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鹿児島の蒲生町で不思議な縁の縁側

鹿児島の蒲生町で不思議な縁の縁側_a0010575_2363936.jpg鹿児島市内から空港方面に車で約30分。大きな楠の木と祭りで知られている蒲生町という人口7300人、3000世帯程度の町がある。これまで鹿児島県の頴娃町というところで有機農業を営んでいた京都芸大の後輩の浜地君がその蒲生町の古い農家をかりて暮らし始めたとかいう話を聞いていた。なんとなく昔から蒲生町という響きにはなじみがあり、気にはなっていたが立ち寄ったことがない。鹿児島に行くついでにそこに立ち寄ろうとしながら半年が過ぎた。

鹿児島の蒲生町で不思議な縁の縁側_a0010575_12452528.jpgその浜地君、僕が鹿児島から福岡に引っ越した頃、大阪で経営していたデザイン会社をやめて鹿児島の頴娃町に引っ越してきて有機農業をはじめた。で、ある日連絡をとってみると僕が引っ越した福岡の住所が浜地君の本籍地とほぼ同一であることが判明。かれは生まれ育ちは大阪だが祖父が福岡県糸島郡二丈町吉井周辺とか。ちなみに家は福岡県糸島郡二丈町深江(深江のとなりが吉井で家は深江のいちばん吉井寄りにある)。一度家に来てルーツを探る調査をしてみると僕が暮らす裏の山も、もともと浜地君の先祖の土地であることが判明。娘の保育園、小学校の同級生に浜地君の親戚がいたりして、いやー、世間はせまい・・・と話したのが数年前。

鹿児島の蒲生町で不思議な縁の縁側_a0010575_1243282.jpgで、さらに話は複雑になるがこちらは小山田徹君。僕が鹿児島の甲南高校の3年生のときに1年生で美術部に入ってきた後輩。彼は妙にふけていていろいろ美術に詳しかったのが印象的。というか不思議なことにいまだになんでも詳しいやつ。当時僕がデッサンのモチーフの為に美術室に持ち込んだケン玉にはまり技術を上達させると、懸命に練習してきて食いついてきたやつ。僕が京都芸大に入った後、2年間にわたる数十通(百は超えているかも)もの文通の後京都芸大に現役で入学。で劇団、バレーボール部と無理やり拉致され入部させられ、一時は住まいも乗ってるバイクも同じという腐れ縁。長期間お風呂に入らない記録も二人で達成したことがある。(あまり自慢できないか・・・) 最近はなぜかいろんな展覧会でも一緒になったりする。2000年に霧島アートの森という屋外型の美術館ができたとき、最初のワークショップとして「山と田畑と散歩と美術」というワークショップを企画して実施したことがある。林業、農業、散歩を表現手段として活動している人たちを集めてワークショップを行った。そのときこの二人にも参加してもらったことがある。

鹿児島の蒲生町で不思議な縁の縁側_a0010575_1310851.jpg話はもどり、蒲生町。蒲生町に行ってみて最近引っ越してきた浜地君をたずね歩いてみる。和紙のギャラリーをしている野田さんからその場所が判明。なかなか古くて良質の武家屋敷。浜地君に再会し話を聞くと、なんとその家は偶然にも小山田徹君の親戚のお家だったとか。そういえば蒲生町は小山田の田舎だとかなんとか聞いたことがある。しかし、え? 小山田のおじいさんの妹の家に浜地君が? で、小山田も京都から里帰りをしており、浜地君の家から徒歩5分の実家にいるという話。で、久しぶりに3人で浜地君の家の網戸のない縁側で不思議な縁を語り合いました。これから蒲生町がおもしろいカモ・・・・。

では、ややこしかったのでどうでもよいおさらい。僕の住んでいる福岡の家は浜地君の本籍地。で、浜地君が住んでいる鹿児島の蒲生町の家が、京都に暮らす小山田君のおじいさんの妹の家。で、そんな不思議な偶然が発覚し3人でその旧家の縁側で不思議な縁を肴に飲んだという話。

で、ちなみに3人とも京都芸大の頃の深い知り合い。余談ですが2000年ごろカツオ君(藤勝雄)とキス君(木須久貴)が福岡のアトリエでビニプラの仕事をしていた頃に一緒に仕事したら面白いだろうなーと思っていたハマチ君の話。3人揃うとなんだか凄そうですよね・・・。さらに余談ですが京都芸大の同窓会のサイトの表紙に僕の大学院卒制のハニワがアップで使われているのを発見。まだ元気で働いているんですね。
by fuji-studio | 2005-08-16 23:10 | ・縁の深い人・家族