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ビニールテープ
ひとつ40円するかしないかぐらいのビニールテープ。

ぼくが小学校の頃から学校の文房具売り場にでさえ売っていたロングランの商品だと思う。

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子供の頃はセロハンテープとこのビニールテープの違いがほどんどわからず、セロテープよりはくっつきが悪いダメなやつだ・・・ぐらいに思っていた。

いや当時はセロハンテープがなんとなく綺麗で新しく、子供の心をくすぐるものだったので、セロハンテープに心奪われて、ビニールテープの存在価値なんて考えてこともなかったと思う。

おそらく大学で演劇の舞台を作るようになり、電気の配線などの作業をするときに、あたりまえのようにこのビニールテープを使うようになり、それが絶縁テープとして販売されていることをなんとなく知りはじめていたと思う。


a0010575_91347.jpgいつからだか覚えていないが、ぼくはこのビニールテープをかなりよく使う。

ものを瞬時に仮止めする・・・巻きつけて固定するのにとてもいいということに気づき始めて随分経つが、いつも使っているものなので、こうやってわざわざ紹介することもなかった。

でも意外としられていないということに気づきはじめた。

しかし、数年前にオーストラリアのメルボルンのアートセンターでワークショップをおこなったとき、日本のメーカーのビニールテープがいかに安くて伸びがよく、使いやすいかを知ってしまった。


a0010575_913342.jpg当たり前のようにあるとおもって雑貨屋、文房具屋、工具店、専門店にいってみたが、伸びが悪く、キレやすい使いにくいビニールテープが日本の価格の4倍ほどの値段で売っていてびっくりした。どうにかひとつ100円ぐらいのものをみつけたが、どうみてもロールの長さが短く使いにくい。ちなみにこのフラワーシリーズのほとんどはビニールテープで固定されている。


a0010575_913272.jpgビニールテープは粘着が弱いが、ひっぱりながら巻きつけると相当丈夫な固定ができる。結んだりしなくていいので作業が早い。しかもしっかり固定すると防水、耐水になり、なんといっても安価である。そして巻きつける作業をする感覚にはほんの少しの嬉しさが発生する。

・・・

ちなみにこれで仮止めした後、ビニールの巻かれた針金で固定するとズレ防止にもなりかなりよく固定される。

調べてみると・・・ビニールテープ、実は深いんですね。

久しぶりにどうでもいいこと書いたな。

ブログはこうやって使うべきだなぁ


by fuji-studio | 2015-02-03 09:12 | ・生活周辺/LifeScape
メルボルンの中心街にカエルのテントが。
メルボルンのど真ん中にあるアートセンターのキュレイターから連絡が来たのはもう2年ぐらい前のこと。

a0010575_20593549.jpg実は僕は近年、どんどん海外からの仕事が苦手になってきてほとんど無視したり断ったりしている。国内にいてもなかなか自宅に戻れないし、自宅のスタジオにこもって仕事するのが一番いい環境で仕事ができと思っているし・・・(いや、本当に半年以上も使っていないのに家賃だけは払い続けている自分のスタジオで仕事がしたい。)

しかも近年は特に地域系の人とびっちりとディスカッションを重ねて何か活動を立ち上げようとする方向で動いていて、日本の国内のかなり深くかかわっている地域ですら難しいなぁと感じているので、文化も違い、さらに活動が連鎖し、面白イ活動が派生することが期待できそうにない海外での短期間の仕事なんて、まったく興味の対象外だった。


a0010575_20595981.jpg短期の滞在では地域のツボもわからないし、地域のキーパーソンすら出会えない。というか、地域に普通に溢れている素材のことすらわかりにくい。

昔は開発途上国に興味を持っていたし、アジアの状況に興味を持っていたので積極的に出品参加した時期もある。しかし、アジアの経済状況も随分と変わり、むしろ日本の地方の方が結構リアルに問題をいっぱい抱えていて僕としては関わりがいかあると感じている。


・・・ということで、パプアニューギニア時代には好き好んで旅したオーストラリアのメルボルンの仕事だったけど、どうにか自然と断れないかと…話をすればするほど、またこれが断り方が下手でますます興味をもたれて、去年の6月に約一週間招待されてリサーチをすることになった。


a0010575_2102785.jpg結局、ますます断れなくなり、地元で活動するアーティストグループと一緒にやるなら・・・と消極的な条件を出しつつ…そのうちそのアーティストグループが全面的にやってくれないかな…などと考えていた…が、甘かった。

結局、十和田市現代美術館での仕事や新潟での水と土の芸術祭、そして東京の千代田区のアートセンター3331での個展の最中という異常に忙しい状態を振り切ってメルボルンに来てしまった。


a0010575_2105244.jpgとにかくこの川沿いの新しくリニューアルオープンしたホールの外に何かありえない風景を…しかもこのホールの廃材を使って地元の子ども達や高校生、大学生と一緒に作り上げなければならないという結構大変な仕事。

なかなか難しい課題。ほとんど自信がないのもまた珍しい。設定条件が違うのかな・・・?

a0010575_2112189.jpgアートセンターの芝生の部分に…これは僕のリクエストだったけど…公開制作用のテント3つ立てて、ひとつはインフォメーションブース、ひとつは制作工房、ひとつは素材とか作品のストック倉庫として利用し、最終的には川沿いのテラスのあたりにインストールする…という流れ。

今回はたまた3331のオープニングの展覧会で知り合った日本人のアーティストの加藤チャコさんがメンバーの一人であるslow art collectiveというかなりシンクロする感覚のアーティストユニットと一緒にやるというのが唯一の救い。

これ、真冬のメルボルンの寒空の中、一人で制作することを考えると涙ちょちょぎれそうになる。

とにかくやれるだけやるしかない。つくろことに騙されず、がんばろ。 そうか、運動だと思えばいいんだ。・・・たぶん。
by fuji-studio | 2012-08-02 21:07 | ■メルボルンでの活動
過程と結果は…実は自己の視点と他者の視点なんじゃないか。
ワークショップや展覧会、あるいはプロジェクトで「プロセス優先か、それとも結果優先か」のような言葉を耳にすることが増えてきたように思う。

a0010575_11301279.jpgもちろん結果も大切だが、そこに至るプロセスが重要視されるようになってきた…ということ。

今回蒲生で行ったワークショップも結果を想定せず、プロセスを作り出すワークショップ。


a0010575_11312163.jpg僕の仕事…いわゆるアートプロジェクトの現場でも最終的なイメージ…つまり、結果を予想できないものとして、その広がりや可能性を担保しながらそのプロセス、あるいは初動のベクトルを提案することに力を入れた提案が…決して一般的とは言えないものの…それなりに受け入れられてくる素地が見え始めている。


a0010575_11322640.jpgそのほうがいろいろな活動の連鎖が生まれ、関係者の予想を裏切るほど面白い結果が発生する可能性が高いのでは…という経験から導き出された手法のような気もする。

ところが、このプロセス…つまり過程と結果という対立項目の設定自体に罠があることに気づいてきた。


a0010575_1133347.jpg過程と結果というと時間軸の問題に捉えられやすい。ところが視点を変えると…プロセス重視のプログラムは主体それぞれの自己の内発を促すことが問題視されているのに対して、結果重視・最終形態重視のプログラムは他者の視点を考慮した社会的な効果や訴求力が問題視されている…のではないかな…。

つまり時間軸の問題ではなく、自己へのアプローチか他者へのアプローチかの問題…かな…と。

そこに先の時間軸が絡んで来るというのが自然なのかな…と。


a0010575_11341175.jpgつまり…時間軸でその向き合う視点が変化してゆくという感覚がプロセス→結果の間にはあるという感覚、結構重要なんじゃないか思うんだけど…そんなことって皆さんの常識なのかな?

問題はその結果のイメージが内発を引きだすイメージとしてオープンにゆるやかに設定されていたらいいのかもしれないけれども、外発…つまり外から発せられたモチベーションとして束縛や重石になって参加者、あるいは当事者の主体的モチベーションの発生を抑圧するようなケースもあることに気づかってほしい。


a0010575_11353654.jpg地域系のアートプロジェクトが結果重視に向かうのもわかるが、それが故に外部からのモチベーションをてんこ盛りにすることで地域の主体、あるいは参加者の内発的モチベーションを阻害するプログラムの在り方はいかがなものかな…。

すべてはバランスの問題…ということで。

※写真は鹿児島県蒲生町で成長してきた蒲生どんと秋まつりのワンシーン。25年前に蒲生に太鼓の集団、蒲生太鼓坊主が発生し、紆余曲折あり韓国との交流が始まり、さらに紆余曲折あり毎年高校生の音楽を通した交流事業が定着し、韓国の伝統芸能を学ぶエリート高校生が蒲生町に来て地域の祭りとしていろいろな活動が連鎖していて素晴らしい。そのプロセスがいいがゆえに舞台のクオリティが感動するほど高くてびっくり。結果が素晴らしい理由にその過程の素晴らしさがある。しかもしれを地域住民はちゃんと知っていて皆が誇りを持っているがゆえに、新しい地域の祭りは盛り上がっていた。
by fuji-studio | 2011-11-21 09:27 | ・思索雑感/ImageTrash
カンがえるの第三弾
宮城県えずこホールで開催しているワークショップ、「藤浩志とカンがえる。」の第三弾。

a0010575_23213040.jpg今回は沿岸部から離れ、2次避難所となった温泉街で活動をしていた女将たちの話を聞きつつ温泉でアーツキャンプ形式の合宿。


a0010575_23223970.jpgそのために大河原に到着すると、以前掃除プロジェクトをしたことがある駅前の佐藤屋さんがなんと公開されている。

地元の有志でいろいろから借りてきた古美術、工芸品の展示会。


a0010575_23234578.jpgそれにしても佐藤屋さんの土蔵も地震でやられていて痛々しい。

左官研究会のメンバーを呼んできてワークショップを開催してどうにか土蔵の再生できないかな・・・。


a0010575_2324467.jpgとにかく災害後、せっかく生き残ってきた多くの地域財産の古民家がどんどん取り壊されている。

それと同時にそこに収蔵されていた古文書とか工芸・美術品の類も、あるいは昔の生活用品の数々もまた廃棄処分されていっている。


a0010575_23255849.jpgそれらも残したいし、それらに手を入れ、光をあてたいし…

それにしても廃棄処分されつつある、いわゆる廃材…確保して素材にしたい。


a0010575_2326534.jpg崩れかけた土蔵の中を利用して、佐藤屋さんの厚意で食品の放射性物質の汚染量を測るサービスステーションができていた。

自然農業系の有志が自分たちの野菜の安全を確かめるためにオープンしている測量サービスの場所なのだとか。

大切な活動…。

合宿の内容は…いつもに増して相当濃かったのだが…なかなかまた文章にならないなぁ…。
by fuji-studio | 2011-11-12 23:01 | ■宮城・えずこホールとの活動
3回目のいわきアリオスモヤモヤ会議。
いわきアリオスでモヤモヤ会議 3回目。

a0010575_2163854.jpg前回まではいろいろテーマを決めてワールドカフェ形式のワークショップだったが、今回は以前のplants!方式。

アリオスは再オープンして、随分とにぎわっているイメージ。

モヤモヤ会議も3回目に入り、かなり具体的な話になってきた。気になった発表は沿岸部で建築保存の運動に奔走する豊田設計事務所の豊田さんの活動、中之作プロジェクトv


a0010575_21858.jpg震災や津波でかろうじて生き残った民家が今回の復興名目でどんどん取り壊わされている現状にかなりモヤモヤしている。

今回面白かったのは大阪からのゲスト上田假奈代さんのワークショップ。

詩のワークショップ・・・というと皆がひいてしまうが、大切な思いや記憶を描いてもらった絵に対して、第三者がヒヤリングしながら言葉を添えるというワークショップ。

これはなかなか面白かったし、とても大切な気がした。

このモヤモヤ会議ももうそろそろ次の展開を作らなければならないなぁ…
by fuji-studio | 2011-11-06 22:52 | ■福島・いわきでの活動
大分の日田・中津江村でのNakatsue Music Campの下見
大分の中津江村にある中津江村民ホール。そこでこの数年、いろいろなミュージシャンやアーティストが集まって…とくに自然体でのミュージックキャンプが展開されているとのこと。

a0010575_1219485.jpgそれを起動しているピアニストの中村真さんとは数年前に富山の氷見で行われているヒミングで初めて出会った。

数か月前にメールをもらい、北本で久しぶりに再会し、大分の中津江村で音楽関係者が主体で動いているアーツなキャンプに誘われて様子を見に行ってみる。


a0010575_1221114.jpgこの数年、夏に中村真が信頼している音楽家が集まり、そこで合宿を行い、それぞれが練習したり、セッションしたり、ワークショップを開催したり…なのだとか。


a0010575_12213812.jpg今年の夏の合宿にはダンスの山田うんさんが参加して、ダンスとのセッションも行ったのだとか。

で、以前から美術家としての僕の態度に興味を持っていただいていたとかでのお誘い。

   
a0010575_12222385.jpg冬のキャンプは夏のよりもさらにゆるーいキャンプだとかで、特にコンサートだとかワークショップだとかのプログラムが組まれているわけでもなく、参加したい人が自主的に全国各地から集まり、ゆるやかに練習したり…合宿していてとても自然体。


a0010575_12225952.jpg音楽の流通と美術の流通ではまったく事情が違うし、流通される以前のイメージの立ち上げ方にも随分と違いがあるのだと思う。

僕はその世界を知らないだけに、なんとなくこの繋がりには魅力を感じる。


a0010575_12232425.jpgしかも、この中津江村村民ホールという存在が何とも言えず…中村真さんがその建物の可能性に魅了されるのもよくわかる。


a0010575_12235537.jpg地元の木材がふんだんに使われて建設された木造構造のホール。

一見無駄な空間がたくさんあり「何かができそうなところ…」な雰囲気。

客席が畳だったりして、すべてがベッドに見える。


a0010575_12243186.jpgしかも、このホールの中で実際に寝泊まりできて、エントランスでは料理もできるのだとか。

今回は1週間弱の緩やかな合宿だったようだが、来年の夏はもっとがっつり地域との接点をつくりながら面白く…ゆるやかで…しかし確かな活動を作りたいという強いベクトルを持っている様子。


a0010575_1225239.jpg僕の暮らす福岡県糸島市からだと車で約3時間のロケーション。

近くには小学校校舎を改装して利用している木工の工房があり、相当良質な仕事をしている。

…とにかく、来年の夏の後半はこれにはまりそうです。2011年8月20日から29日まで。
by fuji-studio | 2010-12-03 23:01 | ・単純記録/Diary
日常的な行為と表現行為との違い。
青森の国際芸術センターでドローイングとデッサンのワークショップを高嶺と小山田と3人で開催してみる。

a0010575_16503225.jpg大切なのは、描こうとすることでも、つくろうとすることでもなく、自分が何をいじる性質なのかを自覚することなのではないかとつくづく思う。

しかし、それでも、いじる延長で何らかの形を立ち上げる技術なり手法なりが必要の場合もあり、それは手の延長にある道具類といかに接するか・・・の基本的な技術や知識があるのは確かだと思う。

写真は高嶺の根っこがぶら下がっているツリーハウス作品


a0010575_16554642.jpgそのあたりを意識しながらのワークショップ・・・のつもりだったが、その参加者から「日常的な行為と表現行為の違いは何なのか?」との質問がきて、その瞬間、ちゃんと答えられなかったのがずっと頭に残っている。

その時は日常的行為を客観視しているかどうか・・・客観視する延長に表現行為はあるとのことを話したに留まったが、それではもちろん足りない。 自分の性質を客観的に自覚したうえで・・さらに自分の日常とか常識とかを相対的にほんの少しでも超えようとする意志に表現という行為は存在するのではないかと考えている。

自分を超えようとするかしないか。


a0010575_1659758.jpgそこに表現行為と呼べるかどうかの境目がある。 

あくまでも個人の中の相対的なものでしかないが、それを日常的に重ねることに個人の中には確実に意味が生じてくる。

「超える」という相対的に+(プラス)の方向にある場合、その日常が蓄積されると膨大なものになる。

写真は小山田徹の測量のワークショップの様子


a0010575_1701518.jpgしかし、「超える」という意識がない場合、相対的にゼロかー(マイナス)だとすると、その日常が蓄積されても、ゼロかマイナスでしかない。

表現行為はその蓄積の延長に意味が生じてくるとは思うが、それが個人の領域のままではいくらその表現が凄いものであっても、それは社会的に存在することはない。

その意味で作品化のプロセスはまた別の話になるが、その前提としての表現行為というものはそんなことなのかなと・・・つくづく感じている。


a0010575_1713566.jpgで、今回の青森で開催された鹿児島県立甲南高等学校美術部出身の3人の展覧会、高校時代はごく普通の日常的な行為を行う学生でしかなかったが、それぞれの立ち位置でまったく違う方法で、それぞれが自分の日常の行為を超えようと重ねてきた結果なのだと思う。

それぞれいじるポイントはまったく違うが妙にシンクロする面もありながら、確実にそれぞれが自分自身の日常を超えようとした結果、ここにいるのだなと感じる。

そしてそれぞれが活動するアートのシステムも、それに対する編集の仕方も、少しずつズレていながら違うのがまた興味深い。
by fuji-studio | 2010-08-14 23:02 | ・思索雑感/ImageTrash
青森ねぶたの廃材を細かく分類する作業は・・・結構贅沢な時間です・・・
安藤忠雄が設計したかなりシャープなコンクリートの国際芸術センター青森の入り口付近にがつんと設置した青森ねぶたの塊。

a0010575_15225432.jpgそれを中の展示室に入るサイズに細かく解体、分類するために・・・

絡まったワイヤーを大きなペンチでプツプツと切りながら、木材のねじをはずしながら・・・

ねぶたの塊を細かくしつつ運べるサイズを切り取っては運び込みつつ・・・


a0010575_15253374.jpg敗れた和紙は、はがしては広げながら・・・ちぎりながら、広げながら・・・重ねては運び込みつつ・・・

とにかく青森ねぶたの素材の塊からいろいろなパーツを発掘してゆくような作業の日々。


a0010575_15424944.jpg通常の感覚では、この作業はなんとも面倒lくさく厄介で、大変な作業なのかもしれないが・・・、僕にとってはなぜだか苦痛にならない。


a0010575_1528875.jpg苦痛にならないどころか、むしろ心地いい。とても楽しく、時間が瞬く間に過ぎてゆく。

その感覚を繰り返すうちに、これはゲームをしている時の感覚に近いのではないかと気づいた。


a0010575_17543690.jpg次から次へと敵が降りてくるのを打ち落とすシューティングゲームやテトリスやコロンの様なPCゲームのようでもあり、あるいはパズルゲームの様でもある。

そういえば、昔は知恵の輪系がとても得意だったなぁ・・・。


a0010575_17571066.jpgとにかく、絡まった素材のウィークポイントを見つけだし、プチプチ切断して行きつつ・・・大きな塊が取れて小さな喜びを感じつつ・・・また次の塊の問題が提示され・・それを解決してゆく・・・ってなかんじ。


a0010575_1751657.jpg展示室の中は極めて不快指数が高い密閉空間で温室の中のようで暑苦しくむさ苦しく駄目駄目空間だが、外での作業は蝉や鳥の鳴き声をききながら、風を感じながら自然に囲まれ、まだましで気持ちいい。

しかし、外でも、まったく効かない空調の音がやたらとうるさかったり、音が妙に響いたり、局面ガラス面の移りこみが歪んでいて吐き気を促したり、あぶやハチが襲いかかってきたりして・・・外も問題は多いが・・・


a0010575_1759759.jpg表現者である以前にある種の性質(タチ)として、このような行為が好きでなければまったく成立しない作業だろうが、幸い、山ほどの廃材を崩してゆく感覚は僕にとってはとても贅沢な時間に思えてならない。


a0010575_15412932.jpgそもそも、日常的な感覚、あるいは現在の経済状況から見た感覚から言えば、この作業は膨大な無駄なのかもしれない。、

だからこそ、贅沢な時間との感覚をもってしまうのかもしれないし、ゲームに没頭している時間に近いと感じるのかもしれない。


a0010575_15433480.jpgこのような単純作業をしていると、頭の中はなぜだか急速に回転しはじめ、まったく関係ない様々なことを高速で考えてしまうことがある。

その時々でいちいち忘れてしまうことが多いが、とにかくいろいろなことを思いついては一人でその考えを繰り返し、否定したり、納得して裏付けを探してみたり・・・無意識に反芻している自分に気づく。


a0010575_1544326.jpgそんな単純作業の中でたまにとんでもないものが発掘されて、結構大きな喜びを得たりもする。

手や、顔面部分が発掘された瞬間から、作業が思わぬ方向に動き始め・・・思いもよらぬ空間が発生する。


a0010575_1654496.jpgもっともっと時間があれば、これをつかって新しい立体の作品を制作しようとするのだろうが、このままでも十分にいいような気もする。

何かをつくることも大切だが、それ以上にこの状態を見せることももっともっと大切なことなのかもしれないと思いつつ・・・。


a0010575_166207.jpgしかし、ねぶた師の技にはとことん感服する。

解体するだけでも大変なこの手わざを多くの人の力を借りつつも、そのエネルギーと技術をコントロールし、これだけのものを数ヶ月で完成させるとは・・・。


a0010575_1674057.jpgしかもそれを毎年毎年作り続けているとは。

そのようなねぶた師を存在させ続けている青森という風土はやっぱり凄い。

この素材全体を使って龍の立体作品作りたくなってきたけど・・・

どこか展覧会やりませんか?
by fuji-studio | 2010-08-14 15:19 | ■青森&十和田での活動
小学校図画工作研究会の研修会で高嶺君と@青森
青森の国際芸術センターでの鹿児島3兄弟のレジデンスに途中から参加。

a0010575_97249.jpg青森に到着していきなり、青森の小学校の先生達が行っている図画工作研究会の研修会で高嶺格と二人でレクチャー。

彼と一緒にレクチャーするのは・・・20年ぶり?  もっと?

熟練の小学校の先生を対象としたレクチャーとワークショップだけに、少々緊張。


a0010575_983586.jpgしかし、日常子とも達と向き合う現場にいる人との接点だけに、ついつい気持ちが前のめりになり、いくら話しをしても時間がたりない。

なんだか日常抱いている違和感が蓄積されていて、僕自身の中での表現欲が高まっているのかもしれない。

しかし、青森のレジデンス・・・

どうしたものか・・・。

豊島への想いを引きずっているな・・・。豊島からの荷物、届かないな・・・。
by fuji-studio | 2010-07-29 08:50 | ■青森&十和田での活動
「うまいねー」と「いいねー」の大きな違い。
a0010575_1836333.jpgうちの子どもが画用紙に落書きをして、その絵を周りの大人が好意でほめてくれる。

「上手だね~」「うまいねー」とのほめ言葉。

・・・ごく普通の光景だが、子どもとのワークショップで妙に気になる点と重なる。

子どもの行動をほめることはいいことだと思うが、ほめ方に微妙な違いがあり、・・・そこに一般的に認識されていない重要な問題があるような気がしてならない。

「うまいねー」とか「上手だね~。」とかの技術的側面をほめている言葉を仮に技術評価と名づけてみる。

それに対して、「いいねー」とか「すごいねー」とか「面白いねー」とかの、行為に対する感覚的側面に対する言葉を感覚評価と名づけてみた。(かなり乱暴だけど・・・)

感覚評価は子どもとの感情の連鎖を促し、感覚的に開放し、自由に導くような気がするのに対して、技術評価は「うまいことがいいんだ」「上手に描くとほめられる」という確信を与えてしまい、その連鎖の方向性を狭めてしまっているのではないかという危惧。

上手にふるまうことへ導く価値観と、感覚的に自由にふるまうことへ導く価値観はまったく相反するものでもある。

多くの大人がある時期に「「自由にふるまう感覚」を失い、「上手にふるまうこと」がよいことだと思い込み、常識に束縛され、・・・場合によっては、ある時点で、「技術的挫折」を体験する・・・。

日常の中での感性や情念から動ける活動力や行動力。発想力や想像力。ものごとを具体的に組み立てる力を身に着ける段階で、もちろん技術的側面は必要な場合もあるが、それ以前に感情と対話する力を身につけることが重要だと思う。

「・と」の関係。・・・つまり、誰が横にいたか・・・の関係の中で、好意的に「技術的評価」ばかりを与える大人しかいないとすれば、楽しく振舞うことの感覚や感情はどのような状況で、どのようにはぐくまれるというのだろうか?

・・・そういえば・・・

大阪の人の「おもろいなぁー」という言葉。

これは大阪人の宝物なのかもしれない。

・・・・

このあたりのことって子どもの教育に関わる人にとってはあたりまえの常識なのかな?

僕が知らないだけなのかな?

・・・・

子どもの行為に対して周りの大人がついつい「うまいねー」「上手だね」に類する技術的評価だけを与え、子どもの感性の可能性を閉じたものにしていないかどうか、・・・そのことに注目してもらいたい。

関連記事:ワークショップに関しての雑感。
by fuji-studio | 2009-12-29 18:36 | ・単純記録/Diary