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2004年ぐらいから使っているブログサイト、特に2006年から2010年のプロジェクトについてはかなりまめに記述していました。それはプロジェクトごとにページ下のカテゴリーごとに収められています。
2010年 10月 06日 1986年、僕がパプアニューギニア芸術学校で働き始めて、初めてかかってきた日本からの国際電話。そのとき繋がり難い電話の向こうで一生懸命話してくれたのが黒田さん。それが最初の出会い。 その後帰国して、日本の田舎で行われる小さなパフォーマンスや、かなりコアな思いもよらぬ現場で必ず出会い、不思議な人だと思っていた。 1994年、僕が鹿児島で石橋保存運動で疲弊している頃、鹿児島に黒田さん...
2010年 08月 09日 今回、青森の国際芸術センターで企画されている反応連鎖・・・鹿児島の県立甲南高等学校の美術部の後輩で京都市立芸術大学のバレーボール部、演劇部といろいろな共通項が多いので今回不思議がられて企画され、家族という裏のテーマを持ちながら滞在制作が続いている。 小山田徹は以前もこのブログで紹介したことがあったが、とにかく二人での出来事を本にしたとすると数冊は必要なほど関わりが深く、彼が高校に入学してきた...
2010年 04月 04日 森美術館で開催されている六本木クロッシングにダムタイプの94年ごろのパフォーマンス「S/N」の記録映像が出品されている。 15年ぶりに彼らの姿に出会って涙が止まらず… いろいろな記憶や想いが駆け巡る・・・ 1995年に古橋悌二君がHIV感染後の発病で亡くなった。 ちょうど地下鉄サリン事件がおこり、阪神淡路大震災がおこった年・・・もう15年経ったんだ・・・。 その...
2009年 08月 15日 今年のお盆は父親と姉の初盆とあって、はじめて体験する本気のお盆。 重ねて本家の叔母が皆既日食のころに奄美大島で99歳で亡くなって、そのお別れ会と本家の法要もこの盆の時期にあわせておこなわれる。 これまでは本家の墓しかなかったので、お盆といっても本家のお墓と仏壇で爺さんと婆さんのお参りをするだけだった。 しかし、今年から父親の墓を新しくつくったので、それなりにちゃんとしなければ...
2009年 07月 18日 お墓というと先祖代々の墓というイメージがあるが・・・僕自身は先祖代々の墓というものに縁がなかったことは以前話をしたことがある。 僕が子どものころ、父方の祖父母は元気だったのでもちろん墓とは縁がなかったし、父親は自分の祖父母の墓がどこにあるかすら知らなかった。 まあ、とにかく墓のシステムについてはいろいろと違和感はあるものの、父親が永代権を購入した墓地だけを残して他界したので、僕が...
2009年 06月 21日 7月の納骨に間に合わせるように墓を作らなければならないということで、鹿児島で墓石屋と最終的な打ち合わせ。 墓地の都合やお坊さんの意見や家族親族の意見を尊重しながらも、墓石屋のボキャブラリーを参考にしつつ、墓石を含む墓地のシステムの違和感に向いながら、そのシステムから外れることなく・・・微妙な解に導かれてゆく。 そんなかんじ。 ことのほか石材店が乗り気で、それなりに質素で清虚...
2009年 03月 29日 いわきからの帰り道、水戸芸術館に立ち寄る。 去年水戸芸術館で開催したかえっこフォーラムの記録集を印刷できそうだということで打ち合わせ。 その後、水戸芸術館の森さんの送別会があり、それに顔を出す。 水戸芸術館の開館準備室から20年以上勤めてきたところを離れて東京都の仕事へと移動するのだとか。・・・と他人事のように話しているが、・・・実は他人事ではない。 水戸でもこれまで...
2009年 02月 06日 もともと島袋だったが、最近はドイツ在住のアーティストShimabukuになりつつある。 外苑前のワタリウム美術館で島袋が展覧会を行っているという話は本人からも聞いていたが、東京まではゆくのだけれど、いつも東京を経由するときはほとんど時間の隙間がなく、美術館に行くことはなかった。 そういえば、90年代前半から後半にかけてよく家にも遊びに来てくれて、その頃の活動はよく知っているつもり...
2009年 01月 23日 韓国に新しいアートセンターができるのだとか。そこからポートフォリオを送ってくれと連絡が入る。 そういえば、ポートフォーリオなんて随分とつくったことがない。 学生時代からとにかく妙なファイルはいろいろ作ってきた。こいのぼり、ゴジラ、なまず・・・とビニプラ、かえっこにいたるまで、妙な古くなった作品ファイルはプロジェクトごとに50冊程度は残っている。資料などを閉じたファイルは100冊以...
2008年 12月 29日 沖縄の出張から帰ると福岡空港で待っていてくれて合流。 娘の誕生日に付き合い、久しぶりに酒も飲まずに話し、翌日家族で鹿児島に向かう車に同乗し、途中、空港まで送っていって分かれた。 僕にとって、なんだか兄弟のような、不思議に落ち着ける心から信じれる友人のリーウェン。 イエローマンで知られるシンガポールのパフォーマー。 1994年の福岡のアジア美術展でたまたま出会い、なんだか意気投合...
2008年 12月 16日 鹿児島の実家で、父の四十九日のお見送りをする。
2008年 11月 18日 先月末、ちょうど水戸芸術館のオープニングの次の日、父親が逝った。 その直後に家族だけでの密葬をささやかにおこなったが、今日はあらためて、父親が長い間お世話になっていた会社が父親の生前の功労をたたえてお別れの会をおこなった。 会社の施設の中に父親の故郷の奄美大島の風景をイメージして飾られた会葬会場がもうけられ、父親とある時代一緒に仕事をした人たちが数百人集まってくれる。 数十...
2008年 11月 12日 浦田さん(琴ちゃん)が佐賀での展覧会の為に家に立ち寄ってくれる。 浦田さんは2005年にちょうど筑前深江アーツキャンプの仕込みをしている最中に家にやてきて半年ぐらい滞在していた。その後越後妻有や取手のアートプロジェクトを経由して桜島へ派遣され、そのまま桜島をベースとして活動を加速している。 今、九州各地のアートスペースや作家を巡る旅をし表現としつつ、佐賀での展覧会でがんばっている...
2008年 10月 30日 33年で世代は交代してゆく。 33年ほど前、僕が中学生の頃、当時我が家で療養していた祖父の藤三太郎が90歳を超えてこの世を去った。 当時の記憶はそれほどなく、ただ、最後に僕にかけた「がんばってくれ。」という言葉が最後の言葉だったのを強く覚えている。 水戸芸術館での展覧会のオープニングの最中に実家から父親の状態がいよいよ悪いという連絡をもらった。 覚悟はしているつもり...
2008年 08月 16日 鹿児島で姉の孝子を偲ぶ会を行なう。姉とのお別れに久しぶりに親戚縁者が実家(e-space garden)にあつまり、姉の思い出を語り合う時間をすごす。いとこの子どもたちがもういい年になっていて、その子どもたちとはじめて会ったりして・・・。姉と・・・つまり僕自身とおなじ遺伝子を持つ人たちが集まっているので妙な感じ。やっぱり奄美大島の血の濃さを再確認する。姉は喜んでくれたかな・・・。
2008年 03月 21日 闘い、生きた。 その生き様は多くのことを語り続けた。 その意思は僕をはじめとして周辺の縁者に深く引き継がれている。 おそらく僕が生まれてから十数年間、僕にとってもっとも近い存在だった。 僕はあなたの影響を大きく受けて今ここにいる。 本当にありがとう。 小林孝子 享年52
2007年 12月 29日 本田紘輝(ほんだこうき) 美術作家。 僕の祖父の曾曾孫。 僕と同じ奄美大島の大工の遺伝子を持ち、自分の戦いをドラゴンをモチーフとして絵画で表現しようとしたあまりにも早熟な美術作家。 昨日の朝、13年の命を全うした。 彼には明確な敵がいたのだと思う。彼は闘病生活を始めた小学校低学年の頃から自分の戦いを絵画で表現しはじめ、作品を制作することで生きてきたように見えた。 ...
2007年 07月 28日 去年の春、ちょうど筑前深江アーツキャンプで家がわざわさと人の出入りが増え、浦田さんが家に暮らし始めた頃、家の敷地内にある離れ部屋に恵ちゃん(めぐちゃん)は引っ越してきた。 町内に自然農法の先生がいるとかで、たまたま不動産屋で家の同じ敷地内の離れを探し当ててきた。 当時家に居候をはじめた琴ちゃんは「同じ匂いの人が引っ越してきましたよ」と話していたらしいが、本当に不思議な縁。 ...
2007年 07月 22日 鹿児島での時間の隙間に本田紘輝君の個展の会場を訪ねる。 彼は今が旬の小学6年生。 闘病生活の中でドラゴンの絵を描いてそれがいろいろと受賞して有名になりつつある。 しかし、彼とはなんとも不思議な縁。 実は僕自身、何故だか龍というモチーフを無視できないでいるひとり。 あまりその部分について掘り下げたことはなかったが、ついつい視線がいってしまうし、作りたくなってしまうし・...
2007年 05月 07日 僕のとても深い友人が銀座のギャラリーで展覧会を行っているので福岡に帰る日を延ばして久しぶりに立ち寄ってみる。 ああ・・・、久しぶりの感動。 最近いい彫刻作品というのに出会っていなかったので、心が洗われる思い。 ああ・・・、いいなー。ちゃんと答えを出している。 ちゃんと形と言葉にしている。 僕のように逃げまくっていなくて正面から取り組んでいる。 彼がいい作...
青森ねぶたの終わったあとの廃材を・・.. 8月はじめのほどんど一週...
土佐の高知の桂浜 土佐の高知のはりまや橋、...
いわき湯本の三函座 アリオスでのもやもや会議...
存在しないのに龍はなぜ存在してきたのか? 決して好きというわけでは...
「描く」の現在進行形 draw+in.. この一週間、ほとんどこ...
大阪の新世界から西成を歩く。 新世界、西成で何か活動を...
人見記念講堂での1300人! 昭和女子大学からレクチャ...
トイ・ザウルス(Toys Sauru.. 水都大阪2009の中之島...
本田紘輝・13年の命 本田紘輝(ほんだこうき)...
美術館をつくるという設計の課題 九州大学の建築学科での授...