こころを揺さぶる・・・感動する。心をつくるために。
2010年 06月 29日
体をつくるには体のいたるところを動かしてつくる。運動、スポーツ、各種トレーニング。いつもは使わない体の部分を使うことで体はつくられる。
同様に頭をつくるには、頭を使うことが大切だということはだれもが知っている。
考えてみると、小学校以来、いわゆる学校教育において、鍛えられてきたものは主に頭、そして体。
しかし、心をつくる機会は学校教育のプログラムの中ではほとんどない。
なぜなのだろう?
体や頭をつくるためには、使われていない部分をじわじわと使い、ある程度のプレッシャーを与えながら鍛えるのがいいというのは分かっているが、心をつくる手段というのはそれほどだれも意識していないのではないか。
心を揺さぶり、日常では使わない感情を動かし、プレッシャーを与えながら心を鍛える。
いわきアリオスでホールそのものの存在理由を尋ねる市民の声を聞きながら、・・・鹿児島時代に150人の混声合唱団活動で体験した音楽ホールでの常識を超えた感動や・・・(自分の声がまったく溶け込みホール全体と一体になっている感覚・・・のようなもの)、学生時代に没頭していた演劇の公演を終えた後の観客との熱気の中での感動体験を思い出していた。心揺さぶられ、体全体から涙がこみ上げてくる感覚・・・。
考えてみると、絶望と感動の触れ巾の大きさは、そのまま心を鍛えることになっているのではないか・・・などと考えながら、思わずディスカッションの会場でマイクをとり、個人的な意見としてその思いをぶつけてみた。
心をつくるトレーニングのようなものは実は地域教育に担われた責務なのではないだろうか?
もちろん、家族関係、兄弟姉妹との生活の激しい喜怒哀楽や、友人関係や先輩後輩との関係での摩擦などは人間の感性や感覚、心のありようが形成される上で重要だということは前提としても、いろいろな世代、いろいろな職業、いろいろな人格との関係の中で感動体験を作り出す仕組みは地域教育には大きな可能性がある。
・・・ってなことを考えながら瀬戸内海の島々を眺め、新たな舞台に向かう気持ちになる。
うーん、心を揺さぶる作品づくり・・・っか。ハードルは高い。
