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1983年から記述してきた藤浩志の雑記帳をチュウタがかじる。 2020年秋田県立近代美術館での展覧会、ARTS&ROUTS あわいをたどる旅 出品作品 期間限定特別企画 藤浩志Reportブログを再利用して【チュウタの観察帖】として期間限定で公開予定。記録と記憶を探る。
2021年 03月 21日 菅江真澄が旅し、様々な風景やものに出会い、それを記録していたのがおおよそ200年以上前の江戸時代後期。今回の展覧会はその記述の価値や意味について再考するもの。記述されることによって物事が記録として定着する。だからこそ、記述、記録の少なかったその時代、特に秋田という地方での菅江真澄の記述には価値がある。高い描写力と俯瞰する視点をもった彼だからこそできた業績だと思う。そのあたりについては他の専門...
【チュウタの観察帖】
2021年 01月 29日 制作スタジオと制作物の関係について、ものを作らない人にとってはあまりそれほど深く考えることはないと思う。フジはこの関係にずっとこだわり続けてきた。制作スタジオの属性が作品を決定づけると考えていたからだ。スタジオの扉の大きさが作品の出し入れできる大きさを決定し、スタジオの広さが作品の大きさや規模を決定する。また埃や騒音が出せるかどうかで使える道具が変わり、スタジオが位置する環境が仕入れれる巣材...
2020年 11月 24日 旅の定義は様々だと思う。旅の意味も時代によって変化している。フジにとっての旅はなんなのか。自分は何者であるのか? 自分に何ができるか? それを探し続けること、探究し続けるために住むところを変えてみたり、立場を変えてみたり、まだ見ぬ世界に足を踏み入れたりすること。それが旅なのかなぁ。フジにとっては有り余るエネルギーをどのように消費するのかが問題だった。場所を移動することで目の前の風景が変化する...
2020年 11月 23日 道具は指の動きや手の動きに直結する。指の動きや手の動きなどの身体感覚はそのまま思考方法に影響をあたえる。何を持ち歩き、何で描くのかということは、一見些細などうでもいいことのように思えるが、何を描き出すのかということに大きな影響を与える。そしてそこに描かれた落書きはその人の内部にある意識やイメージに影響を与え、結果として何を行うかという行動に強い影響をあたえる。フジは高校時代から現在に至るまで...
2020年 11月 22日 記述されたものにもいろいろなタイプがある。現存している過去の多くの資料のほとんどは、物事の事実を証明する証書のようなもの、ある思いや意図、現象などを伝えようとする手紙のようなもの、博物館や資料館に保存されているものはそのようなものかな。そして、目の前にある実際の風景や物事、人物など、そして事実の描写。菅江真澄の描写もそのようなものだと思う。そこから当時の価値観や流通、生活様式、風土などが見え...
2020年 11月 22日 表現の現場はどこなのかということと、同時代性とはなにかということ。時代によって表現の手法も変わるし、表現の現場も変わる。何が描かれているか、何が表現されているかとことは時代の変化で変わるし、何に表現されるのかということも変化する。それを受け取る人の感性も変化し続けている。フジのノートの記述を見ると、1980年代は貸し画廊全盛の時代だったことがわかる。ホワイトキューブと呼ばれる白い空間で作家の...
2020年 11月 21日 千葉県の我孫子市に東京芸大の彫刻科を卒業したご夫妻が自分たちの活動の場としてスクウォッターズハウスギャラリーという場をつくり、芸大の後輩たちもその周辺の空き家などを借りて制作スタジオにしようと動き始めていた。その周年記念のグループ展にフジは招待され、京都から車ででかけ、1ヶ月以上我孫子に滞在し、なにができるか模索した。東京芸大を卒業したばかりの作家が作品化しようとしている崩れかけた廃屋の一部...
2020年 11月 20日 フジの記録には影響を受けた作家についての記述はほとんどない。しかしこのシリーズのノートをつかいはじめて2冊目の表紙にヨゼフボイスの生サインがある。ボイスが来日して草月ホールでナムジュンパイクでパフォーマンスを行ったときの記述もノートの中に落書きで見つかるが、なぐりがきで、記述としては薄いものだ。フジは高校時代に車椅子に乗った土門拳のサインをもらったことに感動したと記述しているが、ボイスから受...
2020年 11月 18日 ゴジラのスーツを作ろうと考えたのはフジがゴジラ好きだったからではない。「裸の王様」の物語をなぞって美術というゴジラスーツのようなものと、どのような関係を持つのかということを問題にしていた。仏像とか寺の天井画とか過去につくられた作品に心魅かれることはあっても、それらは過去の美術作品として評価され、保存されてきた意味あるものであって、自分がつくりだせるものではないということを感じていた。美術作家...
2020年 11月 17日 よほど暇だったのだろう。「どうせヒマだし・・」大学時代にフジが経験した表現手法の数々を思い出しながら記述している。京都時代の活動を思い出しながら、新しい表現手法を試みるためのメモのようなもの。まあ、つまらない技法がほとんどだけど、一応読みかじってみましょうか。No.1 お皿を並べて造形するNo.2 炭焼き丸太をバンセンでつなげるNo.3 芝生を敷き詰め水撒きをするNo.4 床に印刷物を敷き詰...
2020年 11月 17日 日本の美術のシステムをハニワさんに見立て、そこから逃れようとするが、逃げれば逃げるほど追いかけてくる。ハニワさんは思いの外根強くフジにのしかかってくる。フジはそのゲームを楽しんでいるようにも思う。お別れするのか、それともちゃんと付き合ってゆくのか、それを確かめるために、一度離れて遠隔地で二人の気持ちを確かめようとする。そのために選んだのが外務省の国際協力の現場、青年海外協力隊というアートと全...
2020年 11月 17日 美術の基礎、素描の基礎として人物を描くのはなぜなのだろう。フジは京都の美術大学の学生時代、何をしていいかわからない時期、有り余るエネルギーをラフドローイングにぶつけていた。素描室の一角を陣取り、新聞紙や広告紙、拾った破れた紙などにヌードモデルを前に短時間のスピードのある線を重ね何枚も素描を描いていた時期がある。線を重ねる行為が単に心地よかったからなのか。単に作ろうとする自分の態度に陶酔してい...
2020年 11月 17日 パプアニューギニア滞在中のノートの中に、しばしば犬の絵がみられる。その後木彫でヤセ犬を101匹彫るを決めて最終的に101匹揃うのはこのドローイングが登場して9年後の1996年だが、そのイメージに至るドローイングの変遷がみられる。最初はよだれ犬となっているのが興味深い。そのうちこのヤセ犬のドローイングになるのだが、このヤセ犬の体験の記述がノートのどこを探しても見つからない。「野ブタを追うヤセ犬...
2020年 11月 17日 日本で美術を学ぶとなると、なぜだか西洋の近代美術から学ぶことになっている。そこに違和感を抱いていた。美術という概念が持ち込まれたのは明治以降だということは美術大学の学生にとっては常識のようなものだと思う。しかし、それ以前にも仏教の伝来とともに仏画や曼荼羅画などの軸や書、天井画や襖絵、屏風絵、仏像や仏具、装飾品、染織物、茶道具など現在美術品と呼ばれるものは数々あった。大学ではなせだか日本美術史...
2020年 11月 17日 イメージの世界、思考の中の世界、個人の妄想。虚構の世界、あるいは夢の世界、それと現実の世界。リアルな出来事。目の前に広がる今ここにある事実。その二つをつなぐ、境界、そこを行き来する中間の世界。その中間領域の世界にフジが興味を持ち始めたのはパプアニューギニアでの体験からだと思う。フジのノートの中にその当時の夢の記述がある。とある島の海沿いの崖を登って行くとその上にある無数の動物の彫刻が祀られた...
2020年 11月 16日 フジは東京の再開発業者に勤めたあと、その会社が解散したことによって、水道橋の都市計画事務所で働きはじめる。ちょうど働き始めて一ヶ月の頃のノートの記述。実はこの以前から取り壊される前の家に暮らすようになり、そこでの暮らし方をあれこれ工夫するうちに、家の中にテントを張って暮らすようになる。そして暮らしぶりは今も続いている。その原型がここにある。廃墟に車とかテントを組み込んだ自然を取り入れた暮らし...
2020年 11月 16日 パプリックアートの一つのあり方を提示しようと、パブリックに開かれたアート空間としてフジの実家を改装して、1989年の7月にMedia garden E-Spaceをオープンさせた。その空間を継続的に開くため、あるいは感度の高い来客を呼び込むためにカフェという表情を持つことを思いつき、家族を説得し、実現する。そのための落書きが何枚か出てきた。5cm角の杉材を100本購入し、それを一本一本釘で打...
2020年 11月 15日 人間は小さい。しかし組織は恐ろしいほどの力を持つ。それでもやっぱり人間、個人というのは目の前の現実に対して向かい合うことで精一杯な非力な存在だ・・・ということを過酷な自然を前にして、自然災害に面するたびに思い知る。・・・それでも人は組織を作ることを覚え、大きな力を手にするという幻想を抱くことに成功し、その幻想は様々な現実を作り出し、目の前の困難を乗り越える技術を手にしてきたのも確かなことだ。...
2020年 11月 15日 フジが以前勤めていた開発業者の社長は「砂漠を緑に!」と夢を語り、それに向かって行動する若き企業家だった。砂漠の緑化のために砂漠の真ん中に海水湖で大きな湖をつくる。その大きな夢は莫大な金額をかけた調査の結果、実現は困難とわかり消滅した。海水を引き込むことで砂漠の地盤が弱くなり地震を誘発するとか、塩分濃度が高くなり、塩害で大変なことになるらしい・・・現実は厳しい・・・。イメージすることは自由だし...
2020年 11月 15日 過去の記憶は圧縮される。実際の時間はその時々で数秒、数分、数時間、数日と幾重にも重なっており、そのなかでの思考と体験の何層にも重なった襞のようなものが無数にあるのだろうが、時間の経過とともに過去の時間の厚みは記憶の中で圧縮され、本当は数ヶ月にわたりじわじわと考えていたことでも数年後ふりかえって思い出してみると、瞬間的に思いついたことのように誤解してしまうのかもしれない。時間の襞を記憶の中で正...
2020年 11月 14日 自分になにができるのか。どのようなことにつながり、どのようなことを考え、何を行うのか。表現することは「何かを伝える」こととイコールではない。近年フジがよく口にする。「伝えることと、つながることは違う。」のだそうだ。伝えるためには認識が必要となるが、繋がろうとする行為そのものは無意識のものもある。意識化できず、右往左往する態度そのものが表現となる。フジの表現のスタンスはそこにある。認識できてい...
2020年 11月 14日 福岡でのシンポジウムから始まった今回の旅という記述がある。これはバンコクで書かれた記述であるが、福岡や四国、岡山に立ち寄り、関西空港からバンコクに入っていることがわかる。鹿児島に暮らしていたフジは一度仕事に出かけると作家やキュレターのところに宿泊しながら旅していた。福岡、北九州、大分、岡山、高松、などの現場を巡りながら、いろいろな次の活動の拠点として、四国の島、徳島、淡路島、あるいはチェンマ...
2020年 11月 14日 かつて有名な建築家が「現在の都市は法人の集積によってつくられている」と語ったと言うことを先日知り合いの建築家が語っていて、その視点にいたく納得した。個人の集まりが集団であり、それを組織するのが法人という考え方なのかな。企業や学校や行政などもある意味、法人という形をとる。この法人と個人とがどのような関係を持つのかというところに法律というものが関与してくる。個人のレベルでは法人や法律に対して無意...
2020年 11月 14日 誰に出会うかでその後の人生は変わる。それまで全く考えたこともなかったアジア各地の作家と出会いはその後の生き方を大きく変えた。アジアのほとんどの国で、というか、欧米以外のほとんどの国が欧米の近代化、あるいは資本主義の影響を大きく受け、それまでの自国の文化や生活様式との距離にどまどい、感度の高い若い作家の活動に影響を与えているように思えた。フジもそうだった。日本国内で単純に欧米文化の波のようなも...
2020年 11月 13日 作品が個別の住所を持つというのもアリなのではないか。フジはメキシコのチャパス州立大学の図書館の中にガラスでできたポストボックスを制作。そこに住所をつけて、郵便物を送るということを実践した。その時のノートの記述。チャパスで開催された彫刻シンポジウムへの参加を友人のリーウェンから誘われ、環境がテーマであるということで参加した。たまに耳にする彫刻シンポジウムというものがどういうものなのか知りたかっ...
2020年 11月 13日 1992年のジャパンアートスカラシップでのグランプリの受賞は、青山スパイラルガーデンでの1000万円の予算を使ってのプランの実現と、副賞としてニューヨークへの研修旅行が付いていた。フジはその副賞でニューヨークをトランジットとしてブラジルのサントス、サンパウロ、リオデジャネイロ、ブラジリア、そしてカナダのトロントへのフィールドワークに行かせてもらっている。それ以前、1990年から92年までの間...
2020年 11月 12日 フジは鹿児島の知覧町に制作スタジオとして借りていた大島紬工場跡地を明け渡すために2トントラッックのアルミバンを1ヶ月借りて、それに出来立ての101匹のヤセ犬とスタジオの什器、工具一式、材料の端材など全てを積み込み、スタジオの引越し先、つまり新しい活動拠点を探し旅に出る。最初に到着したのが東京ビッグサイトで行われた「アトピックサイト」の会場。国際展示場で開催された展覧会にトラックごと展示し、数...
2020年 11月 10日 何をやってしまったのか。何を見ていたのか。なにをかんがえいたのか。自分の過去の視点、言動を観察することで、自分を知ることができる。自分を知ることでその延長の自分の未来の活動を考えることができるとフジは考える。この数枚の記述ではテレビの前に座る老人の姿を記述している。自分の子どもの頃の経験と重ねながら、記述しているが、おそらく、フジが滞在していた格安のホテルのロビーでノートを広げた時、目の前に...
2020年 11月 07日 記述がつまらない。何食べたとか、何ができるかとか、ブツブツと不毛な会話が続く。もっと状況を描写すればいいのに。それが個人的な記述の仕方ない所なのかな。本当に気分で書いている。意味を求めてばかりいるが意味のない時間のような気がする。目の前の風景をさほど観察することもなく、解像度も悪く、気分で線を描く。とはいえ、決して嫌いな作業ではないのよね。描くことも。無駄な線を描くことも。無意味な言葉を重ね...
2020年 11月 07日 トランジットの時間、特に格安航空券をつかったトランジットの時間はかなり長い。その時間の多くをこのノートに向き合う時間として使っている。そしてフジはそんな時間が嫌いではない。これまでの自分に振り返り、向き合い、そして次の行き先の行動について思考を巡らす。見えない先に向かうことが好きなのだと思う。そこには可能性がある。いまよりはよくなるかもしれないという希望のようなものがある。この時のブラジル訪...
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