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今年最後の桜島は雪・・・
a0010575_1952044.jpg来年は厳しい一年になるのだとか・・・運勢的には・・・。

ということでローダウンにシフトチェンジして・・・ペースをつかみたいところだけど・・・。

でも相変わらず貧乏暇なしで忙しそう・・・。

かえるシステム記録集からはじまり、大阪の新世界、東京の秋葉原と六本木、そんで埼玉の北本・・・で、すぐに瀬戸内の豊島に手をいれはじめてカナダのトロント経由で瀬戸内海・・・そんで青森・・・そして大阪の此花と新世界・・・休みなさそう・・・。

写真は2009年最後の桜島・・・雪が積もっていました・・・。
by fuji-studio | 2009-12-31 19:05 | ・単純記録/Diary
「うまいねー」と「いいねー」の大きな違い。
a0010575_1836333.jpgうちの子どもが画用紙に落書きをして、その絵を周りの大人が好意でほめてくれる。

「上手だね~」「うまいねー」とのほめ言葉。

・・・ごく普通の光景だが、子どもとのワークショップで妙に気になる点と重なる。

子どもの行動をほめることはいいことだと思うが、ほめ方に微妙な違いがあり、・・・そこに一般的に認識されていない重要な問題があるような気がしてならない。

「うまいねー」とか「上手だね~。」とかの技術的側面をほめている言葉を仮に技術評価と名づけてみる。

それに対して、「いいねー」とか「すごいねー」とか「面白いねー」とかの、行為に対する感覚的側面に対する言葉を感覚評価と名づけてみた。(かなり乱暴だけど・・・)

感覚評価は子どもとの感情の連鎖を促し、感覚的に開放し、自由に導くような気がするのに対して、技術評価は「うまいことがいいんだ」「上手に描くとほめられる」という確信を与えてしまい、その連鎖の方向性を狭めてしまっているのではないかという危惧。

上手にふるまうことへ導く価値観と、感覚的に自由にふるまうことへ導く価値観はまったく相反するものでもある。

多くの大人がある時期に「「自由にふるまう感覚」を失い、「上手にふるまうこと」がよいことだと思い込み、常識に束縛され、・・・場合によっては、ある時点で、「技術的挫折」を体験する・・・。

日常の中での感性や情念から動ける活動力や行動力。発想力や想像力。ものごとを具体的に組み立てる力を身に着ける段階で、もちろん技術的側面は必要な場合もあるが、それ以前に感情と対話する力を身につけることが重要だと思う。

「・と」の関係。・・・つまり、誰が横にいたか・・・の関係の中で、好意的に「技術的評価」ばかりを与える大人しかいないとすれば、楽しく振舞うことの感覚や感情はどのような状況で、どのようにはぐくまれるというのだろうか?

・・・そういえば・・・

大阪の人の「おもろいなぁー」という言葉。

これは大阪人の宝物なのかもしれない。

・・・・

このあたりのことって子どもの教育に関わる人にとってはあたりまえの常識なのかな?

僕が知らないだけなのかな?

・・・・

子どもの行為に対して周りの大人がついつい「うまいねー」「上手だね」に類する技術的評価だけを与え、子どもの感性の可能性を閉じたものにしていないかどうか、・・・そのことに注目してもらいたい。

関連記事:ワークショップに関しての雑感。
by fuji-studio | 2009-12-29 18:36 | ・単純記録/Diary
きんかん
a0010575_1223457.jpg「うみかえる」の玄関前のアロエの群れの横に金柑が実っていたので収穫。

これで正月料理が一品増える・・・。

感謝。
by fuji-studio | 2009-12-27 12:23 | ・単純記録/Diary
社会システムとフォーマット
a0010575_11494824.jpg僕らが学生の頃・・・つまり80年代前半まではシステムとフォーマットという概念は一般的じゃなかったなぁ。

ハードとソフトといういわれ方が流行ったのが90年ごろだけど、OSとアプリケーションという概念はまだコンピューターの概念だった。

昔は記録メディアをコンピューターにインストールするとき、必ずOSに合わせてフォーマットするという作業があったけど、最近はフォーマットの必要のないものが増えてその概念自体が希薄になってきた。

・・・で、最近特にこのフォーマットという考え方が気になって仕方ない。ただし、地域社会の様々なシステムにおいてのフォーマットという考え方。

フォーマットというものが何を意味するかということを問題にしているのではない。

フォーマットがあることによって加速するナニモノかと同時に、それによって束縛されるナニモノかについて・・・

意味不明だが・・・気になっている。
by fuji-studio | 2009-12-23 11:49 | ・思索雑感/ImageTrash
松ノ木との再会
a0010575_14395826.jpgそういえば、学生時代から松ノ木には縁が深い。・・・ということに気づく。

深江海岸の「うみかえる」が松ノ木につぶされそうになっているので、松ノ木の枝をきって落としているうちに・・・松ノ木をまた再びいじってみたくなった。

なぜ、当時、僕にとって松ノ木は「権威」だったのだろうか・・・?

根拠が思い出せない・・・。
by fuji-studio | 2009-12-21 14:39 | ・単純記録/Diary
70年代「平面と立体」→80年代「空間」→90年代「場」→00年「システム」・・・とか?
今年の福岡アジアトリエンナーレのカタログに寄稿した文章の中にちょっとだけ書いてみたが・・・、僕の周辺には、地域社会のシステムに介入し、活動を発しているアーティストが増えてきたように思えて興味深い。

a0010575_12295046.jpg僕が美術史を語る立場にないことは承知しているし・・・、何よりも文章下手だし・・・、

それでも、地域での表現の現場に接してきて、1980年代以降の、日本の地域社会での美術表現の変遷を、・・・ある程度整理して捉えている自分に気づき・・・、乱暴に言い切ってみたのがタイトルの流れ。

特に美術の周辺で、表現者が何を問題意識としていじる傾向にあったのか・・・というようなもの。

僕が大学に入学した70年代後半はまだ「立体と平面」や「具象と抽象」の問題をいじる先輩たちが多く、その問題から「空間」の問題へと興味が移行しつつある時期だったような気がする。


a0010575_1742315.jpg80年代インスタレーション作家が多発し、僕もインスタレーション作家というレッテルを貼られ、それから逃れようともがいた時期もあった。

そのうち、「空間」をいじる延長で「場」の問題が輸入される。それが90年前後。 

どちらかというと僕自身も、「場と空間」の認識に翻弄され、違和感に向き合いながら、極めてまじめに動いた結果、見えてきたのが地域社会の「システム」の問題。 

同時にコンピューターとインターネットの普及により、OSという概念を含むシステムという考え方が急激に変化したのも90年代半ばで、いろいろなあり方が急激に変化していった時期と重なる・・・。


a0010575_1742266.jpg僕自身、地域に内在するシステムに関わる表現に興味を持ち始めたのが95,96年代であるが、2000年あたりから、「場」というよりは「システムやしくみ」をいじり、地域社会に介入しようとするタイプの表現が見えるようになってきたと思っている。

そして、近年の地域におけるアートプロジェクトの拡がり・・・。 

いろいろなアートプロジェクトを検討する立場で全国各地からいろいろなアートプロジェクトの内容を読み込むと、その参加作家のタイプが未整理で・・・企画者側もそのような作家の傾向も認識していないし・・・


a0010575_17425591.jpgいまだに地域に壁画という平面をかけたり(シャッターに絵をかいてチャットアウトしようとしたり)、立体を置いたりするプロジェクトを地域のアートプロジェクトとして・・・もちろん状況によってはそれが悪いわけではないが・・・それが地域の若いエネルギーの可能性を阻害する障害物として鎮座することも多い・・・

企画者がその表現の傾向を無自覚にいる状況について・・・それでいいのかな・・・と。

・・・・・ところで、これを表現を作品化するシステムのフォーマットで見てみるとさらにその関係性は興味深い。

平面・立体とか、抽象・具象とかが問題になっていたころのアートシステムは公募展や会員制が中心だったので、そのフォーマットはキャンバスだったり、サイズや材料を限定する規格型のフォーマット。


a0010575_18154064.jpgその後空間の問題意識の発生は貸し画廊や美術館などのギャラリーシステムが広がった時代と重なり、その時代におけるフォーマットはまさにホワイトキューブを象徴する概念型。

まちにおかれた無口な彫刻物が撤去できない吹き溜まりとなり、公害扱いされはじめ、サイトスペシフィックという言葉が語られ、場の問題が浮上しはじめたのが90年ごろ。 それと連動するように、地域にアーティスト主導の現場がポツポツと発生し、必然的に地域社会との深い関係のあり方が模索されはじめ、地域社会のシステムに対話型のフォーマットが発生する。それが地域におけるアートプロジェクトのさきがけ。


a0010575_18161751.jpgそして地域社会システム・対話型フォーマットのアートプロジェクトが大型のうねりとして流通し始めるのが2000年以降。

場の問題から離れ、その地域社会のシステムに介入しつつも、全国のアートプロジェクトに組み込み可能なシステムの問題やネットワークの問題をいじる作品も一般的になってきたのが今の現状。

フォーマットはまさに地域社会のシステムの中にあり・・・あるいは人の関係のあり方にあり・・・いわゆるネットワーク型・・・・

このあたりに論じている詳しい本などがあれば教えてください。

僕も勉強して客観的に捉える必要があるなー・・・。

特に、AAFとか、東京とか、大阪とか、福岡とか・・・地域づくりの戦略としてアートプロジェクトを語る人が増えてくる一方で、その前提としての共通認識があまりにもばらつきがあるようで・・・困ることもあるんです。

問題はこれからの可能性であることに、かわりはないのですが・・・。


※写真と文章はまったく関係ありません。

by fuji-studio | 2009-12-19 23:06 | ・思索雑感/ImageTrash
アサヒアートフェスティバル2010の選考会
a0010575_958029.jpg日本全国各地でのアートプロジェクトのネットワークをつくるアサヒアートフェスティバル

その参加プロジェクトの選考会。2日日間にわたる大変な作業・・・。

かなり論議され、その論議の争点がとても興味深い。

20年前、同じ問題意識を共有できる人が周辺にいなくて孤立してる気持ちが強かったが20年で状況が変わってきたなぁ~・・・。

それにしても建築中の新しい東京のタワー、tokyo sky treeが着々と伸びていっている・・・。

東京の風景も変化しているなぁ~・・・。
by fuji-studio | 2009-12-18 09:58 | ・単純記録/Diary
秋葉原にできるアートセンター、3331
千代田区が作ろうとしているアートセンター「アート千代田3331」の下見

a0010575_18254.jpgいよいよ3月14日にプレオープンという予定が決定し、それにむけて、一階入り口に「かえるステーション」を制作するということも決定。

改装工事が本格的に進行している。

ここができれば相当変わる。


a0010575_1155989.jpgかなり期待できる場になりそう・・・。

入居者の第2時募集をはじめた様子ですね。

ところで、この名称、3331

すばらしい。
by fuji-studio | 2009-12-16 18:15 | ■東京での活動
豊島(てしま)でのプランづくり。
瀬戸内国際芸術祭のために、久しぶりに企画書をつくっている。

企画書を作っていると自覚している時間をすごすのは久しぶり・・・。

それにしても・・・一枚の企画書をつくるのに、とても時間がかかってしまう。苦手だな。

思いつきでつくった藤島豊というキャラクター、結局、紆余曲折あり、結局「藤島八十郎」という名前にすることに。ここを抽出するのに何週間もかかってしまった。

実際、何年もの経験や実験をこの企画書に集約させているので、何年もかかっていることになるのかな。

タイトルでまた悩んでいる。決めきれないな・・・。
by fuji-studio | 2009-12-16 11:43 | ◎瀬戸内国際芸術祭・藤島八十郎
東京アートポイント計画の企画検討会議
東京で行っている東京アートポイント計画。その企画検討会議。

a0010575_11391676.jpg会議そのものはこのような会議ではありえないような歯切れのある気持ちいい進行。

自治体が組み込むべき新しい仕組みを模索している。

動き始めてまだ一年たっていないというのに・・・加速的な広がりで動いている。・・ように見える。

問題はいろいろ抱えながらも・・・画期的な動きが始まっていることは確か。

・・・期待感を持続させるのは大変だな・・・。

ところで・・・これまで常宿としてた永田町の公共施設を離れ、両国の宿泊施設を利用してみる。

新しいタワーの建設現場が目の当たりにできるとてもいい眺めの窓。穴場かも。
by fuji-studio | 2009-12-15 19:23 | ・単純記録/Diary