超識ってどうだろう?
2010年 10月 08日
たとえば…僕の台所や八十郎の台所では食器洗いの洗剤の入っていたボトルを醤油さしにしたり、オイルさしにしたりとかなり貴重なものとして利用するのが常識だが、どうやら一般的には超常識らしい。
食料品のパッケージやペットボトルなど家庭から出る生活廃材はいろいろな活動を作り出す素材として洗って分別して倉庫にストックすることが我が家の常識だが、あまりやっている人は少ないらしい。
カセットコンロと電磁調理器を数台必要に応じて机の上に取り出して料理するスタイルが我が家の最近の常識になっているが、それも一般的には超常識らしい。
我が家にはテレビがないが…それはまあ、普通のことか。
家庭の中にテントを張ってそこで生活しているのも超常識?
そうか。超常識という言葉も常識じゃないんだな。ずいぶん以前から、個人的に使っている言葉なので慣れてしまった。
常識でないことを非常識というが、非常識という言葉はネガティブなので、ポジティブな方向に常識を超えている物事を超常識と呼んでみたのが…10年近く前ぐらいからかな。
超常識をさらに訳して超識というのはどうだろう。
常識を知らないがゆえに、個人的にずいぶん前から思い込み、すでに自分の中では常識となっているのだが、周辺の人の常識を超えている状態のものごと?
とにかく、瀬戸内国際芸術祭の現場にいて、僕の常識が周辺の人たちとかなりズレているのだなと思うモヤモヤと出会い、個人的な基礎超識を紹介しなければならないなーと感じている。
そういえば、モヤモヤという言葉も僕の中の常識…超識なのかな。
モヤモヤとはイメージが立ち上がる以前の状態の呼び名。
モヤモヤは違和感やズレから発生すると定義しているが…それも僕の言葉かな。もう一般化したかな?