鹿児島の伝統行事「曽我ドンの傘焼き」で傘飾りと灯明と・・・
2008年 07月 19日
武岡台高校、松陽高校、中央高校、の美術部、文芸部等の高校生や特別支援学校丘の家族、地域愛護会の家族、そのほか一般の有志があつまってそれぞれが思い思いに飾りをつくる。
本当はもっとサンタフェのときのようにしっかり地域全域に参加者を呼びかけてチームをつくり、社会人チームとか企業チームとかも自由に参加して、武之橋あたりから高見橋あたりまで一帯で思い思いの場所で行いたいとこと。
結局、どれだけ呼びかけるのかというところに重点をおけるかどうかがポイント。見せかけだけの市民参加ではだめだし、このような場との関わり、人との関わり、伝統行事との関わりを必要としている人、若者、子どもにつなげられるのかどうかが重要だし、一番エネルギーを費やさなければならないところ。
去年も話には出ていたが、カフェとか屋台とか市民が自由に出店したり、フリーマーケットとか、ライブとか・・・もっと広域で川沿いを楽しめるものに展開できそうなのに、今年もそこはまったく実験なし・・・。もったいない。
問題は事務局体制。シクミのつくりかた。今の様子ではどうも消極的な事務局のようで、灯籠の数を減らそうとしたり、竹材や傘などの材料をふんだんに用意しようとしなかったり・・・やる気が見えない。
ひととおり、無難にこなそうとする染み付いた体質なのかな?
まあ、それはそれで仕方ない。とにかく積極的に活動を作って行こうとするエンジンのような存在がないと面白くはならないなー。このままだと僕の役割はもうおしまいかな。
しかし、なぜ川沿いで演奏を行うのにステージを組むのだろうか?
川沿いの環境を活かした中のフラットなところで思い思いに演奏を行いたいパフォーマーがおこなえばいいのに。大型のPAなしで。
だってせっかくの和傘と灯明の情緒が台無し。音大きすぎてうるさいし、雰囲気悪いし、いかにもイベント屋のイベントぽくてちゃっちいし。市民の手作り感を壊しているし・・・。
しかし、演奏は相当よかった。おもわず一番前で生音を聞こうとかぶりついてしまいました。
そうか。この舞台づくり、大型PA持込み大音量体質も活性化被災現象なのかな。地域活動を行うとついついがちゃがちゃとにぎやかにしなければならないような気がoする蔓延した常識・・・。
甲突川を場とした鹿児島という地域の豊醸化への試み・・・とか・・・。
まだまだ違和感や問題は山積み。だから地域実験が必要なんですよね。
明日20日の夜が傘焼き本番。