8月はじめのほどんど一週間、青森各地はねぶた(Nebuta)やねぷた(Neputa)で盛り上がる。
以前は・・・地域ごとにねぶたをつくるねぶた小屋があり、子どもたちと大人と専門家が一緒にねぶたをつくり・・・お囃子を練習し・・・街を練り歩き・・・ 日常を忘れるかのように盛り上がり・・・
街を轢きまわった後、精霊流しのように海に流して海上で火をつけ燃やし、そのまま海底に沈めていたらしい。
その方法がCO2の排出量と環境循環のことを考えると一番妥当な処分の方法のような気がするが・・・、燃やすことを表面化することが行政的にはNGなのだろう・・・
今は青森ねぶたの場合、祭りの終了後、廃棄場にあつめ、パワーショベルとか専用の大型重機を運んできてガンガンつぶし、大型の産業廃棄物処理車に積み込んで処理場まで運び、処分している・・・とのこと。
その処理車に載せる前の状態のものを譲ってもらえないかと青森市に頼んでみたが・・・まったくとりあってもらえなかった。・・・という話
まあ、そうだろうな。
この期間、弘前ねぷたや黒石ねぶた、八戸の三社大祭、
五所川原の立佞武多といろいろまわってそのやり方や雰囲気、作っている現場なども体験させてもらった。
僕が
1998年に博多ではじめた博多灯明の手法や2000年からやろうとしていたVPC(Vinyl Plastics Connection)や
デコポリなど、地域と住民の活動の接点を作り出すしくみとしては、青森県各地のねぶたは全国数ある祭りの中でも相当完成度の高いものであることに疑いはなく、そこに関わる市民の意識の高さも驚くほどのものがある。
ねぶたをつぶす前の手続きとして、まず、目をくりぬくのだそうだ・・・とくに五所川原や弘前のねぷたの場合、伝統的な手法やスタイルを核としながら、その周辺で住民がいろいろな表現意欲やアイデアを盛り込めるシクミに大いに共感し、かなり期待できるものだった。
一方、青森ねぶたの場合、作品性としては圧倒的完成度ながらも・・・おそらく行政によって主導されてきたのだろう・・・観光という錘が多くの自由な表現の展開を規制しているのか、かなり管理されている空気感がにじみ出ていてもったいないと感じてしまう。
市民が相当もりあがるねぶただというのに、街の日常とのリンクのあり方がもったいない・・・そんな気がして仕方ない。
街の日常の延長に登場して発展してきたねぶたであるが、もっと街の中のいろいろな活動とリンクするシクミへと更新してゆけばいいのに・・・と余計なことを感じてしまう。
ともあれ、ねぶた祭りそのものに外部の素人が関わることはできないので、せめてその廃材を処分するところに別の迂回ルートをつくれないかと相談してみる。
青森市や実行委員会はまったく取り合ってもらえなかったという話だが、日通が制作したねぶたの一部を切り取ってホテルとか街中に展示物として再生し納品している鉄工所の人の仲介で、切り取られたねぶたのさらに最後の処理するものをもらうことになった。
しかし、それについてもかなりナイーブなことのようで、相当難しい作業だということをかなり丁寧に指導していただき、鉄工所の社長自らがクレーントラックと社員を連れてきて、その取り壊し作業に立会い、国際芸術センター青森まで運んできてもらう。
当初は廃棄物処理費用の代わりに運んでもらえないかな・・・と思っていたが、結局、仲介してくれた鉄工所が自主的に運搬すると申し出てくれて、トラック代と3名の作業員の費用を請求されることになり・・・ipadのいいやつがいろいろなアクセサリーをつけて買えるに十分な額の思わぬ出費。
解体作業を行った出品者の日本通運はもともと運ぶことのプロなので日通に運んでもらうほうが自然な流れだったかもしれない。
そのあたりのつなぎ方が実はもっと重要だったような気がする。もっとシクミを読み込んで、より意味深い手法を模索すべきだし、そこは急いではいけないことなんだろうな・・・
とにかく、青森ねぶたの場合、ブラックボックスを取り除き、もっとオープンにしてゆきながら、ねぶたそのものと市民の関わりを別の角度から編集しなおす余地があるんじゃないかな・・・。余計なことですが・・・。
もともと街にインストールされていたねぶたというプログラムが観光という大義名分で分断されているような気がするのは僕だけだろうか?
ともかく、廃棄処分する素材を芸術センター青森に運び込み、いよいよ僕自身の現場の素材がようやく整う。
当初、展示室の中にガツンとした塊を展示する予定だったが、結局展示室に入らない塊になっていたので、入り口付近にそのまま展示し、公開制作として、その廃材の塊から部分を切り取っては展示室の中に運び込み、素材ごとに分類してゆく作業を行うことに・・・。
素材は木材(角材)と針金と和紙に分類され、たまに取り外したはずの電球とか配線コードとかも分類され・・・
特にねじ(コースレッド)が曲がっていたり、折れていたりでそれをはずすのが一苦労。
ねじをはずした木材も切りそろえるとなかなか魅力的な素材になり、そこから何かが生まれる期待感。
針金もしっかっりしているので、いろいろな造形物をつくるうえでとても重要な素材になる。・・・もちろん金属回収業者に持ってゆけばいくらかで買い取っても合えるとは思うが・・・
今回こだわったのは一台分のネブタという素材とその量。
そこから何ができるか方向性だけでも示せればいいが、本当はその回収のシクミと何かに再生するしくみを街がちゃんと組み込むイメージをつくること。
ねぶたは完成されたすばらしい市民の活動のシステムだけに、そこにさらなる創造性や活動力を身につけるためのプログラムが組み込まれたシステムへと更新されなければいいいいのにな・・・と感じている。
廃材の解体を始めた瞬間、横で小山田君が子どもとその素材を利用してなにやらつくりはじめ、テーブルの上に飾っている。
材料と道具が豊富にあるスタジオが青森市内の各地区にあればいい。
そこで懸命に何かを作ろうとしている変わり者と、これから第2の人生を楽しもうと模索しているおっちゃんと、何かを学ぼうとしている若者と、とにかく遊びたくて仕方ない子ども達が一緒に素材をいじる時間をつくるイメージをつくることができればいいが・・・今回は無理でしょうね。
・・・・
それにしても、この施設、コンクリートの塊でまったく風通しが悪いので妙にむせてて暑苦しい。
外の作業ができて、結果としてよかったよかった。