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ずっと発酵中! 筑前深江海水浴場の「うみかえる」


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うみかえると名付けたのはいつからだろうか。

福岡の糸島のこの海沿いの空き家のたっている土地を借りることになり、それにともなって、本来取り壊すべきところの朽ち果てつつある木造の古民家を買い取り、改修して使ってきた。

僕のブログの中から、これまでのうみかえるの記事をいくつかピックアップしてリンクしてみる。







a0010575_08175210.jpgこれまでのブログの中からうみかえるいじってきた記事リンクしてみたらたくさん出てきた・・・。

しかし、5年前この場所を離れ、十和田市現代美術館に勤務することになり、家族が隣にできた屋根と外壁だけの家に移り住み、ここが一時はかえっこのおもちゃの荷物の集配所になっていたが、雨漏りが激しく、海風が強く、天井が落ちてきて、ほとんど使えない状態になっていた。整備してもすぐ荒れ果てる・・・。

a0010575_08185038.jpg雨漏りのしない家の台所や和室部分と2階の部屋に、以前後輩が住んでいたが、そこが最近、いろいろな人が講演会をしたり、会議室になったり、舞踏の講演をしたり、気功の教室をしたりと使われ始めていた。

その延長の広い半屋外のような雨漏りのする屋根のある東屋のような感じで使えないかなと、今回3部屋分の天井をおとし、整備して、部屋の中にだるまストーブをもちこみ、発酵中の空間を作ろうとしてみた。

a0010575_08192351.jpg空間をいじり始めるといろいろやりたくなる。こうしようと決めて部屋を作るのではなく、部屋をいじりながら部屋を構築してゆくのがいい。

もっと時間があれば、ずっといじり続けているのだろうな。

a0010575_08200004.jpg糸島芸農の出品作品として空間をつくったので、まだ作業中の現場にバスツアーで100名ほどの客がくる。福岡市文化振興財団の主催のマネジメントスクールの学生が20名ぐらいで訪れる。かなり昔から僕の活動を見てくれている人たちがぽろりぽろりとやってきて、僕が作業しているのを見て驚く。




a0010575_08202552.jpgああ、もっとやりたいけど、今回は時間ぎれ。次はまた2年後、どのようになっているか、見に来て欲しい。朽ち果てているか、増築されているか・・・。



by fuji-studio | 2016-10-27 08:16 | ◎福岡・筑前深江での活動
その場にあるもので、無理せず、空間を整備しつつ・・・
a0010575_115379.jpg崩れている床はそのまま崩し、崩れいている天井も、そのまま開けたまま・・・しかし、危ない部分は整備しつつ空間を使う方向性で手をいれている。


a0010575_1155594.jpg普通の住宅の空間に広がりができて面白い状態に・・・

床下が見える状態なので、床下を冷暗所としていろいろな保存庫にすればどうだろうか・・・とか、落ちてくる雨を利用して何か面白い仕掛けができないだろうか・・・だとか、いろいろな妄想が広がる。


a0010575_1163778.jpg材料を購入し、リノベーションを行うときりがないぐらい大変な作業になるし、予算もありえないぐらい少ないので、あえてこの場から出てくる材料だけを使うという制約を作って、その中で勝負しようと試みる。

それが、チャレンジングで面白いのではないかな・・・と。


a0010575_1172344.jpgとはいえ、なるべく雨漏りはとめたいので、こえび隊で参加していた総合格闘技ファンの若者に屋根に上ってもらい、割れている瓦を取り替える作業。

その瓦も草刈の中から発掘された瓦たち。

しかし、この場所、集落の上のほうで瀬戸内海がきれいにみえて、とても美しい。

展望できる休憩所がほしいな・・・。
by fuji-studio | 2010-06-18 01:17 | ◎瀬戸内国際芸術祭・藤島八十郎
北本のうらやましい「みなみ幼稚園」。
たまたま今回、日本文化デザイン会議の会場として使うことになったので足を踏み入れた北本にある幼稚園。

「みなみ幼稚園」


a0010575_915198.jpg「なぜ、幼稚園でデザイン会議?」と少なからず疑問に思っていたが、足を踏み入れて・・・びっくり。

メイン会場の雑木林に隣接しているのでたまたま使うことになったのだろうと思っていたが、とんでもなかった。


a0010575_9155833.jpgそこは幼稚園というよりは子どもの心の楽園。

大木や築山、牧場、農園、美術館までもかとても自然な形で点在し、建築物は自然素材に溢れ、木々の間から差し込む光で満ちている。


a0010575_9174393.jpg大木の周りに子ども達のイメージを刺激するようなツリーハウスのような仕掛けがあったり、園内に電車の車両をそのまま利用して滑り台になっている「本物」まである。


a0010575_9191183.jpg井戸水をくみ出すポンプもあった。

ひつじやうさぎや・・・聞くところによるとここから離れたところにロバもいて子ども達は乗って遊んでいるらしい。
なるほど。遊び心で満ちているんだな。


a0010575_9342371.jpg子ども達の感性が最も急成長する時期にこのような自然豊かでおおらかな空気感の満ち溢れたところで育てられる北本の住民がうらやましい。


a0010575_916358.jpgこのみなみ幼稚園では最近巷の幼稚園で増えてきている子どもの感性の阻害するような「教室的」カリキュラムはほとんどなく、子ども達は自由に遊んでばかりなのだとか。

発想力だとか、自主性とか、想像力とか、自己解決力とか、感性とか、活動力とか、意欲とか・・・これらはすべて子ども達の自由な遊びの中で育てられるのだと確信している。

逆にそれらを阻害するものが「大人が用意したプログラム」なのだと思う。


a0010575_9203695.jpg特にこの時期、つまり、未就学の時期は知識を詰め込むことが自由にイメージする力を阻害する大きな要因になると確信して子ども達を育ててきた。


a0010575_936919.jpgしかし、僕の近くの保育所でさえも、この運営競争の中で迷走をし始めているように思えてならない。

大きな木とやさしい動物と自然の風と大人の暖かい視線が満ち溢れたところで、自由に遊ぶことができる空間と時間。


a0010575_937370.jpgそれを子ども達に提供することすら困難な時代になっているのかな・・・。

とにかく、このみなみ幼稚園は開業以来40年ぶれていないのだとか。

つまり、北本にはすばらしい感性を持つ大人が育っているとみていい。

そういえば・・・北本ビタミンに集まってきた大人の多くがこの幼稚園出身であるということに気がついた。

街づくりは人づくりということがよく言われるが、人づくりというと「教育だ!」と勘違いして何かを教えることを考えようとする勘違いした大人が多い。

その余計な勘違いが結局「感性を育つ環境」を阻害してしまう。

教育なのではなく、「だれとすごすか」なのだと思う。
「どんな価値観を持った大人の中で育つのか。」

すべて環境という言葉で語られるかもしれない。

もう少し早く気づいていたら北本に引っ越してきたのにな・・・。

・・・なるほど。鍵になるのは「大人の本気な遊び心」かな・・・。

それが子どもに連鎖する。
by fuji-studio | 2009-10-11 23:59 | ◎埼玉・北本ビタミン
九州大学建築学科2年生の設計課題の講評会
a0010575_10183573.jpg建築学科の2年生の最初の設計の課題。

美術館を設計するという課題ということで、この数年間、毎年授業に付き合っている。

毎年、まだ未開発の・・・これから面白くなりそうな才能の種に出会えてとても楽しい。


a0010575_10191258.jpg今年も未経験であるがゆえに既成概念に捉われない思いもよらない発想の建築物ができあがり興味深い。

発想力やイメージ力は経験を重ねることでかなり身についてゆくものだと実感している僕としては、20代から30代に何を経験するかが重要だと思っているが、10代半ばから20代半ばの10年間で獲得する感性はそれにもましてとても重要である。


a0010575_10193023.jpg生後すぐから10代初めまでのいわゆる幼児期や幼年期の経験や体験ももちろん重要で、感受性を育てる上で、この時期の多くの体験は必要だとおもうが、あくまでもこれは周りの環境・・・家庭環境や学校、地域社会の環境から与えられるものが多い。


a0010575_10194775.jpg10代半ばから20代半ばに獲得できる感性は、その個人が本人の感性にしたがって、どのように動いたかによって決まってくる。

音楽や映画、ファッションや生活空間の志向など、40代を過ぎてもいまだに20代にはまってしまった感覚に左右されて暮らしているような気もする。

そして20代半ばからその感性にしたがって意思を持って動いた方向に人生は流れる。

そしてその個人の周辺の流れも変わる。

大学2年生という変化が激しい時期だと思う。もっとも感性を開放し、いろいろなものを受け入れ、自分の意思の方向を探る、実はとても重要な時期。

そんな学生と接していると、日常では出会えないことがいろいろ見えてきて面白い。

形にもなっていないし、言葉にもできていないプランも含め、たくさんの美術館のアイデアありがとうございました。
by fuji-studio | 2008-11-27 23:49 | ■福岡での活動
九州大学の建築科の課題、中間講評
九州大学の建築学科の課題の中間講評にあわせるために福岡へ。

a0010575_1572977.jpg前回、課題の説明会とレクチャーを行い、そのまま大阪へ向かい、そのままインドネシア、水戸へと・・・ずっと出かけっぱなしだった。

はじめての建築の課題なので、多くの学生はいろいろ考えてはいるものの、どのように形にしていいのかわからない状態。

頭は動いても手が動かない。体が動かない。手を動かして考えることに慣れていないし、素材と格闘することにも慣れていない。それがいい。

学生時代に最初に作品をつくるときに、何を手がかり、足がかりに作品を制作するのかまったくわからなかった頃のことを思い出す。

学生の形にならない状態のプレゼンテーションをみて、この瞬間が一番面白いと思う。なんでもないものが並び、興味深い。とても建築とはいいがたいものばかり。それがいい。そんな状態があることを忘れたくない。

ここで、誰と出会い、何と出会い、何をいじるのかで随分と違ってくる。そのありようをもっと分析すべきなんだろうな・・・。

ここからはじまり、2年ぐらいたつと、もう普通に建築を作るようになるのだろうな・・・。

問題はそのプロセスで何と出会い、何と向き合い格闘したのか・・・ということなのだと思う。
by fuji-studio | 2008-11-10 23:53 | ■福岡での活動
九州大学での建築の授業で、建築を考える。
a0010575_1302817.jpg九州大学の建築学科の2年生がはじめて図面を描く授業に立ち会う。

課題説明からはじまり、中間の講評が2回あり、今日が最終の講評会。


a0010575_1342845.jpg建築家がどのように建築という世界に入るのか…、その最初のプロセスに立ち会うことができてとても面白い。 

それぞれの大学で建築に対するアプローチはぜんぜん違うのだと思う。


a0010575_1352838.jpg建築というものに何から入るのか。

・・・むしろ・・・、誰と入るのか・・・。

それによって建築というものの捉え方は全く違うものになる。

そのことが興味深い。


a0010575_137992.jpgそれは美術大学でも言えること。

いや、どの世界でもいえる。

「誰と」その世界に足を踏み入れるのか・・・。

それにより多くのことが変わってくる。


a0010575_1383323.jpgあれ?

これって、子どもが大人の世界に入り込むのも同じなのかな…。

誰とその世界に入るのか。

それによって何が変わるか。


a0010575_13135919.jpg信頼性?

魅力?

深度?

広がり?

可能性?

将来性?


a0010575_13143781.jpg「誰と」には同級生も含まれるし、講師や先生、先輩も含まれる。 

家族も含まれる場合もある。


a0010575_1315451.jpg建築家の学生、2年生、19歳ー20歳 etc.。

何の表現手段も技術も持ち合わせていない個人が、はじめて建築のコンセプトの言語化を模索し、模型化で右往左往し、図面化で悩む。 

ビジュアル化する技術と自分の意識や知識のギャップで苦しむ。


a0010575_1315284.jpgこれが数年経つと、いやでもある面の技術だけは身につき・・・それによりその個人の能力がフィックスされる。

出発点は大切だなー…と思うと恐ろしい。


a0010575_13154764.jpgそこから多くの価値観が発生し、蓄積されることになる。  

しかし、そこからまた転換する転換点もまた大切だなー…。


a0010575_13161375.jpg導入がつまらなくてもその途中で転換を迫られる出会いもある。

積み重ねてきた価値観の大きな変容を迫られ、また誰かと違う世界へ導かれることもある。


a0010575_1316319.jpg建築家はある種、職能として「解」を求められる立場にある。

彼らは10年後-40年後、現在立ち上がりつつある常識と戦いながら、様々な困難に対しての解を求めてゆかなくてはならないということをまだ知らない。

様々にふりかかる問題。

先日現在の建築家が論議していた以上の、予想もできないほどの困難を課題とし、それぞれの解を求めてゆく立場にある。

どこまで一緒に立ち向かえるのか・・・

ああ、楽しそうだなー。
by fuji-studio | 2007-11-29 23:18 | ■福岡での活動
九州大学で曽我部さんのレクチャーと中間講評会
九州大学で行っている建築学科の2年生の授業の中間講評会。

うっかり忘れてしまうところでした。ちゃんとメモをチェックしないと・・・。新潟から帰ってきてついつい油断して、スタジオで平和におもちゃを繋げる作業をしていて思い出しました。

a0010575_16371867.jpg「今日は曽我部さんが来る!」

で、あわてて九州大学へ。

曽我部さんの話の前半聞き逃したけど、後半面白く話を聞く。なぜ「みかんぐみ」という名前になったのかという話しがきけてよかった。

メンバーの子どもが電話で「保育園でみかんぐみになるんだよ!」と話したところからみかんぐみになったという素敵な話。


a0010575_1640201.jpgで、曽我部さんも加わって中間講評会。まだ図面を描くというスキルも模型をつくるというスキルも持っていないし、ドローイングもを行う手も動かない状態で思いをいかに形にするかで戸惑っている。

頭の中でも漠然としたイメージだけがぐるぐる廻り、形に落とすことができないでいる状態。ああ、なつかしいな。

イメージしたものを描くこともできなければ、イメージするために手を動かしたり体を動かすこと。それも知らないんだろうな。

しかし、それは何年か手を動かし体を動かしていると嫌でも身につくもの。問題はそれ以前のことだったり、そのプロセスで何と出会うかということなにかな…。

最終講評が楽しみです。がんばれ!

九大の学生、筑前深江、bird lodge-海の家のプロジェクト参加しないかな。曽我部さんの話で現場が大事だっていっていたので・・・。
by fuji-studio | 2007-11-12 23:40 | ■福岡での活動
美術館をつくるという設計の課題
a0010575_17533024.jpg九州大学の建築学科での授業、美術館をつくるという設計課題の最終講評会があった。

学生にとってははじめての設計課題で思い思いの提案をおこなう。

いや、とても新鮮で刺激的。


a0010575_1754284.jpgいや、なかなかバリエーションがあり、それぞれの特性が垣間見れて本当に面白かった。 

まさにイメージが発生してくる現場。

まだまだ未熟であるがゆえに可能性だけは大きい。


a0010575_175456100.jpg学生の提案を見ていると、以前のような権威的な構造を持つ・・・というより…、権威を作り上げる装置として美術館を捉えている学生はいなくて、美術館が日常に開かれていたり、入り易かったり、溶け込んでいたり・・・ほとんど広場感覚で美術館を捉えているのに驚いた。 


a0010575_17593939.jpgこれは僕が最初に妙な話をしたという影響も大きいとは思うが、彼らにとって美術館はすくなくとも高尚ナニモノカがありがたく飾られているところなのではない。


a0010575_1801360.jpg日常の延長にありながら、日常に刺激を与えたり、日常を超える空間であることは理解しているところが興味深い。

でも、人生を狂わせてしまうほどの空間体験をした人は少ないんだろうな・・・。


a0010575_1803283.jpgインターネットで作家のことを皆それぞれにリサーチし、美術館というものを既存の価値観にとらわれずに何の先入観もなく展開する。


a0010575_1805084.jpgこれが建築の設計の授業でなく、僕のアートプロジェクトの授業ならばまったく違う話をしていたに違いない。

「空間が人にどのような行動を与え、そこから何が生まれてくるか! その装置を考えよ!」・・・とか・・・面白そう。



a0010575_1815420.jpg色がいいとか形がいいとかの問題ではなく、かといって人がどのように生きるべきかの問題でもなく、・・・

人と人が関係することで何が起こるのかの問題…。

そんなことをつらつら考えながら、改めて建築のあり方と可能性について思いをめぐらしていた。

この学生の中から、将来一緒に仕事をする人がまたまた発生してくるのかな。

きっとそうなんだろうな。

今までもいつもそうであったし・・・。
by fuji-studio | 2006-11-30 23:31 | ■福岡での活動
可能性の渦!? 九州大学建築学科
a0010575_8242835.jpg結局、なんの経験もなければ、まだ図面なんてひいたことないという人たちということだけれども・・・裏返せば・・・すごい可能性のある人達とディスカッションを行ったことになります。

今日、九州大学建築学科で美術館の設計の実習の中間講評会。

まだまだ形のボキャブラリーも、建築のボキャブラリーも持ちえていないし、考えをどのように表現したらいいのかまったくわからない状態の学生。

つまり表現の手段を持っていないし、手もあまり動かしたことがない状態の学生。(文字を書くとかゲームするとかキーボードをたたくとかではなく・・・)

見方をかえるととってもピュアでいい状態。

いま・・・つまり大学1,2年の状態で、これから建築を勉強するぞ!という意気込みが溢れる状態で、すごくいい状態。

いま、その時期にそんな建築と出会い、どんな空間と出会い、どんなシステムと出会い、どんな人と出会うのか・・・。それが10年後を左右するなと・・・・あるいは30年後の日本の風景を変えるんだろうなとつくづく思いました。

本当に可能性溢れています。可能性の渦ですよ。
・・・結局なにもできていない状態なんですけど・・・。

それがいい。うらやましい。

自分自身が大学2年当時どうだったかというと・・・京都という街に出会い、仏像に出会い、お寺に出会い、庭園に出会い、寺山修司に出会い、演劇に出会い、ハンスベルメール田中一村に出会い、・・・友人達との関係にもまれて・・・ああ、大変な時期だったな。

たぶん当時一番はまっていたのは広隆寺の弥勒菩薩・・・へんな大学生だな。
で、その頃からバレーボールと演劇と同時に人物のドローイングにのめりこみ始めた時期・・・。

しかし、もう、秋かな・・・。

・・・人生の・・・。

なんだかのめりこめない・・・
by fuji-studio | 2006-11-09 22:34 | ■福岡での活動
建築デザインのクリティークだって!
a0010575_9726100.jpg福岡で建築の学生が自分の作品のプレゼンテーションを行い、それを審査するデザインレビューが開催され、そこに参加する。

全国公募で140名の応募者があったとかで、会場には140名近くの学生が自分で卒業制作などのパネルや模型などを持参して展示し、審査に望む。


a0010575_9505369.jpg僕の仕事はもちろん建築デザインの仕事ではないが、建築のデザインの前の仕事だという自覚を持っている。つまり、デザインになる前のプロセスの仕事。空間や空気感をつくる仕事でもあるが、・・・流通する以前の価値観を立ち上げる仕事・・・。
社会化され、常識となる前のものを発掘し光をあてる仕事・・・。建築というハードウェアが組み込むべき活動のシステムを作り出す仕事。もしくはその空間を使うユーザーがその使い方を開発する仕組みを考える仕事・・・。あるいは使い方のバリエーションと可能性の端っこの部分を具体化する仕事・・・。


a0010575_9535374.jpg学生のプレゼンテーションを聞きながら、10年以上前に従事していた建築企画の仕事の現場で感じていたの当時の違和感を思い出す。
建築ができる前の調査と企画を行っていたが、そのとき視点の中心としていた経済的価値観への違和感。
そこから離れて地域活動に目を向けて個人で動き出し、必ずしも貨幣経済的な価値観が中心で調査や企画を立てるべきではないという確信を持つようになった僕自身のプロセス。


a0010575_9585782.jpg学生のプレゼンテーションは彼らがまだ社会化していないがゆえに、社会的価値観や経済や流通の価値観から遊離し、個人的で、あるいは表層的で、非現実的でありながら自由で闊達で、なかなか面白い。

建築という現実のそれ以前の状態にあるという点で、僕自身にとって興味深い様々な種が転がっているように思えていとおしかった。


a0010575_1152729.jpgその学生の闊達さが審査員達の気持ちを和ませ、しかし、彼らに現実の厳しさも教えなければならない立場もあるのだろうが、その両輪のバランストークが絶妙に面白くて本当に楽しい時間をすごすことができた。

いや、ほんと、楽しかったな。伊東さんもよかったけど、さん、最高だったな。


a0010575_19493421.jpg同時に僕としては僕自身の仕事の領域を建築との関係からあらためて再認識することができてとても有意義な時間でした。

会場では勝手な意見を言って本当に申しわけございませんでした。それと話が十分にできなかった学生の方々、申し訳ございませんでした。
by fuji-studio | 2006-03-21 23:19 | ■福岡での活動