豊田文化フォーラムでのワークショップとディスカッション
2009年 03月 15日
そこが年に4回企画している活動のひとつが今回の「春の文化塾」
ちなみに1980年に日本文化デザイン会議(現在は日本文化デザインフォーラム)というものが建築家の黒川紀章や、僕が学生時代にお世話になった梅原猛さんらによって発足し(梅原さんって豊田自動車と縁が深かったとは・・・びっくり)、毎年どこかの都市で大型のデザイン会議を行っている。
僕はたまたま2年前の神戸での会議で参加したことがきっかけとなり、なぜだか会員になってしまった。
全国各地で文化デザインフォーラムは開催されていることは知っているが、その後しっかりと地域活動の仕組みとして(活動団体として)残りつつ、しかもずっと活発な活動が続いている地域があるとは知らなかった。
そのように地元で活発な活動を続けている市民団体が今回テーマにしたのが地元の美術館、豊田市美術館がもっと街に対して開くイメージを模索するための今回のフォーラム。
豊田市美術館というと、個人的には東京の都市計画事務所に勤めている当時、すっかりはまってしまった葛西臨海水族園や猪熊弦一郎現代美術館を作った谷口吉生の建築空間。
できた当時は何度か足を運んで随分とマニアックにこの美術館空間を満喫させてもらったところ。
猪熊弦一郎現代美術館に展示されている作品は相当印象深く、いつも作品に感嘆してきた記憶があるが、実はこの豊田市美術館の場合、建築空間の美しさの印象が強くて、作品のイメージがほとんどなかった。
その美術館、どうやら市民にとってはあまりオープンな雰囲気ではないらしい。
僕自身は美術館についていろいろな意見を持っているので、いろいろとぶつけてみたかったが、実はそんな時間はまったくなかった。
一言で言うと・・・美術館システムはもっと開放系のOSを目指すことを第一として・・・研究機関としての美術館はもっと他の機関と連携体制をとりつつ専門的になるべきだと思っている。収蔵庫はデータ保存も含めて地盤の安定した地下に埋蔵すべきだが、展示室は街のいろいろな施設と連携して拡散すべき。学芸員はいろいろな専門性を持ち、それぞれ得意な分野でディレクションすべきだが企画自体やプログラム開発、教育普及や展覧会企画も含めて外部のキュレイターやエディター、NPOや企業、大学と連携して行うべきだと思っている。
場としての美術館は・・・僕の大好きな京都のお寺のように・・・超日常に連れて行ってくれる日常に隣接した精神的なところであってほしい。
・・・どうも地域とアートとか美術館との繋がりについて語りだすと、ついつい力が入ってしまう・・・。
そういえば、数ヶ月前にもブログでなんだかぐちぐちと語ったことがあるなー・・・。
僕自身がこの30年蓄積したいろいろなイメージが・・・どうやらまだまだ地域社会のシステムとの常識との間にはズレがあり、・・昔はもっと大きなズレだったのだろうけれども、最近はまだましにはなってきたので、最近話す機会も増えてきたのだと思うが・・・それでもまだまだギャップは大きい。
一度、とことんだれかにぶつけてみたい。
やっぱりこういう話は合宿でやらないとなかなか語りきれませんね。
次の世代の美術館・・・早く出てこないかな・・・。
それにしても、豊田の皆さん、勝手な発言をして申し訳ございませんでした。
写真はシンポジウムの会場で行われた平野あかねさんとフ透明少年らによるパフォーマンス。最後は僕らも、くもの巣に取り込まれてしまいました。