
街を轢きまわった後、精霊流しのように海に流して海上で火をつけ燃やし、そのまま海底に沈めていたらしい。



まあ、そうだろうな。


ねぶたをつぶす前の手続きとして、まず、目をくりぬくのだそうだ・・・



街の日常の延長に登場して発展してきたねぶたであるが、もっと街の中のいろいろな活動とリンクするシクミへと更新してゆけばいいのに・・・と余計なことを感じてしまう。





そのあたりのつなぎ方が実はもっと重要だったような気がする。もっとシクミを読み込んで、より意味深い手法を模索すべきだし、そこは急いではいけないことなんだろうな・・・

もともと街にインストールされていたねぶたというプログラムが観光という大義名分で分断されているような気がするのは僕だけだろうか?

当初、展示室の中にガツンとした塊を展示する予定だったが、結局展示室に入らない塊になっていたので、入り口付近にそのまま展示し、公開制作として、その廃材の塊から部分を切り取っては展示室の中に運び込み、素材ごとに分類してゆく作業を行うことに・・・。

特にねじ(コースレッド)が曲がっていたり、折れていたりでそれをはずすのが一苦労。

針金もしっかっりしているので、いろいろな造形物をつくるうえでとても重要な素材になる。・・・もちろん金属回収業者に持ってゆけばいくらかで買い取っても合えるとは思うが・・・

そこから何ができるか方向性だけでも示せればいいが、本当はその回収のシクミと何かに再生するしくみを街がちゃんと組み込むイメージをつくること。
ねぶたは完成されたすばらしい市民の活動のシステムだけに、そこにさらなる創造性や活動力を身につけるためのプログラムが組み込まれたシステムへと更新されなければいいいいのにな・・・と感じている。

材料と道具が豊富にあるスタジオが青森市内の各地区にあればいい。
そこで懸命に何かを作ろうとしている変わり者と、これから第2の人生を楽しもうと模索しているおっちゃんと、何かを学ぼうとしている若者と、とにかく遊びたくて仕方ない子ども達が一緒に素材をいじる時間をつくるイメージをつくることができればいいが・・・今回は無理でしょうね。
・・・・
それにしても、この施設、コンクリートの塊でまったく風通しが悪いので妙にむせてて暑苦しい。
外の作業ができて、結果としてよかったよかった。