おいしさと食材と料理人とレストラン、そしてフードコートとか屋台村・・・とか
2009年 07月 21日
大学時代だったか・・・もしかするとパプアニューギニアから帰国して東京で働いている頃だったか・・・とにかく、美術作品は「おいしいかどうか」という味覚に例えてみるといい!・・・という発見をして、それでいろいろな人に説明してきた。
学校教育の影響が強いのだと思うが・・・あるいはテレビなどで現代美術作家の言動を不可解なものとして嘲笑して差別する風潮も蔓延し、多くの人は現代美術作品を「理解できない対象物」として「難しい」とか「わからない」と勘違いされている面もある。
極上の料理のレシピは謎のままでいいように、その作品の構造とか素材とか意味とかは謎のままでよくて、問題はあくまでもそれがおいしいかどうかであるし、その人の体にとって、あるいは一緒に食べる人との関係にとって必要かどうかが問題なのだと思う。
いくらおいしい極上の料理でも、療養中で自然食好きの人には脂っこい中華料理を無理やり食べさせるのは問題があるし、ベジタリアンには極上の松坂牛でさえも迷惑だったりする。
もちろんとろけるほどに煮込まれた豚足も・・・。
とにかく、おいしい、おいしくないという感覚で接するのが一番大切なことだと思うし、食べたいと思うか食べたくないと思うかがとても重要となる。
僕ら食材を提供する側にしてみると自分の食材探しに懸命で、「おいしそう!」につくるとか「まずそう」に作るとかの余裕などないのも事実だと思うが・・・、客に対する作法としてそれなりの料理方法や出し方、進め方も重要で、それを間違うと、口にしてもらえないことも多々あることは自覚したほうがいい。
だから料理人が必要で・・・作家の未編集の表現を「ナマモノ」の食材に例えるとすれば、コーディネーターやキュレイターが料理人・・・といえる。
ああ・・・・、僕の中で表現と作品は違っていて、表現はどちらかというと「ナマモノ」としてあり、その「ナマモノ」をシステムにあわせて編集する作業が作品化だと思っている・・・。
それについてもどこかでちゃんと文章化しないとな・・・。
とにかく刺激的でいい食材で貴重なものほど、毒があったり危険だったりするので、それなりの料理方法をしなければ、とても食べれるものにならないばかりか、時には事故で死人も出てしまうこともある。
もぎたての、泥まみれの、まだ熟す前の、発芽したばかりの、あるいjは油まみれの、熟しきった食材を皿の上にとりあえずならべてもみても戸惑うばかり。
ナマモノ素材の陳列棚においてくれればいいが、それがあたかも料理されたおいしい料理のようにレストランに並べられているので困るのだと思う。
しかも芋のはっぱや、大根、にんじんの根っこの部分は切り落とされて、葉っぱの部分だけがお皿に乗っていたり・・・。
ゆでてもいなければ焼いてもいなかったり・・・それはとても困る。
塩やしょうゆぐらいはほしいものの、とりあえず、そのまま砂糖がまぶされていたり・・・やたらとタバスコだけが振りかけられていたり・・・。
とにかくどんなにすごい食材でも料理方法や食べ方がわからないとおいしくなかったり、あるいは中毒をおこしたり、ひたすらにまずかったり。・・・ああ、もったいない。
おいしい料理を作品に例え、それが出てくるところをレストランに例えるならば、美術館はホテルレストランのようなものかな? ギャラリーはオーナーシェフのレストラン…?あるいはファーストフード? 全国各地に広がる地域系のアートプロジェクトはワールド屋台村だったり、フードコートだったり、あるいはビュッフェレストランだったり・・・。
最近は個人的にはやはり漬物系とか醗酵食品系とかが好きで気になり・・・、とにかくおいしい料理と出会いそれをおいしく食べれたときの喜びは人生の中での至福のひと時。
とくに僕は、見たこともないおいしそうな食材に出会い、これからこれがどんなにおいしく料理されるのかと思うと・・・もうそれだけでおいしいのですが・・・。
もちろん、「誰と」食べるのかでまったくその味は変わってしまうのえすが・・・。
・・・そうそう。鹿児島と種子島で開催された「時の芸術祭」の話です。
有名豪華料理を横浜と東京から空輸で出前してきて、それを料理見習い人が暖めなおしたり配膳しなおしたりして一生懸命にふるまいながら、・・・同時に多くの興味深い食材が生で飾られ・・・いったいどうやって食べればいいものやら途惑っている客を前にして、食材は暴走したりして・・・料理人や素材集団を連れてきて屋台づくりを楽しんでいる逸材も混在していたり・・・
露天の生もの市場になぜだか横浜の有名中華料理店の有名メニューが5皿ほど空輸されて、調理場もレジもドリンクコーナーもないんだけど、メニューは堂々たる「ファミリーレストラン」・・・ってかんじでしょうか。
個人的にはおいしいところだけしっかり選んで食べさせてもらったので、ものすごくおいしかったのですが・・・ほかの客が食あたりしたり、拒食症になったり、過食症になったりしないかと心配になった現場でした・・・。
せっかく可能性のある食材がいっぱいあるのに、全部ひとまとめにして味付けされて、全国チェーンの大型レストランの定番メニューとして消費されるよりはまだましだとは思うのですが・・・。
時の芸術祭・・・今後どんな料理人が鹿児島に育つか・・・とても楽しみ。
本当はもっともっといい食材が鹿児島にはたくさんあるんだけどなー・・・。いい料理人にリサーチしてもらいたいのだけど、鹿児島のチェーン店のシェフとかホテルシェフとかっておいしい料理の探求に興味ないのかな・・・。いや、そんなことはないはず・・・。
写真は種子島で目にしたものを作品であろうがなかろうが関係なくアップしています。