FBに当時掲載した記事を転載してみる・京都歴史博物館で行った個展「龍の存在を無視できない」を展示したときの記述・・・・・・・・

僕が活動を始めた当時、ドキュメントを作ってその活動を位置付けるということが作家の活動としては重要だと言われていた。フイルムを使った写真によるドキュメントが重要だった時代の60年代、70年代を経由して、80年代、その記録の写真やテキストのドキュメントは表現者の活動を定着させる意味で大きかったと思う。しかし、そこに関心を持てなかった。なせか、自覚が無かったからだ。「作品を作っているという自覚」が欠落していた。そしてその活動の意味を早急に言語化して固定してしまうことに抵抗があった。もっと曖昧でいいのではないか?
日常の感覚の延長で、人が無視してしまうような感情の延長に、無意識が滲み出てくるような未熟な表現手法に関心があり、作品を完成させることへの興味が欠落していてのだと思う。逆かもしれない。大島紬や仏像という高い完成度が前提の作品への興味から自分がそんなもの作れるとは思ってもいなかった。
しかし、なんらかのまだみたみたことのないような表現を立ち上げることへの関心は深かったし、そこで醸成されてゆくさまざまな関係の連鎖に興味を持ったが、それが美術に関するステークホルダーにいかに接続するかということへの関心が薄かったので(無かったわけではないと思うが・・・)記録写真をほとんどスナップ程度にしか撮っていなかったのだ。それは現在も続いている。
企画者側に予算があるときはちゃんと写真の記録を取ってもらっているけど、自分で自由に使えないので、結局、自分が撮ったスナップしか記録で残っていない。ブレブレで、水平も保っていなくて、余計な人やなんだか関係のない風景が写っていたりして、写真としての完成度なんて全くないスナップ記録画像。
今回、過去の龍にまつわるプロジェクトに注目して、それをどうにかしようとペイントして、再編集してみたりしてみた。実はこの手法、つまり、ドキュメントの写真を利用してイメージとして、再編集して定着させようと試み、2008年のサイトサンタフェビエンナーレの出品作品から地味に試みている。
https://geco.exblog.jp/i35/
今回、「龍を無視できない」という理由を作って、それなりの時間、イメージで遊びながら描画の時間に没頭できた。それぞれの現場で様々な関係する方々と一緒に作業に没頭する時間もこの上なく貴重で嬉しい空間と時間だけど、そこでできた結果の空間を思い出しながら、一枚の画像として筆を動かしながら描写してゆく時間もまた楽しい。そこが連動する現場をもっと作って行きたいなと、新しい現場への期待が高まる。
そうそう。龍だけじゃない。もっと無視できないことってたくさんあるんです。それにちゃんと、どれだけ切実に向き合えるか・・・。
最後に会場で流していた映像も掲載できないかな。
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