別府を味わう。
2009年 05月 03日
別府は本当に豊かな地域。魅力的な因子であふれている。アートプロジェクトを仕掛けたくなるのもわかるし、アートはいらないという気持ちもわかる。
実現は大変だろうな・・・と思っていたが、何年もの間、ディスカッションと勉強会を繰り返し・・・、じわじわと多くの人を巻き込みつつ・・・、ついに実現したプロジェクト。
その状況を確認してみたいと思っていた。
ゴールデンウィークの隙間を利用して、急遽時間をつくり、無理やりスケジュールを押し込んだものだから宿泊先がないとのこと。
ゴールデンウィークの観光地はあなどれない。
どうにか知り合いに頼んで用意してもらったのが別府ゲストハウス。
そのフロントでチェックインをしようとして・・・感動の再会。
なんと、カウンターの中にいたのは20年前に鹿児島のイイスペイスの最初の店長のT氏。
彼は僕が青年海外協力隊員としてパプアニューギニアに赴任したときの先輩で、たまたま僕が東京と鹿児島を往復しながらお店作りをしていた頃、東京で再会し、一緒にイイスペイスの空間作りも手伝ってもらい、そのまま、最初の店長としてお店を切り盛りしてもらった。
そのゲストハウスでの20年ぶりの再会にはじまり、なんだか別府のまちは古い知り合いであふれている。
桜島プロジェクトで一緒だったアーティストや、昔プロジェクトの現場で一緒に働いた人や、最近地域系アートプロジェクトで出会うことの多いアーティスト、美術館学芸員、アートプロジェクトスタッフ、いろいろな人が日本全国から別府に集結している。
まちとアートの関係がどうのこうのと語りだすときりがないが、少なくとも、これまで幾度となく通過してきた別府のまちに足を踏み入れて歩いてみたのは初めて。
これまでまったく関係のなかったまちがやたらと縁の深いまちになった。
100円で入れる温泉を巡りつつ、最近のカタログではみたことのないまちの風景のディテールを楽しみながら、別府のまちをじっくり味わう。
とてもおいしい。
ここまでまちを味わったことはないというぐらい味わえたのはなぜだろう。
考えてみるとこの50年間、資本主義経済という、あるいは活性化というハラスメントに束縛され、まちは人の欲望を刺激し、金銭を消費させるための装置として仕掛けられてきた。
しかし、さらにその前の時代は必ずしもそれだけではなかったような気がする。その時代の匂いがここにはある。
買う、飲む、食うだけではなく、遊び、寛ぎ、出会い、語り、学び・・・自分と向き合う。
まちに様々な視点が入り込み、まちをもっと面白く使える可能性はまだまだある。
今回の作家の表現や作品が必ずしもまちとの関係において、興味深い状態だったかどうかはおいといて、もっとこうありたいとの気持ちがいろいろ湧き出てきたのは確か。
実はまだまだできることがいっぱいあるが、
実はまだまだなにもやれていない。
今回はめずらしく観客の立場として俯瞰できて、その弱点と強さが理解できたような気がした。
まちにはみ出るような活動を7名ぐらいのユニットをつくって一年間、じわじわじっくりと生成してゆかなければ・・・実はなかなか僕自身がほんとに面白いと思えるものはできないのではないか・・・そのように確信できた。
しかし、別府のまちには恵まれた因子が多すぎる。
その意味で因子としてのアート作品はいらないのかもしれない。
しかし、その因子を繋ぐ新しい仕組みとしてアートは必要なのだろう。
それでも・・・それはおいといても、かかわりたくなり、いじりたくなる・・つくりたくなる因子のなんと豊富なことか。
現在大量に流通しているイメージのカタログでは絶対に出会いないような、質感というか、肌触りというか・・・長年生き延びてきた時代の襞からにじみ出ている空気が確かにアーティストの感性を刺激する。
その部分を見極めて編集し、しっかり料理しないとおいしいものにはならない気がする。
その意識を共有できるアーティストとコーディネーターがどれほど参加していたのだろう。
今回の別府は、決して作品がおいしかったわけではないが・・・まちはおいしくいただけました。
商店街でのダンスのプロジェクトは作品としてもかなりおいしかったけど・・・。