百手祭(ももてまつり) 江戸時代から伝わる奇祭
2009年 01月 25日
その理由によるのか、全国各地の百手祭というのは大筋が弓矢で的を射て、五穀豊穣を願うというものらしい。
ところが僕が暮らす、福岡県糸島郡二丈町深江の淀川地区に伝わる百手祭は、なぜそれが的射の儀式のあとに、大飯食いで楽しむ祭事に変化したのか。
そのあたりのズレがとても興味深い。
いろいろな風習が何らかの形に伝播するときに、その場の状況や人に合わせて変化してゆく。
もちろん時代的背景によって大きく左右される。
そもそもの祭りの意味や意義にも興味があるが、何らかの意図から発生したものが伝わってゆく段階で予期せぬ方向にズレながら新しい出来事が生まれたりする。
そのズレ具合に興味がある。
あるモノゴトが、地域というメディア・・・場と人との関係性によって伝えられてゆくときに、複雑な理由によって少しずつ、たまには大きく、さらにズレる。
それが面白い方向性にズレると、とてもいい。
しかし、そうでない場合も多くある。
この地域には1850年代ぐらいから書き綴られている大福帳のようなものが残っていて、今も同じものに参加者名簿などを書き加えながらも、多くの手法を伝える重要な資料となっている。
その記録以前・・・つまり1850年代以前についてどうだったかは不明だが、それ以降はだいたい同じ食材で同じ手法でとりおこなわれてきた様子。
その準備当番を去年の百手祭の最後にくじ引きで決めた結果、2年連続その当番に大当たり。
というわけで、準備などのために東京出張から福岡の地元に戻ってきて祭祀のお手伝い。
的をつくったり、弓矢をつくったり・・・本当はセリを採り、川で泥を落とさなければならないが、なんと今日が大雪という天気予報だったので、昨日のうちに大変な大作業が終わっていた。
他の当番のみなさん。申し訳ございません。
百手祭りの詳しいことは2005年のブログを見てもらうとして・・・
この祭事、昔はもっと若い元気な人たちが中心で、さぞ盛り上がったんだろうなと思う。
この地区にある22軒ほどの世帯主の男性が行う祭事。
「一度でいいからご飯を腹いっぱい食べてみたい・・・」という単純明快でごく自然な欲求は、よく考えてみると、ありえない。
ある種のタブーだったのかもしれない。
今のような食べ放題のレストランが巷にあったわけでもなく、飽食の時代であったわけでもないところで発生したことに意味がある。
普通の感覚で「もう食べれなくなるまで食べてみたい」という一見つまらないような欲求を神事にしてしまうことで、ある意味、地域力をたちあげ、人々を繋ぐ場として正当化され、日常を超える場になりえているところが凄い。
しかし、・・・ああ、もう食えん。