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TESHIMA SKY TREE・・・とよばれるようになりました。
藤島八十郎の家の庭の真ん中に登場した木の柱、東京に建設中の東京スカイツリーに対して・・・?・・・なぜ?・・・

a0010575_1848371.jpg豊島スカイツリーと呼ばれるようになったのだとか。

まあ、確かに木を立てただけなので、ツリーであることは確か。

空に伸びているように見えないでもないので、まあ、スカイツリーと呼んでもいいか。


a0010575_18492120.jpgタワーの定義が地域を俯瞰できるところという定義があるとすれば、スカイツリーの定義は何なのでしょうか?
空に伸びる木?

これがここに設置されるようになってから、毎日のようにこの木に登り、ついには頂上でまたがってくつろぐ人まで登場して、いつしかここは、「豊島スカイツリー」と呼ばれるようになっているようです。


a0010575_18495549.jpg僕は高いところが苦手なので、てっぺんまで上ることはできませんが、てっぺんまで上ると豊島タワーよりもわずかですが高い位置で風景を眺めることができるとかで、豊島タワーよりも新しくできたこともあり、豊島スカイツリーと呼ばれるようになったとか。

うーん、八十郎の家で楽しく遊んでくれる人が増えてきたようです。

それはそれでとてもいいことです。

しかし、来場者が多くなる土日、何も意味もわからず、状況を読めずに、なんとなくみんなが並んでいるので並んでいると・・・そのままこのスカイツリーに上ってしまうということにもなりかねないのでご注意ください。

「藤島八十郎をつくる」という作品は藤島八十郎の立場になって豊島への関係を考える作品として成立していて、そこに飾られているモノゴト類は、いろいろな人がかかわった痕跡でしかないので、作品性の上ではそれほど重要ではないものばかりです。

ですから、それほど並んで見るものでもない。それよりも、八十郎の活動を妄想しながら豊島全体を楽しんでください。
by fuji-studio | 2010-09-25 18:50 | ◎瀬戸内国際芸術祭・藤島八十郎
たとえば足跡・・・のような心を和ませる風景。
瀬戸内国際芸術祭の会場を巡っていると、作家の作品ではなく、島の人のいろいろな行為や手わざが見えて、そちらのほうがよほど興味深かったり、面白かったりする。

もともとそのようなすばらしい風景に日常接することが少ない人へ、その体感を繋ぐシステムとしてこのような地域系のアートプロジェクトは仕掛けられたりもする。

a0010575_9461513.jpg長い年月が作ってきたものや島の人の深い志の結果紡がれてきた風景。

なるべく冷静に眺めようとするが、自分はそこにまだまだ介入できないでいる未熟者であると思い知ることしばしば・・・。もっと僕には物理的な時間が必要だ。

そのかなでも比較的軽く紹介できるのが道路に刻まれた島の動物の足跡。

だれかがつくろうとしたわけではなく、むしろ意図せぬところにできてしまったところも面白いが、それをそのまま存在させるおおらかさが素敵。

そこには島の人の価値観がにじみ出ている。

施工後にこの足跡を見て神経質に怒ってしまったか、それとも施工後ノコノコとやってきた動物の姿を想像して笑みを浮かべたのか・・・。動物の歩く姿を想像して楽しくなれる生活は素敵だと思う。

それと・・・施工者と発注者の関係も見えてくる。


a0010575_9505853.jpg島の人はあらゆる工事を自分たちの手で行っているのだろう。これが納品すべき仕事だったらこの足跡はおそらく許されない。

発注者と施工者が同じであるか、特別な信頼関係になければこのような足跡は残されていないような気がする。

あるいは、これを意図して制作していたとしたら・・・相当な表現力と豊かなイメージ力を持つ猛者かも・・・

とにかく・・・特につまらない作品を見た後やいやな感情を抱いたあとでも、このような素敵なものを見つけると心が和みます。

そういえば・・・一つめの足跡写真は興味深い作家作品のところに友人を再び連れて行ったとき、パスポートにスタンプが押されていたために300円請求されて不幸な気持ちになった時。2つめの足跡写真は30分ほど立ちっぱなしで並ばされて中に入ると悲惨な作品だったので吐き気がして気分が悪くなったあとに見つけた救いの足跡。
by fuji-studio | 2010-09-22 23:33 | ◎瀬戸内国際芸術祭・藤島八十郎
俯瞰症
瀬戸内国際芸術祭の現場、豊島の唐櫃(からと)の自分のプロジェクトサイト、藤島八十郎の家の清掃、整備をした段階で青森とか神戸とか福岡とか東京とか・・・いろいろ動かなければならなくなり、結局瀬戸内の他の地域を回ることもなければ、豊島での活動をつくってゆくこともできないままでいる。

a0010575_14404091.jpgそういえば・・・、実は子どものころから「石橋をたたいても渡らないタイプ」と言われてきたほど慎重な性質。

右側の目が生まれつき見えにくいことも大きな原因だと思うが、自分のあらゆる感覚は人より劣っていると思い込んで育ってきた要因も大きい。 片目の生活は人よりも遠近感が捉えにくいので、高いところや尖っているものがやたらと怖かったり、キャッチボールが苦手だったり、はやく走ることを避けたり・・・まあ、一般的にはノロマだと思われていた。 だから余計に何かを行うときにうろうろしながら多角的に観察して、いろいろ推測してから慎重に動いてしまうことが身についているのだと思う。

しかも動き始めたらとことん動いて自分を超えようとする性質なので始末が悪い。

喫茶店でも飲み屋でも宴会場でも会議室でも・・・必ず端っこの全体が俯瞰できる場所にいないと落ち着かないし、住んでいるところも日本の西の端っこの福岡のさらに端っこの糸島を選んで暮らしている。


美術でも王道や中心を歩くことはできずにいて、周縁をうろうろしている。


a0010575_14412842.jpg鳥瞰ではなく俯瞰だと思うが、とにかく全体を捉えないと動けないのは体質だと思う。

とりあえず、その症状を俯瞰症(ふかんしょう)と呼んでみるとして・・・そんなことはどうでもいい。

瀬戸内国際を俯瞰するのは難しい。いろいろな違う視点から見る必要があるが、実はその部分がもっとも興味深い。 豊島の中だけに目をむけがちだったが、この数日間でようやく小豆島、男木島、犬島のプロジェクトサイトだけ、観客としての体験をし・・・たったそれだけだったが、いろいろな意識が発生した。

何が悪いのかもだんだん見えてきた。

ちゃんとした態度でちゃんと島に対峙しようとしている作家が見えたり、これまでのアートシステムの方程式を空き家に変換しただけでそのまま個人の事情を持ち込み、地域の属性と乖離した状態が見えたり、コーディネート不足が見えたり、地域の人のいろいろな関心や無関心が見えたり、その場の時間軸の特性と作品の賞味期限がうまくかみ合っていない状態が見えたり・・・辛抱強く我慢する地域の人や観客の姿が見えたり・・・多くの笑顔や高揚感、驚き、期待感も見えたり、予算不足、時間不足であきらめたものが見えたり、逆にやたらとお金が見えたり。とにかく移動が大変で無駄な時間が流れてゆくのが見えたり。島のよさをほとんど体験できない悔しさが見えたり。


a0010575_1442946.jpgとにかく地域実験としては壮大で多岐にわたる要素があるのだが・・・はたしてそのどれだけが記述され、表現され、論議され、検証されるのか・・・。

その要素が現在のシステムにどれだけ組み込まれているのか、あるいはどれだけ発生するのか。

どうみてもパツパツの限界状態の事務局、運営システム。そこに余裕はなさそうだし、いや、あるいはちゃんともう動いているのかもしれないが、イベントとして動いている部分があるとすれば、失敗は許されないという「前提」が邪魔するだろうから、いづれにしてもシステム外部の記述行為、表現行為、分析、解析、検証などの作業が本当に多角的に必要な時期に突入していると思う。

地域の問題をちゃんと捉えよとしている大学機関もそうだけど、個人研究者も意見のある住民も関係者も、立場を超えてちゃんとした発言をしてゆける現場が数多く欲しい。

事務局にはそのリンクサイトぐらい作ってほしいなあ。告知サイトではなくて・・・。

とにかく・・・有益な意見や記述があれば教えてください。

藤島八十郎の活動、ぼちぼち考えはじめてゆきたいしなぁ~。
by fuji-studio | 2010-09-20 23:52 | ◎瀬戸内国際芸術祭・藤島八十郎
福岡から夜行バスで丸亀のキュピキュピ経由豊島の現場へ
夜行バスで博多から高松へ。

瀬戸内国際芸術祭効果だと思うが、福岡ー高松高速夜行バスは増便され2台運行していたが、満席だとか。

a0010575_8522287.jpg途中、丸亀の猪熊弦一郎現代美術館キュピキュピの展覧会「シッケテル」を行っているので立ち寄り、江村君が行っているワークショップに参加してみる。

瀬戸内のオープニング前日ぐらいにキュピキュピのショーがあり、絶対に行こうと思っていたが、藤島八十郎の家の掃除が間に合わなくてとても抜け出せなかった。かなり後悔。

瀬戸内国際もいいけど、ぜひ丸亀まで足を伸ばしてキュピキュピの世界を体験することをお勧めします。

シッケモニカ最高です。はっきりいってアホです。アホは重要です。


a0010575_8235572.jpg今回は連休を利用して福岡から藤浩志企画制作室の財務、会計、監査役の藤容子(妻)が一番下の息子を連れて現場の視察。

丸亀から高松を経由して豊島へ。

よりによって、一番混雑するこの時期に・・・でもまあ、しかたない。
おかげで、鑑賞者がいかに苦労して島にたどり着いているかを不満ごと体験できる。


a0010575_8444637.jpg豊島に夕方到着すると・・・なんと船を待つ観客の列・・・

この連休は無理ですね。

作品をいい状態で見れるとは思えない環境です。

まさに数の暴力。

僕もその暴力の一員になってしまった。

しかし・・・これから先、連休あけても10月末までは週末は相当混雑しそうです。

藤島八十郎の仕事の仕込みは瀬戸内国際芸術祭終わってからですね。

それを確信しました。

とにかく今は人が混雑しないことを祈るばかり・・・。
by fuji-studio | 2010-09-18 23:11 | ◎瀬戸内国際芸術祭・藤島八十郎
今年もまたこの海で過ごせなかった。
自宅の裏側に広がる深江海岸。今年もまたこの海で過ごすことができなかった。

a0010575_15242576.jpg今年の春にこの海の近くに引越してきて、引越しの荷物も片付かないまま、壊れた屋根や窓ガラスの修理や改装も終わらないうちに・・・瀬戸内の豊島の現場が動き始めて・・・結局、豊島に入っても掃除と分類だけして、これから何か活動を始めるためのリサーチを行おうかというところで、青森の現場がはじまり・・・青森でも結局休むまもなく廃材の分類だけ行っているうちに暑い夏が終わり現在にいたる。

結局、この海で一日家族と過ごす・・・なんてことはまったくできなかった。

家にいた時間も・・・この夏数十時間程度・・・100時間に満たないかも。

全国各地のアートプロジェクトの身近な被害者は僕の妻と子ども達だなぁ。

申し訳ございません。

もう少し作り方とかプロジェクトの関わり方を考えなければいけないが・・・、それぞれの現場、まだまだ何も始まっていないし、ないも分かっていない。

ああ、時間と労働力がほしいなぁ。

昨日、久しぶりに自宅に戻ったというのに明日からまた豊島・・・
by fuji-studio | 2010-09-16 19:39 | ・生活周辺/LifeScape
数の暴力・・・どのように向き合うのか。
東京都文化発信事業プログラムのひとつ、東京アートポイント計画。去年から動き始め、まだ1年半だというのにいろいろな種が蒔かれ始め、それぞれの現場での問題の一角が見えはじめてきた。

a0010575_1111179.jpg大きな「文化・芸術」という視点に縛られず、地域の小さなポイントに目をつけてそこからにじみ出てくる問題に対峙しながらいろいろな活動の連鎖やネットワークをはかろうとするのが「東京アートポイント計画」・・・大きな行政が行う事業としてはかなり画期的な視点のプログラムとして注目し、僕もそれなりの発言をしつつある。 


a0010575_11122034.jpgしかし、なかなか現場は難しい。

担当者の問題でもなく、個々に関わる現場の問題でもなく、・・・システム化しようとするときに働く荷重の問題・・・なのかな。

それは東京都のような大きなシステムの問題だけではなく、3331につくられたかえるステーションの運営システムのような小さな現場の問題も繋がっている。


a0010575_11285442.jpg最近、荷重の要因のひとつは「数の暴力」なのではないかと考えるようになった。

単純に数が重なると多数になる。多数になると暴力になりえる。

個人の中に発生する些細な違和感を無視することなく、ちゃんと向き合う態度にこそ・・・常識や偏見を超えようとする態度にこそ「つくる」ことの重要性があるということはわかっていながらも、その「つくる」状況をつくろうとする段階で・・・社会化しようとする段階で・・・流通の段階で、「数の負荷」が発生する。

そのことにどのように向き合うかが問題の鍵になる。

多数は暴力になりえるということは知っているというのに、相変わらず多数決が原則となっているこの社会のシステムに違和感を抱いている人も多いのではないか・・・。

多いということが力になりそう・・・ほら。暴力。

多数決の原理に基づく選挙という常識についても・・・いつもぶつかる違和感。

そろそろ新しいシステムがイメージ化されてもよさそうだと思うがなかなか見えない現状。

特に、日常的に・・・東京という大勢が動いている現場をなれて暮らしているので、たまに地下鉄や駅、交差点などで大量の人を体験するだけで、暴力を受けているような気がする。

・・・そういえば、瀬戸内の小さな島で起こっている問題も、数の暴力と無関係ではないのだろうな。

・・・昔鹿児島で経営していたカフェも、かなりイイ空間として作ったつもりだったけど、来客数が増えるごとにイイ空間は崩れ、数を維持する方向に流れ始め、閉店の道を辿った。

数の暴力の裏側には貨幣経済、資本主義の原則が張り付いている。

そういえば・・・かえっこの基本原則、原初的数の認識、「1、2、3、いっぱい」という数え方に立ち返る。

いっぱいという感覚は数の問題ではなく、相対的な感覚の問題なのだと思う。

この「いっぱい」に対する感覚・・・「いっぱい」は「欲」と密接な関係にある。

掘り下げる必要があるな・・・。

・・ああ、でも掘り下げるのが苦手なんだよな・・・堀さげようとしてもズレてしまう性質・・・。
by fuji-studio | 2010-09-14 23:58 | ・思索雑感/ImageTrash
豊島(てしま)の藤島八十郎の家の庭に新しい柱が!
瀬戸内国際芸術祭の現場の豊島の唐櫃の藤島八十郎の家。

a0010575_23525139.jpg昨日からそこに建てる杉の木(?)が搬入され、なんだかみんなで杉の皮をむいたり、枝を落としたりのワークショップ(?)。

そして、なぜだか深い深い穴をスコップで掘り、ついにその杉の御柱を建てる。


a0010575_23533855.jpgこのアイデアは瀬戸内国際芸術祭のサポーター「こえび隊」で何度か八十郎の家に関わってきた浅先さんの発案によるもので、地元の自治会長の藤崎さんが、またまた動いてくれて、ちょうど間伐しなければならなかった自宅の杉の木を伐採し・・・運んできてくれて・・・

今日は朝から宇野澤君がずっと穴掘りを行い、途中、大きな石にぶち当たり、それを必死にコツコツたたいて割り、さらに穴を深めて・・・ついに杉の木をたてて・・・


a0010575_23552629.jpg何をするのかと思っていたら、僕が自宅から送ったハンモックをつるすところを作っているのだとか。

しかも、その枝ぶりが面白いので上れるように仕上げたとのこと。

そのハンモックは僕がメキシコ・チャパス州での石彫シンポジウムに招待されて現地制作を行ったとき、作品に利用した後自宅に持ち帰り、この13年間ずっと自宅の中心で利用さて続けてきたもの。

だから結構使いこなされている・・・

結果として絶妙な位置にたってしまった御柱。

ついつい皆のぼりたがる。

これはタワーではなく、何なのか?

豊島の唐櫃ポール?

浅先さん、タイトル考えてくださいね。よろしくお願いします。

このてっぺんに鳥の彫刻を置きたくなって来た。

活動はまだまだ連鎖します。

瀬戸内国際芸術祭が終わったあとにようやく藤島八十郎は活動をしはじめるとかで、その準備にもぼちぼちかかなければ・・・。
by fuji-studio | 2010-09-12 23:56 | ◎瀬戸内国際芸術祭・藤島八十郎
青森ねぶたのありえない連鎖は大阪の中之島を経由して福岡を目指す。
青森ねぶたの大型ねぶた一台分を廃棄処分する前の状態でもらいうけてきて、とにかくそれを分別する日々を送っていた。

a0010575_10583559.jpgたまたま20歳の頃に制作した八方睨みの龍モドキ作品の下で解体作業をしていた縁だろうか・・・龍のパワーか!

なんとも面白く、興味深い予期せぬ展開になってきた。


a0010575_10593763.jpgものごとはあるがままにあり、そこに関わろうとする意志をもたなければ、何の関わりもなく、そのまま過ぎてゆく。

しかし、どこかで覚悟を決めて、引き受けてみることで、自分をとりまくいろいろな関係が変わり、自分の中での意味が変化し、あらゆる存在のあり方が変わる。

今回はどうにも無視できないねぶたの廃材を・・・どういしょうという方向性もビジョンもないままに・・・とにかく引き受けてみるという覚悟だけで関わってきた。


a0010575_115219100.jpgぐちゃぐちゃに絡み合った木材と針金と和紙を取り外し、ねじを抜き取り、折れている木材をきれいに切りそろえるというかなり根気の必要な作業。

搬入作業からはじめた作業だが、展覧会期間中もその作業は続き・・・展覧会終了後もその作業が続いた。


a0010575_1103543.jpg作業が展示前と展示中と展示後とまったく同じ作業をしているというのはとても珍しい。

青森で作業をすすめるうちに大阪の中之島の天神橋の下に年末なんらかの作品を展示する話が湧き出てきたり・・・、


a0010575_115366.jpg九州新幹線全線開通にともなってあたらしく出来る博多駅の吹き抜けに作品展示の話が出てきたり・・・。

で、ずっといじっているねぶたの廃材がもともとなんだったのかをそれほど重要視していなかったのだが・・


a0010575_11545290.jpgもともとこのねぶたのタイトルは「天神 菅原道真」

なんと大宰府に左遷された
菅原道真の霊が雷神の怨霊となって復讐する様子をねぶたで表現したものだった。


a0010575_11593585.jpg菅原道真の霊を鎮めるために全国に広がった天神信仰・・・とにかく天神菅原道真の解体されたネブタが天神橋の下で海蛇になり復活し、さらに博多駅で龍になって天に登る・・・というストーリーが発生した。


a0010575_11553850.jpg結局、ねぶた一台分の廃材は夏休みの間、国際芸術センター展覧会場につくられた工房で自由に持ち帰ってもらっていたので、半分ほどの量に減り、それをさらに分別して・・・

1000本ほどの木材と500ピースほどの針金の塊、それ以上の和紙のピース、そして取り外された数万本のビスと切り取られた針金破片に分別され・・・


a0010575_1254898.jpg「天神 菅原道真」の魂は数万ピースの素材となって、大阪中之島の天神橋の下を経由して博多駅へと旅に出る。

ところで・・・秋田からやってきたトラックは「大翔運送」

大阪の石切の明治大理石の倉庫に旅立った。

こんな物語、作ろうとしてもなかなか作れるものではない。何かを引き受け、現実を見渡して編集することで発生する物語なのだろうな・・・と思う。

しかし、大変なものを引き受けてしまった。
by fuji-studio | 2010-09-11 11:07 | ■青森&十和田での活動
ねじとか針金を抜き取った木材を長い順に並べる作業
青森ねぶたの廃材からねじや針金を抜き取り、端っこの割れているところを切り落とし、長いもので2.5m、短いもので、10cmぐらいの木材の破片がざっと数えると1000本ほど収穫できた。

それを長い順に並べる作業を続けているが、やたらといい音がするので、思わずiphoneで動画撮影をしてみる。

ただ作業している状態を撮影しただけの無編集、無加工の記録映像です。



国際芸術センター青森のギャラリー空間がコンクリートで覆われた長細い安藤建築の空間なのでやたらと音が反響して通常は話がしにくかったり、音が聞こえにくかったり、空気がよどんでいたり、湿気が多かったりといろいろ問題があるのですが、唯一誰もいない空間でこのような作業の時だけ、楽しめます。
by fuji-studio | 2010-09-08 22:05 | ■青森&十和田での活動
S/N記録映像の上映会とトークセッションから、思わぬ反応連鎖が・・・
青森の国際芸術センターでのレジデンスプログラム「ツナガルシクミ」の最終日。

参加作家の繋がりを語る上で欠かせないということで、ダムタイプの昔のシアターピース、S/Nの記録映像の上映会とディスカッションが開催される。

a0010575_149414.jpg高嶺と小山田と僕との組み合わせが珍しいということで、かなりコアな観客が全国から来て驚く。

誰と話をするかで話は妙なところに転がってゆくもので、とても興味深かったので少しだけ紹介しとこっと。

半年ぐらい前に六本木ヒルズの森美術館にも95年に編集されたS/Nの記録映像が出品されていて、このブログでも紹介したが、去年ぐらいから京都精華大学情報館メディアセンターがやはりS/Nの記録映像の上映会を行ったり、トークイベントを企画しているらしく、その仕掛け人の八巻真哉さんも会場に来ていた。

さらに、そのイベントにも深く関わっている山田創平さんも前日に青森の歴史についてのトークを行った関係で来場していたことが大きな原因だと思うが、S/Nが単にシアターピースとしてではなくて、1990年前半に京都で発生した重要な事件として話は展開していった。

確かにダムタイプの流れの中でも他の作品とS/Nはまったく違ったあり方をしていることにはなんとなく気づいてはいたが、言葉として明確に意識化されたのは僕にとって今回が初めてのこと。


S/Nをシアターピースとして捉えるのではなく、古橋悌二という影響力のある人間がHIVポジティブ、いわゆるAISDに感染したことがきっかけとなって動き出したプロジェクトだったということ。

そしてその影響は京都で活動をともにしていた人の周辺に影響を与え、そこから様々な人が動き出し、いろいろな要素の活動がうねり始めた現象だった・・・ということ。

多くのアーティストに影響を与えたことはもちろんのこと、AIDSや人権の問題に関わる活動をはじめ、地域社会におけるいわゆる文化芸術活動の意味をも変革していった事件としても重要なプロジェクトだったことを再認識することになった。

話の中で、勢いあまって・・・S/Nを現在の地域社会の中で存在させる方法として・・・映像作品としてではなく、新しい地域社会のシステムのフォーマットにあわせて再編集する必要があるのではないかとの指摘を発言してしまう・・・。


a0010575_1515225.jpgその具体的なフォーマットのイメージを質問され、とっさには答えられなかったものの・・・、おそらく・・・、現在様々な地域で活動する団体や個人が多く関わるプロジェクトとして、S/Nの全世界で公演された記録映像やその周辺で派生した活動資料を公開できる形でアーカイブ化し、多くのメディア系のアーティストや活動団体、あるいは問題意識を持った個人が関係し、再編集できる素材として分析しつつ、イベントとしてのフォーマットが可能なのではないかと考えた。

実はそのアイデアのベクトルは京都精華大学の八巻さんがすでに実践していることを知り、さらにたまたまインドやフィリッピンから来ている若いキュレイターにも響き・・・

トークセッションの現場の中で、もうすでに反応連鎖ははじまりつつあった。

当時のS/Nの制作に関わっていたメンバーや、現在のダムタイプ、あるいは大きな影響を受け、活動をはじめた団体や個人が新しいS/Nプロジェクトの制作実行委員会に加わり、権利関係をクリアすることが大前提だと思うが・・・全世界で展開しそうな期待感がジワーとにじみ出てくる。

いや、この青森の森の企画も無駄ではなかったのかな・・・。

なんだか、アートプロジェクトの新しいフォーマットがようやく見えてきたような・・・とにかく、今後の展開に乞うご期待。

京都精華大学ではもうすぐS/N関連のイベントが仕掛けれれているようです。
by fuji-studio | 2010-09-05 23:47 | ・講座/対話/研究会