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記録とブログと自分の存在について

驚いている。2018年、一切このブログに記事を書き込んでいない。
あーついに、エキサイトブログともお別れか・・・意識の中でブログの存在が消えかかっていた。

でも、ここでひとつもう一回ぐらいは書いてみることにする。
なんでもないこと、どうでもいいこと、ぐだぐらすること、自分と向き合って言葉にしようとすること、自分の無意識を言語化しようと試み意識化しようとすること。それを諦めてはいけないと強く思った。

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あまり長い文章はよろしくない。そもそも読みたくない。でもこうやって書き始めると長くなってしまうんだよね。文章が下手な証拠だ。

2004年ぐらいからこのブログを書き始めた。2000年ぐらいにまず掲示板、BBSを使い始めて、自分からの情報発信というものを行うことが新鮮だった。自分自身の毎日、出来事を記録するツールとして、それを公開するということ、蓄積するということ、自分自身の日々の活動のアーカイブだと思って楽しんだ。はっきりいってはまっていた時期もある。ほぼ毎日書き込む。書き込むためにネタ探しもした。

人は身近にある媒体によって自分の作り方が変わるのだと思う。手紙、日記、メール、電話、SNS・・・自分に向き合い、言語化しようとし、自分がどのように見えるか、紙と筆であれ、VRであれ仮想の自分もつくることができる。そもそも本当に自分なんていないんだと信じたところから始まっているので、自分づくりにはエネルギーを注げる。記録はその媒体の上で、新たな自分を存在させることができる。自分自身が自分自身の像と深く関わることで自分の存在をあぶり出してゆく・・・のかな。

ブログを書いていた時期は、フリーの個人経営の美術家という適当な肩書き・・・正確には藤浩志企画制作室勤務という肩書きだたので、自分自信の存在を作り出すフレームが曖昧だった。美術家という肩書きにも美術というフレームにも懐疑的で、唯一なにか状況をつくりたいと思っていたので、自分自身を存在させる唯一の場がこのエキサイトブログだったのだと思う。

このブログが更新されなくなったのはTwitterそしてFacebookというSNSが日常的になってきて、自分自身の存在をいたるところで、あらゆる形で存在させることができるよになった時期と重なるが、同時に、十和田市現代美術館に勤めるという外側のフレームを20年ぶりぐらいに持つようになってからだ。美術館に勤め始めて、肩書きを持つようになって、社会的立場から自由に発言できなくなったこともある。2012年からこのサイトの書き込みは激減し、13年14年と徐々に希薄になり、秋田の美術大学で勤めるようになってから、教授と呼ばれ、副学長と呼ばれ、社会的立場の方が大きくなり、自分自身の存在なんてどうでもよくなってきたと思われても仕方ない。

そこに違和感と危機感を感じていた。やっぱり。

というわけで、ここにささやかな抵抗を試みてみた。立場を整理し、自分の存在すら怪しいもっと柔らかいところに自分を持ってゆけないのか。その手助けとして、ブログさん、どうにかならないかな。本当はもっと語りたいことがたくさんあるのに、なんだかごまかされる日々。

写真は本文とは関係ないけど、1987年のパプアニューギニアでカメラという存在を知らない現地のひとに撮ってもらった一枚。
パプアニューギニアの奥地では当時紙という媒体も平面という概念もまだ存在していなかった。記録媒体はからだと建物と武具やカヌー、祭祀の道具など。

ついでに[Report藤浩志企画制作室]というタイトルも15年ぶりにかえちまおう。


by fuji-studio | 2019-04-26 11:58 | ・思索雑感/ImageTrash