70年代「平面と立体」→80年代「空間」→90年代「場」→00年「システム」・・・とか?
2009年 12月 19日
僕が美術史を語る立場にないことは承知しているし・・・、何よりも文章下手だし・・・、
それでも、地域での表現の現場に接してきて、1980年代以降の、日本の地域社会での美術表現の変遷を、・・・ある程度整理して捉えている自分に気づき・・・、乱暴に言い切ってみたのがタイトルの流れ。
特に美術の周辺で、表現者が何を問題意識としていじる傾向にあったのか・・・というようなもの。
僕が大学に入学した70年代後半はまだ「立体と平面」や「具象と抽象」の問題をいじる先輩たちが多く、その問題から「空間」の問題へと興味が移行しつつある時期だったような気がする。
80年代インスタレーション作家が多発し、僕もインスタレーション作家というレッテルを貼られ、それから逃れようともがいた時期もあった。
そのうち、「空間」をいじる延長で「場」の問題が輸入される。それが90年前後。
どちらかというと僕自身も、「場と空間」の認識に翻弄され、違和感に向き合いながら、極めてまじめに動いた結果、見えてきたのが地域社会の「システム」の問題。
同時にコンピューターとインターネットの普及により、OSという概念を含むシステムという考え方が急激に変化したのも90年代半ばで、いろいろなあり方が急激に変化していった時期と重なる・・・。
僕自身、地域に内在するシステムに関わる表現に興味を持ち始めたのが95,96年代であるが、2000年あたりから、「場」というよりは「システムやしくみ」をいじり、地域社会に介入しようとするタイプの表現が見えるようになってきたと思っている。
そして、近年の地域におけるアートプロジェクトの拡がり・・・。
いろいろなアートプロジェクトを検討する立場で全国各地からいろいろなアートプロジェクトの内容を読み込むと、その参加作家のタイプが未整理で・・・企画者側もそのような作家の傾向も認識していないし・・・
いまだに地域に壁画という平面をかけたり(シャッターに絵をかいてチャットアウトしようとしたり)、立体を置いたりするプロジェクトを地域のアートプロジェクトとして・・・もちろん状況によってはそれが悪いわけではないが・・・それが地域の若いエネルギーの可能性を阻害する障害物として鎮座することも多い・・・
企画者がその表現の傾向を無自覚にいる状況について・・・それでいいのかな・・・と。
・・・・・ところで、これを表現を作品化するシステムのフォーマットで見てみるとさらにその関係性は興味深い。
平面・立体とか、抽象・具象とかが問題になっていたころのアートシステムは公募展や会員制が中心だったので、そのフォーマットはキャンバスだったり、サイズや材料を限定する規格型のフォーマット。
その後空間の問題意識の発生は貸し画廊や美術館などのギャラリーシステムが広がった時代と重なり、その時代におけるフォーマットはまさにホワイトキューブを象徴する概念型。
まちにおかれた無口な彫刻物が撤去できない吹き溜まりとなり、公害扱いされはじめ、サイトスペシフィックという言葉が語られ、場の問題が浮上しはじめたのが90年ごろ。 それと連動するように、地域にアーティスト主導の現場がポツポツと発生し、必然的に地域社会との深い関係のあり方が模索されはじめ、地域社会のシステムに対話型のフォーマットが発生する。それが地域におけるアートプロジェクトのさきがけ。
そして地域社会システム・対話型フォーマットのアートプロジェクトが大型のうねりとして流通し始めるのが2000年以降。
場の問題から離れ、その地域社会のシステムに介入しつつも、全国のアートプロジェクトに組み込み可能なシステムの問題やネットワークの問題をいじる作品も一般的になってきたのが今の現状。
フォーマットはまさに地域社会のシステムの中にあり・・・あるいは人の関係のあり方にあり・・・いわゆるネットワーク型・・・・
このあたりに論じている詳しい本などがあれば教えてください。
僕も勉強して客観的に捉える必要があるなー・・・。
特に、AAFとか、東京とか、大阪とか、福岡とか・・・地域づくりの戦略としてアートプロジェクトを語る人が増えてくる一方で、その前提としての共通認識があまりにもばらつきがあるようで・・・困ることもあるんです。
問題はこれからの可能性であることに、かわりはないのですが・・・。
※写真と文章はまったく関係ありません。