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基礎超識: 地域イベントと地域実験の大きな違い。
川俣さんとの大型アートイベントに関するトークを終えて、ほとんど語れなかった印象をぬぐえないでいたが、次の日の朝、横浜でアサヒアートフェスティバル(AAF)の関係者と話していて、AAFがサポートしている地域系の…どちらかというと小さなプロジェクトと前日テーマになった大型のアートプロジェクトとの「違いはなんだ?」との視点を問われ…そのとき別のことを答えてしまったような気がして…その後もモヤモヤが染みついていた。

a0010575_23362185.jpgで、さらにアートイベントを研究しているという学生から質問がきて、それに答えようとしつつ…いちばん大事な前提を話していないことに気づいた。

これも僕自身の超識だと思うが

そもそも地域系のイベントと地域実験はまったく性格が異なる。…というか、前提が異なってくる。

イベントは「成功すること」を前提として成立し、失敗しないことが配慮され物事が仕組まれてゆくが、実験は「失敗することで問題を見出す」ことが前提として仕組まれてゆく。…と考えている。

僕の超識では地域は(もちろん個人や組織も…)もっと様々な実験を含む経験を積み重ねることで豊穣化してゆくと考えているので、失敗も含む地域の経験値の増大そのものに価値があるとする…そのことが前提となっている。

地域の中から新しい価値を見出す活動は実験も経験もなしに「簡単に発生させようとする」こと自体が暴力だと思っているし、成功するために「失敗を見ようとしない」視線からは何も生み出されないのではないかと考えている。

とにかく、アートプロジェクト、アートイベント、フェスティバル、トリエンナーレ、ビエンナーレ、芸術祭など地域をベースとして繰り広げられる様々な出来事が並列に語られがちで、混乱してしまう部分もあるが、あきらかに「イベント系であるか、地域実験系であるかの違い」はその呼び方に主催者の意識の違いを垣間見つつも、「何をもって成功としたか」がどの部分で語られているかを見るとその関係者の意識が明らかになる。

地域は多くの表出していない問題を抱えているし、地域で暮らす人はそれぞれ違う問題を多層に抱えている。その見えないモヤモヤ(潜在的問題)がイメージ化され、その解決に向かう「新しいベクトルを見出せたかどうか!」が地域実験における成功だとすれば、「来場者数の増加や経済波及効果の上昇」は地域イベントとしての成功なのかもしれない。

僕は個人的には大型のフェスティバルやアートイベントそのものが、実は社会実験ともいえる大型の地域実験として成立しているという視点で興味を持ち参加している。しかしもちろん、主催団体や実行委員会、あるいは事務局がそれを実験として認識していない場合があってもおかしくないし、小さなアートプロジェクトであってもそのケースはありえる…が、それほど問題だとは思っていない。

ただ、地域実験としての意識を持ち、地域のいかなる問題が浮上し地域の中にこれまで出会ったことのない新しいベクトルのイメージが発生したかどうか…それを地域の誰と関係者の誰と共有できたのか! そして「そこで暮らす人が次に動くべき行動のベクトルと出会えたかどうか!」ということなのではないかと思っている。

そのあたりについてまったく話できなかったんだけど、この部分ってたぶん重要なんだと思う。

そんなことってたぶん常識的じゃないんだろうな…。

評価の話していてもそのような話題にはならないし…。
by fuji-studio | 2011-01-22 18:18 | ・思索雑感/ImageTrash
基礎超識3:作品は味わうもの。美味しいかどうかが問題。
そもそも美術作品は味わうものだと思うので、美味しいか美味しくないかが問題だと思っている。決して、わかるとかわからないで判断するようなものではない。

a0010575_11472958.jpg食事をわからないから食べないという人はなかなかいないんじゃないかな。

食わず嫌いというのもあるが、食べてみないとわからないものほど美味しかったりする。

美味しそうに見せているものには毒が含まれる場合もある。(そういえば昔僕の作品をそのように論じた人がいたな…)

料理と一緒で「どうやって作ったのか、なぜそんなものまで作ったのか?」はわからないもののほうが美味しい場合が多い。

いい食事かあるようにいい作品もあるし、悪い食事があるように悪い作品もある。

そして旬もあるし、賞味期限切れもある。腐ったものもあるが、腐ったものほど美味しい場合もある。

味にたとえるの感覚に直結しているからかな・・・?。

作品は好き嫌いで食べることもあるし、健康のために食べる場合もある。

美味しいかどうかの判断はその日の体調や前日に何を食べたかによもる。

…ってこのあたりのこと以前詳しく書いたのでそちらをぜひご覧ください。
by fuji-studio | 2010-10-08 13:23 | ・思索雑感/ImageTrash
基礎超識2:人の作り出したモノゴトに関する時間軸。
モヤモヤからイメージを立ち上げ、イメージが流通し、編集されて価値化されるという時間の流れがある。

a0010575_11533230.jpg芸術祭とか展覧会とかのフォーマットの中では、どうしても、あれもこれも「美術作品」と単純に一括りにされ、均一化されて見られてしまうが、実は作品にも時間軸がある。

発芽の時期があり、旬があり、完熟期があり、保存加工期があり、醸造期があり・・・あるいは告別期もあるかもしれない。


a0010575_11544269.jpgもともと博物館は役割を終えた…ある意味死後の適正な墓場として、その慰霊を尊重し保存、伝承するためのものだったろうし、近代美術館はその意味では保存加工、醸造施設だったのかもしれない。

とにかく、さまざまな活動にはイメージとして立ち上がる瞬間があり、それが時代と関わりがうごめきはじめ、存在感を放つことで次の時代の価値観へとつながってゆく流れがある。そこを旬の時期と捉える。


a0010575_1156153.jpg価値化されたもので希少なモノが高額な商品として流通するが、価値化されるプロセスにはいろいろな人の思惑が絡み合う時間の経過がある。それが完熟期とか醸造期とか…かな。

そうやって作られたものは確かに多くの人心や欲望を突き動かしただけのことはあってそれなりに凄い。


a0010575_11572422.jpg多くの具現化された作品はイメージ化されたものだが、イメージ化される前の状態があり(個人的にはそれをモヤモヤと呼んでいるが)モヤモヤからイメージが発生する瞬間がもっとも僕にとっては魅力的だと思っている。

しかし、その発芽物はまだ流通していない意識や価値観なので「なんじゃこりゃ~」だったり、「じわー」だったり、「ムムム…」だったり「がっぴょーん!」だったり…とにかく今まで出会ったことのない感情を伴うだけで、その後それがどのような連鎖を引き起こすのか、それが何を意味するものなのか理解不能のことが多く、それに価値があるのかすらもまったく保証がない。


a0010575_11584714.jpgだからこそ次の時代の価値観の種や卵になりえるし、可能性と期待感にドキドキする。だからこそ価値がある。

そこに注目する多くの人は価値化され流通してしまった過去の表現作品に多く接するうちに段々と価値化される前のイメージ…つまりまだ見たことのない、まさ体験したことのないイメージを求めるようになり、そこに出会わなければなかなか心が動かなくなってしまったのかも。

・・・


a0010575_1214453.jpgとにかく、数百年前や数十年前に価値化された美術館の作品から美術の授業が構成され、美術の常識が流通しているために、価値化される前の発芽期や旬の状態の作品について「わかりにくい」との評価で切り捨てようとする常識に違和感を覚える。

わからないから面白いと思う感情こそ小学校で一番教えなければならない感情なのだと思うが…

・・・・・・・


a0010575_11595419.jpgもっともわかりやすいフェイスやスキンのレイヤーをまといつつ僕自身が理解不能なところで活動している僕がいうのもなんだけど…。ね。

そうそう。熱烈なアートファンはわかりにくいスキンやフェイスのものを好む傾向にあるよね。

さて、ここで超識1の33年1世代の超識とリンクさせると、一人の人間の時間軸にも3段階の世代の変化があることに注目してほしい。

地域とアートを語るときにそれぞれの時間軸の掛け合わせがキーになると思うのだが…



※写真は文章とは直接関係ありません。豊島に設置されている美術作品の周辺で撮影してしまったモノたちです。
by fuji-studio | 2010-10-08 12:45 | ・思索雑感/ImageTrash
超識ってどうだろう?
基礎超識という言葉をブログタイトルについてつけてみた。超識は常識や知識ではなく…超常識のようなもの…。

a0010575_11505696.jpgたとえば…僕の台所や八十郎の台所では食器洗いの洗剤の入っていたボトルを醤油さしにしたり、オイルさしにしたりとかなり貴重なものとして利用するのが常識だが、どうやら一般的には超常識らしい。

食料品のパッケージやペットボトルなど家庭から出る生活廃材はいろいろな活動を作り出す素材として洗って分別して倉庫にストックすることが我が家の常識だが、あまりやっている人は少ないらしい。

カセットコンロと電磁調理器を数台必要に応じて机の上に取り出して料理するスタイルが我が家の最近の常識になっているが、それも一般的には超常識らしい。

我が家にはテレビがないが…それはまあ、普通のことか。

家庭の中にテントを張ってそこで生活しているのも超常識?

そうか。超常識という言葉も常識じゃないんだな。ずいぶん以前から、個人的に使っている言葉なので慣れてしまった。

常識でないことを非常識というが、非常識という言葉はネガティブなので、ポジティブな方向に常識を超えている物事を超常識と呼んでみたのが…10年近く前ぐらいからかな。

超常識をさらに訳して超識というのはどうだろう。

常識を知らないがゆえに、個人的にずいぶん前から思い込み、すでに自分の中では常識となっているのだが、周辺の人の常識を超えている状態のものごと?

とにかく、瀬戸内国際芸術祭の現場にいて、僕の常識が周辺の人たちとかなりズレているのだなと思うモヤモヤと出会い、個人的な基礎超識を紹介しなければならないなーと感じている。

そういえば、モヤモヤという言葉も僕の中の常識…超識なのかな。

モヤモヤとはイメージが立ち上がる以前の状態の呼び名。

モヤモヤは違和感やズレから発生すると定義しているが…それも僕の言葉かな。もう一般化したかな?
by fuji-studio | 2010-10-08 10:11 | ・思索雑感/ImageTrash