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なぜだかイカがうちあげられている

今年の夏もまた、この海でほとんど過ごせなかったなぁー。

a0010575_8392236.jpgこの数日間、自宅の目の前の海水浴場はなぜだか大量のイカがうちあげられていて気持ち悪い。

台風対策も雨漏り修理すらできないまま、いろいろ不安も抱えながら、今日からまた秋の長い出張が続く
なぁー。

で、このイカ、食べられるのかな?
by fuji-studio | 2010-08-31 08:39 | ・単純記録/Diary
新しい場とか機能とかステークホルダーの拡がりによってなされるシステムの更新
地域の疲弊感。そこからどうにか脱しようと右往左往している地域は多いが、それが貨幣経済ベースの考え方から抜け出せなかったり、いまだに「活性化」というお題目に惑わされていたり・・・発言力のある大物に翻弄されていたり・・・なかなか難しい地域と接することも多い。

a0010575_8575710.jpg地域だけではなく、個人が運営している組織や団体、あるいは家庭の中でもそういう感覚はあるかもしれない。

とにかく、疲弊感というものをじわっと払拭する価値の転換が必要だということを・・・自分を含め・・・当事者が一番気づきにくいのかもしれないなぁ。


a0010575_8583272.jpg表現活動に関わるシステムの話になると思うが、いくら個人が自分の日常を超えようと表現活動を重ねてみたところで、その表現行為をちゃんと起動できるシステムとフォーマットに出会わなければなんでもない。

いくら素晴らしい表現行為や意識であっても、社会化というプロセスに無関係であれば、周辺に知れることもなく、興味を持ってくれる人に出会うこともなく、批判してくれる敵と戦うこともなく・・・存在すらしないことになる。


a0010575_8592654.jpg生物の遺伝子ですら永遠に変化し続けるわけだから・・・もちろん時代を超えた完璧なシステムもなければ、完璧なフォーマットもないということを前提とすると・・・、当然、だれもが表現行為の社会化の段階で、なんらかの不完全なシステムに関与することになり、その上で自分の表現行為を客観視することになる。


a0010575_90233.jpg「モノゴトの価値は「誰と」対峙するかで変わる。」という視点でとらえると、特に、そのシステムがいかなる人や企業、組織などに繋がっているかなどの、いわゆるステークホルダーの違いが問題になってきて、それが個人の表現行為をどのように展開し、予期せぬ方向に連鎖させ、その行為のあり方を変化させ、あるいは加速させるのか・・・に繋がっているということが重要であることは・・・いまさら言うまでもない。


a0010575_905199.jpgここで問題にしてみるのは、その不完全なシステムをどのように更新させてゆくのか、その手法と視点の問題。

秋田の大館で毎年開催されているゼロダテという地域づかいのシステムは、今年駅前の「御成座」という映画館跡の場を使い始めたことによって大きな更新をとげて新しい可能性と期待感を作り出していてとても興味深かった。


a0010575_912790.jpg僕が最初にゼロダテに関わったのは3年ほど前、その頃から大町商店街というほとんどがシャッターで閉じられた店舗の内部や裏側をかなりの規模で開放したシステムとして興味を持った


a0010575_92351.jpgシャッターが閉まっていることが前提で、そこに絵を描いて商店街をいじろうとする方向性は間違っていると感じていた頃に行われた企画だったので、商店街のシャッターを全部あけようとするこのシステムに興味を持ったし、いろいろな角度からまちを俯瞰できるこの企画の拡がりを期待した。


a0010575_922942.jpgしかし、商店街の空き店舗というフォーマットは、比較的小規模の閉鎖空間を自由にいじりたい性質の・・・どちらかというとワークショップ系とか、インスタレーション制作系の表現者にはいいかもしれないが、その空間の質に限界もあった。


a0010575_931341.jpgそれにしても、巨額を投資して風通しの悪いレジデンス施設や街から隔離されたギャラリー空間を作ってそこにアーティストを囲うシステムよりは・・・何か自分を超えたいと思っている表現者にとって、人が暮らしてきたまちの空間をある期間占拠し、寝泊りし、まちの人と関わりながら自由にイメージを立ち上げる活動を行う場が無数に拡がるシステムのほうがはるかに有効な気がする。


a0010575_944310.jpg実際にこの期間、秋田の大館の街には全国から多くの若手アーティストや研究者、社会学や都市計画、建築、美術、デザインなどに関わるかなりの数の学生などがかなり長い間滞在し、そのシステムの起動と運営に関わってきた。


a0010575_951570.jpgそれでもなお、個人的にはマンネリ化してしまいがちな空き店舗や空き地の拡がる商店街ベースのシステムにある種の限界を感じていたものの・・・ゼロダテはここにきて、駅前徒歩3分に位置する大館唯一の映画館だった場所を使うことに成功した。

市民にとって共通の記憶の宝物が幾重にも重なった映画館跡という場を利用し、ホールのみならず、バックヤードもずべて開放し、これからはじまる活動の拠点として整備し始めている御成座(オナリザ)の姿とそこで熱く語る地元の映画、映像ファンのおじさん達に接して・・・ゼロダテというシステムが新しいシステムとしてバージョンアップし、もしかすると商店街すらも変わるかもしれない・・・という期待感すら持ってしまった。


a0010575_954074.jpgその現場に接して、確信したことは、それぞれのシステムの更新の手法について・・・。

つまり、大きなシステムを大きな視点からバージョンアップしたり、更新しようとしたりするのではなく、あくまでも現状の関係の中から拡がる些細な関係を無視することなく、目の前に立ち現れる問題にちゃんと向き合い対応し、開かれた関係の中で、既成の常識や肩書きや大義名分、コンセプトや大きな力にだまされず、こつこつとシステムをいじってゆこうとする振る舞いが大切なんだなということ。


a0010575_961575.jpg現場の周辺にある場や人、組織の中から、ちゃんと感覚的に信頼できる要素、あるいは重要な問題を見つけだし、そこにちゃんと触れることができるかということ。

そこをいじっているうちに、そのシステムが大きな束縛を受けていない限りは、そのシステムって自然と更新されてゆくものなんじゃないかな。

逆に一番よくない疲弊感は・・・現場の些細な問題も見ようとせずに・・・大きなシステムそのものを大義名分やコンセプトの側から力のある人がそのフォーマットまでもいじろうとすることから生まれてくるんじゃないかな・・・。

あれれ? それって、90年代半ばまで多くの地域で流行していたやりかただったような気もするが・・・もう忘れてしまった。
by fuji-studio | 2010-08-28 09:08 | ・思索雑感/ImageTrash
豊島の藤島八十郎の家への訪問客
瀬戸内海の豊島の藤島八十郎の家は連日大勢の訪問客でにぎわっている様子。

a0010575_18482386.jpg東京、関西をはじめ、日本全国各地から、あるいは海外から、地域の常連さんやら、毎日遊びに来る近くの子ども達とか・・・たまには野菜や魚や漬物を差し入れてくれる近所の人とか、お酒やお菓子を差し入れてくれる遠方からの知り合いとか・・・。

とにかく連日150人~300人程度の数の人が藤島八十郎の家と、豊島タワーを楽しんでくれている。

有名人の家ならまだしも、無名で、実存してなくて・・・さらに駄目な奴の家にこれだけ来るのは瀬戸内国際というシステムの凄さゆえ。(いいもわるいもなく・・・)


a0010575_201383.jpg今日は地元の日焼けしたお兄さんが焼酎付けのマムシの一升瓶と生きたマムシが入っている一升瓶を2本提げてきて、なぜだか2本ともおいていってくれたり・・・危険ですね・・・。

このマムシ君、毎日水をかえてやると餌がなくてもなかり長い間でも生き続けるほども凄い生命力なのだとか。

豊島の山にはこのマムシが結構たくさんいるとかで、かまれてしまったら大変。島には救急車がきてくれないので、宇野の病院までチャーター船で走らなければならないのかな・・・?

藤島八十郎の家は撮影自由、持込自由、台所でもリビングでも、冷蔵庫の中まで自由に使っていい空間になっているので、勝手に冷蔵庫の中のビールを取り出して庭の休憩所でくつろぐお客さんや、本棚の中から気になる本を取り出して、一冊読みきって帰ってゆくお客さんも。

飲み物とかについては実費をカンパ用のサザエ型の陶器に各自が自主的に入れてもらうシステムになっていますが・・・。


a0010575_1850162.jpg不思議なことにここの来客はなぜだかとても質が高い。

ふと話し始めるとなかなかのつわものだったり、凄い人だったり、相当ズレていて興味深いことを言う人だったり。

地元のおじいちゃんが不思議がっているのは「みんな愛想がよくて、だれでもあいさつしてくる。」とのこと。確かにこの炎天下にもかかわらず、皆さん笑顔で挨拶してきてくれて、ニコニコと楽しそう。

そんななか、昨日はリリーフランキーさんという人がやってきてくれて、帰り際に自分の著作の「東京タワー」という本をかばんから取り出して、藤島八十郎の本棚に差し込んでくれた。


a0010575_18505780.jpgすかさず、サインをお願いし・・・ 東京タワーの作者が豊島タワーに上ってくれたことが妙に愉快。

リリーフランキーさんに物語がつくれない藤島八十郎の話をすると、「こんないい環境ではなかなか作品作れないでしょうね。」とのご意見。

確かに表面的に平和で穏やかな空気が流れるこの空間は、表現に対するエネルギーや欲求が蓄積される場ではないと捉えられても仕方ない。

しかし・・・、この穏やかな島の時間の裏側に見える深く切実な状況はどうだろう・・・。

ここだからこそ、常識を超える深く強い活動が育まれつつあるんじゃないかな・・・と強く感じている。

それを藤島八十郎はちゃんと形にできるのか・・・。

しかし、八十郎の日常は、やっぱりのんびりしてるかもね。
by fuji-studio | 2010-08-24 23:27 | ◎瀬戸内国際芸術祭・藤島八十郎
移動の数とブログ書き込み数は比例する?
現場が長いといろいろと書き込みたいことがあるものの、現場にいると時間に隙間がないのでブログを書き込む時間を確保できない。

このブログを書き込むのは大体移動中の新幹線や飛行機の中、あるいは待合室・・・というケースが多いので必然的に移動が少なくなるとブログ書き込み数が減ってくる。

この夏、瀬戸内から青森、秋田、鹿児島、熊本、福岡そして豊島・・・と移動しているものの、書き込む隙間がなくて・・・と言い訳しとこ。

秋田のゼロダテについても書き込みたいけど時間がないなー。
by fuji-studio | 2010-08-23 08:29 | ・思索雑感/ImageTrash
日常的な行為と表現行為との違い。
青森の国際芸術センターでドローイングとデッサンのワークショップを高嶺と小山田と3人で開催してみる。

a0010575_16503225.jpg大切なのは、描こうとすることでも、つくろうとすることでもなく、自分が何をいじる性質なのかを自覚することなのではないかとつくづく思う。

しかし、それでも、いじる延長で何らかの形を立ち上げる技術なり手法なりが必要の場合もあり、それは手の延長にある道具類といかに接するか・・・の基本的な技術や知識があるのは確かだと思う。

写真は高嶺の根っこがぶら下がっているツリーハウス作品


a0010575_16554642.jpgそのあたりを意識しながらのワークショップ・・・のつもりだったが、その参加者から「日常的な行為と表現行為の違いは何なのか?」との質問がきて、その瞬間、ちゃんと答えられなかったのがずっと頭に残っている。

その時は日常的行為を客観視しているかどうか・・・客観視する延長に表現行為はあるとのことを話したに留まったが、それではもちろん足りない。 自分の性質を客観的に自覚したうえで・・さらに自分の日常とか常識とかを相対的にほんの少しでも超えようとする意志に表現という行為は存在するのではないかと考えている。

自分を超えようとするかしないか。


a0010575_1659758.jpgそこに表現行為と呼べるかどうかの境目がある。 

あくまでも個人の中の相対的なものでしかないが、それを日常的に重ねることに個人の中には確実に意味が生じてくる。

「超える」という相対的に+(プラス)の方向にある場合、その日常が蓄積されると膨大なものになる。

写真は小山田徹の測量のワークショップの様子


a0010575_1701518.jpgしかし、「超える」という意識がない場合、相対的にゼロかー(マイナス)だとすると、その日常が蓄積されても、ゼロかマイナスでしかない。

表現行為はその蓄積の延長に意味が生じてくるとは思うが、それが個人の領域のままではいくらその表現が凄いものであっても、それは社会的に存在することはない。

その意味で作品化のプロセスはまた別の話になるが、その前提としての表現行為というものはそんなことなのかなと・・・つくづく感じている。


a0010575_1713566.jpgで、今回の青森で開催された鹿児島県立甲南高等学校美術部出身の3人の展覧会、高校時代はごく普通の日常的な行為を行う学生でしかなかったが、それぞれの立ち位置でまったく違う方法で、それぞれが自分の日常の行為を超えようと重ねてきた結果なのだと思う。

それぞれいじるポイントはまったく違うが妙にシンクロする面もありながら、確実にそれぞれが自分自身の日常を超えようとした結果、ここにいるのだなと感じる。

そしてそれぞれが活動するアートのシステムも、それに対する編集の仕方も、少しずつズレていながら違うのがまた興味深い。
by fuji-studio | 2010-08-14 23:02 | ・思索雑感/ImageTrash
青森ねぶたの廃材を細かく分類する作業は・・・結構贅沢な時間です・・・
安藤忠雄が設計したかなりシャープなコンクリートの国際芸術センター青森の入り口付近にがつんと設置した青森ねぶたの塊。

a0010575_15225432.jpgそれを中の展示室に入るサイズに細かく解体、分類するために・・・

絡まったワイヤーを大きなペンチでプツプツと切りながら、木材のねじをはずしながら・・・

ねぶたの塊を細かくしつつ運べるサイズを切り取っては運び込みつつ・・・


a0010575_15253374.jpg敗れた和紙は、はがしては広げながら・・・ちぎりながら、広げながら・・・重ねては運び込みつつ・・・

とにかく青森ねぶたの素材の塊からいろいろなパーツを発掘してゆくような作業の日々。


a0010575_15424944.jpg通常の感覚では、この作業はなんとも面倒lくさく厄介で、大変な作業なのかもしれないが・・・、僕にとってはなぜだか苦痛にならない。


a0010575_1528875.jpg苦痛にならないどころか、むしろ心地いい。とても楽しく、時間が瞬く間に過ぎてゆく。

その感覚を繰り返すうちに、これはゲームをしている時の感覚に近いのではないかと気づいた。


a0010575_17543690.jpg次から次へと敵が降りてくるのを打ち落とすシューティングゲームやテトリスやコロンの様なPCゲームのようでもあり、あるいはパズルゲームの様でもある。

そういえば、昔は知恵の輪系がとても得意だったなぁ・・・。


a0010575_17571066.jpgとにかく、絡まった素材のウィークポイントを見つけだし、プチプチ切断して行きつつ・・・大きな塊が取れて小さな喜びを感じつつ・・・また次の塊の問題が提示され・・それを解決してゆく・・・ってなかんじ。


a0010575_1751657.jpg展示室の中は極めて不快指数が高い密閉空間で温室の中のようで暑苦しくむさ苦しく駄目駄目空間だが、外での作業は蝉や鳥の鳴き声をききながら、風を感じながら自然に囲まれ、まだましで気持ちいい。

しかし、外でも、まったく効かない空調の音がやたらとうるさかったり、音が妙に響いたり、局面ガラス面の移りこみが歪んでいて吐き気を促したり、あぶやハチが襲いかかってきたりして・・・外も問題は多いが・・・


a0010575_1759759.jpg表現者である以前にある種の性質(タチ)として、このような行為が好きでなければまったく成立しない作業だろうが、幸い、山ほどの廃材を崩してゆく感覚は僕にとってはとても贅沢な時間に思えてならない。


a0010575_15412932.jpgそもそも、日常的な感覚、あるいは現在の経済状況から見た感覚から言えば、この作業は膨大な無駄なのかもしれない。、

だからこそ、贅沢な時間との感覚をもってしまうのかもしれないし、ゲームに没頭している時間に近いと感じるのかもしれない。


a0010575_15433480.jpgこのような単純作業をしていると、頭の中はなぜだか急速に回転しはじめ、まったく関係ない様々なことを高速で考えてしまうことがある。

その時々でいちいち忘れてしまうことが多いが、とにかくいろいろなことを思いついては一人でその考えを繰り返し、否定したり、納得して裏付けを探してみたり・・・無意識に反芻している自分に気づく。


a0010575_1544326.jpgそんな単純作業の中でたまにとんでもないものが発掘されて、結構大きな喜びを得たりもする。

手や、顔面部分が発掘された瞬間から、作業が思わぬ方向に動き始め・・・思いもよらぬ空間が発生する。


a0010575_1654496.jpgもっともっと時間があれば、これをつかって新しい立体の作品を制作しようとするのだろうが、このままでも十分にいいような気もする。

何かをつくることも大切だが、それ以上にこの状態を見せることももっともっと大切なことなのかもしれないと思いつつ・・・。


a0010575_166207.jpgしかし、ねぶた師の技にはとことん感服する。

解体するだけでも大変なこの手わざを多くの人の力を借りつつも、そのエネルギーと技術をコントロールし、これだけのものを数ヶ月で完成させるとは・・・。


a0010575_1674057.jpgしかもそれを毎年毎年作り続けているとは。

そのようなねぶた師を存在させ続けている青森という風土はやっぱり凄い。

この素材全体を使って龍の立体作品作りたくなってきたけど・・・

どこか展覧会やりませんか?
by fuji-studio | 2010-08-14 15:19 | ■青森&十和田での活動
青森ねぶたの終わったあとの廃材を・・・どうする?
8月はじめのほどんど一週間、青森各地はねぶた(Nebuta)やねぷた(Neputa)で盛り上がる。

a0010575_14403673.jpg以前は・・・地域ごとにねぶたをつくるねぶた小屋があり、子どもたちと大人と専門家が一緒にねぶたをつくり・・・お囃子を練習し・・・街を練り歩き・・・ 日常を忘れるかのように盛り上がり・・・

街を轢きまわった後、精霊流しのように海に流して海上で火をつけ燃やし、そのまま海底に沈めていたらしい。


a0010575_1443692.jpgその方法がCO2の排出量と環境循環のことを考えると一番妥当な処分の方法のような気がするが・・・、燃やすことを表面化することが行政的にはNGなのだろう・・・ 


a0010575_14512979.jpg今は青森ねぶたの場合、祭りの終了後、廃棄場にあつめ、パワーショベルとか専用の大型重機を運んできてガンガンつぶし、大型の産業廃棄物処理車に積み込んで処理場まで運び、処分している・・・とのこと。


a0010575_14301282.jpgその処理車に載せる前の状態のものを譲ってもらえないかと青森市に頼んでみたが・・・まったくとりあってもらえなかった。・・・という話

まあ、そうだろうな。 


a0010575_14453640.jpgこの期間、弘前ねぷたや黒石ねぶた、八戸の三社大祭、五所川原の立佞武多といろいろまわってそのやり方や雰囲気、作っている現場なども体験させてもらった。


a0010575_14462356.jpg僕が1998年に博多ではじめた博多灯明の手法や2000年からやろうとしていたVPC(Vinyl Plastics Connection)やデコポリなど、地域と住民の活動の接点を作り出すしくみとしては、青森県各地のねぶたは全国数ある祭りの中でも相当完成度の高いものであることに疑いはなく、そこに関わる市民の意識の高さも驚くほどのものがある。

ねぶたをつぶす前の手続きとして、まず、目をくりぬくのだそうだ・・・


a0010575_1451781.jpgとくに五所川原や弘前のねぷたの場合、伝統的な手法やスタイルを核としながら、その周辺で住民がいろいろな表現意欲やアイデアを盛り込めるシクミに大いに共感し、かなり期待できるものだった。 


a0010575_14533269.jpg一方、青森ねぶたの場合、作品性としては圧倒的完成度ながらも・・・おそらく行政によって主導されてきたのだろう・・・観光という錘が多くの自由な表現の展開を規制しているのか、かなり管理されている空気感がにじみ出ていてもったいないと感じてしまう。


a0010575_1556312.jpg市民が相当もりあがるねぶただというのに、街の日常とのリンクのあり方がもったいない・・・そんな気がして仕方ない。

街の日常の延長に登場して発展してきたねぶたであるが、もっと街の中のいろいろな活動とリンクするシクミへと更新してゆけばいいのに・・・と余計なことを感じてしまう。 


a0010575_15584951.jpgともあれ、ねぶた祭りそのものに外部の素人が関わることはできないので、せめてその廃材を処分するところに別の迂回ルートをつくれないかと相談してみる。 


a0010575_15593074.jpg青森市や実行委員会はまったく取り合ってもらえなかったという話だが、日通が制作したねぶたの一部を切り取ってホテルとか街中に展示物として再生し納品している鉄工所の人の仲介で、切り取られたねぶたのさらに最後の処理するものをもらうことになった。


a0010575_1611515.jpgしかし、それについてもかなりナイーブなことのようで、相当難しい作業だということをかなり丁寧に指導していただき、鉄工所の社長自らがクレーントラックと社員を連れてきて、その取り壊し作業に立会い、国際芸術センター青森まで運んできてもらう。 


a0010575_1634383.jpg当初は廃棄物処理費用の代わりに運んでもらえないかな・・・と思っていたが、結局、仲介してくれた鉄工所が自主的に運搬すると申し出てくれて、トラック代と3名の作業員の費用を請求されることになり・・・ipadのいいやつがいろいろなアクセサリーをつけて買えるに十分な額の思わぬ出費。


a0010575_1610133.jpg解体作業を行った出品者の日本通運はもともと運ぶことのプロなので日通に運んでもらうほうが自然な流れだったかもしれない。

そのあたりのつなぎ方が実はもっと重要だったような気がする。もっとシクミを読み込んで、より意味深い手法を模索すべきだし、そこは急いではいけないことなんだろうな・・・


a0010575_1611268.jpgとにかく、青森ねぶたの場合、ブラックボックスを取り除き、もっとオープンにしてゆきながら、ねぶたそのものと市民の関わりを別の角度から編集しなおす余地があるんじゃないかな・・・。余計なことですが・・・。

もともと街にインストールされていたねぶたというプログラムが観光という大義名分で分断されているような気がするのは僕だけだろうか?


a0010575_16123134.jpgともかく、廃棄処分する素材を芸術センター青森に運び込み、いよいよ僕自身の現場の素材がようやく整う。

当初、展示室の中にガツンとした塊を展示する予定だったが、結局展示室に入らない塊になっていたので、入り口付近にそのまま展示し、公開制作として、その廃材の塊から部分を切り取っては展示室の中に運び込み、素材ごとに分類してゆく作業を行うことに・・・。


a0010575_16133082.jpg素材は木材(角材)と針金と和紙に分類され、たまに取り外したはずの電球とか配線コードとかも分類され・・・

特にねじ(コースレッド)が曲がっていたり、折れていたりでそれをはずすのが一苦労。


a0010575_1614141.jpgねじをはずした木材も切りそろえるとなかなか魅力的な素材になり、そこから何かが生まれる期待感。

針金もしっかっりしているので、いろいろな造形物をつくるうえでとても重要な素材になる。・・・もちろん金属回収業者に持ってゆけばいくらかで買い取っても合えるとは思うが・・・


a0010575_1615226.jpg今回こだわったのは一台分のネブタという素材とその量。

そこから何ができるか方向性だけでも示せればいいが、本当はその回収のシクミと何かに再生するしくみを街がちゃんと組み込むイメージをつくること。

ねぶたは完成されたすばらしい市民の活動のシステムだけに、そこにさらなる創造性や活動力を身につけるためのプログラムが組み込まれたシステムへと更新されなければいいいいのにな・・・と感じている。


a0010575_16154345.jpg廃材の解体を始めた瞬間、横で小山田君が子どもとその素材を利用してなにやらつくりはじめ、テーブルの上に飾っている。

材料と道具が豊富にあるスタジオが青森市内の各地区にあればいい。

そこで懸命に何かを作ろうとしている変わり者と、これから第2の人生を楽しもうと模索しているおっちゃんと、何かを学ぼうとしている若者と、とにかく遊びたくて仕方ない子ども達が一緒に素材をいじる時間をつくるイメージをつくることができればいいが・・・今回は無理でしょうね。

・・・・

それにしても、この施設、コンクリートの塊でまったく風通しが悪いので妙にむせてて暑苦しい。

外の作業ができて、結果としてよかったよかった。
by fuji-studio | 2010-08-10 23:24 | ■青森&十和田での活動
小山田徹と高嶺格だけど・・本当はもっと多くの複雑な関係が・・・
今回、青森の国際芸術センターで企画されている反応連鎖・・・

a0010575_11284215.jpg鹿児島の県立甲南高等学校の美術部の後輩で京都市立芸術大学のバレーボール部、演劇部といろいろな共通項が多いので今回不思議がられて企画され、家族という裏のテーマを持ちながら滞在制作が続いている。 

小山田徹は以前もこのブログで紹介したことがあったが、とにかく二人での出来事を本にしたとすると数冊は必要なほど関わりが深く、彼が高校に入学してきた時から始まり・・・嵯峨野のアパート、上桂の一軒家と生活もともにしながら、クラブ活動での演劇部、バレーボール部と一緒にすごし紆余曲折・・・。 

そんな時期に鹿児島で開催されていた高校生対象の美術系の実技講座の講師をしていた時期に学生として受講していたのが美術部の後輩の高嶺君。


a0010575_11293962.jpg実は彼が入学したと同時に僕はパプアニューギニアに2年間赴任していたので彼の1,2年の時期を知らない。 ただし、その時期ダムタイプが美術系の情報に載り流通し始めていたのでいろいろな角度から彼らの活動を知ることができて、その中に高嶺も関わっていることは知っていた。

彼が3年になった時、日本に帰国してから大学のバレーボール部のOBとして長野県での夏合宿に顔を出したり、金沢での四芸祭(4つの公立美術大学のクラブ活動の交流会のようなもの)に参加したりして後輩達と一緒にすごし、改めて高嶺の本領を知り始める。 

実は小山田と高嶺の間に何人もの関係する後輩たちがいる。

出身高校は違うが、鹿児島の美術実技講習会で教えることで出会い、京都市立芸術大学に入った瞬間から無理やりバレー部、演劇部と入部させられ、活動に巻き込まれ、表には絶対立たないながらも創設当時からダムタイプと深く関わっているT君とか、高校美術部の後輩で演劇部には巻き込まれずにすんだものの、バレー部に巻き込まれてそのまま工芸の世界に入ったU君とか、同じ講習会経由で知り合い、京都の家で浪人生として過ごし、当時のプロジェクトをいろいろ手伝ってもらいつつ京都芸大に入学し、バレーボール部に入学した高嶺と同級生のKさんとか・・・いろいろな関係がそれぞれの活動の連鎖を生み出し、それぞれにとって大切な生活を構築してきた。

鹿児島出身ではないにしろ、当時バレーボール部と演劇と掛け持ちしていたメンバーはぼくの同世代で4~5名したし、後輩たちになるといろいろな時期の違いはあるが10名ぐらいはいたのかなぁ。


a0010575_11301391.jpg演劇部ではないにしろ、バレー部の一学年下の後輩でかなり年上のT君は映画研究会の中心メンバーとして映画を作っていたので周辺のメンバーはクラブ活動を越えていろいろ関わっていたし、僕が演劇部引退後につくった京都情報社は当時バレー部に入部してきたメンバーとの関係で無理やり立ち上げた。

京都情報社というシクミがメンバーを固定していない緩やかなつながりで成立させていた活動だったので、演劇部とかバレー部とか染織科とかの枠組みとは関係なく、それぞれが、それぞれの手法で人の繋がりに頼りながら、とにかくいろいろな活動を加速していた感じがある。

個人的にはバレー部・演劇部を引退してからも、漫画研究会や軽音楽部に関わってバンドのようなことをしていたり、漫画をつくってみたり、自宅の2階に茶室をつくり、軽茶倶楽部(カルチャクラブ)という学外の部活のようなものを作ったりしていたので、活動の巾はより複雑になっていた。


a0010575_11305058.jpg同時にバレー部の繋がりで展覧会を行ったり、それを越えて京都市内でのアートプロジェクトを企画したり、東京芸大バレー部との関係で東京周辺都市での展覧会に誘われたり、クラブ活動ベースだった人の繋がりを核としていろいろな活動の繋がりが発生し・・・その頃から同時にいくつもの仕事をやりつつ、動き回りつつ考えつつ、完成しない活動の連鎖はその頃から続いているのだと思う。

当時できたばかりの京都駅新幹線口の商業施設での何度か行ったゴジラ系パフォーマンスとかにも、バレー部に入部してしまった伊達伸明とかヤノベケンジとかがいきなり手伝わされてしまったり、当時はバレー部でしか接点がなかった藤本隆行とか江村耕一とかは、結局数年経ってからそれぞれの卒業後の経験を活かしてダムタイプのメンバーとなったり、キュピキュピの活動を立ち上げたりとなんだか戻ってきた感じがしていた。

京都情報社で中心的存在だった中島隆章の活動の連鎖から発生したようにも見える石橋義正が作った映画「狂わせたいの」ができた当時、バレー部をはじめとして昔の知り合いがたくさん関わっているのでのけぞってしまったこともある。


a0010575_11312143.jpgとにかく、当時、大学生でありながら、学生の活動を越えていろいろ動いていた空気を共有していて、それは何なのかと昔からよく聞かれるたびに、その分析しづらい複雑な関係といろいろな出来事を語ろうとしてきたが、そのたびに感じてきたことがいくつかある。

ひとつは誰と話すかによって語るべき内容が変化してゆくということ。

活動が連鎖してゆく段階で情報の中では無名だけど、実はとても要な人が横にいたということ。

活動が加速する状況には横で無条件に面白がってくれている視線と、厳しく批判しもっと大切な活動へと導く視線が並列しているということ。

大きなビジョンとか価値観とか、どうあるべきか・・・とか重要なコンセプトだとか、権威だとか・・・とにかく勝手な振る舞いを抑制しようとする重石をかわせる状況にあること。

それぞれが何かを引き受けた瞬間からかなり強い意志を持ってなんらかの形にしようとする態度を持ち、多くの時間と労力を費やすことに疑問を持たないこと。

僕の周辺にはそんな人が多かったような気がするなぁ。
by fuji-studio | 2010-08-09 11:47 | ・縁の深い人・家族