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40年モノのスキンをつい愛でる癖・・・。

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あまりにも日常生活の風景の一部に溶け込んでしまっていて、最近はその存在すらも忘れがちだけれど、よそからの客が来たときなどにさりげなく連れて行き、場合によってはついつい「鑑賞」の対象となってしまっていた40年モノの看板。 この元看板、作品といわれるべきものではないとわかっていながらも、ついつい日本画や西洋画等のいわゆる美術作品よりも深く、鑑賞する癖がついていて仕方ない。
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 その質感、色合い、それらの描かれた時代背景や素材、その手描き文字の手の運びから見て取れる作者の技術度、もしくはそれを以前の看板を塗り替えて描くように指示したクライアントの性格などなど・・・、と、人が作品を描こうとしただけでは決して描けない、時間の年輪のようなものと、海風と日光によってしかたち現れることのない質感について・・・。  へたすれば、その看板が活きた時代の価値観に思いをめぐらし、自分が生まれてきてから体験してきた風景や心情までも重ね合わせたりしてひとしきりシミジミしてしまってきりがない。


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さらにそれぞれの時代の価値観が何によって仕組まれ、作られてきたのか云々・・・。 
この癖のようなものは京都の芸術大学の時代に嵯峨野や太秦あたりを後輩の小山田君と歩くうちに身についたものなのかな…。当時、目にするかなり多くのものを2人で愛でながら歩いていた記憶がある。 同じアパートに暮らし、同じ劇団で同じクラブ活動を行い、おなじ銭湯通いつつ…。

で、夜毎に飲みながらつまらない妄想の話しをしていたような気がする。

もしかするとそれが街への興味に繋がっていたのかもしれないな。僕らの場合日本画という絵画から美術の世界へ入ったので、そのテクスチャとかマチエールとかの質感のつくりかたの技法に興味を持っていた時代だったと思う。
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あるとき、ふと、自分ではなかなか描けない質感が街にはあふれていることに気づく。
そして、それらの質感を作品の中に取り入れようとする努力をあきらめて、街のその独特の質感の中に自分の活動重ねることを思いついたのかもしれない・・・。今となってはなにが 事実かはわからないが…

そういえば、泊という後輩は家に来るたびに街の気になるモノを拾って持ってきて、僕の部屋に置いて帰っていたような記憶がー。

そうそう。小山田を通してその後の京都芸大の後輩にはこの街の質感を愛でる感覚がかなり色濃く伝播しているように思うことがしばしばある。これはもしかすると京都の街がかもし出す空気感なのかな…。
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それはさておき、このスキン、スキンとストラクチャの話では、むしろスキンを愛でる対象物として残しながら、海の家というストラクチャをちゃんと再構成することが重要だと思うのだが、どうしても手軽に変化が見えるスキンに手を入れてしまう。

まあ、それは仕方ないとして、今日散歩してみるとついに一番上で紹介した40年モノの看板「海のレジャーハウス見晴荘」はすでに撤去されていた。

新しいスキンのkjayatに乞うご期待! オープンは7月2日!
by fuji-studio | 2006-06-10 23:58 | 福岡・筑前深江での活動