つくろうとせず、つかうこと。そこからはじめるのはどうだろう。
2007年 11月 16日
つかうこと。つかうことの延長につくることがある。
最近その話をよくする。
別の言い方をすれば、つくるまえにつかうこと。
つかっていると自然とできてくるモノゴトがある。シクミがある。
過剰につかうことで、過剰なものができる。感動的に過剰なものが、次のつかうことの連鎖を生み出す。
過剰につかうことの連鎖の総体。
それをさすのかな・・・。例えば、音楽ホールが存在するということの理由。
えずこホールの次の展開を考えるきっかけのおかげで、美術館とかアートセンターの存在の意味をあらためて考えることができた。
施設が重要なのではなく、施設を運営することが重要なのではなく…もっとずーっと以前のその先の問題までさかのぼるとする。
すると…
人がちゃんと感覚と体と心とその延長にある道具と周辺との関係とさらにそれらのある環境と…それらをしっかりとつかうこと。
そのためにある。
…とすれば、何をすべきか。とりあえず、地域の中にある絶滅の危機に瀕した環境をつかうという案が出てきた。
それもまた音楽ホールの重要なミッション。
今日はその町内の古い屋敷が並ぶ通りを駆け足で歩いてみる。確かにモチベーションが高まりそうな蔵がたくさん存在する通り。
無機質で効率的な30年寿命の味気ないアパートに混在して存在する。
30年後にこのアパートが建て替えられるとき、もしもこの蔵群が現在の人の意思によって使われ残されていたら…
きっと面白い風景に変化してゆくにちがいないと思う。
その風景はだれがどのように使ったか。その結果によって決定される。
さて、えずこホール、どうなるか。乞うご期待。
◎この写真は宮城県大河原町をぬける奥州街道だった通り沿い100m程度のスナップ。
