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2004年ぐらいから使っているブログサイト、特に2006年から2010年のプロジェクトについてはかなりまめに記述していました。それはプロジェクトごとにページ下のカテゴリーごとに収められています。
2020年 07月 17日 秋田市の駅の近くにあった宝箱のような秋田県立美術館。僕が秋田で働き始めた時にはもうすでに閉鎖されていて、その空間を体験していない。そもそも美術館として老朽化し、使えないということで閉鎖したので、美術館にもどすことはできないらしい。市民が様々な意見を重ねた結果、空間の魅力をそのまま活用し、秋田市文化創造館というクリエイティブハブ機能をもった未来の活動をつくる施設とする方向性が決まった・・・のが...
2020年 04月 07日 研究室に籠ることが増えて、活動を根本的に考え直す機会だと思って、せっかくなので、考えを整理するためのもっと文章を書こうと思ってふとnoteを使ってみようと思い立って、使ってみたら長い文章になってしまった。NOTE.COM予想できない未来に対して、人は何をイメージしてきたのだろうか。現在開催中の都城市立美術館での展示から当時(1990年代後半)の活動について語ってみる。|Fuji, Hiros...
2019年 08月 07日 あいちトリエンナーレの「表現の不自由展・その後」に関する一連の情報を目にして、なんだか黙っている自分も嫌だし、自分の中で考えてしまうことをぶつぶついいたくなったので、久しぶりに雑感を書いてみたら長くなった。 表現できる環境はあるのか?そもそも、表現は縛られていると考えている。過去においても、そして現在においても。だからこそ、自由な表現を求めるし、それが実現できる社会を求めてしまう。様々な表現...
2019年 04月 26日 驚いている。2018年、一切このブログに記事を書き込んでいない。あーついに、エキサイトブログともお別れか・・・意識の中でブログの存在が消えかかっていた。でも、ここでひとつもう一回ぐらいは書いてみることにする。なんでもないこと、どうでもいいこと、ぐだぐらすること、自分と向き合って言葉にしようとすること、自分の無意識を言語化しようと試み意識化しようとすること。それを諦めてはいけないと強く思った。...
2016年 06月 28日 海外を拠点に活動を続けている建築出身のアーティスト、増山士郎さんから依頼を受けて、確かに、10年後の自分に宛てた手紙を書いたことがある。 当たり前の話だが、そんなことまったく忘れていた。突然おくられてきてきた10年前の自分からの手紙。 もっと、感動的かと思っていたが、以外とそんなことはない。見慣れた嫌いな文字、一方的でなげやりな文章、内容などもなんだかイライラさせる内容。まあ、こんなものかと...
2015年 03月 13日 どうしても無視できないんだと思う。一般的な常識としては廃棄するという事になってるのもわかる。展示の後の廃材とか、大学の廃棄物入れの中を覗いてしまう。素材や廃棄物や周辺の環境や状況に縛られて、表現が飛躍できないという事も理解できる。しかしついついそこにあるソレを使って何かできないかと考えてしまう。可能ならば全部使ってしまいたい。ひとつのこらず使い切ってしまいたい。とりあえず短く切れた破片だから...
2015年 02月 09日 僕は遠くにあるものを探しに出かけて手に入れようとするタイプではない。目の前にあるもの、手の届くものを触りいじりたがる。いじり始めるとある程度までいじってしまう。ずっといじり続けていると、状態が変化することがある。別にどうしようとか思っていじっているわけではないが、いじるうちに・・・もっとこうしてみようかなとか・・・もっとこうできるなとか・・・そんな思いが湧き出てくるのが面白い。中学、高校時代...
2015年 01月 10日 私見創見2015年1月ー2016年11月デーリー東北に連載した原稿の記録をこちらに転載しときます。校正前の原稿です。202016年11月原稿廃棄物との格闘ヨーガンレールになれない私先月から十和田市現代美術館ではじまった展覧会「On the beach ヨーガンレール 海からのメッセージ」に展示されている作品は、彼が暮らす石垣島の海岸に打ち寄せられた無数のプラスチックゴミをつなぎ合わせて作られ...
2014年 10月 26日 最近、開くことと閉じることのバランスがとても重要だということが気になって仕方ない。感情や感覚の在り方、あるいは精神状態のあり方というべきか、心の在り方というべきか。自分自身の状態を客観視できること。そのことがとても重要な気がする。作品を作る行為、あるいは表現に向かう行為、自分自身を客観視し、さらに自分自身を超えようとする行為はあくまでも内側に向かいつつ、ある意味閉じたところから発する質のもの...
2012年 06月 07日 僕が普通に仕事にコンピューターを使い始めたのが1988年。マッキントッシュのIIFxというグラフィック系の仕事でつかえるマシンが会社に導入され…でもまだCADはコマンド入力でAutoCadを使っていたし、ワープロは専用のワープロマシンがあった時代。 おそらく、88年ぐらいから急激にデザイン事務所ではMacを導入しはじめていたが通信ネットワークはまだこれからというかんじで、当時名...
2012年 06月 06日 6月6日はかえるの日だってことを知ったのは2000年ぐらいに福岡で「福岡かえる展」というかえる好きが集まった展覧会に出品することにいなった時に教えてもらい初めて知り、偶然の一致に驚いたことがある。 6月6日というと、このブログタイトルにもなっている藤浩志企画制作室という個人事務所の設立記念日。 実は、1992年に青山スパイラルガーデンでの当時にしては大規模な個展が6月に決まり、当...
2012年 06月 06日 地域の活動を作ってゆく上で、活動を作り出すための仕組みとして、アートプロジェクトというフォーマットがとても有効に利用できるのではないかと考えている。仕組みをつくることで、地域資源としての様々な場を使い、いろいろな表現が展開することで、そこから活動の連鎖を促すことができる。 仕組みがなければただの空き地だったり空き家だったりで、そこにまさに様々なアプリケーションが起動するかのようなOS的...
2012年 06月 05日 「自分の内側からイメージが湧き出てくる…。」 美術大学で美術を勉強していた頃、イメージというのはアーティストの内側から湧き出てくるものだとばかり思っていたし、そのように教えられているような気がしていた。(誰に教えられたのかさっぱりわからないが…) 確かに周りには自分の内側からイメージが湧き出てくる人もたくさんいて羨ましかった。 しかし、僕の場合、どうも自分の内側を覗き込んで...
2012年 06月 04日 表現することって自分自身の日常の行為を超えることなんじゃないかなと考えている。 どちらかというと流されてしまっている日常の違和感をはたと立ち止まり疑問視して、客観視し、それを何らかの形として表に現す。 それはどんな手法でもいいと思うが、それぞれに得意とする、あるいはフェチとする手法があるのだと思う。言葉を使うだとか、楽器をつかうだとか、行動で現すだとか、描いてみるとか・・・、しか...
2012年 06月 03日 つくる時間を楽しむ。つくっている時間が楽しい。つくっている時、何かの作業に没頭している時間がとてもいい。当たり前の話だが、完成してしまうとその楽しい時間はその余韻を残して終わってしまう。 つくる時間は何かを期待する時間だと思う。少なくとも何かができるという希望に向かっている時間である。 希望が持てない時間にいるとすれば、とりあえず、なんでもいいから作業に没頭してみるのがいいと思う...
2012年 06月 02日 数年前、とある地域でのシンポジウム会場で「土の人」と「風の人」の話題になり、違和感を持ちながら聞いたことがある。いろいろな地域で活動を行おうとすると、外から来る人に対して「どうせすぐいなくなるのだから何も期待していない」と拒絶する態度と出会うこともある。その会場では地元の人を「土の人」と呼び、外から来たアーティストを「風の人」と呼んでいたのだけれど…。確かにそういう面もあるが、そう単純なもの...
2012年 06月 01日 イイ家族とか、イイ作品とか、いい地域というときのイイという価値について、基本的に子どもの頃から周辺とぶつかってきた。ぶつかるかゆえに考えざるを得ないことも多かった。 僕は即答できるタイプではないので、多くの場合その場では答えられずに、黙ってしまい、その分じわっと抱え込み、かなり時間がたって自分でも忘れた頃、ふと自分なりの考えを思いついてしまう。その時には周辺の話題や関心は他に移っていて...
2012年 06月 01日 アサヒアートフェスティバル(AAF)がかれこれ10年になるねと話をしはじめたのがもう2年近く前。 そこからなんだか単なる10周年の記録本とかつくっても面白くないよなぁと思い、ついついメーリングリストに投げかけた文章から10年本をつくるプロセスがAAFスクールという形になってはじまってしまった。それが去年。 いろいろ書籍とウェブの役割について日ごろから考えていることを編集者の影山君...
2012年 05月 06日 とにかく慣れないことはするべきだ。 そもそも慣れないことだらけの中で人生は始まっていたし、慣れない状態から自分がなじんでくるときの振る舞いの奥底に自分自身の大切な部分が垣間見れするような気がしてビビッドだ。 しかしどうしても時間が経つと慣れてしまうし、慣れてしまうということはなんだか「わかったような気になってしまう。」のでそれが気に入らない。 本当は何も知らないしわかってい...
2012年 03月 11日 3・11をどのように過ごしたのか・・・という自分自身の行動や思い、ありようを客観視することで、なんだかその人の本質的な部分が理解できたり、そのひとの置かれている状況がわかるような気がする。 僕自身は東京のアーツ千代田3331で行われてる震災復興関係の展示の仕込みに悩みつつ、案のじょうモヤモヤしつつ、モヤモヤはなんだか次の「イメージの種になる!」などと言い訳をつけながら、「モヤモヤ会議」...
青森ねぶたの終わったあとの廃材を・・.. 8月はじめのほどんど一週...
いわき湯本の三函座 アリオスでのもやもや会議...
土佐の高知の桂浜 土佐の高知のはりまや橋、...
「描く」の現在進行形 draw+in.. この一週間、ほとんどこ...
大阪の新世界から西成を歩く。 新世界、西成で何か活動を...
存在しないのに龍はなぜ存在してきたのか? 決して好きというわけでは...
トイ・ザウルス(Toys Sauru.. 水都大阪2009の中之島...
本田紘輝・13年の命 本田紘輝(ほんだこうき)...
美術館をつくるという設計の課題 九州大学の建築学科での授...
創作機械工房 Piccolo S.P.. 富山県の高岡にある創作機...