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鹿児島のイイテラス302号室でジェンダー吉永の展覧会。
鹿児島市荒田(あらた)という地域の鹿児島交通局電停前という路面電車の停留所の目の前が僕の生まれ育ったところ。昔は川沿いの荒れた田んぼだったんだと思う。

a0010575_85267.jpg1950年代後半にそこに建てられたコンクリート2階建ての住宅で生まれ育ったが、そこを改修してイイスペイスという手作りのカフェを経営していたのが1989年から1996年の7年間。もう四半世紀も前の話・・・


a0010575_8524110.jpg1993年の鹿児島の水害の都市整備の問題で鹿児島県といろいろぶつかり紆余曲折の末、1998年そこにつくられたのがイイテラス。その空き部屋を利用してなんとなく302という貸し部屋が誕生したのがこの1月。


a0010575_8532142.jpg本当はだれかに借りてほしいが…シェアオフィスでもいいし、シェアスタジオでもとにかく家賃収入がないとやばい…

とにかくそこで、この半年間桜島に暮らして桜島の火山灰を使って桜島のシルエットの絵を描いたジェンダー吉永の桜島の展覧会がスタートした。


a0010575_853481.jpg展覧会場としては初めて使ってもう空間だったので、その展示に立ち会い、・・・プレオープニングとして急遽ソークイベントのようなことを夜の7時ぐらいからなんとなくゆるりと始める。

しかし、ちょうど吹上でのアートプロジェクトが終わったあとで、山中カメラさんが別府に帰る前ということで、吹上出品作家関係者がぞろぞろと集まってきてくれて…以前取手プロジェクトでお会いしたことのある奥中さんとか吹上で頑張っている博多君とか蒲生でお世話になった永里君とか…


a0010575_8542784.jpgとにかく面白いメンバーで吹上の報告会のようなディスカッションが始まり…吹上の山中カメラの音頭にやられた水脈系の人もいろいろ集まってきて…ずるずると出入りがありながら…なかなか終わらず・・・気づけば夜中の2時。

語り始めると終わらないなぁ。

とにかくいろいろな活動は、本当に思いもせぬところで微妙に繋がり、そしてここからまた繋がってゆくんだろうなと感じている。

イイテラス302でのジェンダー吉永の展覧会はたぶん10日までだったかな…13時ごろから夜の7時ごろまで作家本人がいるかも…ぜひお越しください。入場無料。お茶もセルフですが…飲めます。鹿児島です。

10日にエンディングを行うという噂。
by fuji-studio | 2012-03-03 23:49 | ○イイスペイス@イイテラス
鹿児島県の蒲生町に青森から龍が来た!
去年の夏にもらいうけた青森ねぶた一台分の廃材。


a0010575_1331324.jpgその針金部分で制作した飛龍。
今年の6月に博多駅で誕生した飛龍がようやく鹿児島まで流れ着き蒲生町に登場した。



a0010575_13322621.jpg 蒲生町は僕の後輩との縁が深いところで、そのおかげで僕自身もいろいろ縁が深くなってきた。

木材部分でできた白龍は地元のアーティストの永里関人の手によって大蛇に変身する予定。


a0010575_13324385.jpg地元の太鼓グループ蒲生太鼓坊主のトラックで福岡から鹿児島まで素材を運搬し、地元の高校生の手伝いも借りながら蒲生交流館の庭に飛龍を再制作。


a0010575_1333362.jpg今回は作品をつりさげるリフトがないので、竹を30本用意してもらい、それを使って飛龍を持ち上げて展示。


a0010575_1334631.jpg青竹と芝生と裏の山がなかなかいい雰囲気。

11月20日まで展示されています。


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by fuji-studio | 2011-10-16 19:07 | ■鹿児島での活動
霧島アートの森でのKTSアートマーケット
鹿児島のテレビ局KTSが視聴者の「アートに出会う機会が少ない」との意見から、じゃあ、自分たちでアートと出会う場をつくろうとはじめた「アートマーケット」も15回目をむかえるのだとか。

a0010575_95472.jpg以前は一年に一度だけ開催していたと思っていたが、現在では一年に2回開催しているのだとか。

鹿児島中央駅のアミュプラザでの開催と霧島アートの森での開催。


a0010575_97554.jpg今日も5千人を超える(
? 未確認情報)観客が霧島のアートの森にやってきて、…確かにアートマーケットを楽しんでいた。


a0010575_982534.jpg僕が最初にかかわったのは2005年・・・だと思うのでもう5年前

当初は市内の中心市街地の公園で行うフリーマーケットの延長からはじまったと思うが、2006年からこの霧島アートの森で行うようになり、随分と意味とか役割も変化してきている。


a0010575_98529.jpg最近、いろいろな現場で、特に若い作家に対して「日常の行為」と「表現行為」の違いの話をしつつ、そしてさらにその「表現行為」を作品化する「システムとフォーマット」について話をすることが増えてきた。


a0010575_991181.jpg「作品を発表する機会が少ない」という意見や、「アート作品に出会える機会が少ない」という意見は、そのままその地域がどのようなアートシステムを持っているのかの問題につながるのだと捉えている、


a0010575_992584.jpgこれまでいろいろな地域での表現の現場を体験してきた経験から話すと、どんな地域もそれなりのアートシステムは必ず存在している。

しかし、多くの場合、大学と美術館と新聞社というような近代を作ってきた力に寄り添うような美術システムが、異端の要素を排除しながら権利を獲得してきた類のものが多く、若い感性になじまないものだったり、閉鎖的なものだったり、拡張性に乏しいものだったり…趣味的な同好会だったり…


a0010575_994595.jpg地域の生活者の精神的な…あるいは身体的なニーズにかけなれたものである場合も多かったのかもしれない。

ところが、70年代以降、空間の問題が発生して以来…(なのかどうかは専門家に聞かないとわからないが…)貸しギャラリーのシステムが登場し、商業施設や企業による公募展がはじまり…


a0010575_91046.jpg空間の問題から場の問題へと繋がり、そこからシステム型の表現へと拡張する中で、表現活動を「発表する」システムは多様化してきた…ことについてはこのブログでも何度か書き込んでいるなぁ


a0010575_9102258.jpgこのアートマーケットについて捉えると、この5年間の変遷は作家の変遷も興味深いが、その構造的な変化と注目するとさらに興味深いかも…。


a0010575_9113731.jpg地域のテレビ局が番組制作の延長で発生してきたというアートシステムのあり方も興味深いが、それが新しい感性を求める表現者やアートを求める生活者に受け入れられ、地域における既存の美術システムでは実行困難なフォーマットとして機能し…


a0010575_9105968.jpgそれが鹿児島にできた商業施設や霧島アートの森などの恒例の集客イベントとして定着し始めているという面白さ。

地域アートプロジェクトの延長に瀬戸内国際芸術祭などのアートツーリズムと呼ばれはじめた地域経済とからむアートイベントが発生したのに似て、地域でのアートのポジションは変化しつつあるのかもしれない。


a0010575_9111246.jpg80年代半ばから地域が模索してきた国際演劇祭や音楽祭、映像祭などの祭りの流れと並行して、このようなマーケットというフォーマットが流通している事実も見逃してはいけない。

表現者には多くの開かれた発表の現場があるということを知ることも大切だが、そのうえで、注意しなければならないことは、あらゆるフォーマットはどのような表現をも規制し規定するという事実。


a0010575_9131335.jpg「絵画」や「ギャラリー」というフォーマットに代表されるように、フォーマットを限定するがゆえにその中で自由になれることも事実だと思うが、その自由さの裏側に多くの…無意識に排除された表現の可能性があるということ。


a0010575_9134193.jpgだからこそ自分を超えようと…自分のあり方を変えようと…右往左往する表現者は可能な限りあらゆるシステムでの作品化を試みる必要があるのだと思うし、様々なフォーマットへの編集能力も鍛えるべきだと思っている。


a0010575_9135850.jpgそして、最も重要なことはシステムを変えることで出会う人が変わるということ

霧島アートの森というそもそも美術館システムの延長に作られた場でアートマーケットというフォーマットが起動することが奇跡的で興味深いことだが、現場ではそれよりも…


a0010575_9141551.jpgその場でのその出来事に興味を持った数多くの人と出会えることではじまる可能性に注目すべきだと思う。

このようなアートシステムはもっと面白い現場とのつながりを開発する可能性があるし、そこでしか発生しえない観客と表現者との関係を思うと…ぞくぞくするなー。
by fuji-studio | 2010-11-03 19:40 | ■鹿児島での活動
蒲生町80周年まちづくりシンポジウム
何かと縁の深い鹿児島県の蒲生町

縁が深いとことというのは、縁が深い人がいるところということなのかな・・・。

そこでまちづくりのシンポジウムに呼ばれて話をする。

a0010575_1635166.jpg大阪から鹿児島に入り、浜地君にまちの周辺を少々案内してもらう。

このまちにはいろいろな地域から、さまざまな活動を経由した人が移住してきている様子。


a0010575_16353912.jpg自然との関係の中で大切な活動を実現するためにこの地を選んだのだとか。

なにか大切なものが、まさに醸されつつある地域であることは確かである。


a0010575_1636776.jpgまちの中心部には江戸時代の武家屋敷の街区がそのまま利用されている。

いくつかの時代でかなり文化度の高い時代があり、高度経済成長期やバブル期の乱開発の餌食にされていないので、古い時代の痕跡が幾重にも残っている。


a0010575_1638812.jpg今回はまちのグランドデザインをいかにつくるかということがメインテーマのディスカッション。

まちの風景は、人の営み集積として自然にかたちづくられる。


a0010575_2132433.jpgまちは上からの視点でつくるものではないと思っている。

生活者の手の延長にあり、足の延長にあり、身体の延長に繋がってあるべきだと思っている


a0010575_21322585.jpgそれがいつの時代からか身体感覚から分断されて・・・遮断されて・・・表面的な取り繕いとか、虚飾だとか、・・・おおよそ身体的な感覚とは無縁なところで、作られてきたような気がする。


a0010575_2133217.jpgそれはまちを直接使う人が作るのではなく、だれかそれほど関係のない人の頭の中でまちの概念が作られ、関係ない人の手によって線が引かれ、金銭的な利益だけに興味のある人を何段階も通過して、なぜそれを作る必要があるのかさえわからない人が下請けとしてつくってきてしまった。


a0010575_21332637.jpg問題は、あたりまえのように蔓延するまちの作り方のしくみなのだと思う。

そこを変えなければ基本的にまちは変わらない。

ところで、蒲生町にはこのような120mにもわたって1700もの梵字が彫られた岩壁があった。


a0010575_21334680.jpg今回浜地くんに連れられてはじめて訪れてみる。

まさに聖地。 謎の聖地。

残念ながら、今の段階では、この貴重な聖地と、今のまちの生活との関係性を見出すことは難しい。

現代の認識でこの聖地を捉えなおし、今の若い人たちとの関係性を模索するものも大切なところだと思う。


a0010575_21342378.gifあまりにも私的財産とか所有とかの枠作りをはっきりしてきたがゆえに、共有の領域についての感覚が断絶してしまっているんじゃないか・・・と考えた。

身近な日常の延長にあるものでも、所有していないものについて、いじらなくなってしまったのだと思う。 最低限の関係しか持たないようにする感覚が蔓延して、身の回りにあり、手を入れるべきものでも、そのまま無視できる習性と感覚が身についてしまっているのかもしれない。


a0010575_985934.gif共有の財産でも、指定された管理者が選定し、発注を受けた業者のみが扱うものだとされて・・・、生活の延長でタッチしてはいけないところが増えた。

関係のないところが増えてしまった。

以前聞いてしまった「このまち、関係ないとこ、多すぎ!」との女子中学生の発言が頭にこびりついている。


a0010575_21345154.jpg今日のシンポジウムのパネリストは町長と陶芸家の尾前さんと僕。

僕が最近かかえているまちづくりのグランドデザインについてのモヤモヤをぶつけてみた。

町長と作家でもあり高校の大先輩、尾前先生を相手に、ざっくばらんな態度でご無礼いたしました。
by fuji-studio | 2008-12-03 23:58 | ■鹿児島での活動
曽我ドンの傘焼き、大盛況なのは嬉しいが、来場者が多すぎてこれ以上は危険
a0010575_295519.jpg去年についで2回目の灯明飾り、前夜祭の写真が今朝の新聞のトップを飾った効果のおかげだろうか、夜の7時ごろから続々と観客があつまり、傘焼きのはじまる8時ごろには2万人近い観客か川の周りと橋の上を埋め尽くす!

もうこれ以上は無理です。かなり危険な状態で、ひやひやものでした。これだけのイベントで警備員も誘導係も準備していませんから。・・・っていうか、これだけの人手、去年はまったく予想外だったので仕方ない。しかし、今年はある程度予想できたはず。高麗橋の上は人が車道にはみ出す寸前。

川の周りを人が埋め尽くし、なんとなく観客同士のいざこざも。一時間以上待たされて、でも移動するとせっかく陣取った場所をとられてしまうので移動できず、いらいらしてくる観客も。決して心地いい空間とはいい難い。あきらかにこの河川流域を場としたイベントの人数のキャパシティを越えている。どこで事故がおこってもおかしくないし、けが人がでてもおかしくない。


a0010575_2161167.jpgそうなんです。河川流域の整備が悪すぎるんです。そういえば、1993年の水害以降、鹿児島県は専門家の意見を無視し続けて、鹿児島市の中心部を流れるこの川を河川というより巨大な溝として大規模な土木工事を行って整備してしまったのでした。

もう忘れかけていましたが、当時僕は鹿児島のこの川のすぐ近くの実家を改装して事務所を構え、カフェを経営していた関係で、随分とその河川改修工事の方向性に対して反対運動を行いました。当時、この傘焼きの向こう側に写っている橋は高麗橋という江戸時代につくられた立派な4連の石橋(めがね橋)が現役で車道として利用されていた。まったく無傷で。しかし、今はご覧のとおりの普通のありふれた道路に・・・。

1993年8月6日の水害以降、激甚災害特別事業予算を国からもらってしまったために当時この川にとてもいい状態で残されていた5つの石橋を取り壊して大型の溝として整備する河川改修工事を始めることになった。・・・この話すると長くなるのでこのへんでやめよう。・・・ちなみに僕が鹿児島を離れる原因のひとつはこの河川改修工事でした。


a0010575_2192731.jpgとにかく、溝として整備されているので、手すりに観客が群がっても水面で行っている傘焼きの行事はとても見づらくて、後ろから押されるととっても危険。
去年、予想をはるかに上回る観客だったので、それを見越して今日は川に面した手すりの灯明を全部内側の暗いところに移動。 さらに、通路と動線を確保してその部分には灯明を避けておいた。しかし、それでも去年より倍程度の人手のために、さらに危険度が増す。

今後、同じやり方では絶対に行うべきではない。
たぶん、傘焼きの伝統行事と灯明は同時に行うべきではない。
観客を分散させて、もっと情緒を楽しむような仕掛けにシフトすべきなんじゃないか。

参加の高校生や高校の先生とは一度ちゃんと意見交換の場を設けてアイデアをもっと盛り込むべき。もっと学生が自由に面白く展開できるような面白いプログラムを開発すべき。
ちゃんと県内全域の高校生、大学生によびかけ、小中学校にもよびかけ、郷中教育が実践してボーイスカウトへと影響を与えたといわれる上下のつながりを大切にするシクミを・・・地域というコミュニティから一度はなれ、新しい形で再構築するシクミを模索するべき。

各所にワークショップのテントを設けてそこで和傘を制作するコーナーとか、もっと画期的な灯籠系の制作コーナーなどを開設し、もっと自由に市民の主体的な関わりや参加を誘発するシクミを増やすべき。

川面、水面を利用したプログラムをもっと開発すべき。・・・


a0010575_2104216.jpgあー、いろいろあるなー。同じのを頼まれたら、次はちゃんと断ろう。

もっとディスカッションの場を経てもっと違う形の実験を行うような状況ができれば次の段階として関わることにしよう。専門のコーディネーターとデザイナーをつけてちゃんした活動ができる方向性が見えるまで無理だろうな。

しかし、事故がなくてよかった。もうちょっとで大変なことになるところだったような・・・。

そういえば明石の花火大会での陸橋での事故があったなー。恐ろしい。

ということで鹿児島の実験、大成功だったのか、それとも・・・。とにかく次にどう展開するかが大切で、そのために、どれだけ高い意識を持った人が関わるかが大切ですね。

もっと若い人が関わらないとだめだろうね。
by fuji-studio | 2008-07-20 23:55 | ■鹿児島での活動
鹿児島の伝統行事「曽我ドンの傘焼き」で傘飾りと灯明と・・・
a0010575_108025.jpg鹿児島に古くから伝わる伝統行事、曽我ドンの傘焼き。明日の7時ごろからその行事は開催されるが、その燃やす前の傘を利用して傘飾りをおこない、その周りを灯明で飾る地域実験を行う。去年に続き2年目第2弾。


a0010575_1084969.jpg武岡台高校、松陽高校、中央高校、の美術部、文芸部等の高校生や特別支援学校丘の家族、地域愛護会の家族、そのほか一般の有志があつまってそれぞれが思い思いに飾りをつくる。


a0010575_1092411.jpg本当はもっとサンタフェのときのようにしっかり地域全域に参加者を呼びかけてチームをつくり、社会人チームとか企業チームとかも自由に参加して、武之橋あたりから高見橋あたりまで一帯で思い思いの場所で行いたいとこと。


a0010575_1018091.jpg結局、どれだけ呼びかけるのかというところに重点をおけるかどうかがポイント。見せかけだけの市民参加ではだめだし、このような場との関わり、人との関わり、伝統行事との関わりを必要としている人、若者、子どもにつなげられるのかどうかが重要だし、一番エネルギーを費やさなければならないところ。


a0010575_10184613.jpg去年も話には出ていたが、カフェとか屋台とか市民が自由に出店したり、フリーマーケットとか、ライブとか・・・もっと広域で川沿いを楽しめるものに展開できそうなのに、今年もそこはまったく実験なし・・・。もったいない。


a0010575_10191844.jpg問題は事務局体制。シクミのつくりかた。今の様子ではどうも消極的な事務局のようで、灯籠の数を減らそうとしたり、竹材や傘などの材料をふんだんに用意しようとしなかったり・・・やる気が見えない。

ひととおり、無難にこなそうとする染み付いた体質なのかな?


a0010575_10195316.jpgまあ、それはそれで仕方ない。とにかく積極的に活動を作って行こうとするエンジンのような存在がないと面白くはならないなー。このままだと僕の役割はもうおしまいかな。

しかし、なぜ川沿いで演奏を行うのにステージを組むのだろうか?


a0010575_10203351.jpg川沿いの環境を活かした中のフラットなところで思い思いに演奏を行いたいパフォーマーがおこなえばいいのに。大型のPAなしで。

だってせっかくの和傘と灯明の情緒が台無し。音大きすぎてうるさいし、雰囲気悪いし、いかにもイベント屋のイベントぽくてちゃっちいし。市民の手作り感を壊しているし・・・。

しかし、演奏は相当よかった。おもわず一番前で生音を聞こうとかぶりついてしまいました。

そうか。この舞台づくり、大型PA持込み大音量体質も活性化被災現象なのかな。地域活動を行うとついついがちゃがちゃとにぎやかにしなければならないような気がoする蔓延した常識・・・。

甲突川を場とした鹿児島という地域の豊醸化への試み・・・とか・・・。


まだまだ違和感や問題は山積み。だから地域実験が必要なんですよね。

明日20日の夜が傘焼き本番。
by fuji-studio | 2008-07-19 23:30 | ■鹿児島での活動
鹿児島の傘焼き第二弾
a0010575_2336419.jpg鹿児島での傘焼きの行事を素材とした地域実験・・・その第2弾。

去年は鹿児島市内の高校の美術部学生や地域の子ども達の手を借りてまさに実験を行いそれなりの成果をあげたと思っていた。

そして今年はその展開としてもうすこし募集して参加の幅をひろげる努力をするのだろうと期待していたが・・・。


a0010575_23371497.jpgところがどうも組織的な問題なのだろうか・・・、開催者の間で認識のズレが生じ、実は去年終わったあとが大変だったと聞いた。・・・だからもう僕の出る幕はないのだろうな・・・と。

でも、最終的に・・・、やはり今年も行うとのこと。

実験ならばそれなりに前回の反省を活かした形でのさらなる実験を行いたいところ。

・・・ところが去年程度におこなうとの消極的なオーダー。


a0010575_23373767.jpgせっかく傘を広げるならば、そのままそれを使って何か面白いものをつくりたいとの発案から傘を利用した飾りつけの実験が始まったのだと思う。・・・しかし、動員された子ども達は・・、いわれるままに傘を広げて・・・、その直後にあわてて片付けさせられて、歴史の講和と薩摩琵琶を聴いておしまい。

なんだかもったいない。


a0010575_23384664.jpg興味をもってもっと関わりたい人達は少なからずいると思うのだが・・・そこにつなげる活動が大切。

ところで、一週間前の今日、傘を開くイベントだけを子ども達を動員して開催する必要があるのかな・・・。

実は本番前日の19日にそのまま参加したい高校生や中学生、もしくは地域をこえて参加したい子ども達や家族達と楽しみたい。


a0010575_23391355.jpg傘焼きの現場の前にある維新ふるさと館のガラス面の中のディスプレイは去年好評だったとかで今年も行うことに。

去年は試しに僕がひとりで制作してみたが、今年は古い友人が教えている高校の美術部生徒の有志が参加してくれてワークショップ形式でその空間制作を試みる。


a0010575_23392911.jpg来週の20日が傘焼きの本番だが、その前日にまた去年のように灯明を使ったワークショップを行うとのこと。

ワークショップという要素についてただ、参加者に手法を伝えるだけではなく、参加者の主体的な活動を引き出すワークショップの仕掛けが行いたいところ・・・。

その部分が重要なのだが、関係者にそこの部分を実現しようとする意思がどこまであるのか・・・。というか、その必要性をどこまで感じているのか。

地域実験としてではなく、どうしてもイベントとしてのつくりこみをしがちなのが問題かもしれない。
これは全国各地の現場で抱く違和感でもある。

新聞やテレビがせっかく取材にきていたというのに、来週の展示への参加を呼びかけてくれないのさびしい。

あくまでも伝統行事に触るのではなく、伝統行事を盛り上げるための周辺の地域実験だという認識がキーになっているのだが、どうしても理解が難しいらしい。

さて、これが将来どうなるか。楽しみ。

7月19日の前夜祭の和傘と灯明の飾り。20日の傘焼き本番は去年並みの実験。

そして来年は・・・?
by fuji-studio | 2008-07-13 19:04 | ■鹿児島での活動
鹿屋のやねだんでの「めったに見れない芸術祭」
a0010575_10125068.jpg福岡の地元でのアートプロジェクト、筑前深江アーツキャンプを実施したのがちょうど2年前のゴールデンウィーク。 


a0010575_1014328.jpgそのときは曽我部さんとか中村さんとか森さんとか永田さんとか・・・僕が最近仕事を一緒にしつつ、信頼している人のうち何人かを地元に招待して取り壊されそうになっている海の家を借りて参加者を募り、キャンプ合宿形式で企画会議を楽しんだ。


a0010575_1016986.jpgそれがきっかけで、家に数ヶ月滞在した後、越後妻有、取手を経由して鹿児島の櫻島に移り住み、桜島を活動の拠点としつつ、いろいろがんばっている浦田さん


a0010575_10163269.jpg彼女が鹿児島の鹿屋の地域づくりで相当有名な「やねだん」という地域の街をつかった展覧会に出品参加しているという情報を得たので遊びに行ってみる。


a0010575_10165464.jpgやねだんという妙に結束力の高い地域に画家や陶芸家などの作家が移り住み始め、地域と深い関係をつくりながら、それぞれが作品制作の拠点としている妙なテンションの現場。


a0010575_10171425.jpg展覧会としての広報はそれほどやっている様子はないが、地域自体が人を集める力を持ち始めているのでなんとなく人が集まっていて、そのゆるやかなかんじがいい。


a0010575_10174334.jpg浦田さんの作品が地元の住民の投票により、市長賞を受賞したとか。

おめでとう。


a0010575_10183659.jpg個々の作品の質とか強度とかの問題ではなくて、個々の作品のイメージのありようとかでもなくて、もちろんそれぞれも面白いのであるが・・・その地域にとっては、外から集まってきた若い作家達がそこで何かを作ろうとしているその態度そのものが貴重であり、それが地域の住民に与える作用、反作用が意味とエネルギーを作り出すのだと思う。

何もないのではなく、いろいろな関係が発生する。そのこと自体に意味がある。

何かがありそうなところに人は集まる。何があるのだろう?という探究心が人を動かす。

そこで、何もない状態を続けていたらだれからも見放されてしまうが、小さな何かでもいいので、キャッチしてもらい信頼されることが大切だと思うなー。

ちなみにやねだんの空き家は「迎賓館」と名づけられて外部からの移住者や滞在者に解放されています。

とまりたいなー。
by fuji-studio | 2008-05-05 20:49 | ■鹿児島での活動
イイスペイス と表記する e-space
a0010575_23175247.jpgお正月はほとんど毎年鹿児島の実家に帰る。

これまで帰らなかったのはパプアニューギニアに派遣されていた2年間だけかもしれない。


a0010575_1162575.jpgこの数年、鹿児島の実家には山ほどやらなければならないことがあり、忙しいので心地いい。

去年は壁を制作して大変だったが、今年は入り口の看板を数枚作ったり、クスタケシの黒猫作品を庭のあちこちに設営したり・・・軽めの作業。 


a0010575_28599.jpgちなみに看板の制作ですが、宅急便の送り状のカーボン紙を利用させていただき、プリントアウトした文字をトレースして、ボールペンで黒く塗り、仕上げてみました。


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…これ、昔からたまにつかう技術。…だれにでもできるので一度やってみてください。

ところで、ボールペンのインクって日光堅牢度高いのかな?


a0010575_1194265.jpgそういえば、京都で暮らしていた大学時代、鹿児島の実家に帰っても掃除をするぐらいしかやることがなく、コミュニケーションの苦手な父親とのズレに、・・・いや、実は自分自身のコミュニケーション能力の不足が原因で・・・、年末、鹿児島に帰ると喘息が出て苦しんだ。

※写真は去年制作したのぞき穴のたくさん空いている壁


a0010575_1535040.jpg東京で就職した頃、ますます鹿児島の実家の家族との関係性が薄れてゆくのを察知し、ある偶然の重なりから僕の生まれ育った実家を改装し、両親と姉達とでオルタナティブスペースを経営することになった。

げ! それってもう20年前なの?

それが鹿児島市内の交通局電停前にあった media garden E-space

1989年(平成元年)7月7日七夕にオープンし、その後7年間、1996年12月24日まで数多くの運営上の問題を家族それぞれが抱えながら、それを乗り越えるための多くの対話と作業を重ねてきた。 


a0010575_157789.jpgそこからe-terraceという建築物の計画が連鎖し、さらに多額の借金をすることになり、その運営とその中のオルタナティブスペースの運営がはじまり、さらに両親が暮らす実家でのe-space gaedenの運営まで行うことになり、次から次へと家族の中で乗り越えなければならない問題が湧き出てくる環境が整う。


a0010575_2173294.jpgしかし、そこに家族とともに、あるいは家族の為に行わなければならない対話が生じ、作業が生じる。…実はそこが大切なところ。 紆余曲折ありながら両親とのプロジェクトを始め、気づいてみると20年、その対話と作業が結果としてコミュニケーションのぎこちなさを克服してくれたような気がする。 


a0010575_218765.jpgコミュニケーションの苦手さを自覚していないとこのプロジェクトは発生しない。喘息が出るという体の反応がなければ、もしくは両親との関係を深めようとするベクトルがなかったら、わざわざやる必要のないことだと思う。

おかげで20年前から鹿児島の実家に帰っても喘息で苦しむことはなくなった。


a0010575_216923.jpg20年もたつと、昔ほどギスギスした対話にはならず、皆がそれそれ受け流し、あるいはイツモどおり辟易し、それぞれがやるべきことを最低限でやることができるようになる。

※写真は1989年当時、テーブルの上の常設展示のために制作した作品の一部。木彫りの木の作品


a0010575_23222160.jpgできる限りの時間で看板を作り直したり、空間の配線をやり直したり、空間の整備をしたり、やらなければならないことはたくさんあるが、ゆるやかに楽しみながらできるようになった。


a0010575_1232570.jpgということで、実家はいろいろな展示会や発表会、教室などのいい活動の為に利用してもらうゆるやかな場となっていますので、どうぞご利用ください。

・・・・・・


a0010575_1242766.jpgそうそう。e-spacegardenの入り口に飾ってある額縁ですが、交通局電停前にmedia garden E-spaceがオープンしたときに、とりあえずのつもりで僕が作ってそのまま7年間ずっと使われた看板と、お店で配っていたマッチです。

マッチ?!

当時はカフェではオリジナルのマッチをつくり、どの店でもレジのところにおいて配っていたんですね。禁煙が拡がった今の時代からは考えられないですよね。

マッチには当時僕がノリで描いてしまった地球君というキャラクター。

今は陳腐になりましたが、1989年当時はキャラクター化したものを表現に取り入れることがなんだか美術表現っぽくなくて面白いと思っていたのでしょうね。

そういえば、カフェを作って運営する表現がいかにも美術的行為からかけはなれていたので、あえて美術表現の手法の一つだと考えることが面白い時代でした。

マッチのようなグッズを作ったりすることも・・・。


a0010575_23233330.jpgしかし、20年も経つとそれが当たり前のように美術表現の手法のひとつとして流通しているのが面白いですよね。

面白いというより、気をつけなければね。当時斬新だと思っていたことでももうすでに流通してしまって、陳腐なことになっているんだもんね。

そういえば、e-なんとかというネーミングがもうやばいですよね。89年当時は斬新だと思っていたのになー。

古いね。 もうすぐ二十歳なんですね。

ああ、気をつけなければ・・・。

※写真は天気のいいときにe-space gardenの正面に見える霧島連山。
by fuji-studio | 2008-01-03 09:41 | ○イイスペイス@イイテラス
e-space garden の運営
a0010575_15432848.jpgかえっこビニプラという表現が妻や子ども達と深く関わるため始まったプログラムであるのに対して、この鹿児島でのe-spaceという表現は僕の実家の両親や3人の姉達との関係を再構築するために仕掛けられた家庭内のプロジェクト。
1988年にパプアニューギニアから帰国して、東京で会社員として勤め始め、鹿児島に帰る用事がなくなったことを自覚した。
そのことがきっかけとなり、意図的に両親や兄弟と何かをつくり続けようと、生まれ育った住宅を手作りで改装してカフェをつくり、それを運営してゆこうとするところから始まった現場。
a0010575_15455237.jpg当時、僕は両親や兄弟と対話する内容が見出せないでいた。年末に実家の鹿児島に苦労して帰ってみても、特に会話すべきことを見つけられずに、ひととおりの近況報告のあと、年越しのお決まりのテレビ番組歌合戦を見ながら、どうでもいいような会話をする時間が耐えれなくて喘息が出た。
僕がゼーゼーいい始め不機嫌になると、家族の中に黒い雲がかかり、一刻も早くその空間から逃げ出したくなったのを記憶している。
僕は対話が苦手だった。友人との対話も苦手だったし、兄弟との対話も両親との対話も苦手だった。特に会話を作り出そうという努力もしていなかったし・・・。

パプアニューギニアでの2年間の生活で、僕の中であらゆる価値観が変換され、つまらない対話がいかに楽しく重要で、価値あることであるかを思い知って、そんなことが実家の家族たちとも可能なのかと思い始めた。
そんなときにたまたま空き家になっていた生家を改装して始めたのがe-space。

それからかれこれ17年。紆余曲折、四苦八苦、右往左往ありながら、未だにプ「イイスペイス」をつくるプロジェクトは続いている。
おかげで運営しなければならない空間は拡大し、莫大な借金もでき、それを返済しなければならない責任もできて、80になる父親と75になる母親や3人の姉達との深い対話や価値観のぶつかり合い、言い争いの類は未だに絶えることがなく、大切な時間を過ごすことができている。

ということで、紫原で2004年から運営を始めたe-space gardenは当分の間、カフェ、レストランの営業を停止して、パーティや発表会、演奏会等の貸し会場として、あるいは1週間単位で利用いただける貸しギャラリーとして静かに運営してゆくとこになりました。

どうぞよろしくお願いいたします。

藤浩志
by fuji-studio | 2006-04-17 15:46 | ○イイスペイス@イイテラス