「なんでわざわざこんな家を・・・」と不思議がられる。
2010年 06月 13日
水道工事に来てくれた地元の人がつくづく不思議がる。
「もっとましな家はたくさんあるだろうに、なんでわざわざ30年も使われていない朽ち果てた家を選ぶのかが分からん・・・」
それはもっともな意見。
その場で一言で返事ができなかったことがそのまま頭にこびりつき、清掃作業をしながらもずっとその説明の仕方を考えてしまう。 実は当初、もっと状態のいい家をプロジェクトの現場として事務局から紹介された。
たまたま僕にとってそこが腑に落ちなかったというだけのことで、もっと違う現場と関わりたかった・・・だけのことだが、わざわざ崩れかけている家を選ばなくてもいいだろう・・・と思われるのは当然だと思う。
僕が最初に気にしたのは建物の状態よりも周辺の家との関係や空間の拡がりや雑草を掃除することで広がるかもしれない景色への期待感だったと思う。
同時に、建物の朽ち果てた家の状態が限界集落と呼ばれている地域にある自然な状態だと感じていたこと。
最初の状態がひどければひどいほど、何らかの形に状態が変化した時の落差が激しく、その変化そのものが僕にとっては大切だということ。
・・・ということなのだと思う。
説明のしかたはいろいろある。
怪我したときもっとも状態の悪いところから手当てをする感覚だとか、掃除するときに一番汚れていそうな隠れた部分から掃除をする感覚だとか・・・
体にできてしまったできものをついつい触ってしまう感覚だとか・・・
とにかく、きれいなものや状態のいいものは別に僕が手をいれなくても誰でも興味を持って手をいれるだろうと思う。
逆に誰からも見放された状態のモノゴトがやたらと気になり、そこをいじりたくなる・・・のは性分なのかもしれない。
苦労することはわかっていても、それをクリヤした時の感覚がたまらない。
それはスポーツでもなんでも特に珍しい感覚ではないと思うんだけどなぁ・・・。