地域とアートについて話し合う一日。
2012年 03月 09日
というか、インターネット利用が日常化し、ビジュアルサイトや動画サイトを直ちに手元で検索する生活が定着し、ウェブ上に存在することだけが存在するようになってきた現実を考えると、地域とアートの重層的な過去の試みもちゃんとアーカイブするプロジェクトは、相応のフォーマットを模索し整備し、広くネットワークし、多くの関係する機関が枠組みを外して構築しなければならないのだと思う。
今日はたまたまお昼に地域創造が行っているの全国の地域系アートプロジェクトの事例集や提言書のまとめの検討会議に出席し、夜にはアサヒアートフェスティバルの10年間の蓄積された全国の事例をどのようにアーカイブし、出版するかという課題を話し合う企画会議に出席した。
対象となるプロジェクトは相当かぶっている。しかし、一方は自治体の首長に向けてのかなり専門的な視線と分析から切り込んでいるのに対して、一方は地域でプロジェクトを始めようとしている市民に向けての好意と興味からにじみ出てきている感じがある。
僕にとってはどちらの視点も興味深いが・・・というかそもそも地域とアートについて多くの社会人が出席し、普通に会議されていることに対しての妙な感じもある。
僕が活動をはじめた大学時代、おそらく1970年代後半から1980年代の前半、当時の先端的なアート志向の学生のトピックは、野外彫刻から社会彫刻へ、さらに彫刻という概念が拡散し、空間へのアプローチの手法、インスタレーションという手法への興味だったように思う。
その興味を満たすべく貸しギャラリーのシステムと並行して一般的な屋外や公共空間、空き家、空き施設を利用したプロジェクトタイプがたまたま地域の中で試みられていた記憶がある。
当時、空き地や空き施設を利用して活動を志向した理由は大きく3つあった。
1、ギャラリーには収まらないスケールの作品制作に対する欲求。
2、金銭的に貸しギャラリーを借りれないという理由。
3、美術関係者外部の人等への接触に対する興味。
僕自身は先端的なアートに対する興味は全くなかったがたまたま美術大学にいて、周りの友人の影響を受けながら、おそらく1と2と3+αの理由により、地域と関わることになった。
しかし当時は「展覧会をおこなう」というフォーマットしか知らなかったし、地域のシステムを読み込む知識なんてまったくなかった。
・・・なんて昔話を始めると相当長くなるのでやめよう。
詳しく知りたい人は、なぁがぁ~~~~~いインタビューがあるので根性があればご覧ください。
とにかく、そこからじわーっと連鎖して発生したシステムが地域のアートプロジェクトというフォーマットなの
だろうが・・・まさかここまで・・・次の時代の風景を変えてしまうほどの重要なシステムになる可能性の入口まで来てしまうとは…。
僕としてはまだまだ入口で、何も行っていないし、できていないという感覚が強い。
だからもっとちゃんと、もっと深く、もっと凄い現場を作りたいという欲求だけは大きい。
とにかく、次の動きをしなければ…。
ようやく次の展開が見えてきた。がんばろ。
※おもいっきり昔の作品写真を使ってみました。1983年の京都三条大橋の下の鴨川に自作のこいのぼり13点を無許可で設営したときの記録です。