き出てきて、仕方ないのでそのあたりに可能な限り費やしてみる覚悟を決める。
素材の分解分類、社会システムの分解分類、モチーフの分解、物語の分解分類。
これらのねぶたの終わったあとの廃材の行方も気になるし、小さな地域でのねぶたやねぷた(弘前ではぶじゃなくてぷになるらしい。)あるいは八戸の山車も気になる。
とりあえず、いじるうちに何かができてしまうかな・・・。
青森の大型ねぶたの廃材もらえないかな・・・と結構難しい課題を思いついてしまい・・・日沼さん、ごめんなさい。
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