妙見坂小学校での制作の日々。
2009年 07月 03日
それではイメージする力も判断力も行動力も身につかない。
何をつくるという目的を持つのではなく、そこに素材と道具とつくる現場があり、そこにいろいろな人がかかわることで、何か思いもよらぬ「想像を絶するもの」が出来上がってしまうような状況。
素材となるペットボトルも小学生が家から持ってきてもらう。
小学校という場が子ども達の・・・あるいは人間の・・・感性と活動力と判断力、認識力を高めるための社会システムとしてあるとすれば、その空間で、「見えないものを必死になって作ろうとする態度」が同居することの意味は大きいと思う。
参加してくれる人がそれぞれみんな勝手にいろいろなものを作り始めたら面白いと思っていたが、後半七夕飾りをつくりはじめる段階でその兆しが少しだけ見え始めた。
それぞれに関係する人がそれぞれの立場を越えた「気持ち」でかかわり、その「気持ち」がいい形で連鎖していった結果なのだと思う。
そうだ。そうなんだ。「立場を越える気持ち」があるかないかで連鎖のあり方が変わってくるんだ。
気持ちで関わる人に囲まれて、「重要なのは気持ちなんだな」と、つくづく感じる9日間。