WishとDreamの違いのモヤモヤ
2010年 01月 02日
しかし、通常、その両者の違いをあまり認識せずに使われることが多いのでモヤモヤしてしまう。
例えば、夢を遠い将来のビジョンのようなものだとすると、意志は近い将来に対するベクトルのようなものなのではないか。
ベクトルとは方向性とその強さ。
ベクトルの先の将来のビジョンの類はぼかして見えない場合が多く、とにかく、今現在の地点での意志のありようが問題であり、それがとても大切だと思っている。
むしろ、将来どうなるかがわからないので興味深く、意味が深いことだと思っているが・・・、一般的には将来のビジョン・・・具体的な姿を思い描くことが大切だとされている。その常識が僕をモヤモヤさせる。
特に若者相手に「夢を持て! 夢はなんだ?」と自信満々に問いかける大人・・・。
「将来のことなんかわかるわけがない!」とひねくれてきた僕には意味不明の問いかけだった記憶がある。
遠い将来に目標を持ち、そこに向かうために盲目になることよりも、その次の瞬間にどのように動こうとするのかの意志と行動力、瞬発力、無意識に動いてしまう感性が大切なのではないかと感じてきた。
もちろん、一向に夢見て構わないし、夢やビジョンを持つことで何かが加速することは確かだが、ビジョンに囚われ、だまされ、大切なことを見失ってしまう場合がある・・・というのも事実・・・。
見えないものに向かう勇気を魅力的だと思ってしまうし、その先へ向かう強い意志の連続が結果の連続を連鎖させる現実のほうが興味深いので仕方ない。
無限に広がる未知の可能性に向かうことが可能だとすれば、つねに感覚を閉じずに現状と対話しながら、手探りで・・・見えない次の一歩を踏み出す意志こそが大切なのだと思う。
そのとき、遠い将来のDreamとかビジョンに類する夢が常識という壁になって阻害する場合もある。
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確実にいえることは・・・1年後の世界ですら誰も正確に予想することはできないのに、10年後の自分なんて予想することなんかできるわけがないということと・・・、明日の行動の連鎖が確実に一年後の周辺の状況を変化させているということ。
・・・とにかく・・・一年がまたはじまる。
僕の今年の意志は・・・実は弱く、か細く・・・揺らいでいる。
・・・そんな年があってもいいんじゃない?