久しぶりの帰宅というのに…まさかの八十郎消滅の危機
2010年 12月 14日
引っ越したばかりの家はほとんどまだ荷物もろくにかたづけられていなくて、隙間だらけの家は暖房とかの冬対策も充分にされておらず…というか、まずこの隙間風対策をどうにかしなければ…
今年は豊島の藤島八十郎とか、青森のACACとか、大阪の中之島とか…ほとんどボランティアのような仕事が多かったので…家族に相当迷惑をかけている。
その収入の穴埋めのようなことを審査員をしたりレクチャーをしたり、ワークショップをしたり…結局、まともな制作時間なんかほとんどなかった。
にもかかわらず、高校3年と高校1年と小学2年の子ども達はそれなりにいろいろ苦労しながら成長している。たくましいな。
その家族の苦労もあり、この夏の「豊島の藤島八十郎をつくる」という仕事は、思った以上に面白く展開し、相当これから面白く展開する…と思っていたのだが…それは僕の妄想だったのか…。
僕の予想しないところで北川さんや実行委員会事務局に藤島八十郎の活動が深く迷惑をかけていたみたいで…具体的には現場を任せていた宇野澤君の事務局スタッフに対する態度が悪かったり、彼が書きこんでいた八十郎の言葉が瀬戸芸を盛り上げる為に頑張っていた人達の気持ちを傷つけていたということで…瀬戸芸の実行委員会や組織で動いている個人に対する態度については会期中もしばしば僕と宇野澤君の間でぶつかって、話したりしていたが…、なかなか黒い雲が漂うだけですれ違い…
とにかく、これから活動しようと思っていたことが八十郎の関わりではできない状況になっている様子。
10月末の段階でその状況が発覚し、どうにかしてくれると思っていたが、2ヶ月何も動いていない。
どういうフレームの中でも、どういう状況の中でさえも、少しでも自分の信じるところで、自分の信じれるところから…少しでも動きながら…確かな模索をしようとしてきたつもりだったが、結局苦しみの中でしか動けなかった人が横にいた状況をどうにもすることができなかった。そのことを知らなかった。
まさかそんな理由で…八十郎の活動が頓挫するとは思いもよらなかったが、結局これまで半年ほどかけて考えてきたこれからの八十郎に関する活動のイメージはとりあえず中断…なのかな…。
宇野澤君が北川さんに直接話をしてお互いの信頼関係ができることを願いたいが…無理なのかな…。
ああ、これから始まりそうなのに…