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北本で家を持ち上げました。
北本ビタミンの活動がきっかけとなって北本に拠点を構えたwah document

a0010575_16543052.jpgこれまではwahの活動はwahが主体的に行うと思われてしまうことに違和感を持っていたのだろうか。

今回はwah documentというwahの記録、運営の事務所を北本に制作することから活動をはじめ、主体をいろいろなチームが行うという新しいフレームを用意して北本の様々な活動を展開している。


a0010575_1765650.jpg今回の日本文化デザイン会議の中で行った活動の中心は「おもしろ不動産」
北本市内にあるいろいろな魅力的な物件を使うシクミを模索する活動。

そのひとつ、西高尾の空き家をwah documentのメンバーでもある増井君の学生がチームをつくりその利用方法と改装方法を試行錯誤してきた。


a0010575_2235741.jpgそのチーム名はorera なんと京都造形芸術大学の一年生。

美術大学の一年生なので、…こういう言い方をすると失礼だと思うが、制作の経験もほどんどなく、地域社会にどのように接すればいいかの経験もなく、対人関係のコミュニケーションのあり方すらもまだ模索中の年頃。

もちろん家を持ち上げたことなんか一度もない。


a0010575_2273638.jpgその彼らがwah documentや北本ビタミンや北本市役所、地域住民の力を借りながら実現したのが今回の「家を持ち上げる」というミッションを設定した「筋トレハウジング」

空き家の利用と改装ほ方向性を考えるうちに「持ち上げる」という改装方法へとたどり着いたのだとか。そのズレが痛快で仕方ない。


a0010575_2285836.jpg経験が少ないということは実現可能かどうかの無意識の判断を経験から行わないという点で優位にある。

逆に経験を重ねたおっちゃんが面白い発想ができなくなってゆく根拠はそこにある。

経験がないがゆえに、(wahの場合は経験からだと思うが)あまりにもばかばかしい到達点を選択してそのありえない交渉と苦労と労働を重ね、地域の中に様々な積極的でポジティブな摩擦を生じさせるという手法。


a0010575_22114921.jpg心や感情は挫折と失望と感動を重ねることで育てられるという話を以前話したことがあるが、地域社会の中にありえない事件を生じさせて、それの参加を促し、その制作過程を共有し、問題を乗り越えつつ実現に向かうプロセスそのものが価値がある。 

そんな明るい事件を地域社会の中に発生させることができるアートプロジェクトが可能だとすれば、アートも悪くないかもしれない。


a0010575_22132278.jpgかなり興味深い活動だったので、参加前からツイッターでその参加を呼びかけつつ、僕自身も家を持ち上げる体験に参加する。

前日までは、持ち上げるために必要と予想されていた200人という人数にまったく届かないという話だったが、当日いろいろなところから…子どもから家族連れから高校生から高齢者まで…200人を超える参加者があつまり実現する。 


a0010575_2216615.jpg若いチーム、oreraの当日の現場の段取りや発言はありえないぐらいグラグラのダメダメで…しかし、その現場に集まった参加者はジワーっと彼らをささえるモードにみんなが変換され、観客も含め、みんなが我慢強く「家を持ち上げる」というあまりにもわかりやすい一点のベクトルに向かう。


a0010575_22183450.jpg9時から集まって持ち上がったのは…そういう事情なので…12時。

何度かの掛け声だけの練習の後、本番の掛け声とともに200人の肩に家が食い込む。

ググッと重さを感じた後、ふっと家を持ち上げる感触。…と同時にこぼれ聞こえる驚きと感動の
声。さん、に、いちの掛け声の後、重さと感動に耐えながら家をゆっくり肩からおろす。

肩から家を下した瞬間、家の中と外のあちこちから沸き出てくる歓喜歓声。

いやー、生涯たぶん二度と体験できない肩に刻み込まれた持ち上げた家の感触。

北本のみなさん、関係者の皆さん、本当にありがとうございました。

wah documentのブログでも報告があります。持ち上げた瞬間の動画もリンクしていますのでぜひご覧ください。そして、今後、このようなチャンスがあれば、ぜひ逃さないように。
by fuji-studio | 2010-10-11 13:28 | ◎埼玉・北本ビタミン
基礎超識2:人の作り出したモノゴトに関する時間軸。
モヤモヤからイメージを立ち上げ、イメージが流通し、編集されて価値化されるという時間の流れがある。

a0010575_11533230.jpg芸術祭とか展覧会とかのフォーマットの中では、どうしても、あれもこれも「美術作品」と単純に一括りにされ、均一化されて見られてしまうが、実は作品にも時間軸がある。

発芽の時期があり、旬があり、完熟期があり、保存加工期があり、醸造期があり・・・あるいは告別期もあるかもしれない。


a0010575_11544269.jpgもともと博物館は役割を終えた…ある意味死後の適正な墓場として、その慰霊を尊重し保存、伝承するためのものだったろうし、近代美術館はその意味では保存加工、醸造施設だったのかもしれない。

とにかく、さまざまな活動にはイメージとして立ち上がる瞬間があり、それが時代と関わりがうごめきはじめ、存在感を放つことで次の時代の価値観へとつながってゆく流れがある。そこを旬の時期と捉える。


a0010575_1156153.jpg価値化されたもので希少なモノが高額な商品として流通するが、価値化されるプロセスにはいろいろな人の思惑が絡み合う時間の経過がある。それが完熟期とか醸造期とか…かな。

そうやって作られたものは確かに多くの人心や欲望を突き動かしただけのことはあってそれなりに凄い。


a0010575_11572422.jpg多くの具現化された作品はイメージ化されたものだが、イメージ化される前の状態があり(個人的にはそれをモヤモヤと呼んでいるが)モヤモヤからイメージが発生する瞬間がもっとも僕にとっては魅力的だと思っている。

しかし、その発芽物はまだ流通していない意識や価値観なので「なんじゃこりゃ~」だったり、「じわー」だったり、「ムムム…」だったり「がっぴょーん!」だったり…とにかく今まで出会ったことのない感情を伴うだけで、その後それがどのような連鎖を引き起こすのか、それが何を意味するものなのか理解不能のことが多く、それに価値があるのかすらもまったく保証がない。


a0010575_11584714.jpgだからこそ次の時代の価値観の種や卵になりえるし、可能性と期待感にドキドキする。だからこそ価値がある。

そこに注目する多くの人は価値化され流通してしまった過去の表現作品に多く接するうちに段々と価値化される前のイメージ…つまりまだ見たことのない、まさ体験したことのないイメージを求めるようになり、そこに出会わなければなかなか心が動かなくなってしまったのかも。

・・・


a0010575_1214453.jpgとにかく、数百年前や数十年前に価値化された美術館の作品から美術の授業が構成され、美術の常識が流通しているために、価値化される前の発芽期や旬の状態の作品について「わかりにくい」との評価で切り捨てようとする常識に違和感を覚える。

わからないから面白いと思う感情こそ小学校で一番教えなければならない感情なのだと思うが…

・・・・・・・


a0010575_11595419.jpgもっともわかりやすいフェイスやスキンのレイヤーをまといつつ僕自身が理解不能なところで活動している僕がいうのもなんだけど…。ね。

そうそう。熱烈なアートファンはわかりにくいスキンやフェイスのものを好む傾向にあるよね。

さて、ここで超識1の33年1世代の超識とリンクさせると、一人の人間の時間軸にも3段階の世代の変化があることに注目してほしい。

地域とアートを語るときにそれぞれの時間軸の掛け合わせがキーになると思うのだが…



※写真は文章とは直接関係ありません。豊島に設置されている美術作品の周辺で撮影してしまったモノたちです。
by fuji-studio | 2010-10-08 12:45 | ・思索雑感/ImageTrash
基礎超識1:地域のそれぞれの場には時間軸がある。そしてモノには旬がある。
僕の中では常識だと思っているものごとでも、周辺の人にとっては超常識なこともたくさんある。

a0010575_271445.jpg作家や作品には旬があり、賞味期限があるという発想は僕の中でいつごろ常識になっていったのかは忘れたが、すくなくとも、99年に福岡市が発行したパブリックアートガイドブックに寄稿したことがあるので、その時から10年以上は経過する。


a0010575_283757.jpg瀬戸内国際芸術祭の現場でいまだにパーマネント…つまり恒久設置か会期後撤収のテンポラリー…一時的なものかという話が聞こえてくるたびにモヤモヤする。

時間軸のとらえ方の単位が永久か一時的かの2者択一しかないことは非常識だと思えてならない。


a0010575_295823.jpgその論議は90年代の初めに場の問題が発生する以前にパブリックアートの問題の現場で語られてきたはずだと思うが、あらためてここにざざーっと僕の常識を紹介しとこっと。


a0010575_2114597.jpg当時、考えていた僕の時間軸のとらえ方は…33年1世代、66年で2世代、99年が3世代でそれ以上を永久(?)。

33年は一般的な建築物の耐用年数、街は66年で完全に更新され。99年残っているとすればそれは先祖代々レベルで…人の身体的な記憶認識を超える…。


a0010575_2124986.jpg人の生涯年数が90年だとして、人間が経験する時代変化はせいせい3世代。 2世代前の祖父や祖母が二人づつ、合計4人いたことは認識していて、それぞれの姓名をたどれても、どんな名家の出の人でさえ4人の祖祖母の姓名と4人の祖祖父の姓名をちゃんと知っている人はほとんどいなくて、しかもちゃんと8つの墓参りしている人なんて聞いたこともない。 

99年以上経過しても残っているのもは完全に放置されていても仕方なかった環境にあるか、あるいは世代を超えて手あてされ、受け継がれてきたもの。


a0010575_2145628.jpg地域の中にはそれぞれ時間軸があり、1000年単位で保存され、受け継がれなければならない場もあれば、地域の誇りとして世代を超えて変化させてはいけない場もある。

その一方で、地域も新陳代謝を繰り返しているので、世代ごとに…33年ごとに変化したほうがいいエリアもあれば、10年ごとに更新されたほうがいい場も必要だったり、3年ごとに変化していくぐらいがいいところもあれば、一年ごと、季節ごと、一か月ごと、毎週、毎日、時間ごと…など限りなく多彩に変化する時間軸はそこにかかわる人の属性やそこに何を求めるのかの内容にもよるし、あるいは意志を持って不変の時間の流れを長い時間かけて更新させてゆかなければならない場もある。


a0010575_2163596.jpg70年代より90年前半ぐらいまで、日本のいたるところで拡がった「彫刻のあるまちづくり」に代表されるような、容易に排除できないような…重かったり、いやらしかったり、下品だったり、邪魔だったりする固形物を配置して、その地域の時間を固定しようとする試みについては、時間の流れを静止させようとしたり、歴史的景観地区、あるいは歴史的記念碑的な場でその歴史の固着の手助けをさせようと意図するものならまだわかるが、地域に暮らす人の新陳代謝を凝固させたり、地域の人の新しい活動を阻害するような飾り…新装開店の記念の花輪をずっと立ている店舗のように駅前に開店記念のモニュメントを恒久設置として飾り続ける感覚は制御したほうがいい。
 

a0010575_21737100.jpgとにかく、瀬戸内海の島のいろいろな場も時代とともに変化しつつあり、変化を制御したほうがいい場もあれば、変化し続けることで魅力的になるところもある。

恒久設置といわれている作品の多くも、実は建築の耐久年数に準じて消滅してゆくし、飲食店などの内装などは5年が限界とされている面もあるし…もちろん数十年変わらない味と内装のカフェも大切だが…私設財団の美術館に属する作品群はシステムの面からみても、その代表が変化したとたんにどこかほかの所有者に売却されるかとりこわわれる?あるいは用途変更する可能性を考慮すると恒久設置とは位置づけがたい。 


a0010575_2184040.jpg瀬戸内国際芸術祭が地域システムのOSを担うべき行政がかかわる芸術祭だとすれば、祭りという一時的な状況から生まれたさまざまな因子と丁寧に向き合い、それぞれの旬と賞味期限を読み込みながら地域に活かしてゆく仕組みや、更新してゆく仕組みをちゃんとつくらなければならないと思うのだが…


a0010575_2231739.jpgそのようなことが語られてきて、もう10年以上はたっていて、もう一般的なことだとおもっていたのだけどなー。

つまり、今瀬戸内国際芸術祭の周辺で必要なことは地域の時間軸をしっかり読み込むことと、この芸術祭で生まれてきたたくさんの因子について排除すべきものは排除し、使えそうなものは旬と賞味期限を読み込んでしっかり冷蔵庫に入れるなり、糠漬けにるすかり、干すなりして活かす方法を探ること・・・


a0010575_2241865.jpgとりあえず、ゴミは出してはいけないよなー。

芸術祭で廃棄処分される作品素材があるとすれば、すべて八十郎がもらいうけようかな。あの赤と水色と金色の塗装をはがしたあとの塗料カスとかも…。

それと…

それぞれの因子をアートの側の視線だけで編集されることにもつまらなさを感じる。

もちろん、地域の政策としての集客産業や地域づくりの視点からの編集もなされるのだろうが、地域の生活者視線での編集作業が一番不可欠だと思っているが、どうだろうか。

いい種をみつけて島の生活のあらゆる関係の中に面白い芽を発芽させる視点での再編集…。

さらに…大切な感覚は、もっとも楽しくて重要なのは…地域に大切なモノゴトやシクミを一緒につくってゆくという期待に満ちた時間。

ああ、語りだすときりがない。
by fuji-studio | 2010-10-08 11:48 | ◎瀬戸内国際芸術祭・藤島八十郎
俯瞰症
瀬戸内国際芸術祭の現場、豊島の唐櫃(からと)の自分のプロジェクトサイト、藤島八十郎の家の清掃、整備をした段階で青森とか神戸とか福岡とか東京とか・・・いろいろ動かなければならなくなり、結局瀬戸内の他の地域を回ることもなければ、豊島での活動をつくってゆくこともできないままでいる。

a0010575_14404091.jpgそういえば・・・、実は子どものころから「石橋をたたいても渡らないタイプ」と言われてきたほど慎重な性質。

右側の目が生まれつき見えにくいことも大きな原因だと思うが、自分のあらゆる感覚は人より劣っていると思い込んで育ってきた要因も大きい。 片目の生活は人よりも遠近感が捉えにくいので、高いところや尖っているものがやたらと怖かったり、キャッチボールが苦手だったり、はやく走ることを避けたり・・・まあ、一般的にはノロマだと思われていた。 だから余計に何かを行うときにうろうろしながら多角的に観察して、いろいろ推測してから慎重に動いてしまうことが身についているのだと思う。

しかも動き始めたらとことん動いて自分を超えようとする性質なので始末が悪い。

喫茶店でも飲み屋でも宴会場でも会議室でも・・・必ず端っこの全体が俯瞰できる場所にいないと落ち着かないし、住んでいるところも日本の西の端っこの福岡のさらに端っこの糸島を選んで暮らしている。


美術でも王道や中心を歩くことはできずにいて、周縁をうろうろしている。


a0010575_14412842.jpg鳥瞰ではなく俯瞰だと思うが、とにかく全体を捉えないと動けないのは体質だと思う。

とりあえず、その症状を俯瞰症(ふかんしょう)と呼んでみるとして・・・そんなことはどうでもいい。

瀬戸内国際を俯瞰するのは難しい。いろいろな違う視点から見る必要があるが、実はその部分がもっとも興味深い。 豊島の中だけに目をむけがちだったが、この数日間でようやく小豆島、男木島、犬島のプロジェクトサイトだけ、観客としての体験をし・・・たったそれだけだったが、いろいろな意識が発生した。

何が悪いのかもだんだん見えてきた。

ちゃんとした態度でちゃんと島に対峙しようとしている作家が見えたり、これまでのアートシステムの方程式を空き家に変換しただけでそのまま個人の事情を持ち込み、地域の属性と乖離した状態が見えたり、コーディネート不足が見えたり、地域の人のいろいろな関心や無関心が見えたり、その場の時間軸の特性と作品の賞味期限がうまくかみ合っていない状態が見えたり・・・辛抱強く我慢する地域の人や観客の姿が見えたり・・・多くの笑顔や高揚感、驚き、期待感も見えたり、予算不足、時間不足であきらめたものが見えたり、逆にやたらとお金が見えたり。とにかく移動が大変で無駄な時間が流れてゆくのが見えたり。島のよさをほとんど体験できない悔しさが見えたり。


a0010575_1442946.jpgとにかく地域実験としては壮大で多岐にわたる要素があるのだが・・・はたしてそのどれだけが記述され、表現され、論議され、検証されるのか・・・。

その要素が現在のシステムにどれだけ組み込まれているのか、あるいはどれだけ発生するのか。

どうみてもパツパツの限界状態の事務局、運営システム。そこに余裕はなさそうだし、いや、あるいはちゃんともう動いているのかもしれないが、イベントとして動いている部分があるとすれば、失敗は許されないという「前提」が邪魔するだろうから、いづれにしてもシステム外部の記述行為、表現行為、分析、解析、検証などの作業が本当に多角的に必要な時期に突入していると思う。

地域の問題をちゃんと捉えよとしている大学機関もそうだけど、個人研究者も意見のある住民も関係者も、立場を超えてちゃんとした発言をしてゆける現場が数多く欲しい。

事務局にはそのリンクサイトぐらい作ってほしいなあ。告知サイトではなくて・・・。

とにかく・・・有益な意見や記述があれば教えてください。

藤島八十郎の活動、ぼちぼち考えはじめてゆきたいしなぁ~。
by fuji-studio | 2010-09-20 23:52 | ◎瀬戸内国際芸術祭・藤島八十郎
今年もまたこの海で過ごせなかった。
自宅の裏側に広がる深江海岸。今年もまたこの海で過ごすことができなかった。

a0010575_15242576.jpg今年の春にこの海の近くに引越してきて、引越しの荷物も片付かないまま、壊れた屋根や窓ガラスの修理や改装も終わらないうちに・・・瀬戸内の豊島の現場が動き始めて・・・結局、豊島に入っても掃除と分類だけして、これから何か活動を始めるためのリサーチを行おうかというところで、青森の現場がはじまり・・・青森でも結局休むまもなく廃材の分類だけ行っているうちに暑い夏が終わり現在にいたる。

結局、この海で一日家族と過ごす・・・なんてことはまったくできなかった。

家にいた時間も・・・この夏数十時間程度・・・100時間に満たないかも。

全国各地のアートプロジェクトの身近な被害者は僕の妻と子ども達だなぁ。

申し訳ございません。

もう少し作り方とかプロジェクトの関わり方を考えなければいけないが・・・、それぞれの現場、まだまだ何も始まっていないし、ないも分かっていない。

ああ、時間と労働力がほしいなぁ。

昨日、久しぶりに自宅に戻ったというのに明日からまた豊島・・・
by fuji-studio | 2010-09-16 19:39 | ・生活周辺/LifeScape
豊島(てしま)の藤島八十郎の家の庭に新しい柱が!
瀬戸内国際芸術祭の現場の豊島の唐櫃の藤島八十郎の家。

a0010575_23525139.jpg昨日からそこに建てる杉の木(?)が搬入され、なんだかみんなで杉の皮をむいたり、枝を落としたりのワークショップ(?)。

そして、なぜだか深い深い穴をスコップで掘り、ついにその杉の御柱を建てる。


a0010575_23533855.jpgこのアイデアは瀬戸内国際芸術祭のサポーター「こえび隊」で何度か八十郎の家に関わってきた浅先さんの発案によるもので、地元の自治会長の藤崎さんが、またまた動いてくれて、ちょうど間伐しなければならなかった自宅の杉の木を伐採し・・・運んできてくれて・・・

今日は朝から宇野澤君がずっと穴掘りを行い、途中、大きな石にぶち当たり、それを必死にコツコツたたいて割り、さらに穴を深めて・・・ついに杉の木をたてて・・・


a0010575_23552629.jpg何をするのかと思っていたら、僕が自宅から送ったハンモックをつるすところを作っているのだとか。

しかも、その枝ぶりが面白いので上れるように仕上げたとのこと。

そのハンモックは僕がメキシコ・チャパス州での石彫シンポジウムに招待されて現地制作を行ったとき、作品に利用した後自宅に持ち帰り、この13年間ずっと自宅の中心で利用さて続けてきたもの。

だから結構使いこなされている・・・

結果として絶妙な位置にたってしまった御柱。

ついつい皆のぼりたがる。

これはタワーではなく、何なのか?

豊島の唐櫃ポール?

浅先さん、タイトル考えてくださいね。よろしくお願いします。

このてっぺんに鳥の彫刻を置きたくなって来た。

活動はまだまだ連鎖します。

瀬戸内国際芸術祭が終わったあとにようやく藤島八十郎は活動をしはじめるとかで、その準備にもぼちぼちかかなければ・・・。
by fuji-studio | 2010-09-12 23:56 | ◎瀬戸内国際芸術祭・藤島八十郎
青森ねぶたのありえない連鎖は大阪の中之島を経由して福岡を目指す。
青森ねぶたの大型ねぶた一台分を廃棄処分する前の状態でもらいうけてきて、とにかくそれを分別する日々を送っていた。

a0010575_10583559.jpgたまたま20歳の頃に制作した八方睨みの龍モドキ作品の下で解体作業をしていた縁だろうか・・・龍のパワーか!

なんとも面白く、興味深い予期せぬ展開になってきた。


a0010575_10593763.jpgものごとはあるがままにあり、そこに関わろうとする意志をもたなければ、何の関わりもなく、そのまま過ぎてゆく。

しかし、どこかで覚悟を決めて、引き受けてみることで、自分をとりまくいろいろな関係が変わり、自分の中での意味が変化し、あらゆる存在のあり方が変わる。

今回はどうにも無視できないねぶたの廃材を・・・どういしょうという方向性もビジョンもないままに・・・とにかく引き受けてみるという覚悟だけで関わってきた。


a0010575_115219100.jpgぐちゃぐちゃに絡み合った木材と針金と和紙を取り外し、ねじを抜き取り、折れている木材をきれいに切りそろえるというかなり根気の必要な作業。

搬入作業からはじめた作業だが、展覧会期間中もその作業は続き・・・展覧会終了後もその作業が続いた。


a0010575_1103543.jpg作業が展示前と展示中と展示後とまったく同じ作業をしているというのはとても珍しい。

青森で作業をすすめるうちに大阪の中之島の天神橋の下に年末なんらかの作品を展示する話が湧き出てきたり・・・、


a0010575_115366.jpg九州新幹線全線開通にともなってあたらしく出来る博多駅の吹き抜けに作品展示の話が出てきたり・・・。

で、ずっといじっているねぶたの廃材がもともとなんだったのかをそれほど重要視していなかったのだが・・


a0010575_11545290.jpgもともとこのねぶたのタイトルは「天神 菅原道真」

なんと大宰府に左遷された
菅原道真の霊が雷神の怨霊となって復讐する様子をねぶたで表現したものだった。


a0010575_11593585.jpg菅原道真の霊を鎮めるために全国に広がった天神信仰・・・とにかく天神菅原道真の解体されたネブタが天神橋の下で海蛇になり復活し、さらに博多駅で龍になって天に登る・・・というストーリーが発生した。


a0010575_11553850.jpg結局、ねぶた一台分の廃材は夏休みの間、国際芸術センター展覧会場につくられた工房で自由に持ち帰ってもらっていたので、半分ほどの量に減り、それをさらに分別して・・・

1000本ほどの木材と500ピースほどの針金の塊、それ以上の和紙のピース、そして取り外された数万本のビスと切り取られた針金破片に分別され・・・


a0010575_1254898.jpg「天神 菅原道真」の魂は数万ピースの素材となって、大阪中之島の天神橋の下を経由して博多駅へと旅に出る。

ところで・・・秋田からやってきたトラックは「大翔運送」

大阪の石切の明治大理石の倉庫に旅立った。

こんな物語、作ろうとしてもなかなか作れるものではない。何かを引き受け、現実を見渡して編集することで発生する物語なのだろうな・・・と思う。

しかし、大変なものを引き受けてしまった。
by fuji-studio | 2010-09-11 11:07 | ■青森&十和田での活動
S/N記録映像の上映会とトークセッションから、思わぬ反応連鎖が・・・
青森の国際芸術センターでのレジデンスプログラム「ツナガルシクミ」の最終日。

参加作家の繋がりを語る上で欠かせないということで、ダムタイプの昔のシアターピース、S/Nの記録映像の上映会とディスカッションが開催される。

a0010575_149414.jpg高嶺と小山田と僕との組み合わせが珍しいということで、かなりコアな観客が全国から来て驚く。

誰と話をするかで話は妙なところに転がってゆくもので、とても興味深かったので少しだけ紹介しとこっと。

半年ぐらい前に六本木ヒルズの森美術館にも95年に編集されたS/Nの記録映像が出品されていて、このブログでも紹介したが、去年ぐらいから京都精華大学情報館メディアセンターがやはりS/Nの記録映像の上映会を行ったり、トークイベントを企画しているらしく、その仕掛け人の八巻真哉さんも会場に来ていた。

さらに、そのイベントにも深く関わっている山田創平さんも前日に青森の歴史についてのトークを行った関係で来場していたことが大きな原因だと思うが、S/Nが単にシアターピースとしてではなくて、1990年前半に京都で発生した重要な事件として話は展開していった。

確かにダムタイプの流れの中でも他の作品とS/Nはまったく違ったあり方をしていることにはなんとなく気づいてはいたが、言葉として明確に意識化されたのは僕にとって今回が初めてのこと。


S/Nをシアターピースとして捉えるのではなく、古橋悌二という影響力のある人間がHIVポジティブ、いわゆるAISDに感染したことがきっかけとなって動き出したプロジェクトだったということ。

そしてその影響は京都で活動をともにしていた人の周辺に影響を与え、そこから様々な人が動き出し、いろいろな要素の活動がうねり始めた現象だった・・・ということ。

多くのアーティストに影響を与えたことはもちろんのこと、AIDSや人権の問題に関わる活動をはじめ、地域社会におけるいわゆる文化芸術活動の意味をも変革していった事件としても重要なプロジェクトだったことを再認識することになった。

話の中で、勢いあまって・・・S/Nを現在の地域社会の中で存在させる方法として・・・映像作品としてではなく、新しい地域社会のシステムのフォーマットにあわせて再編集する必要があるのではないかとの指摘を発言してしまう・・・。


a0010575_1515225.jpgその具体的なフォーマットのイメージを質問され、とっさには答えられなかったものの・・・、おそらく・・・、現在様々な地域で活動する団体や個人が多く関わるプロジェクトとして、S/Nの全世界で公演された記録映像やその周辺で派生した活動資料を公開できる形でアーカイブ化し、多くのメディア系のアーティストや活動団体、あるいは問題意識を持った個人が関係し、再編集できる素材として分析しつつ、イベントとしてのフォーマットが可能なのではないかと考えた。

実はそのアイデアのベクトルは京都精華大学の八巻さんがすでに実践していることを知り、さらにたまたまインドやフィリッピンから来ている若いキュレイターにも響き・・・

トークセッションの現場の中で、もうすでに反応連鎖ははじまりつつあった。

当時のS/Nの制作に関わっていたメンバーや、現在のダムタイプ、あるいは大きな影響を受け、活動をはじめた団体や個人が新しいS/Nプロジェクトの制作実行委員会に加わり、権利関係をクリアすることが大前提だと思うが・・・全世界で展開しそうな期待感がジワーとにじみ出てくる。

いや、この青森の森の企画も無駄ではなかったのかな・・・。

なんだか、アートプロジェクトの新しいフォーマットがようやく見えてきたような・・・とにかく、今後の展開に乞うご期待。

京都精華大学ではもうすぐS/N関連のイベントが仕掛けれれているようです。
by fuji-studio | 2010-09-05 23:47 | ・講座/対話/研究会
八十郎の仕事が増えつつあります・・・大変になってきた。
連日、連夜、藤島八十郎の家には地元の人が訪ねてきて、いろいろな会話が重ねられ、刺激的な時間を過ごしている。

a0010575_9335084.jpg地域に入り込み、ニュートラルな立場でいると、いろいろな角度からいろいろな立場の人との接点ができて、それぞれの事情や思いが伝わってきて、興味深かったり、感動したり、心苦しかったり・・・。


a0010575_935541.jpg藤島八十郎としいうキャラクターが架空の「おまぬけ」キャラであるのと、絵本作家を目指して、物語をつくるためになんでもやります!というような態度を表出しつつ、島で暮らしているので、清掃や活動やら、みかん狩りやら、伝統行事の参加やら・・といろいろな地域の活動に声をかけられるようになってきた。


a0010575_9382852.jpg特に今回のプロジェクトパートナーの宇野澤君は6月から藤島八十郎の家に住民票を移してきて、この地域の自治会にも入会した関係で、瀬戸内国際芸術祭とは関係ないところで、地元の行事や地域で開催される説明会、清掃作業などにも参加しているので、いろいろな立場の人と島での生活を楽しんでいる。


a0010575_9393129.jpgそんななか、八十郎にもボランティアだけど仕事の依頼が来るようになった・・・。

高松側からの高速船の玄関口、家浦港に以前食堂をしていた家に、看板を掲げていたところがある。


a0010575_9405864.jpgその場所が殺風景なので、地元のいちご農家が経営している「いちご家」というカキ氷とかソフトクリームとかがおいしいお店の看板を出すという話があり・・・(いや、本当においしい。)・・・その経営者から看板作りを手伝ってくれとの八十郎への依頼。
 

a0010575_9425563.jpgお店の看板というよりも、島に来た人に向けて何かメッセージを描きたいとのオーナーの要望から、単純に「吹き出し」を看板にして、そのオーナーの子ども達に「島へ来た人に伝えたい言葉」をいろいろ考えてもらのはどうだとの八十郎の提案。


a0010575_9463769.jpgちょうど、たて看板につかっていた廃材(厚さ6mm程度のサブロクの合板がたくさん。表には30cm角程度の格子の模様・・・)がもらえることになり、その素材が具体的な形や大きさ、設置方法を決定する。

イメージを先につくりその通りにモノゴトを押し通すと相当なお金がかかるが、その場にあるものに応じてつくると無駄がない。


a0010575_9473329.jpgただし・・・時間と手間は相当かかる。

その分、心のこもったいいものができればいい。

文字も、通常だったらカッティングの文字を出力屋で頼むところだが、予算をかけられないのでカーボン紙でトレースして塗料で中を塗ってゆく手法で仕上げる。これも久しぶりの作業。


a0010575_9481850.jpg・・・というか、徒歩3分にあるホームセンター兼コンビニ兼スーパーマーケットのなんでも屋には30年ぐらい前に販売していた様子のカーボン紙が赤、青、黒と品揃え豊富に残っていて・・・おそらく僕が買わなければそのまま商品価値がなくなりそうなので・・・トレースの技術はもっと使わなければならないような気がする。


a0010575_949765.jpg取り付ける作業の段取りを決めるために、ためしにひとつだけ看板を設置しようと現場作業を行ってみるが、昔のコンクリートボードが使われていて、コンクリート用ドリルが必要なことが判明。

困っていると、その場所の所有者がちゃっちゃと工具一式を持ってきて・・・まったく無駄のない手際でちゃっちゃと取り付けてゆく。

その作業の仕業が美しい。

こんなところに美がある・・・というのに

僕らはその姿に出会えて幸せだったが・・・それを表現するのは難しい。
by fuji-studio | 2010-07-23 06:32 | ◎瀬戸内国際芸術祭・藤島八十郎
豊島での瀬戸内国際芸術祭のシンポジウムで、周縁代表として・・・。
瀬戸内国際芸術祭の主催で会期中、いくつかのシンポジウムが企画されている。

その豊島バージョンがあり、ボルタンスキー浅田彰との対談のあとに僕らのトーク。

a0010575_13394743.jpgシンポジウムというより、簡単な自己紹介で、時間切れの会だったけど・・・。

出品作家も多いし、英語やフランス語とかの通訳もありで、同時通訳というわけにも行かず、時間的にも厳しいのも確か。仕方ない。

クーラーもない炎天下の小学校の体育館でカーテン締め切っての映像プレゼンテーション自体が無理のある設定。それも仕方ない。 興味深かったのは「拡大する美術と、その周縁。」というタイトル。

どうかんがえても、周縁は僕のことを意識してのタイトルだと思えてならない。(ありがとうございます)


a0010575_13403397.jpg浅田さんは周縁を終焉と読み替えて駄洒落をいったりしていたが、確かに人口1000人の島の小学校の体育館で、世界的に有名作家や批評家や彫刻家、美術作家の中に混ざって・・・周縁活動を自称する僕が平気でそこに並んで座っているのもおかしい話で、・・・いよいよ美術も終焉なのかもしれない。 

実は、今まで島の人に対して、実行委員会に対しても・・・自分自身の事やこれまで行ってきたこと、あるいは今後行おうとしていることについて話をする機会は一度もなかった。

その意味では唯一与えられた5分程度の時間だったが・・・もっといろいろな立場の人と、この地域で行うべき新しいアートシステムの実験について語り合うべきだし、そのチャンスをもっと小さくてもいいので作らなければならないな・・・と感じている。


a0010575_1341952.jpg出来事が大掛かりになれば必ず生じてくるユガミやヒズミについてちゃんと捉え、現在のシステムの不具合について時間をかけながら検討し、修正し、更新してゆく姿勢そのものが大切だと思う。

今回の瀬戸内国際芸術祭というシステムについては、地域側の立場でコーディネートする視線を持つ人の介入がもっと組み込まれてゆかなければならないと思っている。

作家のイメージありきではじまる仕組みそのものにも問題はあると思うが、予算的問題でコーディネーターが圧倒的に不足していて、オーバーワークで・・・しかもその人の立ち位置はあくまでも地域側ではなく、アーティスト側で・・・どちらかというと事務局側ですね・・・。

まあ、それも現状をみれば仕方ない。

去年の水都大阪2009の時は、事務局と作家を繋ぐ間に地域寄りとアーティスト寄りのコーディネータに介入してもらい、その掛け合いに期待したが、どうしても不協和音が生じていろいろな問題が見えてきた。


a0010575_817572.jpg地域側のコーディネータとして、都市計画やランドスケープ系のコンサルタントという立場の人たちが関わったが、そことアーティスト側のコーディネータが水と油でなかなか混ざり合わなかった。

個人の問題としてというよりは、役割の問題として、立場の問題として、あるいは興味の志向性の問題としての不協和音だったのかもしれないが、とにかく両者が「いい状態で・・・」仕事ができたとはいえない。

瀬戸内国際芸術祭というアートシステムについて内部からその全体を見ようとすると、地域側のコーディネータとしてはむしろ地域リサーチ型の社会学系の専門家との掛け合いが必要なのではないかと考えるようになった。

僕自身も含め、アーティストは危険な毒を持つナマモノだと思っているので、それを料理する専門家が必要。


a0010575_8461844.jpgその意味で、危険なナマモノの取り扱いに詳しい人も必要だし・・・

街や構造物あるいはモノゴトが作られる段取りが分かり予算を組めるコンサルタント系も必要だし・・・

そして地域の問題を読み込み、その両者を繋ぐような役割の社会学系のコーディネータも重要なのではないか・・・という視点。

少なくとも、作家の選考も含め、地域の人や地域主体で活動する人が作家の表現を作品化する上で・・・かなり突っ込んだ形で編集作業する視点が必要だと思うが・・・、現状は作家のプラン(具体的な最終形態のイメージ)を数名の力のある人がジャッジするというような仕組みになっている。

そのあたりの問題点は実行委員会の体質次第で、意外と簡単に修正できることだと思う。

ともかく、今後の可能性や不可能性についていろいろ問題が見えてくることは歓迎すべきことだし、無視され続ける地域であるよりは期待感の高まる地域であるほうがいい。

その意味でも、瀬戸内国際芸術祭という巨大な地域実験・・・もっといろいろな角度からの視線がほしい。

・・・・・・

a0010575_8474224.jpgところで、浅田さん、1983年に岡山の牛窓のオリーブ園で開催された第一回牛窓国際芸術祭のシンポジウム会場で出会って以来・・・おお!27年ぶり。

雰囲気がぜんぜん変わっていないところが凄い。昔も若かったが今もとても若い。

当時のシステムはズタズタで、シンポジウムの会場で一緒に出品していた同級生の高橋君とか杉山君とかが怒り、そのときのコーディネータの千葉(茂夫)さんに激しい抗議と行動を投げかけ、押し倒し、暴力とともにある過激な行動をとろうとしていたことを・・・(未遂で終わりましたのでご安心ください。)・・・浅田さんも覚えていてくれた。

考えてみると、国際芸術祭というスタイルはこの牛窓ぐらいからこの瀬戸内の地域では連鎖して定着してきたといえるんじゃないかな。もう30年近く・・・。

そのシステムはかなり更新されてきたとはいえ、まだまだ不全でもっとちゃんと更新してゆかなければならないんだろうな・・・。

ちなみにそのときの牛窓国際芸術祭の翌年、リセットされて、第一回牛窓国際芸術祭が開催され、僕らが参加した第一回だったはずの国際芸術祭は抹殺されたという経験を持つ。

その後10年ぐらいは続けていたので、90年代半ばぐらいまでは開催していたはず。僕らはその時から国際なんちゃらに根拠のない不信感を持つようになったのかも・・・。

それが岡山市内での自由工場へと連鎖し、当時出来立てのベネッセハウスへと感染して、直島の家プロジェクトへと繋がり・・・

というようなことにも興味深いな・・・。
by fuji-studio | 2010-07-21 22:53 | ◎瀬戸内国際芸術祭・藤島八十郎