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2004年ぐらいから使っているブログサイト、特に2006年から2010年のプロジェクトについてはかなりまめに記述していました。それはプロジェクトごとにページ下のカテゴリーごとに収められています。
2010年 11月 08日 瀬戸内国際芸術祭が終了し、ようやく島には平穏な日々が戻ってきた様子。 しかし、だれもいない集落は、なんだか寂しい。 豊島美術館がオープンしたばかりで、年内は瀬戸内国際芸術祭のパスポートでの鑑賞が可能ということ…らしく、週末など結構来島者がいるということ…らしく、この週末から12月の半ばぐらいまで、瀬戸内国際芸術祭の一部作品を継続公開するという話が、事務局としてはまとまった…とか。...
2010年 10月 31日 いよいよ瀬戸内国際芸術祭も最終日。 その最終日の記念…というわけではないが、ずっと前から設置したいなーと思っていた「豊島タワー展望記念スタンプ」がようやく完成し、タワーの中の展望室の一角においてみた。 スタンプの作者は東京の美大に通う一年生のおおのさん。 以前から八十郎スタンプや宇野澤スタンプやらといろいろ作ってくれていた。 僕の中では記念スタンプを業者に発注しよう...
2010年 10月 29日 豊島美術館がオープンして地元の人の評判があまりにもいいので思わずがまんできずに見に行った。 水だということは随分前から聞いていたが、本当に水だった。 水の流れをみていて…水について考えたり、人間について考えたり、組織について考えてしまったり、政治について考えたり、環境について考えたり…とにかくとてもいい時間を過ごせるいいところができた。 先日のかじこでのトークの時にちらっと...
2010年 10月 27日 瀬戸内国際芸術祭の期間に合わせて、遠くから来場する人に向けてのゲストハウスとしてオープンしていた「かじこ」 ここの活動も瀬戸内国際芸術祭終了とともに終わるのだとか。 それにしてもこの現場は、期間中、瀬戸内国際とは全く違う活動の連鎖を作り出していて、かなり面白いことになっていた様子。 やっぱりこういうのがいいなー。 そのかじこで僕としては始めて語る藤島八十郎についてのト...
2010年 10月 22日 瀬戸内国際芸術祭もだんだんと終わりが近づいてきて、いろいろと今後の話が出始めている。この地域に新しいベクトルをつくるキックオフイベントとしてのお祭りは終わり、ようやくじわっとした地域の日常が戻ってくる。豊島の場合、豊島美術館やボルタンスキー美術館は常時営業する美術館として残るほか、一つの地域に2点づつほど引き続き作品として常設されることが決定されているので、ゆっくりと豊島を楽しみたい人はぜひ...
2010年 10月 17日 山田創平さんとは2年前の新世界でのレクチャートークと散歩の時に、その誠実な語り口と知識の角度にイメージをかきたれられたのが最初の出会い。そして去年の7月、水都大阪が始まるという前の勉強会と、その後会期中のトークセッションでお招きしあらためてその深さに引き込まれていった。面白いことに、後輩の小山田君も大山崎とか舞鶴とか、そして今年の夏、青森へとお招きしさらに興味は深まった。また雨森さんやブブは...
2010年 10月 16日 豊島の唐櫃の丘の唐櫃公堂で、「どうする豊島」というテレビ番組のタイトルのようなフォーラムが開催された。 副題は「豊島から考えるいろいろなこと」 実際に、豊島が抱える問題は、将来の地域社会が面する様々な問題に繋がる。そもそも豊島という名前に「豊かさ」に対する定義の問いを読み取るとすれば、「豊島」はこの島のことを指すのと同時に、島国日本そのものを指すようにも思われるのが苦々しい。 ...
2010年 10月 08日 僕の中では常識だと思っているものごとでも、周辺の人にとっては超常識なこともたくさんある。 作家や作品には旬があり、賞味期限があるという発想は僕の中でいつごろ常識になっていったのかは忘れたが、すくなくとも、99年に福岡市が発行したパブリックアートガイドブックに寄稿したことがあるので、その時から10年以上は経過する。 瀬戸内国際芸術祭の現場でいまだにパーマネント…つまり恒久設置か会期...
2010年 10月 05日 八十郎の家の庭を掃除していると、普通に伸びている2本の杉の木だと思っていたものが、実は倒された木の二本の枝がまっすぐ天に向かって伸びている状態だということに気づく。 倒されても密かに伸び続けていた。寄り添う様に同じ長さで伸びている兄弟なのか、姉妹なのか、それとも夫婦なのか。 豊島の底力なのか---。 どちらにしても強い意思を感じる。しかし、この木は確かに存在していたからここ...
2010年 10月 05日 八十郎の家の朝。 知らないうちにたくさんの傘の忘れ物が水の溜まった甕に貯まっていた。 今日はとても気持ちのいい天気なので忘れ物の傘をほす作業から。 ここに来てしばらくなるが雑用以外まともな仕事が出来ていない。 八十郎の家の掃除や整備だけで一日が終わる。 絵本作家にはなれそうにないな。
2010年 10月 04日 瀬戸内国際芸術祭の現場に入ってそろそろ半年。庭は草ぼうぼう状態で、家の中はまだ腐った床や天井で危険で、現場での休憩ができなかった頃、作業しているみんなが休憩できるように最初に建てたドーム型テント。蜂の集団から身を守ってくれたり、雨から守ってくれたり・・・一ヶ月前より一部破け始め、昨日の強風でボロボロになったので、ついに現場からの引退。長い間お疲れ様でした。これがどのように再生されるか---。...
2010年 09月 25日 藤島八十郎の家の庭の真ん中に登場した木の柱、東京に建設中の東京スカイツリーに対して・・・?・・・なぜ?・・・ 豊島スカイツリーと呼ばれるようになったのだとか。 まあ、確かに木を立てただけなので、ツリーであることは確か。 空に伸びているように見えないでもないので、まあ、スカイツリーと呼んでもいいか。 タワーの定義が地域を俯瞰できるところという定義があるとすれば、スカイツ...
2010年 09月 22日 瀬戸内国際芸術祭の会場を巡っていると、作家の作品ではなく、島の人のいろいろな行為や手わざが見えて、そちらのほうがよほど興味深かったり、面白かったりする。 もともとそのようなすばらしい風景に日常接することが少ない人へ、その体感を繋ぐシステムとしてこのような地域系のアートプロジェクトは仕掛けられたりもする。 長い年月が作ってきたものや島の人の深い志の結果紡がれてきた風景。 なる...
2010年 09月 20日 瀬戸内国際芸術祭の現場、豊島の唐櫃(からと)の自分のプロジェクトサイト、藤島八十郎の家の清掃、整備をした段階で青森とか神戸とか福岡とか東京とか・・・いろいろ動かなければならなくなり、結局瀬戸内の他の地域を回ることもなければ、豊島での活動をつくってゆくこともできないままでいる。 そういえば・・・、実は子どものころから「石橋をたたいても渡らないタイプ」と言われてきたほど慎重な性質。 ...
2010年 09月 18日 夜行バスで博多から高松へ。 瀬戸内国際芸術祭効果だと思うが、福岡ー高松高速夜行バスは増便され2台運行していたが、満席だとか。 途中、丸亀の猪熊弦一郎現代美術館でキュピキュピの展覧会「シッケテル」を行っているので立ち寄り、江村君が行っているワークショップに参加してみる。 瀬戸内のオープニング前日ぐらいにキュピキュピのショーがあり、絶対に行こうと思っていたが、藤島八十郎の家の掃...
2010年 09月 12日 瀬戸内国際芸術祭の現場の豊島の唐櫃の藤島八十郎の家。昨日からそこに建てる杉の木(?)が搬入され、なんだかみんなで杉の皮をむいたり、枝を落としたりのワークショップ(?)。そして、なぜだか深い深い穴をスコップで掘り、ついにその杉の御柱を建てる。 このアイデアは瀬戸内国際芸術祭のサポーター「こえび隊」で何度か八十郎の家に関わってきた浅先さんの発案によるもので、地元の自治会長の藤崎さんが、またまた動...
2010年 08月 24日 瀬戸内海の豊島の藤島八十郎の家は連日大勢の訪問客でにぎわっている様子。 東京、関西をはじめ、日本全国各地から、あるいは海外から、地域の常連さんやら、毎日遊びに来る近くの子ども達とか・・・たまには野菜や魚や漬物を差し入れてくれる近所の人とか、お酒やお菓子を差し入れてくれる遠方からの知り合いとか・・・。 とにかく連日150人~300人程度の数の人が藤島八十郎の家と、豊島タワーを楽しん...
2010年 07月 26日 島で出会う風景は本当にすばらしい。朝、藤島八十郎の家の納屋にある豊島タワーに上って日の出を拝む。当たり前の話だが、周りが海で囲まれているので、太陽や月がどこ角度にあっても、ほんの少し移動すれば朝日にせよ、夕日にせよ、満月にせよ・・・海に浮かぶ風景にめぐり合える。海越しに見る島々の形や四国や岡山、広島側の風景は、島の中でどこから見るかで変化し、表情豊で、どこにもアクセスしやすい位置にあることが...
2010年 07月 24日 藤島八十郎の家では家の中にテントを張って生活している。 テント生活は壁や窓、床が隙間だらけの廃墟での生活でも、蚊やムカデから身を守り、安心してねむることができる。 しかもここは風通しがいいので、フライをはずしてメッシュ状態で寝るととても涼しく、朝方は寒いぐらいの毎日。 実はこのテント生活、今にはじまったものではない。 福岡の自宅でも、大阪の此花でも、埼玉の北本でも、テ...
2010年 07月 23日 連日、連夜、藤島八十郎の家には地元の人が訪ねてきて、いろいろな会話が重ねられ、刺激的な時間を過ごしている。 地域に入り込み、ニュートラルな立場でいると、いろいろな角度からいろいろな立場の人との接点ができて、それぞれの事情や思いが伝わってきて、興味深かったり、感動したり、心苦しかったり・・・。 藤島八十郎としいうキャラクターが架空の「おまぬけ」キャラであるのと、絵本作家を目指して...
青森ねぶたの終わったあとの廃材を・・.. 8月はじめのほどんど一週...
いわき湯本の三函座 アリオスでのもやもや会議...
土佐の高知の桂浜 土佐の高知のはりまや橋、...
「描く」の現在進行形 draw+in.. この一週間、ほとんどこ...
大阪の新世界から西成を歩く。 新世界、西成で何か活動を...
存在しないのに龍はなぜ存在してきたのか? 決して好きというわけでは...
トイ・ザウルス(Toys Sauru.. 水都大阪2009の中之島...
本田紘輝・13年の命 本田紘輝(ほんだこうき)...
美術館をつくるという設計の課題 九州大学の建築学科での授...
創作機械工房 Piccolo S.P.. 富山県の高岡にある創作機...