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いいもの、いいところ、いいまち・・・の条件。あたりまえのことですが・・・。

個人的には、大島紬や仏像体験が入り口だったのでいいものをつくろうとするところから始まった。

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美術大学で工芸科でいいものを作ろうとして、いい物とは何かを探るために、工芸の世界では最高峰を呼ばれる作品に接するバイトをしつつ、いわゆる美術の世界で権威ある作品群に触れながら、それがなぜいいとされているのかについて理解を深めた。


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しかし、そのシステムへの興味を失い、パプアニューギニアでやせ犬に出会ってしまい、僕なりの「いい」という価値観を模索し始めたのが20年前。

いいものはいい空間を作り出す。いい空間はいいものごととの関係に成立する。


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それは絶対的なものではなく相対的なものとしてあり、「だれと」対峙するかによって変化する。

結局「だれと」とそのモノゴトやトコロを体験するかによって「いい」という価値は変化するので、結局「人」が問題になる。・・・そこまではこれまでもわかっていた。



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で、今回、その人の「気持ちのありよう」が重要なのだという単純なことに気づいた。

なんだ。あたりまえじゃないか。

「気持ち」とか「魂」とか「感情」のありようなんだな。


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ようするに「立場」を越えた「気持ち」がその関係にあるかなしか。

それが「いい」という価値を生み出すのに重要な要素になる。

大学を卒業し、社会とのかかわりを考えていた頃、「カメハニワ」というキャラクターをつくってみたが、あのハニワが「立場」だとしたら、カメが「感情」とか「魂」とか「きもち」の部分なのかな・・・。

立場だけでモノゴトを動かすと、予想を越えることなくものごとは動く。


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それは効率的で合理的かもしれないが、魅力的ではない。

地域社会が魅力的になるには、個人が魅力的にならなければならないが、個人が魅力的になるということはそれぞれがしっかり立場の仕事をしつつも、さらにその立場を越える感情を持ちえているかどうかに関わってくる。


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やせ犬において、変化そのもの、あるいは変化のエネルギーを美しさとしたが、変化を連鎖と捉えてみるとどうだろう。

連鎖のありようが問題なのではないか。

単純な連鎖ではなく、退屈な連鎖ではなく、魅力的な連鎖が発生したのか・・・


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それが「いい」という価値観に深く関わっているような気がする。

この交野の現場でのまちの人の、役所の、市長の、小学校の、PTAの、あるいは水都大阪2009事務局の、かえるスタッフの・・・それぞれの立場を越えた気持ちの連鎖はまぎれもなく、「いい」ものだった。


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その結果が、結局、風景としてたち現れる。

この連鎖が地域社会に広がったり、大阪のまちに広がってゆけばいいのだけど・・・

しかし、必ず、その連鎖の途中に「気持ち」を殺して「立場」を越えないように死守する人が登場し、いい連鎖を阻害してゆくんだろうな・・・。

なるほど。僕がずっと違和感をもっていたのは、「いいまち」を作らなければならない立場にいる多くの人たちが、立場だけで(魂も気持ちも排除して)立場のために、物事を動かそうとしてきた状況なのかもしれない・・・。

そりゃ、ろくなことにはならないだろうな・・・。
by fuji-studio | 2009-07-06 23:03 | 大阪・中之島での水都大阪