十和田市現代美術館での企画展に出品しています。9月の初め、夏休みの終わりまで行うというロングランの展示なので、よければ見に行ってください。
十和田市現代美術館との縁は深い。2003年にかえっこを全国展開しようとしている時期に美術館の計画が始まる前の段階で、十和田でのアートを生かした活動についてのアンケート調査を行うために十和田市に入った。雪の多い真冬で福岡からの飛行機が半日ぐらい遅れて三沢空港に入れず、青森空港に到着し、夜中にタクシーで十和田市まで走った記憶がある。次の日、もうなくなってしまったが十和田市の中心にあった十和田中央公民館でかえっこを開催し、多くの子ども連れの家族が集まった。
その時のアンケート調査からアートセンターを作る計画がはじまり、その5年後に十和田市現代美術館が開館した。開館した当初は遠く福岡からマイケルリンとかチェジョンファの十和田での活躍を風の便りに聞いていたが、まさかそこに管理者として常勤することになるとは思ってもみなかった。そして2012年の3月末に十和田に引っ越して2年間常勤の副館長として。そして2014年から2年間は非常勤の館長として十和田市現代美術館を通して青森県の十和田という地域でアートの実践を様々な形で模索させていただいた。
これは別に目指してたわけでもなく、あくまでも結果としてのことだが、実は大学時代からまちなかでの活動を模索してきた。それは僕にとっては自然の流れだったと思う。演劇から空間へのアプローチの面白さを知り、空間からまちへの関わりへと興味が広がり、そこで暮らす人との関係へ興味が連鎖した。そもそも十和田市現代美術館の活動はざっくりいうと「地域とアート」がテーマとなっている。それはその成立の仕方からそうなのだ。
美術館とかギャラリーという美術の内側に向かったシステムに片足を突っ込みつつも、多くの時間、まちなかでの活動を模索し、空間ではなく、仕組みとしての表現のプラットフォームづくりのようなものに関わることになった。「拠点をもつこと」と「仕組みをつくること」の両輪を行き来しながら、当時福岡を生活の拠点としながら、全国各地の様々な現場に活動の拠点をつくり、転々と動き続けていた。そんなとき、東日本大震災が発生し東北との関わりも深くなり、まちに広がるというコンセプトをもつ十和田市現代美術館を拠点に活動を行うことになった。
十和田市現代美術館の役割は通常の美術館とは大きく異なる。博物館を含むいわゆる美術館は過去に作られすでに価値付けられた作品を収集し、それを保存する役割を持っているが、十和田市現代美術館などの現代美術館やアートセンターは今の時代の転換点となるような新しい価値を作り出す現在の活動を紹介したり、実践したりするなかで、未来、将来において新しい知的財産となる新しい文化芸術をつくり出すところである。だから地域において、現在新しい活動を求めている人、将来活動を作り出そうとする人にとって渇望されている場であり、そのような人が集まる状況を作り出している拠点となりうる。だからこそ、全国各地から、世界各地から「まだ出会ったことがない体験」を求めて十和田にやってくるという状況が生まれている。
それにしても、地域アートのような言葉が流通し、一般的になり、大学の学生でも学ばなければならないような時代になるとは思ってもみなかった。芸術祭が世界中の様々な地域で開催され、それが新しい流通や観光産業のようなものを作り出すという状況にもなってきた。
それに対する批評や議論も行われることになって、(僕としては)資本主義経済とリンクしつつ成長してきた近代美術(産業)に対して、ようやく本来の人としての芸術表現、僕なりの言葉で言えば、芸術未満の様々な活動が生まれるフィールドについての言語化が試みられるようになってきたのかなと、もぞもぞと嬉しい。 というのも、今回小説の中で触れているが、僕自身が接してきた文化芸術、パプアニューギニアや奄美大島の儀式や儀礼、伝統工芸の大島紬や京都のお寺の仏像や天井画、襖絵、あるいはイタリアにおけるルネッサンスなども、ごく特定の小さな地域の政治や宗教、あるいは人の関係の中から作られてきたものだと学んできたからだ。
大島紬、仏像、庭、演劇、工芸、国際協力、都市計画、まちづくり、地域づくりを経由してきた僕にとって、はっきり言って、美術や芸術を行いたいと思っていたわけではなかった。ただ、現在暮らしているこの場所で、その時々のその場所で、まわりの人たちとの関係の中で心揺さぶる超面白く、深く、大切な活動に関わっていたかった。その延長に美術というフィールドにありえないぐらい密接に関わり、美術館運営に関わり、今は美術大学やアートセンターの運営にも関わることになっている。その上でまだ体験したことがない状況を作りたいと試行錯誤、紆余曲折を重ねている。
どんな現場においても、常識にとらわれずに何かを作ろうとバカのように振る舞う人の態度が魅力的で、そんな人が結果としてすごい人になってゆくのをずっとみてきた。そしてその結果できてしまったもの、作られてしまったものが次のアートやデザインの流れをうみだし、流通し、日常の風景をも変えてきた。

今回の十和田市現代美術館の展示ではそのあたりのエピソードのようなものを小説にしつつ展示している。嶋タケシという架空の人をでっちあげて、倉沢サトミという嶋タケシの大学時代の同級生が小説を書いているというややこしい設定。これは今回の担当学芸員の金澤さんの発案で進められた。小説や詳しいことについては下記の十和田市現代美術館のサイトを見ていただきたい。そこに嶋タケシの小説も公開されています。
嶋タケシの活動を小説の中から抜粋して紹介しているという展示になっているのだけど、実際には僕自身が大学時代から制作し、失敗してきた多くの紆余曲折を嶋タケシの活動として、紹介している。 奇跡的に生き残っていた1983年制作の伝説の鴨川泳いだ鯉のぼりの現物や河原町商店会に並べようとして作った招き猫の看板など、ちゃんとした美術館に展示するのははじめてだと思う。当時は70匹近く制作した招き猫だけど、まともに生き残っているのはこの一点のみ。はっきり言って、下手くそな染色物で、エネルギーだけがあったころの作品だけど、今となってはそのエネルギーそのものが貴重。
卒業の時に制作したゴジラの着ぐるみやハニワ、卒業後に制作した作品、カメハニワやシャチの頭、松の木のぬいぐるみやゴジラの着ぐるみ、お米の砂漠、塩の湖などはさすがに現物がないので当時作った数と同じ数のミニチュアをつくってみた。当時、デモンストレーションという表現手法の言葉に出会う前に「プレゼンテーションパフォーマンス」や「プラントレーション」などという造語のようなものも使ってパフォーマンスを行っていたり、展示を行っていたが、それぞれの内容を展示だけで見せてゆくことは難しい。だからこそ、小説のような形も同時に必要だった。(まだまだ書いていないところがたくさんあるけど)
結果として、今から振り返ってみてわかるのだけど、僕自身が行ってきた活動は、自分の無意識の違和感のようなものに向き合いながら、それをわかりやすく形にして言語化しようとしてきた未完成で失敗の連鎖だったと思う。言語化できず、意識化できず、そのまま時間と状況に流されてしまい、でも結果として
美術未満の仕事が色々な連鎖を生み出してゆく。そしてまたその過去を背負いつつ、次を展開しようとする。そんなかんじ。
だから、「ウソからでた、まこと」ってタイトルもすっきりとのみこめた。ウソをつくつもりはなかったし、本当のことを語ろうとしても、本当のことなんて見当たらないし、わからないし、言葉にもできないし、感覚的に動いてゆくしかなかった。そのうち何かのウソが発生し、それが連鎖し、ぐるっと回るうちになんらかの自分にとってのリアルだったり、自分自身がおこなってきた「まこと」になってゆく。

今回、会場をつくるうえで、実は資料とか写真とか、嶋タケシのフィクションの活動記録にしようと全部手を入れてイラスト的なドローイングに落としていた。展覧会が始まる3日前まで、それらを展示するつもりで用意していた。しかし、写真とか資料とか、藤浩志の生写真を使おうということになり僕としては違和感があった。
だって嶋タケシの活動を作ろうとしているわけだし、写真が藤浩志だとおかしいと思っていた。しかし、学芸員や家族に説得されて、写真はほとんど加工せずに生のまま、資料は一度グラフィック処理してフォントサイズや色、形、バランスまで嶋タケシに加工していた過去の資料にもう一度手を入れ、あえて藤浩志というところを汚く消してシールを貼って嶋タケシに修正した風に見せるということを行った。

結果として、それはその方が展示としては面白いものになったと思っている。一部、1997年に行った「ゴミとねずみと未来予想」の様子を紹介するスライドショーだけは当時もらった写真に関係者が数多く写っていたのでイラスト風に加工させてもらい、フィクションの絵のように仕上げた。
この「ゴミとねずみと未来予想」のプロジェクトの記録も初めて公開する。福岡で当時興味を持ってくれていたほんの一部の人、わずか数人だけは体験したが、当時ブログサイトもSNSもなかったのでこのことについて知っている人はほとんどいないと思う。このプロジェクトとツアーが実はそのあと大きな意味をもつことになったなんて、だれも知らないと思うし、研究もされていないと思う。だってほとんど記録がなかったからだ。プロジェクトそのものがゴミのようになっていた。それをゴミ箱のような資料のなかから引き出せたことの意味は大きかったと思う。
この活動の延長に連鎖して発生した活動は数限りなくたくさんある。その後の地域に与える影響も、実はとても大きかったと考えている(ちゃんと検証したわけではないけど)。僕のその後の活動、ビニプラcollection、connectionやかえっこの活動もそうだし、筑前深江アーツキャンプから糸島芸農、糸島市のさまざまな活動もそうかもしれない。今住んでいる海水浴場の自宅やうみかえるスタジオ、糸島の養鶏場あとのスタジオも繋がっている。ツアーという表現手法の連鎖、個人的関わりだと取手や十和田奥入瀬でのツアーもそうだった。
そんな大切なことを言いたいのだけど、まだまだ言語化できていない。もっと小説しっかり書かなければいけないかな。

ということで、十和田市でお待ちしております。そうそう。十和田に行ったら十和田市現代美術館だけではなく、松本茶舗アートセンターにもお立ち寄りください。栗林さんとのコラボ作品がちゃんと設置されています。お見逃しなく。
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