青森の空間実験室でのワークショップで青森をまわる。
2007年 09月 03日
もうかれこれ15年ほど前から僕の中にあった違和感。
いろいろなところで話しをしつつ、いろいろな関係の中で熟成されつつある考え方・・・。
つまり、美術作品と街と美術館と・・・それに関わる様々なNPOと・・
あるいは何かを作り出そうともがいている作家との関係について・・・。
そんな僕にとってのモヤモヤを青森で活動しているアート系NPOの関係者にぶつけてみる機会をもらった。
それが今回の「モヤモヤガッピョーン!」
つまりイメージを立ち上げる前の段階のモヤモヤの状態がなんらかの形に表現されて立ち上がるということ。
イメージが、じわーっと立ち上がった瞬間からモヤモヤを超えた別の事柄(ズレたことがら)、ガッピョーンがはじまってしまうのではないかということ。
今回のワークショップは基本的には架空の企画会議のワークショップだったが、予想通りの時間切れ。
ちょっと話しすぎたかな。
なかなか難しいですね。
この話しの中でもふれているが、作家には旬があり、作品には賞味期限があるということ。
作家は生ものなので街に絡めるには料理人が必要という話し。
写真は青森にできた青森県立美術館。
実は建築物にも賞味期限がある。
美術館に行く途中見かけた2010年に開通予定の新幹線の工事。
建築物も実はせいぜい2世代年(66年)もすれば取り壊しやリニューアルを迫られる。
で、今いろいろなところで1960年代に作られた建築作品が取り壊しの危機に。←必見!
それを考えると建築物の賞味期限も1世代年(33年)
2世代年(66年)前は蒸気機関車が最盛期。
街にもそれぞれ旬があり、賞味期限がある。
季節ごとに更新されたほうがいい風景のところもあれば、2世代年(66年)変わらないほうがいいところもあれば1000年変わらないほうがいいところもある。
3世代年(99年)がひとりの人間が見ることのできる最大限の期限。
70年代あんなに新鮮だった笑顔もいまでは・・・
本来、街にはもっとも旬で、生な活動が組み込まれて磨かれるべきだと思っている。
その生な活動を組み込む料理人が必要で・・・
問題は美味しいかどうか。
食には好みがあったりアレルギーがあったり様々だが、美術作品やあらゆる表現もおなじ。
人々の日常の活動の中で作家の表現は嫌われたり、好まれたり・・・、洗練され、磨かれ、時代の流れを作り出し、生き残ったものがその記録ととともに美術館という仕組みによって次世代へと伝えられる・・・。
ところが実際はどうなのか・・。
街には一世代も2世代も前の価値観が放置され・・・、それはそれで面白いのであるが・・・逆に美術館という名前のショールームには、今流行の作品がパーマネントコレクションとして組み込まれながらも・・みるからに観光産業とリンクして・・・、何年を賞味期限として計画されたのがあぶなげな様子。・・・それはそれで面白いのであるが・・・。
なんせ街にいい料理人が少ない。
美術という冠を覆ったあきらかに余計な・・・今とも歴史ともリンクしていないモノが・・・街の風景のダイナミックな変化を阻害したり・・・
逆に大切にしたい変わらない風景であるべき場所が、どうでもいいような今しか流行らないような陳腐なデザインに塗り替えられたり。
それにしても生鮮食品を扱うマーケットは素晴らしい。
おそらく数世代も変わらない方法で加工される料理がそこにある。
ここは休憩所を利用して、購入したものをその場で食べることができる市場。
それが青森の駅前にあるというのが素晴らしい。
提供する側と受け入れる側の信頼関係。
まやかしのない信頼と誇りがそこにはある。
そのような信頼できる場が生活のなかにあふれているという豊かさ。
逆に虚飾で構築されたみせかけの場は本当に必要ない。
なんだか、騙してやろうといわんばかりの見せ掛けの豊かさ。
それはさておいても、問題はおいしいかどうかということ。
その美味しさは誰と味わうかによって変わるということ。
見せかけの美味しさはもうあきあきで・・・
長年の熟成でつくられたものであれ、新鮮なものであれ・・・
とにかく素材をどのように活かすかが問題だし、
それをだれがどのように、誰と食べるのかが問題。
どんなことをしみじみと考えつつ・・・
日本全国をまわりはじめた18歳の頃から数えて・・・かれこれ一世代年近く経ってしまって・・・
街の風景の変化にも時間軸をもって見る視点ができたのだなと・・・
自分自身はなかなか変化できずに苦労しているというのに・・・