諫早のめがね橋
2007年 05月 26日
当時、その水害がきっかけとなり鹿児島県が鹿児島市の中心を流れる甲突川の改修工事を決定し、当時その川に江戸時代から架かっていた5つの石橋が撤去されることになった。それに対してどこからともなく反対運動が始まり・・・、僕が生まれ育ったのがその石橋周辺だったこともあり、僕の人生も大きく変わった。
で、当時、多くのことをこの長崎県の諫早市にある石橋の保存活動をした人たちから教えてもらった。諫早のこの石橋は50年近く前に当時の大水害の原因とされ、爆破解体されようとしたところを市民運動によって保存、移設されたもの。
当時その移設運動に関わった人に何度も鹿児島まで足を運んでもらい、諫早の石橋の保存運動について講義をしてもらったりした。(この2枚のモノクロ写真は眼鏡橋の横に立っていた看板にあった写真を撮影したものです。)
当時は僕も必死で、何ができるのか、どうやれば保存できるのかについてそれなりに真剣に悩みつつ活動したものの・・・、結果、自分の無力を思い知った。
・・・で、結局手元に残ったのは姉が文章を書いて僕が絵を描いた絵本「たけのはし」だけ・・・。
石橋はすべて解体され、戦いは終わり、僕も鹿児島を離れる決心をしたのが1996年。
この石橋の解体がなければ、おそらく僕は鹿児島を離れなかったと思う。
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それ以降諫早には一度も足を踏み入れたことがなかったが、ひょんなことから諫早の石橋と干拓の現場を目にすることができた。
人の意思を束ねることで街の風景が変わる。どのような思惑でどのように束ねるかが問題だ。
風景をつくるということは実はどういう意思を持つかということなのに・・・。
で、その石橋があった横の川に人が渡れるようになっている飛び石が整備されていた。なんだかとてもいい。
橋で川を渡るのではなく、飛び石でわたるように整備された川の表情は、とても大切なことのような気がした。
