本田紘輝(ほんだこうき)と八島太郎(やしまたろう)2つの異なる遺伝子
2009年 05月 05日
鹿児島市美術館で本田紘輝作品展。長島美術館で八島太郎生誕百年展。僕にとっては二人とも、共通の遺伝子を受け継ぐ重要な作家で、同時期に鹿児島で展覧会をすることに驚いた。
イメージはどこからくるかという話をするときに、「生物的遺伝子」と「社会的遺伝子」の話をして説明することが多い。
イメージのもとになる違和感・・・つまり、無意識で感じている差異のようなもの。
その違和感がどこから来るかというと、自分が無意識ながらも抱えているイメージ以前の接し方やふるまいのようなものかもしれないが・・・
無数の先祖の経験が体内の遺伝子を通じて伝えられ、無意識に潜む「生物的遺伝子」。
特に、父親の世代の経験も大きいがそれよりも、4人の祖父母や8人の祖祖父母の経験から来る影響は相当大きいような気がしている。
それに対し「社会的遺伝子」は、生まれてからどのような環境の中でどのような情報に接して誰と過ごし、誰と出会ってきたかによって伝えられてきた無意識の影響・・・のようなものを説明するときに使ってきた。
この二人は僕自身に伝えられてきた無意識の遺伝子を共有する重要な作家だと認識している。
八島太郎は同じ高校の先輩で、その生き方と表現手法、作品対する態度の点で大きな影響をうけた時期がある。
僕が鹿児島で活動を始めた頃、お会いしにロサンゼルスまで行こうと思った時期があるが、ちょうどその頃他界した。
翌年、彼の作品「craw boyを主題にして京都市内の廃校となった小学校(龍池小学校)の講堂でその舞台を再現し、日本語と英語のこの絵本を毎日読み続け、僕の体に刻もうとしたことがある。
特にからすの鳴きまねをする主人公の登場するこの絵本は、鹿児島の片田舎でのとある小学生が抱えていたディスコミュニケーションの問題を自分自身の国家とのディスコミュニケーションの問題に重ね合わせ、しかも英語の絵本としてアメリカで発表するという多層な仕掛けを、「カラスの鳴き声」という単純明快な手法で表現している。
当時僕自身が、鹿児島県土木局との五大石橋撤去問題をめぐる対立の中で、どうにも伝えることができないもどかしさを抱えつつ、システムとしての表現を志向する以前の活動の支えであったし、絵本「たけのはし」という手法に導いてくれたきっかけにもなった。
家族や子どもとのプロジェクトをためらうことなくはじめることを導いてくれたのも彼の表現なのかもしれない。
本田紘輝君については以前も紹介した事があるが、奄美大島で船大工をしていたという僕の祖父のひ孫の子ども。
僕が学生時代に描いていたような手法と色使いで龍の作品を描きつつ体内の病気と闘い続け・・・、13歳という若さで亡くなってしまった。
彼からはまだまだ多くのものをこれから学ぶのかもしれない・・・そう思えるほど彼にとって彼の作品の存在は大きい。
作品が多くの関係を作り出し、彼の存在はますます大きくなってゆくように感じられる。
彼の作品展を見た小学1年の息子が家に帰るなり何かにとりつかれたように彼の絵の真似をしてホワイトボード一杯に描き始めた。
血が騒いだのだろうか。何か相当な刺激を受けたことは確かである。
作品の力は凄いんだな・・・。
意味でもなく言葉でもなく、直接子どもの感性に入り込んでいるようだった。
それにしても・・・闘いが表現されたあまりにも対照的な二人の作家。八島太郎と本田紘輝。