雑草と改装と狩野哲郎
2006年 09月 28日
納屋の一部が雨漏りがしていて、天井や畳など、腐っているところがあるからということで、家賃3万5千円で借りて暮らすことになった築100年は越える農家。
その後幾度かの台風でかなり屋根がいじめられて、雨漏りというレベルではなく、雨が大量に流れ込んできて、きのこが生えてきたので、崩れかけた天井や屋根や壁や床の一部を剥ぎ取った状態で、さらに廃材にまみれて1年以上が過ぎていた。
もともと土壁の古い納屋の一部だが、昭和の20年代と40年代と60年代に改装した痕跡もある。
時間の隙間があればこの空間をおもしろい空間に仕上げて遊べるところにしようと考えていた。
しかし、なかなかタイミングがつかめずに、そのまま大量の廃材とともに放置されていたところ。
そんなときに東京からアルティアムでの展覧会の為に東京から来てくれた、作家の狩野哲郎君が数日間家に滞在し、手伝ってくれることになった。
彼は雑草を扱う作家。2年前に取手のアートプロジェクトで部屋の中の和室の畳に雑草を植えて注射器で丁寧に水を与えていた。
以前から雑草は気になっていて・・・というか家の庭も家も雑草だらけだが、雑草を雑草だからといって排除することに抵抗は感じていた。
「雑草とそうでない植物との違いは何だ?」
雑草はある状況とある関係においては・・・とまり人間の生活環境・・・都市や地域の清掃整備との関係において・・・雑草であるが、雑草にもすべて名称があり、人間以外の主体の視線で見ると役割があるのだと思うとなかなか排除できない。
以前行っていたplants!というミーティングテーブルで雑草の話題になり、都市空間にいろいろな種をプラントしてゆく仕事のアイデアを話し合ったことがあったが、その後狩野君の取手での仕事に出会ったので、とても共感した記憶がある。
で、雑草まみれの家の改装を狩野君と相談しながら行ってみる。
共通の価値観や空間の捉え方を仕事を通して垣間見てなかなか楽しいひととき。
僕と狩野君との関係においては雑草はすでに雑草ではなく植物であり作品でもある。
家にまとわりつく植物が家を崩壊させるとすれば、崩壊してゆく家をプログラムしながらそこで暮らすという選択もとても重要な価値観であるということを深く感じる。
雨が降り通り抜ける建築。
雨どいが家の中を走る建築。
ということで1年と半年ぶりに地震後崩れた倉庫が吹き抜けの面白い空間になりました。
2日の仕事なのでたいしたものではありませんが・・・。
完成した空間についてはまたいづれ紹介しましょ。