桜島プロジェクトから3年。こんな連鎖になるとは。
2010年 11月 14日
桜島の古里温泉郷の廃墟となった旅館にはじめて足を踏み入れたのが2006年の8月。そこをどうにかできないかとまずはいつものように泊まり込みの合宿ディスカッションからはじめた。
その後僕が動けなくなって、当時家で一緒に活動をはじめた浦田琴恵を桜島に派遣することにした。
しかもその予算は当時取手アートプロジェクトからもらったギャラを取手の延長で何かに活かそうととある事情でストックしていたもの。
そして奇跡的な活動の発生。…そのあたりの状況、意外とちゃんとこのブログに書いているのでよかったら桜島活動のカテゴリーで一番下に遡ってご覧ください。そして紆余曲折いろいろあって、ここから連鎖した活動は「わくわく系」の活動が特記すべきものだと思うが、僕の「藤島八十郎」も実はここからの連鎖。
そして、まさかの…1993年の鹿児島での活動以来縁の深い鹿児島の超出版社「南方新社」に勤める反原発の活動家で、なおかつ小学校、中学校と僕の後輩にあたる同じ町内の若者鮫島君と浦田琴恵との…双子の出産が予定されている状態での結婚。
しかも結婚パーティが行われたのは…これも偶然だか…必然だか…2008年の夏に家にしばらく滞在した後、桜島への旅を勧められた田中沙樹が壁画を描いた桜島ユースホステル。写真ではみていたが、こんなにちゃんと描いていたとは…。しかもしっかりきれいに活きているとは…。
会場で久しぶりに昔鹿児島で活動していたころ知り合っていたいろいろな人に再開し…同時に新しい活動の予感を感じさせる興味深い人に出会い…
ますますこの連鎖は意外なところまで絡んでゆきそうな予感充分。
