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二体の龍神、天神橋下、3年目の中之島公園
2009年夏以来毎年関わることになった大阪天神橋の下、中之島公園。

a0010575_8484642.jpg一昨年前の夏の2か月間、この場所にカエル工房をつくったり、常設のかえっこ会場を作ったり公園に『活動の場」をつくる実験を行った。


a0010575_8491874.jpgそして去年、青森ねぶたの廃材の木材部分だけを利用して、白龍を制作し、この場所に展示した


a0010575_849453.jpgそして今年の春、福岡のスタジオにほぼ3か月間こもって制作したのが青森ねぶた廃材の針金素材で制作した飛龍。

6月に新博多駅のアミュプラザの吹き抜け部分に設営し、その後鹿児島の蒲生町まで旅し、青森ねぶた「天神・菅原道真」の廃材の旅、青森ー鹿児島は完結した。


a0010575_8501676.jpgしかし、龍はまだまだ暴れ続けている。

今回は木材の龍と針金の龍2体を絡ませて制作してみた。


a0010575_8511022.jpgそれぞれの龍が巴状に絡み合う様子。

2者の異なる種類で同類の形態のものが円環状に繋がる…

この巴の状態が何を表しているのかはわからないが、必然的にできてしまった形


a0010575_10283841.jpg数十万個のLEDライトがアニメキャラクターとか星だとか、ハートだとか…いわゆる一般的な明るい記号を浮かび上がらせている会場の光のイベントの会場。

その片隅で、ここだけ地味に薄暗い光が針金を照らしている。


a0010575_10285143.jpg設営を終えて夕暮れになり、蛍光灯の白い光を当ててみると、昼間は見えなかった針金の線がきれいに浮かび上がり何とも言えない雰囲気を醸し出している。


a0010575_1029826.jpg明治大理石との3年間の僕の仕事は今年で終わりにさせてもらうが…ただ均質のLEDの装飾としてのイルミネーションのイベントとしてではなく、様々な新しい光の在り方について試行錯誤する実験場としての「光のルネッサンス」となるといいのになと思う。


a0010575_10292393.jpgさて、この龍の旅は少しづつ形を変えながらもまだまだ続きます。

次はどこに登場するのか…
by fuji-studio | 2011-12-13 23:52 | ◎大阪・中之島での水都大阪
過程と結果は…実は自己の視点と他者の視点なんじゃないか。
ワークショップや展覧会、あるいはプロジェクトで「プロセス優先か、それとも結果優先か」のような言葉を耳にすることが増えてきたように思う。

a0010575_11301279.jpgもちろん結果も大切だが、そこに至るプロセスが重要視されるようになってきた…ということ。

今回蒲生で行ったワークショップも結果を想定せず、プロセスを作り出すワークショップ。


a0010575_11312163.jpg僕の仕事…いわゆるアートプロジェクトの現場でも最終的なイメージ…つまり、結果を予想できないものとして、その広がりや可能性を担保しながらそのプロセス、あるいは初動のベクトルを提案することに力を入れた提案が…決して一般的とは言えないものの…それなりに受け入れられてくる素地が見え始めている。


a0010575_11322640.jpgそのほうがいろいろな活動の連鎖が生まれ、関係者の予想を裏切るほど面白い結果が発生する可能性が高いのでは…という経験から導き出された手法のような気もする。

ところが、このプロセス…つまり過程と結果という対立項目の設定自体に罠があることに気づいてきた。


a0010575_1133347.jpg過程と結果というと時間軸の問題に捉えられやすい。ところが視点を変えると…プロセス重視のプログラムは主体それぞれの自己の内発を促すことが問題視されているのに対して、結果重視・最終形態重視のプログラムは他者の視点を考慮した社会的な効果や訴求力が問題視されている…のではないかな…。

つまり時間軸の問題ではなく、自己へのアプローチか他者へのアプローチかの問題…かな…と。

そこに先の時間軸が絡んで来るというのが自然なのかな…と。


a0010575_11341175.jpgつまり…時間軸でその向き合う視点が変化してゆくという感覚がプロセス→結果の間にはあるという感覚、結構重要なんじゃないか思うんだけど…そんなことって皆さんの常識なのかな?

問題はその結果のイメージが内発を引きだすイメージとしてオープンにゆるやかに設定されていたらいいのかもしれないけれども、外発…つまり外から発せられたモチベーションとして束縛や重石になって参加者、あるいは当事者の主体的モチベーションの発生を抑圧するようなケースもあることに気づかってほしい。


a0010575_11353654.jpg地域系のアートプロジェクトが結果重視に向かうのもわかるが、それが故に外部からのモチベーションをてんこ盛りにすることで地域の主体、あるいは参加者の内発的モチベーションを阻害するプログラムの在り方はいかがなものかな…。

すべてはバランスの問題…ということで。

※写真は鹿児島県蒲生町で成長してきた蒲生どんと秋まつりのワンシーン。25年前に蒲生に太鼓の集団、蒲生太鼓坊主が発生し、紆余曲折あり韓国との交流が始まり、さらに紆余曲折あり毎年高校生の音楽を通した交流事業が定着し、韓国の伝統芸能を学ぶエリート高校生が蒲生町に来て地域の祭りとしていろいろな活動が連鎖していて素晴らしい。そのプロセスがいいがゆえに舞台のクオリティが感動するほど高くてびっくり。結果が素晴らしい理由にその過程の素晴らしさがある。しかもしれを地域住民はちゃんと知っていて皆が誇りを持っているがゆえに、新しい地域の祭りは盛り上がっていた。
by fuji-studio | 2011-11-21 09:27 | ・思索雑感/ImageTrash
カンがえるの第三弾
宮城県えずこホールで開催しているワークショップ、「藤浩志とカンがえる。」の第三弾。

a0010575_23213040.jpg今回は沿岸部から離れ、2次避難所となった温泉街で活動をしていた女将たちの話を聞きつつ温泉でアーツキャンプ形式の合宿。


a0010575_23223970.jpgそのために大河原に到着すると、以前掃除プロジェクトをしたことがある駅前の佐藤屋さんがなんと公開されている。

地元の有志でいろいろから借りてきた古美術、工芸品の展示会。


a0010575_23234578.jpgそれにしても佐藤屋さんの土蔵も地震でやられていて痛々しい。

左官研究会のメンバーを呼んできてワークショップを開催してどうにか土蔵の再生できないかな・・・。


a0010575_2324467.jpgとにかく災害後、せっかく生き残ってきた多くの地域財産の古民家がどんどん取り壊されている。

それと同時にそこに収蔵されていた古文書とか工芸・美術品の類も、あるいは昔の生活用品の数々もまた廃棄処分されていっている。


a0010575_23255849.jpgそれらも残したいし、それらに手を入れ、光をあてたいし…

それにしても廃棄処分されつつある、いわゆる廃材…確保して素材にしたい。


a0010575_2326534.jpg崩れかけた土蔵の中を利用して、佐藤屋さんの厚意で食品の放射性物質の汚染量を測るサービスステーションができていた。

自然農業系の有志が自分たちの野菜の安全を確かめるためにオープンしている測量サービスの場所なのだとか。

大切な活動…。

合宿の内容は…いつもに増して相当濃かったのだが…なかなかまた文章にならないなぁ…。
by fuji-studio | 2011-11-12 23:01 | ■宮城・えずこホールとの活動
3回目のいわきアリオスモヤモヤ会議。
いわきアリオスでモヤモヤ会議 3回目。

a0010575_2163854.jpg前回まではいろいろテーマを決めてワールドカフェ形式のワークショップだったが、今回は以前のplants!方式。

アリオスは再オープンして、随分とにぎわっているイメージ。

モヤモヤ会議も3回目に入り、かなり具体的な話になってきた。気になった発表は沿岸部で建築保存の運動に奔走する豊田設計事務所の豊田さんの活動、中之作プロジェクトv


a0010575_21858.jpg震災や津波でかろうじて生き残った民家が今回の復興名目でどんどん取り壊わされている現状にかなりモヤモヤしている。

今回面白かったのは大阪からのゲスト上田假奈代さんのワークショップ。

詩のワークショップ・・・というと皆がひいてしまうが、大切な思いや記憶を描いてもらった絵に対して、第三者がヒヤリングしながら言葉を添えるというワークショップ。

これはなかなか面白かったし、とても大切な気がした。

このモヤモヤ会議ももうそろそろ次の展開を作らなければならないなぁ…
by fuji-studio | 2011-11-06 22:52 | ■福島・いわきでの活動
鹿児島県の蒲生町に青森から龍が来た!
去年の夏にもらいうけた青森ねぶた一台分の廃材。


a0010575_1331324.jpgその針金部分で制作した飛龍。
今年の6月に博多駅で誕生した飛龍がようやく鹿児島まで流れ着き蒲生町に登場した。



a0010575_13322621.jpg 蒲生町は僕の後輩との縁が深いところで、そのおかげで僕自身もいろいろ縁が深くなってきた。

木材部分でできた白龍は地元のアーティストの永里関人の手によって大蛇に変身する予定。


a0010575_13324385.jpg地元の太鼓グループ蒲生太鼓坊主のトラックで福岡から鹿児島まで素材を運搬し、地元の高校生の手伝いも借りながら蒲生交流館の庭に飛龍を再制作。


a0010575_1333362.jpg今回は作品をつりさげるリフトがないので、竹を30本用意してもらい、それを使って飛龍を持ち上げて展示。


a0010575_1334631.jpg青竹と芝生と裏の山がなかなかいい雰囲気。

11月20日まで展示されています。


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by fuji-studio | 2011-10-16 19:07 | ■鹿児島での活動
鹿児島イイテラスの2階のロビイを4階に引っ越し。
この3日間、鹿児島のイイテラスに去年の春に制作したロビイ(一般的にはロビー)。

a0010575_983768.jpgホテルにロビイがあるように、雑居ビルにもロビイがあってもいいのではないかと考え…実は単純に桜島に置きっぱなしになっていた管巻三十郎文庫を移動しなければならなくなったので一時的な置き場として都合上ロビイを作った。


a0010575_994510.jpgだれも借り手がない空き部屋をそのままではもったいないという気持ちもあったのでロビイとして公開する実験を行ったが、ようやく借りてくれるお客さんが見つかった。よかった。


a0010575_9101956.jpgそのロビイが移動するということは…つまり…一万冊近い本を移動しなけばならないということ。

さすがに一人では無理だし、根本君を通して鹿児島大学の建築学科の学生の手伝いをお願いする。
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おかげで無事、イイテラス4階に管巻三十郎文庫が移動する。

しかし、桜島の廃墟となったホテルの中にあった宴会用のテーブルの本棚、3回目の引っ越しでさすがに重量にきしみ、悲鳴を上げているよう。ああ、足の下に板を敷きこめばよかった。崩れたらそうしよう。


a0010575_9115918.jpg桜島からもう4年か。あの頃のアーティストや関係者、皆成長したな。

そういば、この連鎖から藤島八十郎は誕生したんだな。

さてこちら4階の空き部屋、2階よりはるかに眺めがよくて気持ちのいい空間。

こちらも教室や会議などで使えるように一般利用ができるようにします。

普段はロビイ、休憩所です。しかしなんでここ借りてくれないのかな?
こんなにいい空間なのに。
by fuji-studio | 2011-07-13 23:12 | ○イイスペイス@イイテラス
氷見でのアーツキャンプ二日目は早朝の釣りからはじまり・・・
氷見での活動を考える為のアーツキャンプ。

a0010575_1410327.jpg前日は夕方までじっくり意見を出し合い…入口で炭火を起こし待ち構えている男子に押されるようにだらだらとした夕飯…飲み会モードの中で、釣りの体験ツアーのアイデアがにじみ出てきて…


a0010575_14105840.jpg氷見のアートセンターに出入りしている男子チームは皆さん相当の釣りの達人だとかで…いつも良質の魚等の食材を持ち込んでくれているとか。


a0010575_14114198.jpgそもそも、このアートセンターの三軒ほど先にある釣り具屋に集まる釣りプロ級のおじさん達…いや男子達が炭火も起こせるたまり場としてこちらに移動してきたのだとか。


a0010575_14124826.jpgとにかく、大工はできるし、体は動くし、船は持っているし、若い女子は嫌いではないし…

ということで、夜中の0時過ぎまで話合い(?)が続いたにもかかわらず…次の朝4時半に起きて5時から船で釣り場に移動して釣り体験を行うことになった。


a0010575_14133064.jpg参加者のほとんどはど素人だったが、釣りプロたちのテクニックで魚が集まってきてなんだかんだで結構釣れた。

釣りの素人を対象にした釣り体験ツアーというのも可能性があるかな…


a0010575_1414619.jpgそもそも、前日、いろいろなアイデアを出し合い、結果的にいろいろなツアーに編集できるのではないかという話になった。


a0010575_14144432.jpg何年か前に取手でのスタッフミーティングで同じようにツアーの話をして取手アートプロジェクト(TAP)トラベルというシクミが発生したように、ある程度までいろいろなプログラムの経験を重ねてくると恒常的に運営するカフェ・ギャラリー・アートセンター的な拠点運営活動と、ワークショップやライブ、コンサートなどのフェスティバル、イベント的な活動の企画と、それを繋ぐツアー的な活動の仕組みが必要になってくるのは常套手段になりつつある。


a0010575_14153156.jpg氷見は2003年よりいろいろな活動を重ね、数年前よりアートセンター的な拠点を持つにいたり、近所の男子チームをはじめとして、富山大学の学生(女子率が高い)やいろいろな人が関わりを持つようになった。


a0010575_1416780.jpg今年から4年間は、ドブネを象徴とする地域の持続可能な活動の展開のイメージをリサーチしつつ、形にしつつ…という位置づけで、「将来における生活の豊かさ・人生の豊かさ」について再考し実現してゆくような活動への連鎖を探る。…のかな?


a0010575_14183855.jpg参加者の多くは当然エネルギー問題にも関心は高く、放射能汚染のリスクのない地域社会への転換に向けたリサーチプロジェクトや実験のアイデアもたくさんにじみ出る。

a0010575_14171749.jpg…というか、放射能汚染のない水や空気や土の豊かな地域をどのように確保し、作ってゆくかという大きな課題が日本全国、現実的な問題としてのしかかっている。


a0010575_14192377.jpgいや、これは日本の問題ではなく、全世界の問題であるはずなのに、いまだに小さな地域の市長だとか知事だとか総理だとか賛成だとか反対だとか云々言っていることそのものがおかしい。


a0010575_1420114.jpg海の問題は川を媒介として山の問題に繋がる。

もともとドブネの為に山から大木を切り出してきたとのことで、川をさかのぼり源流まで行くツアーという意見も出た。


a0010575_14204845.jpgそのイメージをつくるために車で川をさかのぼり、源流を探してみる。

これまで貨幣経済的な価値観を中心として…合理化、効率化が優先されて作られてきた地域の活動の中で、排除され、削除され、忘れられた様々な技術。

あるいは合理化の裏で閉ざされ排除されてきた関係をもう一度繋ぎ開放する活動…。


a0010575_14213113.jpg漁業を中心とする氷見にはいい意味でまだそれらの痕跡が残っている。

それを再発見したり再現したり…将来へ繋がる大切な価値がここから繋がるかもしれない。

おいしいぶりが未来永劫食べれますように。
by fuji-studio | 2011-06-23 10:44 | ■富山・氷見での活動
大変なことになってしまった…3.11災害
寿お泊りフォーラムで横浜の寿町…いわゆるドヤ街…簡易宿泊所の集まっているエリア…でのレクチャーの途中、大きな揺れに遭遇。

a0010575_10153061.jpg建物がギシギシとうねり始めたので思わず、避難経路を確保すべく…非常階段から外に避難…

道には簡易宿泊所から出てきた住民たちも大勢、揺れを感じながら行動に戸惑っている。

その後公園に移動。徐々に住民が集まってくるが、どのように行動していいのかがしばらく分からない。

電話は使えなかったがツイッター経由でいろいろな情報がリアルタイムで流れ状況がみえてくる。

ツイッターの力は凄い。


a0010575_104812.jpg僕が泊まることになったのはドヤの中でももっとも高級な一泊2000円代のホステル、

三畳一間だが、写真のようにベッドもあり電気も液晶テレビもある。

東北の被害状況をテレビで知り、周辺でも公共交通機関が全部ストップし帰宅できない人が大勢いるとかで、今晩のこの環境がいかに贅沢かを思う。

それにしても…M8.8…予測されていた最悪のシナリオの災害とはいえ…しかし、想像をはるかに超えた現実。

この現実が起こることから意識をそむけさせてきた社会のシクミについて考えざるをえない。


a0010575_10163574.jpg流通している間違った常識。

間違った常識を流通させている人間のエゴ

とにかく…親しい人達がいっぱい現場にいるので…本当に心配。


a0010575_10171022.jpgさらに心配なのは原子力発電所…もっと大きな2次災害が起こらないことを願うのみ。もし何かあったら明らかに人災。

これを契機に日本のエネルギー政策に大きな意識転換がおこり、太陽光発電と蓄電池開発にシフトすることを本当に願う。


a0010575_10175126.jpgせめて各戸、ラジオやモバイル端末が使えるぐらいの最低限の電力が確保できる発電システムは急速に普及すべき。

とにかく、意識変換するターニングポイントであることは確か。情報で隠されていたとはいえ、見ようとしなかった現実をしっかり見極める時。

3.11災害。これが現実。

※写真は寿児童公園とその周辺。炊き出しをするシステムが児童公園の遊具に組み込まれている。 炊き出し用の道具も収納されている。 今日はどうみても災害避難所に必要な最低限の設備にみえてしまう。

災害を日常的に乗り越えようとする暮らし方、本当にリアルに考える時期に来ているなあ。

by fuji-studio | 2011-03-12 07:39 | ・講座/対話/研究会
製品と廃棄物の中間領域 (b_a)その2
僕が1997年に出会った福岡の養鶏場跡。

もともと9m×60~100mぐらいの養鶏舎が10棟あり、養鶏を廃業した大家さんがその利用法を模索しているところに出会った。

a0010575_1575886.jpg制作スタジオとして必要な分だけ借りれるシステムを模索し、僕がそこで作業を始めると、いろいろな人の利用が連鎖し、みるみるうちに空き鶏舎は制作スタジオに変わっていった。

結局、数十名の陶芸家、木工家、大工、施工スタジオ、造形スタジオ、人形劇団、バイク工房、倉庫等いろいろな人が利用を始め、木工家が共同でギャラリーをオープンしたり、教室を行ったり…ついには大家さんがダンススタジオを手作りしてその利用が活気づいたり…気づいてみると最近の地元の地図には「芸術村」と表記されるようになっている。正式名称はRSミサカなのだけれど…。


a0010575_164417.jpg 利用しはじめて数年がたち、建物の利用が活発になり、空き部屋が無くなりつつある頃、大家さんに中間領域を作って欲しいと提案して、現在でもそのまま利用されている。

ここでの中間領域ははっきり言うと廃材置場

廃材置場には基本的に廃棄処分するにはもったいないと思われるものをこの芸術村の利用者は無料で置くことができるし、芸術村の利用者ならば、だれでもここにある素材は利用していいということになっている。

※写真は2003年頃の写真。懐かしい。当時はまだ夕方になると乗馬用の立派な馬が放し飼いで散歩していた。一人で作業しているときとか癒されたなー。 


a0010575_15111055.jpg 鹿児島の実家の改装で出てしまったたくさんのアルミサッシ(窓と窓枠)も、廃棄処分するにはあまりにもったいなかったので鹿児島からトラックで運んできて、そこにおいていた。結局大家さんがダンススタジオを作るときに全部使ってくれた。

僕もたまに木材とかパネルとか、家の隙間風を埋めるのに利用したりする。


a0010575_15114969.jpg 学生時代に廃材置場からいろいろなものを拾ってきて制作に利用したし、大学の近くには秘密の廃棄物置き場があり、これも秘密だが、後輩たちはそこに忍び込んで利用できそうなものを拾ってきてイメージづくりに役立てた。

廃材置き場には思わぬ出会いがある。


a0010575_15122555.jpg 今の地域社会のシステムではこの廃材置き場に類する中間領域がない。

去年、地元の小学校の体育館の建て替え工事に伴って体育館の床材を処分すると聞いて相当欲しかったのだが、もちろん、無視された。

※写真のグランドピアノの廃材は亡き伝説のパフォーマーの風倉匠が福岡でパフォーマンスに使い、その後作品としてミュージアム・シティ・福岡に設置した作品の処分されたもの。廃棄されるのがあまりにももったいなくてしばらく置いときました。<br clear=all>

a0010575_15132464.jpg 先月、家の横の防風林の松の木の植え替え作業をやっていて、相当立派な松の木が何本も廃棄処分されていたが、運搬の手段と置いとくところさえあれば全部もらいたかった。 

商品や製品は安全でなければならないという裏側で廃棄物は危険であるというのが常識で、廃棄物には特別な資格をもった者しか会う使うことができない…のだと思う。そこに中間領域はいまのところ用意されていない。


a0010575_15155850.jpg廃棄物処理場は廃棄物処理法によってつくられた施設であるという縛りから…だと思うが…危険な場ということにして、一般人は立ち入ることができないが、製品と廃棄物の中間領域が社会的に位置づけられることで状況は変化するのだと思う。

この養鶏場跡のスタジオも養鶏場から廃墟の間のボーダーエリアにあるとも言える。確固たる常識的な領域にないし、どこまでいっても完成することなく変化し続ける「つくる現場」でもあるし。


a0010575_15272772.jpgそのように考えるとkaekkoのシステムもVinyl Plastics Connectionのシステムも、この製品と廃棄物のborder area(b_a)から発生した活動なのかも。

昔から地域に根付いている廃品回収などのリサイクルシステムも、ある意味中間領域だが、リサイクルという単一の価値観ではなくて、もっと新しい可能性を作り出す領域として多彩に深める視点があってもいいと思う。


a0010575_1525146.jpg使わなくなった台所用品や洋服、家電、家具などを廃棄処分、あるいはリサイクルする前に、無料でやりとりできるリアルフリーマーケット(完全に無料でやりとりできる場)のようなシステムも地域には必要だと思うし、これからの大きな課題のような気がする。 


a0010575_15281320.jpgたとえば、中心市街地の商業施設の巨大な廃墟ビルが東急ハンズのような品揃えで、全く無料でやりとりできる現場ができたとしたら、そこに人はいろいろなものを持ち込み、そこからいろいろなものを持って帰る。

少なくとも人が集まる現場はできる。それをどうやって流通に結び付けるかは人と物とお金の動きをつくるマネジメント力であり、それを形にするデザイン力だったりする。


a0010575_15295162.jpgモノを作ってモノを売るという発想ではなく、クラウド的な…地域社会全体の中のネットワーク上で動く大きな経済流通の中に位置づける視座が必要なのだろうと思う。

いや、単純に「会員制のリアルフリーのゼロバザール」のよな場をつくるだけでもいいような気がするが…。

「リアルフリーのゼロバザール」いい響きだなー。使えそうですね。

ググってみたけど、ゼロバザールという言葉はまだ見当たらないですね…。やったー。リアルフリーはビールとかでありそうだけど・・・。

…そういえば、僕の周りは…生活空間にせよ仕事仲間にせよ、中間領域ばっかりだな…。
by fuji-studio | 2011-02-16 10:20 | ・思索雑感/ImageTrash
作業と仕事、そして労働の違いとその間・・・中間領域(b_a)について
先日の川西市の廃棄物処理場でのトークの時もその話をしていたし、西成でのディスカッションでも、近江八幡でも話をした。

a0010575_13919.jpg…去年の夏の豊島の現場でも感じていたモヤモヤ…中間領域…ボーダーエリア=(b_a)について。

常識的にくっきりと線引きされ、意図的に、あるいは無自覚に排除されてきたのが(b_a)なのではないかと…

たとえば、商品あるいは製品から廃棄物に移動する間の(b_a)、就学と就職との、国と国の、海と海岸の、作業と労働の、私有地と道路の、就業者と退職者の、友人と恋人との、境界線によって明確に分ける理由は管理上の都合によるのだろうと思う。おそらく法律とか規制とかと税金とか責任とか義務とかと無関係ではない。


a0010575_1394436.jpg豊島もそうだったが、地方には「仕事がない」と多くの人が嘆く。実際にそこで充分な現金収入を得ることができる仕事の選択の幅は狭いのかもしれないが、実は膨大な量の「作業」が潜伏している。

先人が開拓してきた棚田をはじめ、田畑に手をいれる作業。

人が暮らすことがなくなった空き家や空き地の草刈りや庭いじりや掃除整備。墓守や伝統的祭事。

森林の間伐や海岸清掃、道路や共有地の清掃整備…


a0010575_1403154.jpg清掃整備に代表されることだと思うが…単純に乱雑で荒れ放題の人の手を離れたところに手を入れる作業はその場の質を変えてしまう。

台所の掃除をするだけでも家族の中での妻との関係が少しは良くなるように、作業の積み重ねは周辺環境を変化させ、周辺の人との関係を変えてくれる。

自然成長型の(荒れ放題ともいわれる)庭を好んで抱えていた僕としては何度も経験していることだが…荒れ放題の庭は近隣に暮らす人に不安を不満を与えるが、上手に手入れされた庭を嫌がる人はいない。


a0010575_141470.jpgとにかく、作業は周辺との関係をよくするという意味でも自分自身の気持ちを豊かにしてくれる。

それが仕事に繋がるかどうかは別の話として、活きるうえで(生きるうえで)とても大切な行為が作業だと思う。

言葉のイメージとしては「仕事」とは「仕えている」事なのだろう。(字のままじゃん)

根が仕事人間だし、濃厚な仕事人間遺伝子を受け継いでいるので体に染みついている言葉。自分のためではあるが、成長のためとか収入のためとか責任感であるとかと無縁ではなさそう。しかし、仕事を重ねると収入と直結しているイメージがあり、英語だとbusiness。

その収入と直結したイメージがあるために、収入のない仕事を行うことは許されない気がする。


a0010575_141442.jpg労働という言葉も嫌いではないし、性質として労働者の類だと思っている。英語のイメージではLaborかな。

なんとなくしんどそうだし、労働という言葉を聞いただけで労働後のおいしい一杯のイメージがこみあげてくる。

それだけにねぎらう(労)べき働きだろうから大変そうでどちらかというとやらされている仕事のイメージがあるし、重たいイメージもある。

苦を労ったり、働きを労ったりとのイメージからだと思うが、大変な分だけそれだけ大きな対価を得てしかるべきというイメージがある。


a0010575_1422760.jpgことばのイメージからするとしんどさでは作業<仕事<労働だし、対価の大きさでも作業<仕事<労働…しかしこれは僕の感覚で、それぞれの体験により、実はその感覚は人それぞれ全く違うのかもしれない。

とにかく、対価や収入に関係なく、作業は自らを豊かにし、周辺との関係を変えるという事実が地域社会の中で無視され排除されてきたのではないかという疑問…


a0010575_143512.jpg地域社会にはやるべき作業で溢れているというのに…仕事と労働の束縛で作業の機会と時間が奪われているのではないか…とか…

労働と仕事から得る金銭の束縛が無償の作業から拡がる自分自身の可能性を奪い取っているのではないかという疑念…

労働には労働基準法があり、いろいろと社会的に多くのフォーマットがあり、社会的に保障がありそうな気がするが、逆に作業についての規制は緩やかな分、保障とかもなさそう…。


a0010575_1475232.jpgもちろん僕のモヤモヤは言葉の問題にあるのではない。

個人的な業を作る「作業」と「仕事・労働」の間に無限に広がる様々な社会への関わる態度について。

仕事や労働の常識や法律などによって見えなく隠れている膨大な作業周辺のボーダーエリアに何かが隠れているのではないかという感覚である。

全国各地のプロジェクトの現場で無償の作業に没頭し、それぞれの生活の深みや豊かさを模索する多層な年齢の人々の態度に出会う度、金銭では買うことのできない貴重な時間の存在を確信する一方で、過酷な労働や仕事に従事し、金銭的対価を多く得ている人ほど、商品化された娯楽の時間を当たり前のように高額で購入するものだと信じさせられている人が多いのではないかと感じたりもする。

さらに…釜ヶ崎等に集まる高齢者が求める労働の対価として存在する見えない搾取…

働けば働くほど奪われてゆくものがあるし、働かなければ失ってゆくものもある。

他人ごとではなく、僕自身についても…何を奪われて何を得ることができているのかを見極めるのはとても難しい。

その答えはボーダー(境界)を見つめることで見えてくるような気がしている。

…いや、単に…個人的になんでもない領域、ボーダーが好きなのかもしれない。

もっと厳密に言えば…何でもない領域からなにか凄いことを作り出すのがやめられない性質なのかな…

※写真は先日西成の釜ヶ崎周辺を歩いた時のスナップ。窓を眺めて中の部屋の様子を想像してみると興味深い。釜ヶ崎そのものがボーダーエリア。作業したい。いじりたい。

by fuji-studio | 2011-02-14 23:21 | ・思索雑感/ImageTrash