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「うまいねー」と「いいねー」の大きな違い。

「うまいねー」と「いいねー」の大きな違い。_a0010575_1836333.jpgうちの子どもが画用紙に落書きをして、その絵を周りの大人が好意でほめてくれる。

「上手だね~」「うまいねー」とのほめ言葉。

・・・ごく普通の光景だが、子どもとのワークショップで妙に気になる点と重なる。

子どもの行動をほめることはいいことだと思うが、ほめ方に微妙な違いがあり、・・・そこに一般的に認識されていない重要な問題があるような気がしてならない。

「うまいねー」とか「上手だね~。」とかの技術的側面をほめている言葉を仮に技術評価と名づけてみる。

それに対して、「いいねー」とか「すごいねー」とか「面白いねー」とかの、行為に対する感覚的側面に対する言葉を感覚評価と名づけてみた。(かなり乱暴だけど・・・)

感覚評価は子どもとの感情の連鎖を促し、感覚的に開放し、自由に導くような気がするのに対して、技術評価は「うまいことがいいんだ」「上手に描くとほめられる」という確信を与えてしまい、その連鎖の方向性を狭めてしまっているのではないかという危惧。

上手にふるまうことへ導く価値観と、感覚的に自由にふるまうことへ導く価値観はまったく相反するものでもある。

多くの大人がある時期に「「自由にふるまう感覚」を失い、「上手にふるまうこと」がよいことだと思い込み、常識に束縛され、・・・場合によっては、ある時点で、「技術的挫折」を体験する・・・。

日常の中での感性や情念から動ける活動力や行動力。発想力や想像力。ものごとを具体的に組み立てる力を身に着ける段階で、もちろん技術的側面は必要な場合もあるが、それ以前に感情と対話する力を身につけることが重要だと思う。

「・と」の関係。・・・つまり、誰が横にいたか・・・の関係の中で、好意的に「技術的評価」ばかりを与える大人しかいないとすれば、楽しく振舞うことの感覚や感情はどのような状況で、どのようにはぐくまれるというのだろうか?

・・・そういえば・・・

大阪の人の「おもろいなぁー」という言葉。

これは大阪人の宝物なのかもしれない。

・・・・

このあたりのことって子どもの教育に関わる人にとってはあたりまえの常識なのかな?

僕が知らないだけなのかな?

・・・・

子どもの行為に対して周りの大人がついつい「うまいねー」「上手だね」に類する技術的評価だけを与え、子どもの感性の可能性を閉じたものにしていないかどうか、・・・そのことに注目してもらいたい。

関連記事:ワークショップに関しての雑感。
by fuji-studio | 2009-12-29 18:36 | ・単純記録/Diary