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五島列島の奈留島という可能性

初めての五島列島。そもそも九州の中でも、これまでずっと一番縁がなかったのが長崎県かもしれない。鹿児島や福岡はもちろん、宮崎、熊本、佐賀、大分とは、これまでさまざまな現場で関わってきたが、長崎にはほとんど深く関わる機会がなかった。父親が戦争が始まるまで働いていたのが長崎の造船所?鉄工所?だと聞いたことあるというのに・・・


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いや、違うな。縁がなかったわけではない。いくつもの縁はありながら、個人的な用事がなかったので、遊びに行く程度で終わってしまい、結果として深く関わることがなかった。

深江の自宅を作ってくれたのも五島の人だし、3,11を横浜の寿町で一緒に被災し、飲み屋で福島第一の爆発を見ていたのも五島の人だった。去年の大学院の担当学生も五島で小学校時代を過ごしていたというし、今の大学院生にも大学時代に五島をフィールドに作品制作していたと聞いた。そして最近秋田から立て続けに五島に関わる人が続出・・・五島、どうした!

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長崎県といえば島のイメージが強い。いったいどれくらいの島があるのだろうとAIに聞いてみると、1479と返ってきた。本当かいな、と思ってしまう数だ。鹿児島が605、沖縄が691ということなので、南西諸島をはるかに超えてダントツの数になる。これは国土地理院が、海岸線100メートル以上を持つものを島と定義した数だという。


どうでもいい話だが、秋田県は男鹿半島の先に、ちょこっと無人島が2つあるだけらしい。

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島という言葉を聞くと、血が騒ぐ。遺伝子が黙っていない。そうだった。僕は島で活動をつくりたかったのだ。

そもそも、活動をつくりたいのであって、何か「もの」をつくりたいわけではない。


いや、正確に言えば、何かをつくっている時間が好きなのだ。ずっと何かをつくっていたい。夢中になって何かをつくっている時間は、病気のことを忘れさせてくれたし、息苦しさを和らげてくれた。だからものをつくるようになり、進学という進路を選択するタイミングで美術に出会った。


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とはいえ、必ずしも美術を信頼してきたわけではない。その周囲にある落とし穴も、いくつも体験してきた。ただ、自分自身が夢中になれる時間をつくるために、そんなことが許される場所を探してきたのだと思う。


可能性がありそうな場所に深く関わり、試行錯誤を繰り返してきた。好きだからつくるのではなく、好きなものに向き合うだけでもなく、無視できないこと、感性が動いてしまうところ、素材、技術、人、空間、環境、そして時間に向き合おうとしてきた。

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そうした中で、アートプロジェクトという方法がかたちづくられてきた。そして、その現場に数多く関わることになった。・・・で、忘れていた。そうだった。島だった。

島には、現在抱えている問題のさまざまな縮図がある。辺境にあるがゆえに都市部から見えにくく、時代の流れの歪みや澱のようなものがこびりついている面もある。そしてそれがその地域に長く放置されていたりする。一見、優しくのどかで何もないようにみえながら、目を凝らすと無視することができない多くの因子が見えてくる。つまり、活動をつくるための、表現するための動機となるモチーフや素材が、数多く存在している場所なのだと思う。

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もちろん、それを僕一人の感性で拾い上げることなど到底できないし、向き合う時間もない。だからこそ、何か大切な活動と向き合いたいと思う人たちとの関わりを、できるだけ多くつくることができればいい。


こうした現場に行くたびに、知らないことだらけだと痛感する。なぜ今まで知らなかったのだろう、と反省する。情報としては、どこかで聞いたり目にしたりしていたのかもしれないが、僕の場合、それだけではまったく身体に浸透してこない。

その場所に行き、誰かに出会うことで、ぐっと身体や気持ちが開き、知らなかった自分に気づく。さらに、少し関わり、何らかの活動を行うことで、掘り下げることができるのではないかと思ってしまう。

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いや、違うな。深めてゆくことを得意とはしていない。むしろ、ずらしたり勘違いしたりすることの方が得意だったんだ。白と黒の間に広がる虹色の無限の色を紡ぎ出すような作業。

美術というフレームを拡張し、さまざまな現場に潜在する人や素材、空間、時間の質に関わりながら学んでいく中で、自分自身もつくり変えて行くアートプロジェクトというあり方に出会った。その方法を動かすために、マネジメントの現場を体験し、学び、模索し、拠点の必要性を感じ、人材育成や文化創造の仕組みに関心を持つようになった。


その結果、アートセンターや美術館、公共文化ホール、美術大学などにも、かなり深く関わり、今、それをネットワークしたり、リンクしたり、横断したりするという方法を探そうとしている。

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でも実は、本当は単純に、自分自身でつくっていたかっただけだったかも・・・。とはいえ、地域に一緒につくる人がいないと孤立するし、寂しい。


何よりも、ある程度の価値観を共有できる人と試行錯誤を重ねる時間を過ごすことが、いちばん嬉しい。お酒も美味しいし、食べものも美味しい。よく眠れる。飲み過ぎはつらいけれど。

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ただ、大きな目的や目標を持つような活動や、コンセプトや意義を問われるような活動は避けてきた。
何ができるかわからない状態からつくり出す方が面白いし、むしろ思いもよらない意外な結果になることの方が魅力的だと思っている。だから可能な限りそのような作り方を試みてきた。


でもどうしても「イメージを描いてくれ」と頼まれるし、それをしないと予算化できないと迷惑がられる。だからそんなところに関わることが難しかった。

今回も、テーマや方法を決めずに、いろいろ巡りながら、とにかく滞在して向き合う時間を用意してもらうのがよいと思った。考える隙間、余地、つくる機会の共有、実践、未知への探究のための機会が提供されるところ。


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幸い、空き家はたくさんありそうだ。安く貸してもらえる家もあれば、自分たちで整備しながら暮らし、働き、活動をつくっていける状況も考えられる。

全国から、何かをつくりたいと思っている、情熱や技術、体力、柔軟性を持った学生や、行き場がなく時間の使い方がわからない若者が、この地域の力になる機会をつくることができればいいと思う。


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アートプロジェクトや芸術祭という方法は、結果として観客や観光客とつながることも多く、その結果ばかりが注目されがちだ。


「つくるプロセス」の中で出会い、発見し、共有し、変容していくことの大切さが、省略されてしまう現場もあるらしい。悲しい。

つくる人、うみだす人を育てる環境をつくろうとしているのに、結果として残ってしまうものは、見えてしまうのは観客や鑑賞者、つまり食べる人、消費する人だけ、という状況もある。

もちろん、関心や興味を持ってもらわなければ続けて行ったり、展開したりできないし、何かを生み出す意味などないと言われかねないが、あくまでも消費されて終わってしまうことだけが目的だったなんてことはないはず。


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未知の世界に出会い、そこに関わった結果、その向こう側にさらなる未知の世界が立ち上がり、さらに次の未知の世界へとつながっていく。そんなことができる現場になればいいと思う。

今回は「ツアー」のあり方に焦点を当てた方法を模索しているということだった。消費するだけのツアーではなく、これからの人生で深く関わり、つくることやつくる時間を共有し、共に未知の世界に向き合い、未知の世界をつくり出していくためのツアー。その実践ができる島であって欲しい。島は信頼されるところであって欲しい。

ところで、奈留島を出るときに初めて気づいたのだが、船着場に逆光でとても読みにくいパネルが掲示されていた。裏側のイーゼルのシルエットが目立っていて、その読みづらさが面白く、近づいて見てみると、そこには潮力発電の実証実験について書かれていた。


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義理の父は、太陽光発電の実用化に生涯を捧げた研究者で、かつて「プロジェクトX」でも取り上げられた人物。その功績は大きいが、現在のメガソーラーのような環境破壊が問題になることまでは、当時想像していなかったと思う。その影響もあり、自然エネルギーのあり方や利用方法、発電効率、発電設備の廃棄や再利用、そのすべてのコストについても、以前から強い関心を持ってきた。

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潮力発電については、安定性や発電効率の高さ、そして何より設備が100%リサイクル可能な素材でできている点に注目していた。まさか奈留島で、すでに実証・実用段階に入っているとは思ってもみなかった。発電の最先端の島だったのだ。

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東北に暮らしていると、電気料金の高さが気になる。それに加えて、発電施設の廃棄コストやリサイクルの問題、さらには原子力発電における核燃料廃棄物の再利用について、いまだ処理の見通しすら立っていないという現実を、見ないようにしなければならないというモヤモヤに向き合うことが多い。このコストは誰にどこで支払ってもらうつもりなのだろう・・・というモヤモヤ。

そんな中で、小さな高低差や傾斜地、水の流れを使った小水力発電や、バイオマス発電、地熱発電とともに、この潮力発電のあり方をもっと知りたいと思っていた。

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奈留島は、世界遺産となった隠れキリシタンの集落跡で注目されているが、それだけではない。歴史的にも、地形的・地理的にも、特殊な歴史と物語を持ち、生態系のあり方にも絶対的な可能性がある。一方で、人口減少や高齢化、森林の保全、土木による地域整備のあり方、魚が少なくなった魚礁、猪被害、廃船や廃墟など、無視できない社会問題・・・つまり取り組まなければならない問題も多く抱えている。若き研究者はこのようなところをフィールに頑張ってほしい。

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そうした問題に向き合い、新しい発想とアイデアによって、唯一無二の圧倒的な魅力を持つ地域へと変わっていく可能性がある。そしてその可能性をつくる場所に、僕自身もこれから深く関わりたいと強く願っている。


そういえば、奈留島には砂浜がなかった。海岸、海水浴場も丸い玉石でそこに打ち寄せる波の音が「パチパチ」とはじける音がすることを初めて知った。そういえば、故郷の奄美大島も瀬戸内の豊島も海岸近くの家の周りは丸い石を積み上げた石垣でできていて、この島も丸い石の石垣や段々畑の囲いが美しく残っている。畑も家もすでに少なく荒れた状態になっているのだけれど・・・

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石を海岸から拾ってきて、坂道を運び、強風と豪雨から守るために積み上げる。その基本的な行為がとても重要だったことを忘れてしまっていた。こんなに大切なことだというのに。そして斜面に積まれた石垣を見て、そこで積み上げる人の姿を思い描き心揺さぶられる。

秋田で学んだアーツ&ルーツという表現行為を模索する視座や、全国各地のアートプロジェクトの現場のマネジメントチーム、そして全国の美術大学や研究室とのネットワークで、このような多くの可能性に開かれた現場を繋いで行く仕組みが作れればいいなと思う。

さて、どう動こうか。
まずは
の奈留島での復活でしょうかね。


by fuji-studio | 2026-01-01 15:29 | ・その他、様々な地域での活動