おさめつなぐところ。
2009年 07月 18日
僕が子どものころ、父方の祖父母は元気だったのでもちろん墓とは縁がなかったし、父親は自分の祖父母の墓がどこにあるかすら知らなかった。
まあ、とにかく墓のシステムについてはいろいろと違和感はあるものの、父親が永代権を購入した墓地だけを残して他界したので、僕が新しく墓をつくることになり、この半年ほどいろいろ動いてきた。
結果として石材店の思惑を大事にした結果、余計な納骨部分の細工が付加されてしまい、最初のイメージに戻したいところも多々あるが、まあまあ、なかなかのお墓が結果として完成し、無事納骨が終了する。
この墓にはとりあえず僕も含め数名は入る予定があり、おそらくあと数十年はお参りされることになる。
・・しかし、それ以降はどうなるのかわからない・・・
墓があるにせよ、ないにせよ、僕がここにいるという事実は脈々と続く生命発生からの連鎖の結果であることには変わりはないし、この世での「活きる」結果が次の縁への連鎖を促す。
その人体を通した連鎖の記録をデジタルではなく、石碑という現在最も記録性が保障されたメディアでおさめつなぐ場なのだと思う。
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考えてみると祖父母はそれぞれ長男の墓に入るとしても、次男三男がそれぞれお墓を作っていったとすると、1世代でふたつの墓が増えることになる。仮にそれが50世代以上続くと地球のすべては墓で覆われてしまうことになる・・・
ありえない・・・。
たぶん3世代ほどで価値観は大きく変化し、まったく違う弔いの様式が常識化されているのだと思う・・・。
3世代前の人からすれば・・・葬儀屋が葬儀のすべてを仕切り、駐車場完備の葬儀場がそれぞれの地域の中心で際立った存在として日々賑わっている状況なんて想像できなかっただろうし・・・。