いいもの、いいところ、いいまち・・・の条件。あたりまえのことですが・・・。
2009年 07月 06日
いいものはいい空間を作り出す。いい空間はいいものごととの関係に成立する。
結局「だれと」とそのモノゴトやトコロを体験するかによって「いい」という価値は変化するので、結局「人」が問題になる。・・・そこまではこれまでもわかっていた。
なんだ。あたりまえじゃないか。
「気持ち」とか「魂」とか「感情」のありようなんだな。
それが「いい」という価値を生み出すのに重要な要素になる。
大学を卒業し、社会とのかかわりを考えていた頃、「カメハニワ」というキャラクターをつくってみたが、あのハニワが「立場」だとしたら、カメが「感情」とか「魂」とか「きもち」の部分なのかな・・・。
立場だけでモノゴトを動かすと、予想を越えることなくものごとは動く。
地域社会が魅力的になるには、個人が魅力的にならなければならないが、個人が魅力的になるということはそれぞれがしっかり立場の仕事をしつつも、さらにその立場を越える感情を持ちえているかどうかに関わってくる。
連鎖のありようが問題なのではないか。
単純な連鎖ではなく、退屈な連鎖ではなく、魅力的な連鎖が発生したのか・・・
この交野の現場でのまちの人の、役所の、市長の、小学校の、PTAの、あるいは水都大阪2009事務局の、かえるスタッフの・・・それぞれの立場を越えた気持ちの連鎖はまぎれもなく、「いい」ものだった。
この連鎖が地域社会に広がったり、大阪のまちに広がってゆけばいいのだけど・・・
しかし、必ず、その連鎖の途中に「気持ち」を殺して「立場」を越えないように死守する人が登場し、いい連鎖を阻害してゆくんだろうな・・・。
なるほど。僕がずっと違和感をもっていたのは、「いいまち」を作らなければならない立場にいる多くの人たちが、立場だけで(魂も気持ちも排除して)立場のために、物事を動かそうとしてきた状況なのかもしれない・・・。
そりゃ、ろくなことにはならないだろうな・・・。