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存在しないのに龍はなぜ存在してきたのか?

決して好きというわけではないし、どちらかというと趣味的には避けたいところもある。

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あり方としても小さなアマガエルとかヤモリとかポニョポニョして、つるりんとしたもので、なんだか弱そうで、存在感のないものの方がよっぽど好きなので、その真逆な強そうで巨大な「龍」のような存在はどちらかというと苦手。

しかし、昔からとても…なぜだか無視できないから仕方ない。


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おそらく衝撃的な出会いをしてしまい、無視できなかった最初の「龍」の存在は大学時代の妙心寺の法堂の天井にいる狩野探幽が描いた「八方睨みの龍」で、なぜだか知らなければならないと信じ込んで、幾度となく法堂に通い、10m×10mのサイズの模写をろうけつ染めで制作するに至ったのが二十歳の頃。

その後、奄美大島の小さな集落で船大工だった祖父がその集落の丘に龍王神社の拝殿を作ったと聞いたことがあり、なんだか遺伝子の中に龍との縁が組み込まれているのかなと思ったりしたこともある。


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1993年に鹿児島で水害に遭遇して、水は昔の地形の記憶をたどるように流れることを知り、川の流れと治水について考えを深める機会を得て、水辺でのプロジェクトに多くかかわるようになり、いろいろな地域で竜神をまつった神社や祠が目につくようになった。

1996年に広島県の灰塚エリアでダム湖ができるのに伴いアートプロジェクトの構想で関わった時に、そのダム湖の形が龍の形をしている事に気づき、それを何らかの形で表現しようとしたこともある。 1998年に博多の小学校跡地でプロジェクトを行うことになったとき、博多にもっとも古くからある禅寺、聖福寺の仏殿の中を見せていただいた時に、その天井にも狩野永真の雲竜図と出会い、それを素材として灯明で龍を描いたが…、その翌年の6月に博多でも大規模な水害が発生し、博多駅周辺は水没し、龍の存在する地域と水害との関係を確信するようになった。


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龍は現実には存在しない。それが現実には存在しないことをだれもが知っている。しかし、龍は太古の昔より生活の様々なところに存在する。

神社の手水の水の注ぎ口に、法堂や仏殿の天井や襖絵の中に、十二支の中にも唯一の架空の動物として存在する。現在でもラーメンどんぶりのワンポイントとして、ファッションや刺青の強き者を象徴する図柄として、ゲームやアニメのキャラクターとしてまで広く様々な表情で浸透している。

人の想像のスケールをはるかに超える規模の「ありえない出来事」は必ず起こるということを知らしめるために、人の力を過信するあさはかな存在を否定する為に、太古の昔より龍の存在は語り継がれてきたのかもしれない。


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今回の3.11の地震で発生した津波の被害と東京電力の放射能汚染被害の拡大を知るにつれ、「あるはずがない」「想像を超えた」「想定外」と口にする人間がいかに愚かなことであるのかを思い知る。

「ありえないこと」はかならず存在する。

常識を超え、想像力を超えたことが現実に存在することを後世に思い知らせようとする知恵の象徴が「龍」という形で伝えられてきたのかもしれないな…と考えながら、「あまり好きではない」大きな存在を登場させようする作業に没頭するこの一か月…

青森ねぶたの廃材の絡まった針金をほぐしながら、やはりねぶた素材の和紙の切れ端でこよりを作り、それで針金を繋いでゆきながら…毎日8時間はこの作業に向かうように決めて一か月。

久しぶりに単純作業に没頭している。

作業に没頭できる状況に感謝…
by fuji-studio | 2011-04-24 19:19 | ・思索雑感/ImageTrash