藤浩志Report
2024-03-17T18:59:24+09:00
fuji-studio
2004年ぐらいから使っているブログサイト、特に2006年から2010年のプロジェクトについてはかなりまめに記述していました。それはプロジェクトごとにページ下のカテゴリーごとに収められています。
Excite Blog
ならまちワンダリングに関わり始めました
http://geco.exblog.jp/242113309/
2024-03-17T18:39:07+09:00
2024-03-17T18:59:24+09:00
2024-03-17T18:59:24+09:00
fuji-studio
・その他、様々な地域での活動
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おもしろいきものもり
http://geco.exblog.jp/241931656/
2023-09-22T18:22:00+09:00
2023-09-22T18:25:49+09:00
2023-09-22T18:22:22+09:00
fuji-studio
福岡市・北九州等での活動
福岡県の大牟田市の動物園の中にある絵本の美術館 ともだちや美術館
そこの運営を昔からの知り合いの岡くんが行っているということで、そのギャラリー部分をつかって夏休みイベントを行うことになった。
最近はかえっこのおもちゃの破片を利用したジュラシック・プラスチック関係の展示ばかりを行っていたこともあって、なんだか気分転換もふくめ、これまでつくったクスタケシ制作の木彫の動物たちも一緒に展示できないかなと考えた。 まあ、動物園のなかにある美術館なので、せっかくなので、動物のようなものを一回全部並べてみようかなと思った。で、「おもしろいきものもり」 おもしろい いきもの の もり
せかっくなので、青森からやってきた青森ねぶた廃材を利用して九州新幹線ができたとき、つまり東日本大震災がおこった2011年に制作した飛龍も展示させてもらった。 それと、最近、地道に作品に利用している枝とハッピーフラワーたちの展示。枯れ落ちた枝もまた気になってこの数年コレクション(?)しつつ、たまに使っている。
ちょっと首が長すぎるのが気になっているメガロケロスとかも展示させてもらって、嬉しい。
その下にはかえっこのためのおもちゃたちをなふらべ、欲しいおもちゃを持って帰ってもらえる仕組みを美術館の人に考えてもらうことに。
今回の展覧会には1992年に制作した睡蓮の葉っぱのぬいぐるみの上に、かえっこで集まったぬいぐるみの皮でつくった新作、キノコ類シリーズ。おもしろい いきもの。 やっぱりこの睡蓮の葉っぱの作品、好きだな。 なんだか、こうやって、ブログ書くの何年ぶりだろうか。
たまにはいいものですね。
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龍の存在を無視できない
http://geco.exblog.jp/242012634/
2022-12-15T10:22:00+09:00
2023-12-15T10:42:14+09:00
2023-12-15T10:25:19+09:00
fuji-studio
京都での活動
・・・・・・・・・・・・・・
僕が活動を始めた当時、ドキュメントを作ってその活動を位置付けるということが作家の活動としては重要だと言われていた。フイルムを使った写真によるドキュメントが重要だった時代の60年代、70年代を経由して、80年代、その記録の写真やテキストのドキュメントは表現者の活動を定着させる意味で大きかったと思う。
しかし、そこに関心を持てなかった。なせか、自覚が無かったからだ。「作品を作っているという自覚」が欠落していた。そしてその活動の意味を早急に言語化して固定してしまうことに抵抗があった。もっと曖昧でいいのではないか?
日常の感覚の延長で、人が無視してしまうような感情の延長に、無意識が滲み出てくるような未熟な表現手法に関心があり、作品を完成させることへの興味が欠落していてのだと思う。逆かもしれない。大島紬や仏像という高い完成度が前提の作品への興味から自分がそんなもの作れるとは思ってもいなかった。
しかし、なんらかのまだみたみたことのないような表現を立ち上げることへの関心は深かったし、そこで醸成されてゆくさまざまな関係の連鎖に興味を持ったが、それが美術に関するステークホルダーにいかに接続するかということへの関心が薄かったので(無かったわけではないと思うが・・・)記録写真をほとんどスナップ程度にしか撮っていなかったのだ。それは現在も続いている。
企画者側に予算があるときはちゃんと写真の記録を取ってもらっているけど、自分で自由に使えないので、結局、自分が撮ったスナップしか記録で残っていない。ブレブレで、水平も保っていなくて、余計な人やなんだか関係のない風景が写っていたりして、写真としての完成度なんて全くないスナップ記録画像。
今回、過去の龍にまつわるプロジェクトに注目して、それをどうにかしようとペイントして、再編集してみたりしてみた。実はこの手法、つまり、ドキュメントの写真を利用してイメージとして、再編集して定着させようと試み、2008年のサイトサンタフェビエンナーレの出品作品から地味に試みている。https://geco.exblog.jp/i35/
今回、「龍を無視できない」という理由を作って、それなりの時間、イメージで遊びながら描画の時間に没頭できた。それぞれの現場で様々な関係する方々と一緒に作業に没頭する時間もこの上なく貴重で嬉しい空間と時間だけど、そこでできた結果の空間を思い出しながら、一枚の画像として筆を動かしながら描写してゆく時間もまた楽しい。そこが連動する現場をもっと作って行きたいなと、新しい現場への期待が高まる。
そうそう。龍だけじゃない。もっと無視できないことってたくさんあるんです。それにちゃんと、どれだけ切実に向き合えるか・・・。
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京都文化博物館での「龍の存在を無視できない」
http://geco.exblog.jp/242113286/
2022-12-13T09:31:00+09:00
2024-03-17T18:27:29+09:00
2024-03-17T18:27:29+09:00
fuji-studio
京都での活動
僕が活動を始めた当時、ドキュメントを作ってその活動を位置付けるということが作家の活動としては重要だと言われていた。フイルムを使った写真によるドキュメントが重要だった時代の60年代、70年代を経由して、80年代、その記録の写真やテキストのドキュメントは表現者の活動を定着させる意味で大きかったと思う。しかし、そこに関心を持てなかった。なせか、自覚が無かったからだ。「作品を作っているという自覚」が欠落していた。そしてその活動の意味を早急に言語化して固定してしまうことに抵抗があった。もっと曖昧でいいのではないか?
日常の感覚の延長で、人が無視してしまうような感情の延長に、無意識が滲み出てくるような未熟な表現手法に関心があり、作品を完成させることへの興味が欠落していてのだと思う。逆かもしれない。大島紬や仏像という高い完成度が前提の作品への興味から自分がそんなもの作れるとは思ってもいなかった。
しかし、なんらかのまだみたみたことのないような表現を立ち上げることへの関心は深かったし、そこで醸成されてゆくさまざまな関係の連鎖に興味を持ったが、それが美術に関するステークホルダーにいかに接続するかということへの関心が薄かったので(無かったわけではないと思うが・・・)記録写真をほとんどスナップ程度にしか撮っていなかったのだ。それは現在も続いている。
企画者側に予算があるときはちゃんと写真の記録を取ってもらっているけど、自分で自由に使えないので、結局、自分が撮ったスナップしか記録で残っていない。ブレブレで、水平も保っていなくて、余計な人やなんだか関係のない風景が写っていたりして、写真としての完成度なんて全くないスナップ記録画像。
今回、過去の龍にまつわるプロジェクトに注目して、それをどうにかしようとペイントして、再編集してみたりしてみた。実はこの手法、つまり、ドキュメントの写真を利用してイメージとして、再編集して定着させようと試み、2008年のサイトサンタフェビエンナーレの出品作品から地味に試みている。https://geco.exblog.jp/i35/
今回、「龍を無視できない」という理由を作って、それなりの時間、イメージで遊びながら描画の時間に没頭できた。それぞれの現場で様々な関係する方々と一緒に作業に没頭する時間もこの上なく貴重で嬉しい空間と時間だけど、そこでできた結果の空間を思い出しながら、一枚の画像として筆を動かしながら描写してゆく時間もまた楽しい。そこが連動する現場をもっと作って行きたいなと、新しい現場への期待が高まる。
そうそう。龍だけじゃない。もっと無視できないことってたくさんあるんです。それにちゃんと、どれだけ切実に向き合えるか・・・。
最後に会場で流していた映像も掲載できないかな。
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国際シンポジウムで語らせていただきました。日本語で。
http://geco.exblog.jp/242110077/
2022-10-27T18:55:00+09:00
2024-03-12T19:06:28+09:00
2024-03-12T19:02:00+09:00
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・講座/対話/研究会
実は国際交流基金、いろいろお世話になっております。
不確実な時代だからこそ、必要な文化交流について。僕なりの意見を語らせていただきました。
記録映像は下記のリンクより
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はたらくことについての展覧会
http://geco.exblog.jp/242017830/
2021-12-21T13:39:00+09:00
2024-01-05T09:45:25+09:00
2023-12-19T13:40:58+09:00
fuji-studio
福岡市・北九州等での活動
今回その九州芸文館を拠点とした福岡県主催のプロジェクト、「ちくごアートファーム計画」その今年バージョン「はたらくアート」に参加することになり、先週あたりから展覧会形式のプロジェクトが始まっております。
≈
単なる展覧会ではなくて、アートコミュニケーター、アートマネジメント人材育成プログラムということで、「はたらく」ことの意味を問い直す・・・ということらしい。今回はこの20年蓄積してきたちゃれんじ系のビデオテープ(人のはたらきを誘発するためのツールだったかも。でも今はもうはたらけなくなったメディア)を主題にした空間構成「チャレンジラボ」。
ここでは感性が「はたらく」状況を作り出したつもりだけど・・・感性はたらかせてくれるかな?
2024ねんが
https://www.kyushu-geibun.jp/main/5352.html
16件以上
すべてのリアクション:
435皆川 嘉博、山本 太郎、他433人
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Chuta Report 【チュウタの観察帖】
http://geco.exblog.jp/240681368/
2021-03-21T19:19:00+09:00
2021-07-12T22:36:43+09:00
2020-11-10T19:19:34+09:00
fuji-studio
【チュウタの観察帖】
菅江真澄という記述者が旅し、様々な風景やものに出会い、それを記録していたのがおおよそ200年以上前の江戸時代後期。秋田県立近代美術館で2020年秋から2021年3月という雪深い時期に行われた展覧会「アーツ&ルーツ あわいをたどる旅」は記述であるとか、記録であるとかの価値や意味について再考するもの。
記述されることによって物事が記録として定着する。だからこそ、記述、記録の少なかったその時代、特に秋田という地方での菅江真澄の記述には価値がある。高い描写力と俯瞰する視点をもった彼だからこそできた業績だと思う。そのあたりについては他の専門家が分析してくれると思うので、僕は別の角度から出品することになった。
活動を始めた1980年代半ぐらいから、それなりの記述や記録が残っている。もちろんそのほとんどはデータ化されていない。ウェブサイトをつくりブログサイトなどで個人の記録をし始めたのが2004年以降。それがこのエキサイトブログとなる。(実はこのブログサイト、2004年頃の記述まで遡れます。ゴミのような記述ですが・・・)それ以前の活動の記録はわずかな記録写真を残してほとんど廃棄されてしまった。しかし個人的な雑記帳としていたノートと未整理ファイルがいまだに棚の中で生き延びている。
多くの記述、スケッチ、つぶやき、記録写真、印刷物、掲載記事など、それらは僕にとっては貴重な自分の活動の痕跡であるものの、他人にとっては・・・特に家族にとっては鬱陶しくて迷惑なゴミでしかない・・・ということを知っている。僕自身も自分の親の写真や遺品のほとんどを廃棄処分したからだ。このゴミのような記述や資料を使ってなにか形にできないものか・・・、そういえば、そもそもゴミになりそうな家庭ゴミに心魅かれ、なんとか形にならないかと悪戦苦闘してきたのだった。 今回の展覧会のテーマの一つに「旅」がある。旅と記述がテーマとなっている。僕は旅をしてきたという自覚はない。しかし、自分の居るところ、環境を変えることには積極的だった。今の自分と違う自分をつくりたい。だから移動(もしかしたら旅)をし続けている。
それは地理的な場所の移動だけではない。最先端の都市計画の現場から狩猟生活を続けている現場への時間を遡る移動もある。プロジェクトの運営、公共施設の経営、教育、都市開発、地域計画、不動産運営、など立場を変えながら様々な現場を渡り歩く旅でもあった。
そのあたりにチュウモクし、これまでの記述や記録を再編集しようと思った。この2004年から使用しているブログサイトを再利用しつつ。・・・と思ったけど、未整理の資料だけで(整理されているファイル60冊をのぞいて)ファイルが40冊ぐらい。ノートが100冊ぐらい?(ざっと考えても1万ページぐらい)ぎゃ。全部は無理です。ねずみに登場してもらってランダムにかじってもらうことにします。チュウタの観察帖というカテゴリーをつくってみました。そこにノートの再掲と、その過去の記録へのチュウタのコメント時々書き込んでおります。(藤浩志)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ついでに。藤浩志のこれまでの旅の拠点(居住地)を記述して残しておきます。
鹿児島交通局電停前の実家(現在のイイテラス・生家)、鹿児島紫原1丁目(現在のイイガーデン・実家)、京都三条東洞院(レジデンス)、京都上桂(レジデンス)、東京練馬(レジデンス)、京都寺町二条画廊の2階三畳二間の間借り(住居)、京都帷子ノ辻のアパート2階3号(住居)、京都上桂の茅葺き古民家明騎(住居)、京都沓掛京都芸大部室(仮住居)、京都上桂森下の家(住居)、東京代々木オリンピックセンター(レジデンス)、パプアニューギニアポートモレスビーボロコ(レジデンス)、パプアニューギニア大学アンドリュー邸(仮住居)、パプアニューギニア美術学校ブロックの家(住居)、東京恵比寿ホテル(レジデンス)、東京白山共生インキ跡(住居・スタジオ)、東京白山アパート(住居・スタジオ)、東京本駒込一丁目ファクトリエ(住居・プロジェクトサイト・スタジオ)、東京水道マンション(住居)、神奈川川崎市柿生マンション(住居)、東京葛飾区亀有マンション(住居)、鹿児島市紫原の実家(住居)、鹿児島下荒田アパート(住居)、鹿児島高麗町の家(住居)、鹿児島郡山町古民家(住居)、鹿児島知覧町(スタジオ・倉庫)、鹿児島溝辺町(倉庫)、鹿児島県輝北町(倉庫)、福岡糸島郡二丈町深江淀川の農家(住居・事務所)、福岡前原市本の養鶏場(スタジオ・事務所)、大阪西中島南方淀川沿いマンション601(プロジェクトサイト、レジデンス)、大阪此花メヂア(プロジェクトサイト・レジデンス)、埼玉北本タワー(プロジェクトサイト、レジデンス)、香川豊島唐櫃藤島八十郎の家(プロジェクトサイト・レジデンス)、福岡糸島市二丈深江古民家うみかえる(プロジェクトサイト・住居)、福岡糸島市二丈深江新築うみてらす(住居・事務所・スタジオ・倉庫)、青森十和田市西三番町の家(住居)、青森十和田市奥入瀬画廊・民宿跡(プロジェクトサイト・倉庫)、青森県十和田市佐々木マンション(レジデンス)、秋田中通5丁目ライオンズマンション(住居)、秋田市旭南ハイツ407(住居)、秋田アラヤイチノ(プロジェクトサイト)、秋田新屋沖田町(倉庫)、秋田あららやの家(住居)、秋田新屋桜公園角203(住居)、秋田旭南ハイツ206(住居)、秋田旭スタジオ(スタジオ・倉庫)、サウスアベニューKG203(住居)、秋田旭南ハイツ302(プロジェクトサイト)、秋田大町クラシック(住居・事務所・スタジオ・倉庫)
※なんらかの仕事(リサーチも含む)で旅した国(都市) (日本国内はほぼ全て)
パプアニューギニア(ポートモレスビー、ウェワク、ラバウル、メスカ)、インド(デリー、モディナガル)、インドネシア(ジョグジャカルタ)、バングラデッシュ(ダッカ)、パキスタン(ラホール)、ベトナム(ハノイ)、タイ(バンコク、チェンマイ、ランプーン)、マレーシア(クアラルンプール、サバ)、シンガポール、オーストラリア(シドニー、メルボルン、ケアンズ、ブリスベン)、韓国(ソウル、釜山、光州)、台湾(台北)、中国(北京、広東、上海、シンセン)、エジプト(カイロ、マルサマトルーフ、アレキサンドリア、シーワ)、ドイツ(ワイマール、フランクフルト、カッセル)、イタリア(ナポリ、ローマ)、カナダ(トロント)、アメリカ(ニューヨーク、ロサンゼルス、サンフランシスコ、サンディエゴ、サンタフェ、マイアミ)、メキシコ(メキシコシティ、チェアパス、ティワナ)、ブラジル(サントス、サンパウロ、ブラジリア、リオデジャネイロ)
※仕事はしていないけど行ったことのあるその他の国
フィリピン、フランス、スペイン、イギリス、カナダ、
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Jurassic Plastic について語ってみた
http://geco.exblog.jp/242101797/
2020-10-21T20:08:00+09:00
2024-02-29T20:15:53+09:00
2024-02-29T20:13:40+09:00
fuji-studio
デコポリ・ビニプラ系活動
なぜだかこけしさんに向かって話しているようです。2分弱 秋田公立美術大学の研究室で。わざわざ並べてますね。
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くらすところ
http://geco.exblog.jp/240587028/
2020-09-19T11:58:00+09:00
2020-09-19T13:55:37+09:00
2020-09-19T12:05:20+09:00
fuji-studio
■秋田での活動
6年前の9月に、それまで活動拠点にしていた福岡の糸島と青森の十和田に加えて秋田での活動拠点を探し始めた。新しい空間や環境は自分の活動の可能性を広げる。・・・と信じている。新しい関係がうまれ、あたらしい意識が育まれる・・・に違いない。 ある意味、住環境、活動の環境は束縛し、制約する。だから、自分を変えたい時、変えようとする時、移動してしまう。それだけが理由だとは思わないが、秋田に来てからこの大町の家で7軒目になる。秋田に来てから6年で7軒目なので一年で一箇所以上引っ越してきた計算になる。
実は住まい以外にも、倉庫を借りたり、制作スタジオを借りたり、学生がプロジェクトで使えるようなスタジオを借りて来たので契約した数は10軒。もちろん解約したところも多いし、その後学生が暮らし始めたり、大学のオルタナティブな空間として使い始めたり、問題は活動の連鎖をうながすことにあり、ある意味重要な活動だと信じている・・・つもり。実際に旭南三丁目の旭南ハイツ、旭スタジオの周辺には興味深い人がたくさん暮らし始め、大家さんの思いもあり、学生の活動拠点「オルタナス」が発生しつつある。 さて、この秋田市中心街、大町にある古民家には去年の12月から手を入れ始めた。結果としてその後コロナ禍になりここにこもることになった。おかげで、隙間だらけの床や壁、極寒の環境に手を入れる時間ができ、制作スペース、収集してきた素材のストックする場所ができつつある。そして、ここを11月に開催される秋田県立近代美術館での展覧会の出品作品のリモート空間の拠点にすることを思いついた。
学生時代より暮らす自宅の一部に事務所空間を設け、さらに作業場(制作スタジオ)をどのように確保するのかというのが自分を生かし、活かす上で切実な問題となっている。実は20年以上かけて福岡の糸島にくらすところと活動をつくるところを作り続けてきた。養鶏場跡地のスタジオFARM、海の家のうみかえる、藤スタジオ本社のあるうみテラス・・・ところが2012年以降、十和田市美術館や秋田公立美術大学という現場の運営に魅かれ、東北の現場にも長期的に深く関わることになり、しかもこのコロナ禍で容易に移動できなくなり、リモートワークが一般的になって居住地にこもる事になった。
その結果、長い時間を過ごす事になったこの大町の空間。実はとても魅力的。明治30年頃つくられた秋田市内の町家で建物の一部に土蔵が組み込まれているというレアなところ。ただし、その年月のため、土蔵も傾き、建物のいたるところが傷んでいる。通常改修すると相当な金額がかかるので、前にかりていた方からひきつづき、自費で改装しながら暮らす人しか使えないというサバイバル条件付き物件。それがたまらなく嬉しくありがたい。
くらすところ(自宅)を自分の表現空間にするというのは僕にとってはあたりまえでクラシックな考え方。オープンスタジオ的なものとしてある種一般的だと思う。個人的な経験としては古くは1985年の京都時代、上桂森下1-115という自宅を使った松の木の憂鬱プロジェクト、東京でのサラリーマン時代の本駒込Fhファクトリエでのお米の砂漠のプロジェクト、二丈町の自宅でのゴミとネズミと未来予想でのスタジオツアー、そして糸島芸農でのうみかえる、うみテラスでのオープンスタジオ。しかし、今回はこの状況で学んだ完全リモートでの公開。もちろん一般公開は映像や画像だけ。11月末から秋田県立近代美術館ではじまる「Arts&Routs展、あわいをたどる旅」にここに暮らすねずみ君の視点でこの家が舞台のドキュメントが公開される予定・・・かな。乞うご期待。
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東京ビエンナーレのインタビュー
http://geco.exblog.jp/242101834/
2020-08-28T21:12:00+09:00
2024-02-29T21:14:46+09:00
2024-02-29T21:14:46+09:00
fuji-studio
東京での活動
藤浩志さんは美術家であり、秋田公立美術大学教授、NPO法人アーツセンターあきた理事長、NPO法人プラスアーツ副理事長をされている。京都の大学では染織を専攻し、在学中は演劇などの空間をつくっていた。卒業後は青年海外協力隊でパプアニューギニアに行き、現地の芸術学校で教育に携わる。その際、「原生林で「野豚を追うヤセ犬」と出会い、「社会的に価値を認められていない存在にエネルギーを注ぎ、圧倒的に感動的な状態に変化させる技術としての芸術」を着想する。」(藤浩志さんのウェブサイトより)このパプアニューギニアでの経験が原体験となり、藤さんは自身の作品制作をしながら様々な地域でアート活動に携わる。藤さんのこれまでの経歴についてご興味のある方は、ロングインタビューがあるのでぜひこちらをご一読いただきたい(http://www.log-osaka.jp/article/index.html?aid=83)。藤さんは、東京ビエンナーレでどんなプロジェクトを構想されているのか。聞き手:上條桂子(編集者)、森田裕子(東京ビエンナーレ事務局)
(小見出し)なにか表現が達成していく現場新しい活動が作られていく現場を作りたい
東京ビエンナーレ(以下、T):藤さんは3331 Arts Chiyodaで「かえっこ」のプログラムを長年されていて、その他に十和田市現代美術館の館長をされていたり、最近は秋田でアートセンターをされています。長い歴史の中で、さまざまな取り組みをされてきたと思いますが、藤さんの創作の中心には何があるのでしょうか?
藤浩志(以下、F):僕が秋田でやっている現場も、「かえっこ」もそうですが、新しい活動が作られていく現場を作りたいと思っています。それは自分の中の最優先事項です。自分自身がそういう現場に居たいし、その中で自分自身もアップデートしていきたい。その現場を発生させるシステムを新しい人たちと考えるのが面白い。そういう意味では、東京ビエンナーレで議論されている、東京ビエンナーレというシステムが東京の中でいかに機能できるかということは、僕が30年以上前から興味を持っていることでもあります。
僕は1993年に東京を離れて鹿児島に活動の拠点を移したのですが、1994年に中村政人と福岡で出会い、東京の中のローカルについて話したことを記憶しています。東京を全体で捉えるのではなく、東京の中にあるローカル、例えば銀座や青山、渋谷、池袋、今回のエリアだと番町や谷中、神田、秋葉原など、東京を特有の数多くのローカルの集積地として捉えるととても面白いという視点です。
T:東京を離れた理由は何かあったのでしょうか?
F:東京の時間と空間からくる圧迫感のようなものから逃れたかったというきっかけがありました。時間を売って暮らしていると感じるようになったんです。活動の時間や空間の全てをお金に換算しなければいけない脅迫概念のようなものかな。例えば、1時間働くとその分のお金がもらえる、遊ぶとその分のお金が出ていく。空間の場合は、例えば本を一冊買うと、その分の場所代が家賃に換算されますよね。一冊だとあまり感じないかもしれませんが、毎日一冊買うと3年で千冊を越えます。千冊置くには一部屋必要です。90年代に東京の都市計画事務所で働いていたんですが、時間と空間に縛られる生活から逃れる為に当時にしては珍しく、週休4日の契約で年俸制にしてもらったんです。空間的には文京区で会社所有の取り壊し前の3階建の古いビルを丸々1棟無料で借りて、そこをアトリエにして、時間的には週の4日は作家として活動し、週3日だけ会社で働いていました。
そんな生活をしていたんですが、半年もしないうちに都市計画の仕事の方が面白くなってしまったんです。当時、アフリカの再開発や緑化運動、NYの都市計画の仕事など面白い仕事が多かったんですよね。結局、毎日会社に行って働いていたので、アトリエはずっと倉庫状態。契約は同じで給料も週3日のままなのだけれど、そのまま3年間働いてしまったんです。それは、さっき話をした東京の“罠”みたいなものというか。目の前にある仕事が楽しくて、やっていたらそういう方向になってしまったっていう経験があったんです。
T:東京にいるとどんどん仕事が来てしまって、ぼんやり作品を考える時間がなくなってしまったということでしょうか?
F:自分の中のモヤモヤに向き合う作業より、与えられた仕事をこなす方が達成感もあるし、会社の人も喜ぶ。精神的にも楽で、単純に楽しいわけです。それはそれでよかった。でも、東京を離れた本当の理由はここからです。都市開発事務所にいたときにもローカルな都市計画の仕事を積極的に受けていました。その時は、ほとんど現場に行かず、先進事例を情報から引っ張ってきて、東京で企画を立ち上げることに違和感を感じていました。当時は痩せ犬の視点(*1)だったので、その土地にふさわしい計画は、その土地の人がその土地にいながらその土地の視点で作っていくべきだと思っていました。*1=痩せ犬の視点:藤がパプアニューギニアにいた時に出会った犬。ボロボロに痩せ細っていた犬が、必要な野豚狩りの時に、豹変して猛獣のようなエネルギーで走り出したのを目撃し、その変貌ぶりを「美しい」と感動した。
T:東京はカッコいいから地方でも東京っぽくすればいいという間違った開発だったんでしょうか?
F:東京というか当時はまだ欧米から先進事例を持ってきていました。最初にその土地に行って、1日だけ資料を作るための調査をして、その土地の市役所の人と会食してスナックでカラオケして、あとは東京に戻って提案書をまとめるという。こんなんでいいはずないな、と思っていて、生意気にも社長に噛み付いていました。当時の同僚たちも「都市は俯瞰して作るものだ」と上から目線で、僕だけ痩せ犬の視点に憧れていました。そうした経験を重ね、ローカルのことをもっと現場で知らなければいけないと思い、鹿児島に拠点を移したんです。地元に入り込んで何ができるだろうと、当時、実家を改装してカフェを経営していたので、そこを拠点にすることにしました。(E-SPACE)
当時は新宿と神田と白山あたりの再開発や本駒込や中野の研究に関わっていたこともあり、東京のローカルが見え始めていました。僕の地域の作り方に、水と土の理論があります。何かが発生するには当然「魅力的な種」が必要です、それに興味・関心としての「水」やメディアとしての「光」を注ぐことで成長していく。「種や苗」が育たなかったとしても、「土」が醸成されていく。土にとってみると、種を遠くから運んでくる「風」の存在も必要です。そうやって地域の活動が生まれ成長し、開花するのだと思っています。その視点で東京を語ると、水耕栽培に近い。もちろん水だけでも養分をいれればどんどん育っていくと思うのだけれど、明らかに土壌といった点では少ないように思う。逆に地方に行くと、土壌はとても肥えてその土地由来の種はあるのだけど、地元は無関心で、水を注いだり光を当ててくれる人が少ないというのが現状です。
90年代前半にローカルで活動を始めた時には、まさにそんな感じでした。鹿児島でE-Spaceを拠点として活動を始めたとき、面白い魅力的な人が集まってきて、市民活動のようなこともやりましたが、それが次の活動へと成長してゆくような状況を作ることが難しかった。ローカルが外部と繋がるルートが少なかったのも原因の一つです。ローカルの活動が閉じていたのです。しかし、その頃、企業がそうした地方の活動に興味を示し始めました。90年代後半になるとトヨタ、アサヒビール、資生堂、パナソニック、マクドナルドが連携して地域での活動のドキュメントに助成金を出し始め、トヨタアートマネジメント講座も始まりました。その助成をきっかけとしてローカルにいろいろな活動が興り始めました。
中村政人が東京のローカルで始めた活動、「ギンブラート」(1993)、「新宿少年アート」(1994-)、「秋葉原TV」(1999-)や、ゲント現代美術館の館長であったヤン・フート(1936-2014)を総合監督に迎えて青山の商業店舗や公園などに作品を設置した『Ripple across the water 水の波紋95』展(1995)にも興味がありました。東京でも美術館ではない現場を求めている作家たちがいて、さまざまな新たな試みが生まれていた。東京ビエンナーレは東京に新たな仕組みを作ろうとしている試みであって、当然無視できないし、興味を持たざるを得ません。
T:なるほど。中央対地方ということではなく、東京もある種のローカルと考えるということですね。確かに東京ビエンナーレはそういう視点があるように思います。
F:東京のローカルというのはとても魅力的で深い。今回対象となっているエリアは特に面白いエリアばかりです。それぞれのエリアから絶対に何かが発生してくると確信しているし、その現場に立ち会えるとしたらそれはとても魅力的なことです。
(小見出し)20周年をむかえる「かえっこ」の活動、歴史を振り返り、新たなフェーズへ。
T:東京ビエンナーレ2020/2021では、「かえっこ」のプロジェクトをされる予定だとうかがっていますが。ちなみに「かえっこ」というのは、2000年に始まったもので、遊ばなくなったおもちゃを特定の場所に持ってきて、カエルポイントに交換、それを使って新しいおもちゃを手にしたり、ワークショップに参加するという仕組み。子どもたちが自発的にコミュニケーションを行う場となります。3331 Arts Chiyodaでは2010年に開館した際のメインのプログラムとして「かえっこ」を取り入れており、現在もその取り組みは継続しています。また、「かえっこ」という仕組みは全国に波及しています。
F:そうですね。「かえっこ」ではなく、新しいことをやりたい気持ちもありました。しかし、3331のこれまでの活動の流れもあり、千代田区や児童館との繋がりのなかで子ども達との活動を継続していくことは、すごく大切だし、僕自身もその延長線上で活動していきたいと思っています。それは、芸術と芸術未満の違い、文化と文化未満の違いを語ることでもあると思います。「かえっこ」は当初、子ども達との活動を発生させる作品未満のシステム型の表現だったけれど、金沢21世紀美術館の開館記念展で「かえっこ」が導入されたり、3331でアーティストプログラムとして使われるようになり、ある意味形のない作品として成長してきたわけです。さらに、その延長で生まれたトイザウルス(かえっこで集まってきたおもちゃを組み合わせて制作したオブジェ)は形のある空間の作品として完成し始めている。
作家に大切なのは、常に新しいものを作る態度そのものなんだと考えています。過去に作ったものにとらわれているのは美術作家の態度としては嫌だなぁと思うわけです。もちろん流通させることも大切だけど、自分の作ったスタイルを崩したり、前例を壊していこうとする態度が魅力的で、そうありたいなと……。まあ、この歳になって悩んでいるわけでも、あんまりこだわってるわけでもないんだけど、でも、今までやってきた責任も感じつつ、どこかで新しいことをやりたいなと思いつつ、求められているものを展示してしまって、その板挟みでモヤモヤします(笑)。
T:なるほど。継続されていること、仕組みが全国にも浸透していっていることは素晴らしいと思いますが、その反面で、作家としての葛藤がおありなんですね。
F:どうすればアーティストとしてモチベーションを保てるかは大事だと思います。僕はいま秋田を活動の主な現場にしていて、秋田公立美術大学の美術大学としての運営や秋田市の旧県立美術館跡地に秋田市の文化創造に関わる拠点を作ろうとしていて、その上でどのような新しいことを東京で試せるのか、3331の活動の延長になにかもっと違うことができないかなと考えているところでもあります。
「かえっこ」が今年でちょうど20年経ち、かえっこのあり方もだいぶ変わってきているので、ある意味ではかえっこを終わらせる・・・というか、一度区切りをつけるようなことができたらいいなと思っています。
T:具体的に考えていらっしゃることはあるのでしょうか?
F:本は作りたいと思っています。「かえっこ」をこれまでとは違う語り口の一冊の本にすることは考えたい。東京ビエンナーレが1年延期になったので、本の編集を先にやってしまって、来年は書籍を空間にどう展開していくかを考えることができればいいなと思っています。
T:なるほど、一冊の本を編集するように展覧会をつくっていくんですね。20年分の歴史もありますから、素材が豊富で面白そうです。藤さんは、様々な地域で対話を重ねていらっしゃいますが、最近状況はどう変わってきていると思われますか? 地域に注目が集まって、様々な方たちが活動されるようになった状況もありますし、コロナでさらにそれが加速するような気もします。
F:確実にローカルに面白い人たちが移動していると思います。それは3.11以降にも顕著になっていました。働き方の変化にまちおこしの制度もからんで、アート関係でなくてもクリエイティブな活動をしようとしている人が増えてきている。秋田も青森もそうですが、自宅のある福岡県糸島市も移住者が非常に増えました。彼らの活動は、レンジも広く深い思考を持っていて、活動力もある。東京やその他の場所での経験を積んできている人たちが、ローカルをベースとして、ネットワークを使って活動を作ろうとしているのも最近の特徴なのかもしれません。
いま働いているアーツセンター秋田にしても、昔だったら絶対来ないだろうなという人がきてくれている。今までの他の地域の仕事もやりながら秋田の現場も関わってくれる人たちです。一人の人がいくつもの顔と現場を持って仕事をすることが当たり前になっている。もちろん僕もそうですが。自分の仕事は、どこにいてもできると思っています。
T:一方で、いわゆる地域アートというのは批判的にも語られることがありますが、その点はどうお考えですか?
F:先日ちょうど十和田で地域アートの本を出版したのですが(『地域アートはどこにある』十和田市現代美術館編/堀之内出版)、そのきっかけになったのは藤田(直哉)さんの批判的な視点でした。アートというのは政治や体制に対して批判的であるべきであるという主張だと思います。しかし、十和田市現代美術館のように地域社会に寄り添った実践は、地域に対して語りきれないほどの様々な連鎖を生み出してきて、単純な批判に晒されるものではないほど、強いものです。それを俯瞰しようとした出版でした。僕自身、とてもいい現場に立ち会えることができたと実感しています。それは確かなことなのです。
アート活動の実践の現場というのは、コマーシャルなマーケットを相手にするか、美術の公募展的な場所で戦うかという二択ではなないのです。イタリアルネッサンスの歴史でも、パリの近代美術の歴史でも、NYの現代美術の歴史でも、ある特定のエリアからしか美術の歴史は発生してきていないんです。ある時代のローカルな場所のローカルな人とその社会との関係の中で作られた状況があって、その地域の政治や経済などの背景との関係性の中から次世代に大きな影響を与える新しい活動は生まれてきました。
もちろん「地域アート」という活動を限定するような軽蔑的な呼び方呼び方には嫌悪感も抱きますが、ある限定された状況のなかで、もやもやと不満を持っている若い人たちの表現ぶつける仕組みを形にするとき、その状況が生まれる環境として、地域という基盤は無視できないと思います。
T:なるほど。それは先ほどの東京もローカルと考えるという問題と繋がりますね。
F:90年代から2000年代の時点で、地域とかサイト、場という問題を主題にすることは旬をすぎていると考えています。今はそのことを前提としてグローバリズムの問題にも結びついていくし、ネット上、メディア上のローカルという意味も重要です。さらにコロナで新たなローカルの意味が出てくるでしょうね。キャンバスがないと絵が描けないのと同じように、立ち位置というか、どこにいるというローカルは前提だと思います。「秋田」や「東京」、あるいは「ゲーム」や「YouTube」などローカルが深まることで新しい価値は発生する。そのとき基盤の優劣は問題ではなく、結果として何が発生したのかということが問題なのだと思います。
東京ビエンナーレにもその地域のコーディネーターである市民委員会やエリアディレクターがいますよね。例えば、東京ビエンナーレから新たなローカル性が発生することが重要だと感じます。「かえっこ」は企業と一緒にやってきたケースが多いのですが、企業もローカルに関わって成立しています。「かえっこ」の事務局としては企業に地域住民やNPOとの関係を深める機会として捉えてもらうようにサポートしてきました。本をつくる時には、企業や行政などの法人がどういう風に子どもやその親という個人と関わってきたのかという視点で、「かえっこ」を見直してもいいかなと思っています。
K:アート活動をする上で、お金がどこからきてどこに行くのかというのは非常に重要なことで、企業が入って来ると企業色が出て来るから悪という、純粋性が失われるようなイメージがありますが、それについての話が本に掲載されるということですよね、楽しみです。
F:トイザウルスとかの作品を見て「本当にこれ気持ち悪いよね」って言ってくれる人がいます。この感覚はすごく重要で、僕がやっていることは、本当はとても恐ろしい世界に触れていることだと思うんです。使われなくなったおもちゃが大量に並ぶトイパラダイスを見て、観客は「すごい、きれい!」となるのですが、実はその裏側には見えない狂気が潜んでいます。僕の学生時代の活動を。鮮やかで美味しそうだけど、実は毒が入ってる「危険なおやつ」と評してくれた人がいました。「かえっこ」にはそういう面もある。「かえっこ」のプログラムも、子供の欲望をそそるものだと批判する人もいます。その通りです。必ずしも僕らはいいことをやっている活動家ではありません。今、この時代にしかできない表現を人生かけてやってるだけです。東京ビエンナーレではこの20年の結果を振り返りながら、精一杯美味しそうなパッケージに包んで圧倒的に甘く、楽しく、美味しそうな世界を作り出して見たいと思います。]]>
アニメイトの袋を編む
http://geco.exblog.jp/242012677/
2020-08-13T11:52:00+09:00
2024-01-05T09:53:07+09:00
2023-12-15T12:03:05+09:00
fuji-studio
デコポリ・ビニプラ系活動
数ヶ月ぶりに自宅にもどってみると妻が編み物していて、それが結構いいものだったので思わず撮影してしまった。
娘が生きるために必要なお店のいわゆるレジ袋。もう有料になってしまったレジ袋。平成の遺物となってゆくのかな。このお店も有料なのかな。しかしいい色と厚みをしている。
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レジ袋を編む
うちに溜まっているとあるショップのレジ袋からショッピングバッグを編む
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119山本 太郎、高橋伸、他117人
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美山のチュンとの再会
http://geco.exblog.jp/242012678/
2020-08-12T12:05:00+09:00
2023-12-15T12:07:38+09:00
2023-12-15T12:07:38+09:00
fuji-studio
デコポリ・ビニプラ系活動
僕の大学院の2年間の活動はチュンの影響が大きい。チュン
だけでなく、その学年の前後の後輩たちに支えられていた。というか、ほとんどの僕の活動は後輩たちが作っていた。僕は純粋に彼らとの活動をただ楽しんでいたような気もする。おそらくそれは今もかわらないのだろうな・・・。
とにかく、チュンが作ってくれたコジラくんとはにわの漫画やガマ君とカエル君の紙芝居はいまだにプレゼンテーションで使わせてもらています。すっかりいい歳の活動家になっておりました。トイザウルス、しばらくよろしくお願いします。
5件以上
アクティブ
ブラッキー中島 隆章さんは藤 浩志さんと一緒にいます。
2020年8月11日 ·
『Jurassic Plastic展 京都美山』
ぼくの大学の先輩に藤浩志という、猛烈な変人がいる。この場合の「変人」という表現は僕からするとその偉大さに対する最大限の敬意である。
大学に入学したての頃、この先輩の「変人」っぷりにあらゆる価値観を壊されたと言っても過言ではない。
僕の人間形成の最初のディープインパクトである。
ザ・悲鳴にはじまり、ウィーラースクールも、農業も、国際交流も、いろんなことをしっちゃかめっちゃかにしてやってしまう、ある意味強烈なバイタリティーともいうべきパワーの作り方と表現の仕方は、この先輩から学んだものだと思う。
そしてその藤浩志先輩が、どれくらいすごい「変」なのかというと、教授である秋田公立美術大学から自宅の福岡に帰る道すがら、運んできた作品を、「京都の画廊と都合が合わんかったので君んちに置かせてくれ〜」と持ってきて、展示してしまうというハイパーレベルだ。
作品の名は『Jurassic Plastic』
いらなくなったおもちゃ(プラスチック製)をもう一度価値を与え、使い捨て文化を考える?のかどうか詳しいことはわからないけど(笑)プラスチックの原料は石油、その石油がまだ植物だったころに生きていた恐竜がモチーフというのが面白い。
くわしくはこちら↓
https://www.fujistudio.co/jurassic-plastic
さて、この作品、全国どころか世界も回った作品がこのあと京都の画廊にいくまでの間、美山町の我が家でプライベートエキジビジョンとして展示されるという、とても貴重な展覧会となります。美山の田園風景と100年の古民家と作品世界観の奇跡のコラボです。
興味のある人は、お声がけください。2週間くらいは展示しています。きっと。多分。
ちなみに赤い恐竜の背びれは、無数のしゃべるちびまる子ちゃんで構成されており、触ると「がんばって〜まるこが応援してるよ〜」と励まされるので、疲れた心が癒やされます。
もう5回くらい押したよ。
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個人と団体の間のモヤモヤ
http://geco.exblog.jp/242012691/
2020-07-17T12:30:00+09:00
2023-12-15T12:32:54+09:00
2023-12-15T12:31:47+09:00
fuji-studio
・思索雑感/ImageTrash
改装中の映像 建物の雰囲気はわかります。
https://www.youtube.com/watch?v=feEPWUP9wlQ
ちょうどその頃、秋田公立美術大学を母体としたNPO法人アーツセンターあきたが立ち上がり様々なプロジェクトを動かし始めたところでしたが、このNPOが、つい先日その宝物のような空間の運営管理を担うことに決まりました。運営者僕も久しぶりに珍しく市役所で運営方針のプレゼンテーションを行ったが、マスクをしてのプレゼンテーションだったので窒息ぎみで、わたわた・・・。前置きがながくなったけど、そのプレ事業でスクール事業を去年から行っており、僕は観客席から生徒として学ぶ側にいたのだけど、今回はちょっとだけ前に出て学ぶことに。
それがこのイベントです。未来を考えるスクール
https://www.artscenter-akita.jp/archives/13711
配信される予定。
・・・で、ついでだから今抱えているモヤモヤをぶつけようかなと思っていたのだけど、ちょっとあまりにも未整理なので整理するための久しぶりにテキストを書いてみました。
文章は相変わらずグダグダしてます。間違い多いと思います。
https://note.com/fujihiroshi/n/n8ebfa54c08a3
NOTE.COM
個人と団体の関係、そのあり方のモヤモヤ|Fuji, Hiroshi|note
その無限のバリエーションをどのように言語化し、位置付けることができるのか 秋田市が春に開館を予定している秋田市文化創造館(クリエイティブハブのようなところ)のプレ事業で、未来の生き方を考えるスクール.....
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160皆川 嘉博、山本 太郎、他158人
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予想できない未来に対して人は何を・・・
http://geco.exblog.jp/242012710/
2020-04-07T12:48:00+09:00
2023-12-15T12:54:15+09:00
2023-12-15T12:51:46+09:00
fuji-studio
・思索雑感/ImageTrash
NOTE.COM
予想できない未来に対して、人は何をイメージしてきたのだろうか。現在開催中の都城市立美術館での展示から当時(1990年代後半)の活動について語ってみる。|Fuji, Hiroshi|note
宮崎県と鹿児島県の県境にある都城市。最近中心市街地の大型ショッピングセンターの跡地をリノベーションして新しいタイプの図書館ができたことで注目されているが、そのすぐ近くの市立美術館で収蔵作品展が開催され...
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169皆川 嘉博、山本 太郎、他167人
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表現は自由なのかな
http://geco.exblog.jp/239457947/
2019-08-07T11:18:00+09:00
2019-08-09T09:20:17+09:00
2019-08-07T11:18:05+09:00
fuji-studio
・思索雑感/ImageTrash
表現できる環境はあるのか?
そもそも、表現は縛られていると考えている。過去においても、そして現在においても。だからこそ、自由な表現を求めるし、それが実現できる社会を求めてしまう。様々な表現を実現し、あるいは体験できる環境を作るための努力こそが必要なのだと考えている。もちろんそれは私たちの権利でもあるし、人が「生きること」に関わる環境をつくりだしているすべての人の責任でもある。その意味で、教育の責任であり、行政の責任であり、国の責任でもある。
人が苦しい時に苦しいと言えず、行きたいところに行けず、言いたいことが言えず、喜びも悲しみも抑圧される社会に暮らすことを望む人はいない。しかし、現実はどうだろうか。
「表現する力を持ちたい」と強く思ったことがあるだろうか。どんな時に人は表現したいと思うのか。そしてそれは許される環境にあるのか。人は生まれてすぐから、家庭の中で、学校や職場で、地域社会で、様々な現場で表現しなければならない状況に直面してきた。 小学校の授業時間にトイレに行きたくなっても、クラスメイトの視線や中傷が気になり我慢する。なかなかトイレに行きたいということが言えない。しかし、いよいよ我慢できなくなって・・・
炎天下の中、体が熱くなり、意識が遠のき、座りたかったり水が飲みたくて仕方ないけどなかなかそれができない。忍耐が必要だと教わりじっと我慢し続けついに意識を失ってしまう。
高齢者の無意識の交通事故によって登校中の小学5年の娘の命が奪われてしまう。その現場に居合わせていない両親だが加害者以上にその現場の様子を何度も思い描き苦しむ。
津波の被害で両親や妻を失った男性の唯一生き残っていた娘が放射能汚染事故の影響とも思える白血病に苦しみ治療を受け、死への恐怖と怒りと闘う日々を過ごす。
人は誰でも経験したことのない新しい課題に直面したとき、未知の世界に足を踏み入れたとき、時として災害、事故、事件に出会ったとき、あるいは敵が目の前に現れたとき、それをどうにかして乗り越えるために、想像力、行動力、技術、経験を欲するものだと思う。言葉の力、表現の力を身につけておけばよかったと後悔する。
人は喋ったことのある言語でしか言葉にすることはできないし、使ったことのある道具しか使うことはできない。それと同様にこれまで経験してきた表現力しか持っていない。だからさまざまな表現手法や表現の力について日頃から接し、学び、体験し、試行錯誤を重ねる必要がある。それは日常生活での会話の表現もあれば、企業や組織としての表現、批評や批判、メディアやネット上での発言、政治的表現、スポーツや芸術、知財創造などさまざまにある。それらを複合的に用いながら新たな表現する力を模索することが大切だと思う。
当事者が表現する力を持つ必要もあるが、問題はその環境にある。言葉を発することが許される環境が用意され、ちゃんと向き合い、対話できる状況が用意されなければならないと思う。そのために地域社会はさまざまな試みを行う方がいい。
表現は抑圧されている?
表現行為はそもそもあらゆる面で縛られている。だからこそ、表現者を志す者は様々な束縛と闘いながら自由な表現を求め試みているのだと思う。本来、誰もが表現者になるべきだと思うが現在の社会はそれほど優しくないし、許される環境ではない。何が私たちの表現を縛り続けているのか。
1、自分の経験や意識が表現を縛る。表現行為において最大の敵は自分自身だと思っている。自分の経験や意識、常識、これまで受けてきた教育、培ってきた環境が自分自身を束縛する。従って表現者は時として自分自身が築き上げてきた様々な蓄積から逃れ、新たな表現を求めようと苦悩する。
2、言語が表現を縛る言語は概念の現れであり、意識を語るうえで当たり前のように使われるが、必ずしも100パーセント言語化できているわけではない。言葉から伝えられる意味はその人の経験によって全く違うのだということも思い知らされる。自由という言語についても学者、活動家、公務員、企業人、学生、政治家では使っている概念は全く違うのだと思う。平和という概念が戦争や混乱の地域でこそはじめて浮上してくるように、表現の自由ということがあらためて問題になっている現在、不自由な状況が蔓延しているということを示しているようにも思う。言語での表現ではない手法、つまり音楽やパフォーマンスや絵画立体映像などの表現においては言語の束縛から解放されるという側面もあるはずなのだが、言語を超えて感じる力を持ち得ていない受け手(鑑賞者)の状況も浮かび上がる。 3、システムやフォーマット、法律や条例が自由を縛る。さまざまな表現は原稿用紙なりキャンバスなり舞台なりホールなり、なんらかの支持体が必要になるが、その支持体にはさまざまな制約がある。絵画はキャンバスや絵の具という材料の特性からくる制約があるし、彫刻や立体にはその作業加工上の制約や運搬・安全という制約もある。映像表現にはテクノロジーや電源などの制約もあるし、それを展示する空間にはそれが街なかであれ、山や川、森や海であれ、美術館やギャラリーであれ、インターネット等のデジタル空間であれ、アートプロジェクトや芸術祭であっても、それぞれ管理者がいて条例や法律があり、さらに消費と流通の構造があり、市場や経済の流れがあり、さまざまに自由な空間や環境を作り出そうと努力し続けていたとしても、どんな環境にもかならず制約はある。だからこそ、人が様々な制約から解放され自由な表現が可能な環境の整備を様々な手法で試み、経験を重ねなければならない。
4、歴史や常識、縁者や空気が表現を縛る多くの人は家族や友人、職場の同僚や上司によって自由な振る舞いが束縛されている。愛情に溢れた両親でさえも、こどもに対して誰よりも、利口に・正しく振る舞うことを求める。教師は子どもたちの自由な表現についてはみ出ることを恐れ、上司は部下の破天荒な振る舞いを嫌がる。常に平均化と調和が求められる環境の中で、感情をあらわにしたり、激しく拒絶したり、主体的に自由に振舞ったり、常識を外れた行動を行うことに対して寛容ではない。 そもそも表現行為とは何だろう?
まず、原初的な表現行為として生理的、本能的、感覚的に「拒絶しようとする行為」を失ってはいけないと思う。アレルギー反応や吐き出す行為や無視する行為を通して自覚することもある。生命を守る、あるいは精神状態を維持するためにとても重要な表現行為だと思う。拒絶する感情を抱くことの日常的な訓練も必要であり、それに対してどのような言葉を発するかの経験も必要だと思う。「怒り」「悲しみ」などの感情もまたこの表現につながるので、表現の仕方によっては犯罪などにつながる可能性もある。だからこそ、多くの経験を重ねて、情緒、感性、イメージする力を身につけ、拒絶することに対する表現力を持つ必要がある。
そして「つながろうとする行為」。生まれたての赤ちゃんが母親の存在を手探るように、あるいは興味関心のある世界や自分が繋がりたい世界に対して触れようとしたり、手を伸ばしたり、顔を近づけたりする行為は文字や言葉が発生する以前においてもとても重要な表現行為だと考える。「心地いい」「楽しくなる」「期待感」「よろこび」「安心」等の感情等が発生するので暮らす上でとても大切だと思う。無意識を意識化しようとする行為でもあり、未知の世界に向きあおうとするとき必要となる。この表現の振る舞いや技術の延長に新しい表現は生まれてくると信じている。
そして「伝えようとする」行為。多くはこのことだけが表現行為だと思われていることに不満だが、言語化された意識を伝えようとする行為。どのような言語を選択し、どのような手法で伝えるのかその技術と編集能力などが問われる。伝えようとする多くの場合、対象者が見えている場合が多い。誰に伝えるのか、どのように伝えるのか、何を伝えるのか、その結果どのような連鎖が起こるのか。それをイメージする力を身につけるには相当な修練が必要となる。 多くの失敗を重ねること。
いずれにせよ、表現の先には受け手がいる。その受け手がどのように感じるのか。それをイメージする力、考える力が必要となる。表現することとはそれほど簡単なことではない。しかも、これまでにない手法で、これまでにないイメージや意識を表現という形にするのは難しい。ひとつの形が生まれるまでにさまざまな試行錯誤が必要となる。僕自身多くの失敗を重ねてきた。表現力を持たないことで孤立して育ってきたし、未熟な表現のために家族や友人の心を傷つけてきたと反省することも多い。必死に作ってリリースしようとした作品が担当者の心を傷つけ、観客の心も傷つけたこともあるが、それ以上にその時々で言葉にならない感情の苦しみを抱いていたし、それを形にしようとしてきたのも事実だ。それもまた失敗だったかもしれないが、それを重ねることでしか表現力は身につかないと思う。
表現作品に対し、無断で撤去されたこともあったり、主催者が断固として撤去したこともあった。一方で観客の苦情にもかかわらず、苦情と闘い続け、展示を守り続けた公立の美術館などもあった。自由な表現ができる環境を築こうと努力し続けている自治体もあるし、公共施設も多いが、残念ながら、それはまだまだ一部の特別な意識を持った首長や担当者のいるところでしかない。
日常暮らしてきて、本当に失敗が許されず、自由なつぶやきさえも避難される息苦しい世の中になってきたと感じている。そのなかで今回のあいちトリエンナーレ2019「表現の不自由展・その後」の展示の終了についての様々な意見は、今の環境を象徴しているように思えて苦しい。なぜこうなってきたのかとこれまでの人生を反省せざるを得ない。何も変わっていない。それどころか、やばい。
あいちトリエンナーレのような芸術祭もそうだが、このような国際展、アートプロジェクトは様々なジャンルを超えて、既存の価値観を超えて、新しい表現手法や意識、様々な角度からの思考法などと出会えるまたとないチャンスだと思っている。そしてそれは多くの人に開かれていて、さらに開こうと努力されて作られている。 表現と出会う機会
特に若い頃、自分でも表現力を持ちたいと思っていて、新しい表現の手法を模索し、表現そのものに飢えていた頃、時間の隙間があるたびに、むしろ時間をこじあけて、新しい表現、強い表現と出会いたいと思い、数多くの寺社や仏閣、庭や美術館や画廊、ホール、様々な展示室などを巡りまわった。当時は何十年も前に評価された近代美術や保存されてきた工芸品、彫刻、絵画などがほとんどで、現代美術や新しい商品や舞台などほとんど見たことがなかった。社会人になり、現代美術や先端的な表現に出会おうと主要なギャラリーや国内外のアートセンターや現代美術館などをめぐるようになり、多くの時間を費やして、100に一つぐらい、心震える表現に出会い、それが喜びだった。展覧会場に100点ほどあったとしても、一つ心にひっかかれば儲け物だと思うようになった。そんな経験を重ねてきたものにとって、主催者がしっかりお金をかけ、様々な角度の専門家が知恵を絞ってつくってくれているこのような大型展はとてもありがたい。楽して妙なものにである確率がとても高い。当然つまらないと思うものも、今の自分の体力にあわないものも、精神状態には迷惑なものも多い。それでも、何か一つ、もう一つ、出会うことがあるとすればそれはかけがいのないことだと思っている。そして、多くの気づきや共感、もちろん反発、嫌悪もある。そのうえで、このような苦しい世の中だからこそ、苦悩を守り越えようと表現を試みている人たちのエネルギーを感じることが必要だと思う。何れにせよ、現代のさまざまな歪みのようなものが表現されている作品群と直面し、多くをイメージし、考える機会が失われたことに対してとても残念だと思う。この問題の背後で「本当に傷ついてきた人は誰なのか」をイメージすることが大切だと思う。 今回の展覧会中止の圧力裏側にはいろいろな思惑がみえてくる。まさに自由が束縛された過去の事象が問題になっている作品の展覧会だったと思う。
ここにリンクされている記事はとてもわかりやすいので、必読。これもまた表現。圧力もまた表現。
※写真はこれまで撤去されたり、圧力をうけたり、非難されたり、リベンジしたりした僕の懐かしい作品 関係の方々、色々ご迷惑をおかけしました。
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