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2004年ぐらいから使っているブログサイト、特に2006年から2010年のプロジェクトについてはかなりまめに記述していました。それはプロジェクトごとにページ下のカテゴリーごとに収められています。
2010年 10月 31日 此花の梅香、四貫島周辺でいろいろなアーティストやデザイナーが暮らせるような物件を紹介し、そこで暮らしながら、いろいろな活動が連鎖してゆけるような環境をつくってゆく・・・というイメージの此花アーツファーム構想。 その実践に向けて毎年行われているオープンスタジオ形式のイベントが「見っけ!このはな」 此花区にかかわり始めたのは3年前、このはなかえるクラブというかえっこを使ったイベントで...
2010年 10月 31日 いよいよ瀬戸内国際芸術祭も最終日。 その最終日の記念…というわけではないが、ずっと前から設置したいなーと思っていた「豊島タワー展望記念スタンプ」がようやく完成し、タワーの中の展望室の一角においてみた。 スタンプの作者は東京の美大に通う一年生のおおのさん。 以前から八十郎スタンプや宇野澤スタンプやらといろいろ作ってくれていた。 僕の中では記念スタンプを業者に発注しよう...
2010年 10月 29日 豊島美術館がオープンして地元の人の評判があまりにもいいので思わずがまんできずに見に行った。 水だということは随分前から聞いていたが、本当に水だった。 水の流れをみていて…水について考えたり、人間について考えたり、組織について考えてしまったり、政治について考えたり、環境について考えたり…とにかくとてもいい時間を過ごせるいいところができた。 先日のかじこでのトークの時にちらっと...
2010年 10月 27日 瀬戸内国際芸術祭の期間に合わせて、遠くから来場する人に向けてのゲストハウスとしてオープンしていた「かじこ」 ここの活動も瀬戸内国際芸術祭終了とともに終わるのだとか。 それにしてもこの現場は、期間中、瀬戸内国際とは全く違う活動の連鎖を作り出していて、かなり面白いことになっていた様子。 やっぱりこういうのがいいなー。 そのかじこで僕としては始めて語る藤島八十郎についてのト...
2010年 10月 24日 自宅にもどると、かえっこのおもちゃの整理をしているところに新たな作品(?)が…。かえっこ事務局に日々集まり増え続ける汚れたぬいぐるみ系。うちのスタジオでは、日々その皮(スキン)を剥き、中身の綿を取り出して、スキンは色ごとに分別、綿も素材ごとに分別する作業をしているが、そのぬいぐるみの中にたまに登場する機械で動く系のハードなぬいぐるみ。ぬいぐるみの状態では薄汚れていて、ただの豚だったり、カバだ...
2010年 10月 22日 瀬戸内国際芸術祭もだんだんと終わりが近づいてきて、いろいろと今後の話が出始めている。この地域に新しいベクトルをつくるキックオフイベントとしてのお祭りは終わり、ようやくじわっとした地域の日常が戻ってくる。豊島の場合、豊島美術館やボルタンスキー美術館は常時営業する美術館として残るほか、一つの地域に2点づつほど引き続き作品として常設されることが決定されているので、ゆっくりと豊島を楽しみたい人はぜひ...
2010年 10月 17日 山田創平さんとは2年前の新世界でのレクチャートークと散歩の時に、その誠実な語り口と知識の角度にイメージをかきたれられたのが最初の出会い。そして去年の7月、水都大阪が始まるという前の勉強会と、その後会期中のトークセッションでお招きしあらためてその深さに引き込まれていった。面白いことに、後輩の小山田君も大山崎とか舞鶴とか、そして今年の夏、青森へとお招きしさらに興味は深まった。また雨森さんやブブは...
2010年 10月 16日 豊島の唐櫃の丘の唐櫃公堂で、「どうする豊島」というテレビ番組のタイトルのようなフォーラムが開催された。 副題は「豊島から考えるいろいろなこと」 実際に、豊島が抱える問題は、将来の地域社会が面する様々な問題に繋がる。そもそも豊島という名前に「豊かさ」に対する定義の問いを読み取るとすれば、「豊島」はこの島のことを指すのと同時に、島国日本そのものを指すようにも思われるのが苦々しい。 ...
2010年 10月 11日 去年の日本文化デザイン会議の会場となったみなみ幼稚園の魅力については去年のブログで紹介したが、そこが河川の周辺に40年前から森を作っていて、そこが園児の遊び場になっているという話を去年から聞いていて、一度訪れたいと思っていた。今年の日本文化デザイン会議ではその自然教育園となづけられた森を会場としてお借りして、建築家やその学生たちが森のカフェをプロデュースし、大人が遊び心で森を使う実験。初日の...
2010年 10月 11日 北本に最初にやってきたのは…2008年の5月…そうかまだ2年と少しだけなんだな。もう3年以上関わっている感じがしていた。このブログを書き始めてから記録がかなり正確に検索できるようになったので便利。その記録によると最初に北本に呼ばれて何ができるか考えるためにその2か月後には北本アーツキャンプのチラシとポスターを制作し、北本市役所の全職員に配布してもらった。アーツキャンプという手法は1997年に...
2010年 10月 11日 北本ビタミンの活動がきっかけとなって北本に拠点を構えたwah documentこれまではwahの活動はwahが主体的に行うと思われてしまうことに違和感を持っていたのだろうか。今回はwah documentというwahの記録、運営の事務所を北本に制作することから活動をはじめ、主体をいろいろなチームが行うという新しいフレームを用意して北本の様々な活動を展開している。今回の日本文化デザイン会議の中...
2010年 10月 09日 日本文化デザイン会議の市長の出るセッションに続いたのが日比野さんと森本千絵さんとのセッション。日比野さんとは最近現場がやたらとシンクロし、いま一番顔を合わせる機会が多くなった。でも森本千絵という人とは初めての出会いで、どういう人かまったく予備知識がない状態でセッションに入る。広告の仕事をしてきた人だが、相当はみ出た仕事をしてきたらしい。最近新しくはじまったNHK朝の連続ドラマのタイトルバック...
2010年 10月 09日 去年に引き続き今年もまた日本文化デザイン会議をなぜだか北本市で開催。今年は北本ビタミンとの共催という不思議ビタミンというキーワードが誰から発せられ、どういう経緯で僕のノートに書かれたのか分からないが、いづれにしても何も存在していなかったモノゴトやシクミがこうやって動いて定着しているのをみると、人の関わりは凄いことだと思う。しかし、北本市には現市長の活動をことごとく阻害する要因があるのだとか。...
2010年 10月 08日 そもそも美術作品は味わうものだと思うので、美味しいか美味しくないかが問題だと思っている。決して、わかるとかわからないで判断するようなものではない。 食事をわからないから食べないという人はなかなかいないんじゃないかな。 食わず嫌いというのもあるが、食べてみないとわからないものほど美味しかったりする。 美味しそうに見せているものには毒が含まれる場合もある。(そういえば昔僕の作品...
2010年 10月 08日 モヤモヤからイメージを立ち上げ、イメージが流通し、編集されて価値化されるという時間の流れがある。 芸術祭とか展覧会とかのフォーマットの中では、どうしても、あれもこれも「美術作品」と単純に一括りにされ、均一化されて見られてしまうが、実は作品にも時間軸がある。 発芽の時期があり、旬があり、完熟期があり、保存加工期があり、醸造期があり・・・あるいは告別期もあるかもしれない。 もと...
2010年 10月 08日 僕の中では常識だと思っているものごとでも、周辺の人にとっては超常識なこともたくさんある。 作家や作品には旬があり、賞味期限があるという発想は僕の中でいつごろ常識になっていったのかは忘れたが、すくなくとも、99年に福岡市が発行したパブリックアートガイドブックに寄稿したことがあるので、その時から10年以上は経過する。 瀬戸内国際芸術祭の現場でいまだにパーマネント…つまり恒久設置か会期...
2010年 10月 08日 基礎超識という言葉をブログタイトルについてつけてみた。超識は常識や知識ではなく…超常識のようなもの…。 たとえば…僕の台所や八十郎の台所では食器洗いの洗剤の入っていたボトルを醤油さしにしたり、オイルさしにしたりとかなり貴重なものとして利用するのが常識だが、どうやら一般的には超常識らしい。 食料品のパッケージやペットボトルなど家庭から出る生活廃材はいろいろな活動を作り出す素材として...
2010年 10月 06日 1986年、僕がパプアニューギニア芸術学校で働き始めて、初めてかかってきた日本からの国際電話。そのとき繋がり難い電話の向こうで一生懸命話してくれたのが黒田さん。それが最初の出会い。 その後帰国して、日本の田舎で行われる小さなパフォーマンスや、かなりコアな思いもよらぬ現場で必ず出会い、不思議な人だと思っていた。 1994年、僕が鹿児島で石橋保存運動で疲弊している頃、鹿児島に黒田さん...
2010年 10月 06日 藤島八十郎は麦わら帽子が好きな様子です。 台所の入口に並ぶ甕は実はゴミいれ。空き缶いれ。スリッパいれ等 それに麦わら帽子の蓋をしてみると相当使いいい。 麦わら帽子の蓋は何よりも軽いし風通しが良い。
2010年 10月 05日 八十郎の家の庭を掃除していると、普通に伸びている2本の杉の木だと思っていたものが、実は倒された木の二本の枝がまっすぐ天に向かって伸びている状態だということに気づく。 倒されても密かに伸び続けていた。寄り添う様に同じ長さで伸びている兄弟なのか、姉妹なのか、それとも夫婦なのか。 豊島の底力なのか---。 どちらにしても強い意思を感じる。しかし、この木は確かに存在していたからここ...
青森ねぶたの終わったあとの廃材を・・.. 8月はじめのほどんど一週...
土佐の高知の桂浜 土佐の高知のはりまや橋、...
いわき湯本の三函座 アリオスでのもやもや会議...
存在しないのに龍はなぜ存在してきたのか? 決して好きというわけでは...
「描く」の現在進行形 draw+in.. この一週間、ほとんどこ...
大阪の新世界から西成を歩く。 新世界、西成で何か活動を...
人見記念講堂での1300人! 昭和女子大学からレクチャ...
トイ・ザウルス(Toys Sauru.. 水都大阪2009の中之島...
本田紘輝・13年の命 本田紘輝(ほんだこうき)...
美術館をつくるという設計の課題 九州大学の建築学科での授...