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妙見坂小学校での制作の日々。

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何か作り方のマニュアルみたいなものを用意して、ある完成系のイメージをぶら下げて、「これをつくりましょう!」とやるワークショップや授業のやりかたに大きな違和感を抱いてきた。

それではイメージする力も判断力も行動力も身につかない。


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完成のイメージをたどるプロセスではなく、種のようなものがあり、そのから無限に可能性がひろがり、予期せぬ完成系に向かう無数のプロセスが大事なのだと思っている。


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その無数のプロセスをたどれる現場をつくることを思いついてから、「自由工房」の実験をしてみたくなったのだと思う。

何をつくるという目的を持つのではなく、そこに素材と道具とつくる現場があり、そこにいろいろな人がかかわることで、何か思いもよらぬ「想像を絶するもの」が出来上がってしまうような状況。


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今回は、それを小学校の中に設けようという試みだった。

素材となるペットボトルも小学生が家から持ってきてもらう。

小学校という場が子ども達の・・・あるいは人間の・・・感性と活動力と判断力、認識力を高めるための社会システムとしてあるとすれば、その空間で、「見えないものを必死になって作ろうとする態度」が同居することの意味は大きいと思う。


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とにかく、小学校の体育館の舞台の上を9日間お借りして、体育や音楽の授業中も、バドミントンやインディカの練習中も、剣道の練習中も、小学生や地域の人の活動と重なりながら、必死に何かを作り続ける態度をとっていた。


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しかしこれが実現できたことは奇跡的なことだと思う。

参加してくれる人がそれぞれみんな勝手にいろいろなものを作り始めたら面白いと思っていたが、後半七夕飾りをつくりはじめる段階でその兆しが少しだけ見え始めた。

それぞれに関係する人がそれぞれの立場を越えた「気持ち」でかかわり、その「気持ち」がいい形で連鎖していった結果なのだと思う。

そうだ。そうなんだ。「立場を越える気持ち」があるかないかで連鎖のあり方が変わってくるんだ。

気持ちで関わる人に囲まれて、「重要なのは気持ちなんだな」と、つくづく感じる9日間。
by fuji-studio | 2009-07-03 12:23 | 大阪・中之島での水都大阪