瀬戸内国際芸術祭が終了し、ようやく島には平穏な日々が戻ってきた様子。
しかし、だれもいない集落は、なんだか寂しい。豊島美術館がオープンしたばかりで、年内は瀬戸内国際芸術祭のパスポートでの鑑賞が可能ということ…らしく、週末など結構来島者がいるということ…らしく、この週末から12月の半ばぐらいまで、瀬戸内国際芸術祭の一部作品を継続公開するという話が、事務局としてはまとまった…とか。 つい2日前に電話で聞いたところによると…まだ正式決定したわけではないけど、その方向性で…ということで、八十郎の家も事務局が管理しつつ週末限定で公開するのだとか。 公開するにしろ、しないにしろ、「藤島八十郎をつくる」活動は豊島で継続してゆきたいと思っているし、自治会長の藤崎さんが制作してくれた豊島タワーは相当評判がいいので…できるかぎり一般的に利用してもらえる状況をつくりたい。…ということで、記念スタンプをつくったり、豊島タワー入り口の看板を制作したり、時間の隙間を利用して少しずつ整備してゆくつもり。 ほんとは3カ月ぐらい時間を確保できる予算があればいいのだけれど…。 そのうちに、豊島タワーの一階部分には豊島の資料館のような機能もつくっていったり…なによりも八十郎の家には露天風呂や簡易水洗のトイレや…整備しなければならないものがたくさんある。 上の段の「すごくなるところ」に海を眺めるカウンター式のセルフカフェを整備するという話もあるのですが…その予算どうにかならないものでしょか?そろそろ建築家とか建築ゼミとかとのコラボレーションで何かつくる?? とにかく…3年後の次回の瀬戸内国際芸術祭に向けていろいろ藤島八十郎の活動を作ってゆきたいと思っていますので、どこか協力してくれるところがあれば、ぜひお願いします。 長期的な視点で…。 ところで…この書き込みの最初の写真、藤島八十郎の家の入口に最初に設置した廣田商店で購入した一輪の造花ですが、会期中かなりの来場者が生花と勘違いして撮影していたように思います。 ごめんなさい。豊島の墓場や地蔵さんで当たり前のように見かける造花でした。 墓を守る人も高齢化し、さらに減少して、地元の人は多くの人の墓守を頼まれているのだとか。しかし、その多くの人が高齢化し、なかなか多くの墓守に出回れないという事情から…造花を飾っている地蔵や墓が目について仕方ありませんでした。 そんなとき、地元の商店、廣田商店の一角にあった造花売場…。 いよいよ瀬戸内国際芸術祭も最終日。
その最終日の記念…というわけではないが、ずっと前から設置したいなーと思っていた「豊島タワー展望記念スタンプ」がようやく完成し、タワーの中の展望室の一角においてみた。スタンプの作者は東京の美大に通う一年生のおおのさん。 以前から八十郎スタンプや宇野澤スタンプやらといろいろ作ってくれていた。 僕の中では記念スタンプを業者に発注しようという発想しかなかったが、おおのさんが彫れるかもしれないと思い、無理難題をお願いする。いつものなじみの廣田商店でいちばん大きめの消しゴムを入手し、彫ってもらうことに。 タワーのイメージの絵を入れようかとか豊島タワーから見える風景を彫ってみようかとかの無理難題をふむふむと受け入れて筆箱の中からカッター一本を取り出してこつこつと彫ってくれた。 そこにいつもの地元の小学生が遊びに来て、スタンプの持ち手にするための木の破片を探してきてもらい、僕がそれっぽく、荒っぽく削り出す。スタンプ台もいるだろうと廣田商店に尋ねてみると、新品はないけど古いのならたくさんあるから提供するとのこと。 ということで、こえびのおおのさんと廣田商店と近所の小学生と僕との共同作業で出来上がった豊島タワーの記念スタンプ。 「豊島タワー入り口」という看板もちゃんと制作しようと、下書きをしたところで最終日になってしまった。 今後八十郎の家がどうなるかはまだまだ未定ですが、たぶん、豊島タワーはいつでも展望できるようにしたいですねー。 瀬戸内国際芸術祭は終わりますが、豊島での藤島八十郎の活動はこれからじわじわーっと始めてゆきます。 ということで、どうぞよろしくお願いします。 豊島美術館がオープンして地元の人の評判があまりにもいいので思わずがまんできずに見に行った。
水だということは随分前から聞いていたが、本当に水だった。水の流れをみていて…水について考えたり、人間について考えたり、組織について考えてしまったり、政治について考えたり、環境について考えたり…とにかくとてもいい時間を過ごせるいいところができた。 先日のかじこでのトークの時にちらっと話した風土の話に「水」の話を入れればよかったと、岡山から豊島に向かうフェリーの中で考えていた。水は土と風を繋ぐとても重要な存在だということ。 以前このブログで書いてみた風と水についての記述をみてもらった上での水の存在についてだが…(ここにリンクしときますので是非読んでね。)水の出どころは主に二つ。 ひとつは雨。そしてその雨が地下深く沈み浄化され湧き出てくる地下水。 地域活動と表現の関係でその役割をたとえるならば、水は土と風を繋ぐとても重要な存在。それは土地に潜在している場合もあれば、風と共に空から降ってくる場合もあれば、あるいは川の流れのように高いところから低いところへ流れてくる場合もある。 土がどんなに肥えていて種が蒔かれても、地域に対する興味だとか、種に対しての興味がが注がれなければ種は発芽しない。それが水なのかな…と。 以前、plants!というミーティングテーブルを主宰していたときに、地域の苗を育てる水と光は「興味」と「関心」そして「批判」だという話をしていた。どんな活動でもそこに興味や関心を注ぐ人がいなければ育たないし、批判を受けることで活動は強くなれる。 とにかく、水。 土の人もいれば、風の人もいる。そして水の人もいる。水も大量に流れ込めば洪水になる。洪水を食い止めるのは巨大な溝やダムをつくることではなく、森を育て、池をつくり、土そのものの浸透性を高くし、水の流れを分散させ… 河川の改修についての話ではない。 瀬戸内国際のような大量に流れ込む水(興味を持つ大事な人達)の話だ。地域にとって必要な水の存在は、ただ流れてゆくだけの大量の水ではない、地域に浸透し、ある場合は土の豊穣化を助け、ある場合は渇きを癒し、地域を清め、作物を育てるような適正で、多種多様な水。 とにかく、水の存在が適正な量だけ豊島に浸透してゆき、土と種を育てる風土になればいい。 ・・・ とにかく豊島、これからの期待は相当大きい。内藤礼さん福武さん、そして実際に作ってくれた人、本当にありがとうございます。 そう。…水なんですね。 そういえば、宇野澤の存在は水だなー。 瀬戸内国際芸術祭の期間に合わせて、遠くから来場する人に向けてのゲストハウスとしてオープンしていた「かじこ」ここの活動も瀬戸内国際芸術祭終了とともに終わるのだとか。 それにしてもこの現場は、期間中、瀬戸内国際とは全く違う活動の連鎖を作り出していて、かなり面白いことになっていた様子。 やっぱりこういうのがいいなー。 そのかじこで僕としては始めて語る藤島八十郎についてのトークイベント。 しどろもどろで話が飛びまくり、とりとめなくて申し訳ございませんでした。 そうなんですよ。このかじこのような活動って、絶対に瀬戸内国際芸術祭がなければ存在しなかったのですが、瀬戸内国際芸術祭を語る文脈では語られることはないのでしょうね…そのあたりに注目するともっといろいろな活動の可能性が見えてくるに違いないのですが…。 瀬戸内国際芸術祭もだんだんと終わりが近づいてきて、いろいろと今後の話が出始めている。
この地域に新しいベクトルをつくるキックオフイベントとしてのお祭りは終わり、ようやくじわっとした地域の日常が戻ってくる。 豊島の場合、豊島美術館やボルタンスキー美術館は常時営業する美術館として残るほか、一つの地域に2点づつほど引き続き作品として常設されることが決定されているので、ゆっくりと豊島を楽しみたい人はぜひ何度でも訪れてもらい、第2の故郷として深い関係を持ってもらえそうだ。 恒久的設置になる作品のリストも出始めているが、もともと僕の出品作品は藤島八十郎という豊島で右往左往しながらも、いろいろな活動を模索する「役立たずの八十郎」をつくるというベクトルにあった。だから是非とも豊島に藤島八十郎の存在をつくってゆく活動は残したいと考えている。当初、藤島八十郎の家を整備した後は豊島の状況を観察しながら、八十郎のできることを探りつつ活動を始めるつもりだった。 しかし、瀬戸内国際芸術祭の来場者の多さに目を回しているうちに…生活費を稼ぐ為に豊島から離れ出稼ぎに行くうちに…稼げない場合がほとんどだったが…結局、たいした活動できなかった。 ただ、こえびのササオさんが中心となって八十郎の家の庭に農園を作って野菜づくりを行ったり、自治会長の藤崎さんの指導で豊島タワーとか豊島スカイツリーを作って楽しんだり、唐櫃公堂の床を着色ワックスがけして磨いたり、自然の家の遊具を塗りかけたり、家浦にあるいちご屋の看板を子どもたちがつくるのを手伝ったり…管巻三十郎が瀬戸内国際芸術祭についてブツブツと八十郎ブログやツイッターで管(くだ)を巻いたり、…結局八十郎を支える人達はいろいろ動いたものの、役立たずの八十郎の活動は、何がやりたかったのかも、何をすればいいのかもわからないまま、とりあえずの100日が終了する。 しかし、その間にも、豊島での活動のイメージや大切に表現しなければならない活動の種とは数多く出会っているのも確かで、その部分にじっくり時間をかけながら触れてゆき、何かが発芽する期待感は相当ある。…ということで、今後とも藤島八十郎は豊島でもっと修行してもらおうということで、藤島八十郎をつくる委員会をつくることに。 委員会は八十郎を応援係とか、菜園係とか、読書係とか、運動係とか、散歩係とか、制作係とか、企画係とか、友人交流係とか(ろくな係がないな)…そんないろいろな係が集まって…もちろん自主的な係大募集… それで委員会をつくり活動をぼちぼちとゆっくりと持続してゆきたいなー…と。 で、できれば、藤島八十郎の家は「八十郎をつくる委員会」の部室のような拠点として利用してゆきたいなー…っと。 通常は「八十郎は旅に出てます」という書置きを残して家には入れないのですが、イベントとかワークショップを開催するときの拠点にできないかな・・・と考えていますがいかがでしょうか? …ということで、どうぞよろしくお願いします。 …ってだれに頼めばいいんだ? かえっこは3年で形になり、10年続いて相当なことになっていますが、藤島八十郎をつくるという表現は5年ぐらいで形になりはじめ、15年後ぐらいに凄いことになるような気がしています。いづれにしても八十郎は豊島を拠点に…たまには旅に出たりしますが…豊島に骨を埋める覚悟で生涯豊島で活動したいのだそうです。 …なに?八十郎には兄弟がいるって? 山田創平さんとは2年前の新世界でのレクチャートークと散歩の時に、その誠実な語り口と知識の角度にイメージをかきたれられたのが最初の出会い。
![]() そして去年の7月、水都大阪が始まるという前の勉強会と、その後会期中のトークセッションでお招きしあらためてその深さに引き込まれていった。 面白いことに、後輩の小山田君も大山崎とか舞鶴とか、そして今年の夏、青森へとお招きしさらに興味は深まった。また雨森さんやブブは別府で一緒にプロジェクトを行っているのだとか…うらやましい。 なんだかこの2年、僕らにとっては、とても深く大切な視点を持つ人頼りの人になっているが…それにしても、なぜだか僕らがかかわる現場は水辺が多い。 今回は僕のほうからお願いし、どうにか都合をつけてもらい、一番混雑している時期だが、豊島にわたってもらい、人々がアートを見て回るルートを外れて、壇山頂上から展望台、豊玉姫神社、権現様(スダジイの森)虻山跡、そして唐櫃八幡宮とお連れし、八十郎の家の庭でトークをおこなう。八十郎の家は日曜日の混雑で、家へ入るにも、タワーに入るにも10分~15分ほど待たなければならないの状況。そこに椅子をならべて、創平さんと管巻君と僕とのトークをぐるっと囲んで聞けるようなセッティング。 話の内容は藤島八十郎のブログにも少しだけ報告があるが…とにかく興味ある発見がまた数点。 権現様にもともと数千年まえから祀られていた巨石(イワクラというのだとか)の向きが冬至の日の日の出の方向を向いているかどうか…そして、その経路に道路沿いの巨石が重なるかどうか。海洋民の巨石信仰… 海洋民はそもそも合議制、共和制だったのだとか。その遺伝子を多く受け継いでいるのが島の特性なのではないか…とか。 そして海洋民にそもそもあった芸能。 豊島の芸能を復刻できないかどうか…の課題。 そして…紡錘形の山(もうなくなってしまった虻山)とウミヘビや龍のモチーフとの関係 豊島の問題を能として残すとか… ああ、とにかく山田さんの話は血が騒ぐ。 豊島と僕の関係は先祖のレベルで相当繋がっているに違いない。 豊島の唐櫃の丘の唐櫃公堂で、「どうする豊島」というテレビ番組のタイトルのようなフォーラムが開催された。
副題は「豊島から考えるいろいろなこと」実際に、豊島が抱える問題は、将来の地域社会が面する様々な問題に繋がる。そもそも豊島という名前に「豊かさ」に対する定義の問いを読み取るとすれば、「豊島」はこの島のことを指すのと同時に、島国日本そのものを指すようにも思われるのが苦々しい。 実行委員会主催のこのようなフォーラムやディスカッションがいたるところで開催されるようなイベントであってほしいが、実行委員会主催となると政治的バランスの配慮が必要だったり、体制を整えるために仕込みに代理店とか入って予算的に大きくなってしまい、妙なものになりがちだし、このような混乱状況の中、そこまで余裕はないのだと思う。実際、このようなものは市民側がどんどん勝手に手作りで多方面の角度から行うほうが健全だと思っているので、高松で活動している商店主達のこの企画は相当期待していた。 豊島にある3つの自治会長や豊島から選出されている町議や瀬戸内国際芸術祭のディレクターの北川さんまで呼び出してのフォーラム。そして僕が以前から注目していた石井亨さんの登場。石井さんについてはずいぶん以前から豊島の産廃闘争の書籍の中で目にしていた名前だったが、1月28日に朝日新聞に掲載した瀬戸内国際芸術祭についての警鐘ともいえる石井さんの文章があまりにも的確で共感できるものだったので注目していた。 この文章のコピーがあらためてフォーラムの会場で配られたので読み返してみると、今更ながら瀬戸内国際芸術祭が早急に解決しなければならない問題の多くを預言者のように的確に指摘している。瀬戸内国際芸術祭が始まり3か月以上過ぎ、いろいろな問題が明快に見えはじめ、自治会長達も開催前に抱いていた不信感や不安よりは、今後の期待を膨らませている状況でのフォーラム。 地域に期待と可能性の種が発芽している盛り上がりを直に感じている観客の大きな期待の中、この瀬戸内国際芸術祭の成果に対する賞賛を誠実な言葉で刻む各自治会長の積極的な意見から始まったフォーラムは…圧倒的な強い言葉で話す北川さんのパワーに押され…戸惑う司会者と「反瀬戸芸」というレッテルを背負ったままの状態で登壇してしまった主催者のしどろもどろな突っ込みで…妙な停滞へと…ああ、もったいない時間。 どちらかというと草の根的な活動を行っている地域アート系プロジェクトの現場で試行錯誤している僕とすれば、それぞれの地域系アートプロジェクトに圧倒的に足りない集客力や浸透力などを考えると、北川フラム的大量投入の関わりをつくる手法には違和感を抱きながらも、そうでなければ動かないいろいろな現場の現実も見えてきるのも事実。だからこそ…地域に適正な規模の検証と、それをどのようにコントロールするかの技術的な論議は必要だと思うし、あくまでも地域の住民が主体となるコーディネート組織が少なくとも豊島には…本来それぞれの島や地域で必要なのだと思う。 島の自治会や連合会などを内部に持つ瀬戸内国際芸術祭の改善委員会のようなものを住民側の組織としてつくり、そこと丁寧に協議してゆける豊島専属のコーディネート事務局が必要だと思っているし、その発生を促すためのフォーラムなのではないかと期待していた。瀬戸内国際芸術祭の総来場者としては90万人近い数になるという話だが、僕の現場…藤島八十郎の家で正の字を書きながらカウントした来場者ですらも5万人は超えそうなので、豊島で15万人とか全体で30万ぐらいは実数として来場しているほどのイベント。 それが島の日常にどのように浸透し、影響してゆくかはこれからの課題だし、これがきっかけとなって、いろいろな人が島に興味を持ち、いろいろな方面から介入してくることは予想できる。 その、どの人にどのような形で何を提供し、あるいは何を防御してゆくのかの積極的な対策へと向かうためにも、島の将来を本当に心から大切に思う住民主体の組織が動かなければならないと思う。 そんな話ができる重要な場だと期待していたのだけどなあ… だて、ここからが僕が話したかった提案。検討してほしい提案。 この対策委員会…改善委員会のようなものに島を離れた息子世代、孫世代の30代、40代の人が参加できる仕組みを設計するのはどうだろうか?東京都が3331で行っているinside outともリンクする活動だと思うが、豊島の問題を豊島を離れている人が積極的にかかわりをつくるオフ会議を瀬戸内国際芸術祭に組み込むイメージ。 ツイッター会議でもいいし、スカイプ会議でもいいかもしないが、離れていても内容に関わり参加できるシステムづくりのイメージ。 それは必ずしも豊島の出身者ばかりではなく、これまで深いところで関わってきた精神的な豊島の応援団でもいいし、これから積極的に豊島の活動にかかわりたいと思っている応援団でもいいのかもしれない。 とにかくあらゆる角度から豊島のそれぞれの地域のベクトルにどういう化学反応が必要なのかを話し合う時間こそ、僕はもっとも豊かな時間なのだと思っている。 何ができたかということよりも、何をつくるかと考える時間の豊かさについて・・・あまりにも無視されている現在。 ああ、この辺の話、八十郎の家でのオープンディスカッションしたいなー。 だれか話してくれる住民いないかな。 僕の中では常識だと思っているものごとでも、周辺の人にとっては超常識なこともたくさんある。
作家や作品には旬があり、賞味期限があるという発想は僕の中でいつごろ常識になっていったのかは忘れたが、すくなくとも、99年に福岡市が発行したパブリックアートガイドブックに寄稿したことがあるので、その時から10年以上は経過する。 瀬戸内国際芸術祭の現場でいまだにパーマネント…つまり恒久設置か会期後撤収のテンポラリー…一時的なものかという話が聞こえてくるたびにモヤモヤする。時間軸のとらえ方の単位が永久か一時的かの2者択一しかないことは非常識だと思えてならない。 その論議は90年代の初めに場の問題が発生する以前にパブリックアートの問題の現場で語られてきたはずだと思うが、あらためてここにざざーっと僕の常識を紹介しとこっと。 当時、考えていた僕の時間軸のとらえ方は…33年1世代、66年で2世代、99年が3世代でそれ以上を永久(?)。33年は一般的な建築物の耐用年数、街は66年で完全に更新され。99年残っているとすればそれは先祖代々レベルで…人の身体的な記憶認識を超える…。 人の生涯年数が90年だとして、人間が経験する時代変化はせいせい3世代。 2世代前の祖父や祖母が二人づつ、合計4人いたことは認識していて、それぞれの姓名をたどれても、どんな名家の出の人でさえ4人の祖祖母の姓名と4人の祖祖父の姓名をちゃんと知っている人はほとんどいなくて、しかもちゃんと8つの墓参りしている人なんて聞いたこともない。 99年以上経過しても残っているのもは完全に放置されていても仕方なかった環境にあるか、あるいは世代を超えて手あてされ、受け継がれてきたもの。 地域の中にはそれぞれ時間軸があり、1000年単位で保存され、受け継がれなければならない場もあれば、地域の誇りとして世代を超えて変化させてはいけない場もある。その一方で、地域も新陳代謝を繰り返しているので、世代ごとに…33年ごとに変化したほうがいいエリアもあれば、10年ごとに更新されたほうがいい場も必要だったり、3年ごとに変化していくぐらいがいいところもあれば、一年ごと、季節ごと、一か月ごと、毎週、毎日、時間ごと…など限りなく多彩に変化する時間軸はそこにかかわる人の属性やそこに何を求めるのかの内容にもよるし、あるいは意志を持って不変の時間の流れを長い時間かけて更新させてゆかなければならない場もある。 70年代より90年前半ぐらいまで、日本のいたるところで拡がった「彫刻のあるまちづくり」に代表されるような、容易に排除できないような…重かったり、いやらしかったり、下品だったり、邪魔だったりする固形物を配置して、その地域の時間を固定しようとする試みについては、時間の流れを静止させようとしたり、歴史的景観地区、あるいは歴史的記念碑的な場でその歴史の固着の手助けをさせようと意図するものならまだわかるが、地域に暮らす人の新陳代謝を凝固させたり、地域の人の新しい活動を阻害するような飾り…新装開店の記念の花輪をずっと立ている店舗のように駅前に開店記念のモニュメントを恒久設置として飾り続ける感覚は制御したほうがいい。 とにかく、瀬戸内海の島のいろいろな場も時代とともに変化しつつあり、変化を制御したほうがいい場もあれば、変化し続けることで魅力的になるところもある。恒久設置といわれている作品の多くも、実は建築の耐久年数に準じて消滅してゆくし、飲食店などの内装などは5年が限界とされている面もあるし…もちろん数十年変わらない味と内装のカフェも大切だが…私設財団の美術館に属する作品群はシステムの面からみても、その代表が変化したとたんにどこかほかの所有者に売却されるかとりこわわれる?あるいは用途変更する可能性を考慮すると恒久設置とは位置づけがたい。 瀬戸内国際芸術祭が地域システムのOSを担うべき行政がかかわる芸術祭だとすれば、祭りという一時的な状況から生まれたさまざまな因子と丁寧に向き合い、それぞれの旬と賞味期限を読み込みながら地域に活かしてゆく仕組みや、更新してゆく仕組みをちゃんとつくらなければならないと思うのだが… そのようなことが語られてきて、もう10年以上はたっていて、もう一般的なことだとおもっていたのだけどなー。つまり、今瀬戸内国際芸術祭の周辺で必要なことは地域の時間軸をしっかり読み込むことと、この芸術祭で生まれてきたたくさんの因子について排除すべきものは排除し、使えそうなものは旬と賞味期限を読み込んでしっかり冷蔵庫に入れるなり、糠漬けにるすかり、干すなりして活かす方法を探ること・・・ とりあえず、ゴミは出してはいけないよなー。芸術祭で廃棄処分される作品素材があるとすれば、すべて八十郎がもらいうけようかな。あの赤と水色と金色の塗装をはがしたあとの塗料カスとかも…。 それと… それぞれの因子をアートの側の視線だけで編集されることにもつまらなさを感じる。 もちろん、地域の政策としての集客産業や地域づくりの視点からの編集もなされるのだろうが、地域の生活者視線での編集作業が一番不可欠だと思っているが、どうだろうか。 いい種をみつけて島の生活のあらゆる関係の中に面白い芽を発芽させる視点での再編集…。 さらに…大切な感覚は、もっとも楽しくて重要なのは…地域に大切なモノゴトやシクミを一緒につくってゆくという期待に満ちた時間。 ああ、語りだすときりがない。 八十郎の家の庭を掃除していると、普通に伸びている2本の杉の木だと思っていたものが、実は倒された木の二本の枝がまっすぐ天に向かって伸びている状態だということに気づく。倒されても密かに伸び続けていた。寄り添う様に同じ長さで伸びている兄弟なのか、姉妹なのか、それとも夫婦なのか。 豊島の底力なのか---。 どちらにしても強い意思を感じる。しかし、この木は確かに存在していたからここにあるが、認識されていなかった。僕が関わり周辺の雑草や雑木を整理したことで編集され、この様な形で存在することになった。 八十郎の家の朝。知らないうちにたくさんの傘の忘れ物が水の溜まった甕に貯まっていた。 今日はとても気持ちのいい天気なので忘れ物の傘をほす作業から。 ここに来てしばらくなるが雑用以外まともな仕事が出来ていない。 八十郎の家の掃除や整備だけで一日が終わる。 絵本作家にはなれそうにないな。 < 前のページ次のページ >
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