甑島でのKoshiki Art Project
2009年 08月 11日
それが甑島。ここは個人的には縁が深く、小学生のころから夏になると滞在し、高校時代とか大学時代とか、何度も遊びに来ていた大切な場所。
そこで5年前からその島の出身の美術大学の学生達によって自然発生のようにはじまったアートプロジェクトがKoshiki Art Project
フェリーで到着すると、遠藤君たちが連凧をあげて迎えてくれた。
鹿児島でアートプロジェクトが発生すること自体、ものすごく興味深いことだが、さらにそれが「島」のこととなると余計に無視できない。
僕にとっての思い出の場所に知り合いのアーティストが何名も滞在し、制作している状況が不思議でならない。
できれば・・・将来的に鹿児島の島でのプロジェクトを繋げてみたいと思っている。
イベントでもなくフェスティバルでもなく、なんだか地域に大切な活動・・・
この甑島のプロジェクト、ありえない状況で発生し、奇跡的な展開をしつつ、あまりにも不完全なだけに、可能性にあふれていて、深く大切で宝物のような状態。
おそらくその希少さにほとんどの関係者が気づいていないと思うと・・・歯がゆい。
今月22日からの展覧会ということで準備中の学生やら作家がゆったりと、戸惑いながら集まっていて、その現場の一部を案内してもらう。
その向かう方向性を震えるほど可能性を感じたり、苦労と葛藤がにじみ出ていたり、それぞれがピュアで興味深い。
そして、夜は作家や関係者とのディスカッションの場を持ってもらう。
いろいろな思いが絡み合わず錯綜して純粋な状態。
学生時代にこのような現場を何度も持った経験を思い出し、その場がいかに大切かに思いを巡らす。
当時はその価値に気づく余裕はなかった。
それぞれの立場の違いが未整理で面白い。
個人的にはその未整理感が興味深いが、島の人にとってはきっと「食えない料理」もいっぱいあるのだと思う・・・。
しかしそれもまた大切なのかもしれないと思う。
作家にとって、住民にとって、あるいはそれをつなぐ役割の人にとって、いろいろな現実に対面し、それに真剣に向き合うところが一番大切なことなのかもしれない。
それにしても・・・面白い表現は地域にたくさん潜んでいるものだ。
ただ、流通のフォーマットの外にあるので僕らは日常、目にすることが少ない。
地域のアートプロジェクトはこれまで地域に潜んでいた表現をも引き出してくれる可能性もある。
そしてそれらは、必ずしも常識的に価値のあるものとはされていない場合が多い。
作家がそのような形でその価値観の種を強度のある作品として立ち上げるのかにも興味は深い。
プロジェクトそのものや参加作家の表現の種にももちろん興味があるが、その風景が発生する状況や連鎖やその可能性に興味が深い。
キャンバスに絵の具をのせる前に、そのキャンバスがつくられてきた物理的な理由と、社会システム上の理由があるように、地域系のアートプロジェクトにも同様の物理的、社会システム的理由がある。
それを読み解くのが面白い。
しかし・・・この場・・長目の浜を眺める展望所。
この海水と淡水の入り混じる神秘的な場に強い興味を感じる。
・・・・またまた出会ってしまったような気がする・・・かなりやばい。